雄英高校、入学式当日。
「おはよう! 今日からよろしくな!」
春の陽気に負けないほど明るい声が、校門前に響いた。
声の主は、一人の少年。
ただし、その姿は周囲の新入生たちとは明らかに異なっていた。
身長二百五十センチ。
広い肩幅に分厚い胸板。太い首から続く僧帽筋は盛り上がり、制服の袖は丸太のような上腕にぴったりと張り付いている。
全身が鍛え抜かれた筋肉で構成された、文字通りの巨漢だった。
短く整えられた赤銅色の髪に琥珀色の瞳、精悍ながらも人懐っこい顔立ち。堂々とした立ち姿は威圧的なほどだったが、その表情には大型犬を思わせる屈託のない明るさがあった。
巨勢大。
雄英高校ヒーロー科一年A組に入学する、十五歳の少年である。
「お、おはよう……」
「おう! 同じ新入生だよな? 俺、巨勢大! よろしく!」
大が差し出した右手を、声をかけられた少年は恐る恐る握った。
大きい。
手のひらだけで、自分の手がすっぽりと覆われてしまう。
「あ、ああ。よろしく……」
「お前、何組?」
「B組だけど」
「そっか! 俺はA組だ! お互い頑張ろうな!」
大は豪快に笑い、手を振って歩き出した。
その背中を見送った少年が、ぽつりと呟く。
「……すげえ身体」
すると、隣にいた別の新入生が口を開いた。
「お前、あいつ知らないのか?」
「え?」
「入学試験にいたんだよ。五十メートルくらいの巨人になった奴」
「……は?」
「ロボットを踏み潰しまくってた。最後なんか試験会場がほとんど更地になってたぞ」
少年は慌てて大の背中を振り返った。
すでに遠ざかりつつある、二百五十センチの巨体。
「……あれで、まだ二十分の一なのかよ」
その呟きは、大には届かなかった。
当の本人は、すれ違う新入生に片っ端から挨拶していたからだ。
「おはよう!」
「よろしくな!」
「おっ! お前もヒーロー科か!」
誰にでも気さくに声をかけ、笑い、時には握手を交わす。
初対面の相手に物怖じする様子は微塵もない。
大にとって、今日という日は純粋に楽しみな一日だった。
日本最高峰のヒーロー育成機関。
そこに集まった、将来のヒーローたち。
これから始まる三年間を想像するだけで、自然と笑顔になる。
「よっしゃ! A組はこっちだな!」
大は案内板を確認すると、長い脚で廊下を進んでいった。
◇
一年A組の教室前。
一人の少年が、廊下の壁に背を預けていた。
銀白色の乱れ髪。
薄紫色の瞳。
整った顔立ちには、年齢に似合わぬ知性と、どこか冷淡な雰囲気が漂っている。
障守盾真。
身長百七十五センチ、体重六十八キロ。
平均的な男子高校生よりやや背が高く、均整の取れた身体つきをしていた。
彼は腕時計を確認した。
「……まだですか」
すでに教室には何人もの生徒が入っている。
しかし盾真は、教室へ入ろうとしなかった。
待っているのだ。
ある一人の少年を。
「なあ、お前もA組?」
不意に声をかけられた。
振り返ると、同じ制服を着た男子生徒が立っている。
「ええ。そうですが」
「なんで入らねえの?」
「人を待っていますので」
「ああ、友達?」
「いいえ」
「じゃあ知り合い?」
「いいえ」
「……え?」
少年が首を傾げる。
盾真は穏やかに微笑んだ。
「初対面の方と、ぜひお話ししたいと思っていまして」
「なんだそれ。変な奴だな」
「そうでしょうか。会ったことのない相手と話したいと思うのは、別に珍しいことではないと思いますが」
「いや、そうじゃなくて……」
「申し訳ありませんが、そろそろ静かにしていただけますか。大切な方を見逃してしまうと困りますので」
笑顔だった。
口調も丁寧だった。
しかし、明らかに邪魔者扱いされている。
「……あっそ」
少年は不機嫌そうに教室へ入っていった。
盾真はそれを見送ることもなく、再び廊下へ視線を戻した。
待っている相手の名前は、巨勢大。
入学試験で初めて見た、あの巨人だ。
盾真は昔から、巨大な存在に強く惹かれていた。
山のような巨獣。
街を見下ろす巨大ロボット。
そして、巨大化する人間。
中でも、人間がその姿のまま巨大化するという現象には、抗い難い魅力を感じていた。
人間でありながら、人間を遥かに超える。
足元にいる人々を、文字通り見下ろす。
ほんの一歩で道路を砕き、腕を振るうだけで建物を破壊する。
そんな圧倒的な存在。
盾真は、自分の嗜好が一般的なものではないと理解していた。
だからこそ、普段は他人に話すこともない。
だが。
入学試験で、巨勢大を見た。
五十メートル。
身長五十メートルの、筋骨隆々とした巨人。
巨大なロボットを片手で握り潰し、踏みつけ、蹴り飛ばす。
その圧倒的な破壊力。
相手がどれほど巨大な機械であろうと、まるで玩具のように扱う怪力。
盾真は、あの光景を一生忘れないだろう。
(……本当に、素晴らしかった)
思い出すだけで、口元が緩む。
あの巨人の足元に立ったら、どんな景色が見えるのだろう。
巨大な手に掴み上げられたら。
あの拳が自分に向けられたら。
そもそも、五十メートルの巨人にとって、自分などどれほど小さな存在なのだろう。
盾真の背筋に、ぞくりとした感覚が走る。
恐怖ではない。
むしろ、その圧倒的な力の差こそが魅力だった。
どれほど頭を使おうと、どれほど抵抗しようと、あの巨人が本気になれば何の意味もない。
そう思えるほどの存在。
(……ああ、早くお会いしたい)
盾真は廊下の向こうを見つめた。
そして。
「おっ! ここがA組か!」
よく通る声が響いた。
盾真の顔が上がる。
廊下の向こう。
人混みの中に、ひときわ大きな人影があった。
二百五十センチ。
他の生徒たちより遥かに高い位置にある顔。
制服を内側から押し広げる筋肉。
広い肩幅。
そして、屈託のない笑顔。
(……来た!)
盾真の瞳が輝いた。
心臓が跳ねる。
先ほどまでの冷静な表情は、一瞬で消え去った。
大きい。
実際に目の前で見ると、想像以上に大きい。
五十メートルの姿と比べれば、今はほんの二百五十センチに過ぎない。
それでも、十分すぎるほど巨大だった。
盾真は素早く姿勢を正した。
そして、大が教室の入り口に差しかかった瞬間。
「巨勢大くんですね!」
「ん?」
大が足を止めた。
目の前に、銀髪の少年が立っている。
「僕は障守盾真と申します!」
「おう! 俺は巨勢大! って、知ってんのか!」
「もちろんです!」
盾真は勢いよく右手を差し出した。
「入学試験でのご活躍、拝見しました! あの巨大化、本当に素晴らしかったです!」
「おっ! ありがとな!」
「特に、あの巨大なロボットを片手で握り潰した場面! あれほど圧倒的な力を目の当たりにしたのは、生まれて初めてでした!」
「ははっ! あれは結構気持ちよかったな!」
盾真の瞳がさらに輝いた。
「そうでしょうとも!」
あれほどの力を持ちながら、破壊することに躊躇がない。
もちろん相手はロボットだったが、それでも構わない。
あの巨大な拳で、あの巨大な足で。
何もかもを容易く破壊できる。
その事実だけで、盾真には十分だった。
「巨勢くん!」
「おう!」
「どうか、僕とお友だちになってください!」
深々と頭を下げた。
廊下が静まり返った。
「…………」
周囲の生徒たちが顔を見合わせる。
今、何が起きた?
自己紹介をした。
入学試験の話をした。
そして突然、友達になってくれと頭を下げた。
ここまで十数秒。
「……早くない?」
誰かが呟いた。
しかし。
「おう! よろしくな、盾真!」
大は一切戸惑わなかった。
差し出された右手を、大きな手でがっしりと握る。
盾真の手が、すっぽりと包み込まれた。
「同じクラスなんだろ? 仲良くしようぜ!」
「はいっ!」
盾真が顔を上げた。
満面の笑みだった。
それまでの冷ややかな雰囲気など、跡形もない。
「ありがとうございます! 末永くよろしくお願いします!」
「はははっ! 大袈裟だな!」
大は豪快に笑った。
盾真も嬉しそうに笑う。
周囲は置いてけぼりだった。
「……なんだ今の」
「友達ってああやって作るんだっけ?」
「いや、普通はもうちょっと段階があるだろ」
そんな囁きなど、二人には届かない。
「よし! じゃあ一緒に教室入ろうぜ!」
「はい! 喜んで!」
二人は並んで教室へ入った。
七十五センチの身長差。
盾真は、大の顔を見上げる。
(……近い)
目の前にある、巨大な胸板。
太い腕。
自分のものとは比較にならないほど大きな手。
それが、すぐ隣にある。
(……最高ですね)
盾真は幸福そうに微笑んだ。
こうして、雄英高校ヒーロー科一年A組に、奇妙な二人組が誕生した。
◇
入学式は、滞りなく終了した。
校長による挨拶。
新入生代表の言葉。
ヒーローを志す者としての心構え。
大はどれも真剣に聞いていた。
一方、盾真は隣に座る大を時折見上げていた。
椅子も机も特注品。
それでも、座っているだけで周囲の生徒たちより遥かに大きい。
(……素晴らしい)
盾真は満足そうに微笑んだ。
式が終わり、教室へ戻る途中。
「なあ、盾真!」
「はい!」
「お前の個性ってどんなのなんだ?」
「僕の個性ですか? 『障壁』です」
「障壁?」
「ええ。空間に固定できる六角形の障壁を生成する個性です」
「おお! 防御系か!」
「はい。ただし、単純に防御するだけではありません。組み合わせ方次第で、色々な使い方ができます」
「へえ! すげえな!」
大は素直に感心した。
盾真は嬉しそうに微笑む。
「ありがとうございます。もっとも、巨勢くんの個性と比べれば、随分と地味なものですが」
「そんなことねえだろ! 防御できるってすげえことだぞ!」
「……そう言っていただけると嬉しいです」
盾真は頬を緩めた。
大に褒められたことが嬉しい。
それもある。
だが何より、あの巨人が自分の個性に興味を持ってくれたことが嬉しかった。
「今度見せてくれよ!」
「もちろんです!」
即答だった。
◇
教室に戻ると、教卓の前に一人の男性教師が立っていた。
四十代半ばほど。
身長百八十八センチ。
短く刈り込んだ黒髪に、がっしりとした体格。
右眉の上には古い傷跡があり、いかにも歴戦のヒーローといった風貌だった。
「全員揃ったな」
低い声が教室に響く。
「一年A組の担任を務める、岩動剛志だ。担当はヒーロー基礎学と実戦訓練。よろしく頼む」
黒板に名前を書きながら、教師は続けた。
「早速だが、今日は個性把握試験を行う」
教室がざわついた。
「入学式の日からですか?」
「ああ。ヒーロー科に入った以上、お前たちの能力を早急に把握する必要がある」
岩動は腕を組んだ。
「雄英に入れたからといって、ヒーローになれる保証はない。今日からお前たちは、プロを目指す訓練生だ」
その言葉に、生徒たちの表情が引き締まる。
大も真剣に頷いた。
「よし! 頑張るぞ!」
隣の盾真が微笑む。
「ええ。巨勢くんの実力を間近で拝見できるなんて、楽しみです」
「お前も頑張れよ!」
「もちろんです」
盾真は頷いた。
もっとも、彼の関心の大部分は、すでに隣の巨人に向けられていたのだが。
◇
雄英高校、屋外訓練場。
体操服に着替えた一年A組の生徒たちが整列していた。
その中でも、大の姿は圧倒的だった。
二百五十センチの巨体。
制服以上に身体の輪郭がはっきりと分かる体操服姿は、まるでプロの格闘家をそのまま巨大化させたようだった。
「……すっげえ身体」
「腕、俺の太ももより太くね?」
「胸板どうなってんだよ」
そんな声が聞こえる。
盾真は満足そうに頷いた。
「当然でしょう。あの体格でなければ、あれほどの巨大化には耐えられないのではありませんか?」
「いや、お前に聞いてないんだけど」
「それは失礼しました。もっとも、聞かれていないことに答えてはいけないという決まりもありませんので」
「……なんか嫌な奴だな、お前」
「初対面で随分と率直なご感想ですね。参考にさせていただきます」
盾真はにっこり微笑んだ。
相手の少年が顔を引きつらせる。
その直後。
「盾真! グラウンドの位置わかる? 俺まだ覚えてなくてさ!」
大が振り返った。
盾真の表情が一瞬で変わる。
「ええ、把握してますよ。是非一緒に行きましょう!」
「おー、助かるぜ!ありがとな!」
先ほどの少年が呆然と二人を見比べた。
「……態度違いすぎない?」
盾真は聞こえないふりをした。
◇
「まずは各自の個性を確認する」
岩動が言った。
「入学試験の資料は目を通しているが、実際の能力と書類上の能力には差がある。特に、特殊な条件を持つ個性は詳しく聞く」
そして、一人の生徒に視線を向けた。
「巨勢大」
「はい!」
「お前からだ」
大が一歩前に出る。
「個性名は『スケールシフト』だったな」
「はい!」
「説明してくれ」
「俺の個性は、自分の身体を大きくしたり小さくしたりできます!」
「今の身長は?」
「二百五十センチです!」
「それが通常時か?」
「いえ! 本来は百八十センチです! でも普段はこの大きさで生活してます!」
「理由は?」
「こっちの方が便利なんで!」
岩動は少し眉を上げた。
「なるほど。個性の常用に慣れているわけか」
「はい!」
「最大と最小は?」
「最大が百メートルくらい! 最小が一センチくらいです!」
周囲から驚きの声が上がる。
「一センチ!?」
「百メートルから一センチって、差がありすぎだろ!」
岩動は腕を組んだ。
「質量はどうなる?」
「大きくなると増えます! 小さくなると減ります!」
「筋力は?」
「身体の大きさに合わせて変わります!」
「小さくなった場合は?」
「普通のダンベルでもすごく重くなるんで、筋トレに使ってます!」
「……ほう」
岩動が興味深そうに頷いた。
「つまり、縮小によって通常の器具でも高負荷のトレーニングが可能になるわけか」
「はい! 結構便利ですよ!」
大は笑った。
岩動は続ける。
「服はどうしている? 入学試験の映像では事前に脱いでいたみたいだが」
「ああ、パンツだけは特注品なんですよ! 俺の細胞を組み込むことで俺の個性の影響を受けて一緒に伸び縮みしてくれるんです」
大はあっけらかんと答えた。
「でもこれすごく高くて。最低限パンツさえ履いてれば許されるだろってことでなんとかパンツだけは作って貰ったんですけど服まではちょっと。雄英ではヒーローコスチューム作って貰えるって聞いてすげぇ楽しみにしてます!」
「なるほど。では現在の体操服ではダメなのか?」
「はい! 破れます!」
「身体の中に入っている物は?」
「一緒に変わります!」
「食物もか?」
「はい!」
「なるほどな……」
岩動はメモを取った。
「それなら食事量はどうだ?」
「普通に食べると結構な量になるんで、食べる時は三十センチくらいまで小さくなってます!」
「……三十センチ?」
「はい! 専用の食器とカトラリーもあるんですよ!」
岩動のペンが止まった。
「……それはまた、随分と特殊な生活をしているな」
「慣れたら便利ですよ! 食費抑えられますし」
大は笑った。
岩動はしばらく考え込み、再び口を開く。
「巨大化した際の感覚はどうなる?」
「感覚?」
「例えば、百メートルの状態で人間を指先に乗せた時、重さを感じるか?」
「やった事ないですけど、多分感じません! 木の上に手をついた事ありましたけどほとんど何も感じないまま潰しちゃいました」
「…そうか。力加減は?」
「気をつければ多分大丈夫です!」
「多分気をつければ、か」
岩動は少し表情を険しくした。
「それが一番の問題だな」
大が首を傾げる。
「問題、ですか?」
「ああ。お前の個性は、単純な出力だけなら極めて強力だ。だが、その分だけ周囲への影響も大きい」
岩動は訓練場を指さした。
「百メートルの身体で一歩踏み出せば、何が起こる?」
「地面が潰れます!」
「そうだ。では、その地面の下に地下鉄が通っていたら?」
「あっ」
「あるいは、人間が隠れていたら?」
大の表情が引き締まった。
「……危ないですね」
「危ないどころじゃない」
岩動は頷いた。
「だからこそ、今日はお前の制御能力も確認する」
「はい!」
大は力強く返事をした。
その横で、盾真はじっと大を見上げていた。
(……百メートルの身体で一歩)
想像する。
巨大な足が地面に降りる。
道路が砕け、建物が押し潰される。
そこに人間がいたとしても、巨人にとってはほんの小さな障害物に過ぎない。
(……素晴らしい)
盾真は静かに微笑んだ。
岩動の説明する危険性が、彼にとってはむしろ大の魅力を補強していた。
◇
個性把握試験が始まった。
最初は基本的な身体能力の測定だった。
五十メートル走。
握力。
立ち幅跳び。
反復横跳び。
持久走。
大は二百五十センチの姿で、次々と高い記録を叩き出していった。
だが、岩動は記録を見ながら首を傾げた。
「……なるほど。今の状態でも十分に優秀だな」
「ありがとうございます!」
「ただし、これではお前の個性の本領が分からん」
岩動は腕を組んだ。
「巨勢。最大まで巨大化してみろ」
「はい!」
大は訓練場の中央へ移動した。
岩動は他の生徒たちを観測エリアへ下がらせる。
「全員、十分に距離を取れ!」
生徒たちが移動する。
盾真も指定された位置へ向かった。
ただし、その足取りは少々名残惜しそうだった。
「……もっと近くで見たかったですね」
「いや、危ねえだろ」
隣の生徒が呆れたように言う。
「百メートルだぞ? 踏まれたら終わりだろ」
「ええ。そうでしょうね」
盾真は微笑んだ。
「それが素晴らしいんじゃありませんか」
「……は?」
「いえ、何でもありません」
盾真は視線を大へ戻した。
岩動が拡声器を構える。
「巨勢! 準備はいいか!」
「はい!ちゃんと脱ぎました!」
「よし! 始めろ!」
大が大きく息を吸った。
そして。
身体が膨れ上がった。
五メートル。
十メートル。
二十メートル。
「うおおっ!」
生徒たちから歓声が上がる。
三十メートル。
五十メートル。
七十メートル。
巨大な影が訓練場を覆い始めた。
そして。
百メートル。
そこに、一人の巨人が立っていた。
校舎を見下ろす高さ。
凄まじい厚みを持つ胴体。
血管の一本一本が巨大な柱のような太さを持つ脚。
鍛え上げられた筋肉が、巨大化によって文字通り山のような質量を持っている。
「…………」
生徒たちは言葉を失った。
入学試験で見た時はこの半分だった。それでもとんでもなかったのに、間近でみる百メートルの巨体は恐怖もさることながらもはや大自然を見るが如き畏怖を感じる。
「……でかすぎる」
「これ、本当に人間なのか?」
「怪獣じゃねえか……」
そして。
盾真は、ただひたすら見上げていた。
(……ああ)
百メートル。
分かっていた。
知っていた。
入学試験でも見ていた。
それでも。
実際に目の前で巨大化する姿は、想像を遥かに超えていた。
空を覆う巨体。
見上げても顔すら見えない。
自分がどれほど小さな存在なのか、嫌というほど思い知らされる。
(……最高です、巨勢くん)
盾真の口元が緩む。
その時だった。
ずずず……。
不気味な音が、地面から響いた。
岩動の表情が変わる。
「……おいおい」
大の足元。
巨大な足裏が接している地面に、亀裂が走り始めていた。
まだ大は動いていない。
ただ、立っているだけだ。
それなのに、地面が悲鳴を上げている。
「……こいつは想定以上だな」
岩動は即座に地面へ手をついた。
「『岩盤』!」
個性が発動する。
地面の下で土が隆起し、圧縮され、強固に固定されていく。
大の足元を中心に、広範囲の地盤が強化された。
亀裂が塞がり、地面が安定する。
だが。
大がほんの少し体重を移動させた瞬間。
みしっ。
強化された岩盤に、新たな亀裂が走った。
「……っ!」
岩動の額に汗が浮かぶ。
(立っているだけでこの負荷か!)
百メートル。
単純に身長が四十倍になったわけではない。
質量も増加している。
その重量を支える地盤には、凄まじい圧力がかかっていた。
「巨勢!」
岩動が拡声器で叫ぶ。
「五十メートルまで縮めろ!」
頭上から、大の声が降ってくる。
『えっ? もうですか?』
「これ以上は危険だ! 今の状態では試験にならん!」
『分かりました!』
大は素直に頷いた。
そして、身体を縮めていく。
九十メートル。
七十メートル。
五十メートル。
巨大な影が、少しずつ小さくなった。
それでも、五十メートル。
十分すぎるほど巨大だった。
岩動はようやく息を吐いた。
「……ふう」
地面に手をついたまま、周囲の地面を修復する。
亀裂が塞がり、地面が元の形へ戻っていく。
生徒たちがざわついた。
「……先生、すげえな」
「地面直してるぞ」
「あれが『岩盤』か」
岩動は立ち上がった。
「巨勢! 今後の測定は五十メートルを上限とする!」
『はい!』
「百メートルでの測定は危険すぎる! お前の能力を正確に把握するためにも、まずは安全に測れる範囲でやるぞ!」
『分かりました!』
大は元気よく答えた。
その声だけで、空気が震えた。
「……声量も調整しろ!」
『あっ! すみません!』
「謝る声もでかい!」
生徒たちから笑いが起こった。
ただ一人。
盾真だけは、別の意味で震えていた。
(……立っているだけで、地面が壊れる)
あの巨大な身体。
あの圧倒的な質量。
ただ存在するだけで、周囲に影響を与えてしまう。
(……素晴らしい)
盾真は、恍惚とした表情で巨人を見上げた。
◇
測定が再開された。
ただし、最大五十メートル。
それでも、結果は凄まじいものだった。
まずは握力。
通常の握力計では測定できないため、巨大な負荷装置が用意された。
大は五十メートルの姿で、装置を握る。
『いきます!』
ぎぎぎぎ……。
金属が軋む。
計器の数値が急上昇する。
そして。
ばきんっ!
装置の一部が破断した。
『あっ』
大が動きを止める。
岩動は記録を確認する。
「……測定限界を超えたか」
周囲がざわついた。
「壊した……」
「あれ、ヒーロー用の測定装置だろ?」
「どんだけ力あんだよ……」
大は申し訳なさそうに頭を下げた。
『すみません!』
「構わん! 装置の限界を把握できた!」
岩動は続ける。
「次は跳躍力だ!」
大は慎重に膝を曲げた。
そして、跳ぶ。
どんっ!
五十メートルの巨体が、宙へ浮かび上がった。
「うおおおおっ!?」
「飛んだ!?」
生徒たちが歓声を上げる。
しかし。
着地の瞬間。
ずどんっ!!
凄まじい衝撃が地面を伝わった。
「うわっ!」
「揺れた!」
岩動が即座に地面へ手をつく。
「『岩盤』!」
地中の岩盤が強化され、衝撃が分散される。
地面の揺れが急速に収まった。
「……ふう」
岩動は息を吐いた。
「巨勢! 跳躍力は十分だ! だが、着地の制御が甘い!」
『はい!』
「お前の身体は重い! その重量をどう扱うか考えろ!」
『分かりました!』
次は走力。
五十メートルの巨体が走れば、歩幅だけで数十メートルに達する。
当然、通常の五十メートル走など測定にならない。というよりこの巨体で走らせることの危険さを考慮して中止した。
投擲力。
これも測定不能。ボールが小さすぎてまともに投げれない。投げられるボールはど投げでは投げた先が大惨事となる。
破壊力。
専用の標的を軽く踏んで破壊。
耐久力。
通常の測定装置では、そもそも十分な負荷をかけられない。
結果。
ほぼすべての種目が、測定不能。
岩動は記録用紙を眺めながら、深いため息をついた。
「……わかっていたが、とんでもない奴が入ってきたな」
その言葉には、呆れと感心が半分ずつ混じっていた。
◇
最後に行われたのは、精密動作の測定だった。
「巨勢」
『はい!』
「今度は力を出すんじゃない。力を抑える試験だ」
『分かりました!』
岩動は、訓練場に用意された小さな岩ブロックを指さした。
「これを壊さずに積み上げろ」
大は五十メートルの姿で、慎重に指を伸ばした。
巨大な指先が、小さなブロックを摘み上げる。
しかし。
ぱきっ。
『あっ』
ブロックが砕けた。
岩動は記録を確認する。
「……やはりな」
『すみません!』
「謝る必要はない。今はできないことを把握するための試験だ」
岩動は続けた。
「お前の問題は、巨大化した時の細かな力加減だ。これから徹底的に鍛えるぞ」
『はい!』
大は元気よく答えた。
その様子を見ていた盾真が、ぽつりと呟く。
「……あの指先だけで、簡単に砕けるんですね」
隣の生徒が顔をしかめた。
「怖えよな。あれで人間掴んだら……」
「ええ。本当に素晴らしい力です」
「……え?」
「いえ、何でもありません」
盾真は微笑んだ。
その後、岩動は大にいくつか質問を重ねた。
「巨勢。巨大化した状態で、人間を手のひらに乗せたことはあるか?」
『はい! 入学試験でも何人か運びました!』
「その時、感触は分かったか?」
『はい! でも、かなり軽かったです!』
「では、最大の百メートルでは?」
大は少し考えた。
『……あんまり分かんないですね』
「……何?」
『八十メートルくらいまでは、手のひらに何かあるとなんとなく何かあるのは分かるんです。それ以上になると、ほとんど感じなくなります!』
岩動の表情が変わった。
「……八十メートルまで、か」
『はい!』
「つまり、百メートルの状態では、手のひらに人間が乗っていても、感触ではほとんど分からないわけだな?」
『そうですね!』
岩動はしばらく考え込んだ。
そして、はっきりと言った。
「巨勢。今後の制御訓練では、八十メートルを上限とする」
『……八十メートルですか?』
「ああ」
岩動は頷いた。
「感触が分からないものを、正確に扱うことはできん」
大は真剣に聞いている。
「お前の個性は、百メートルまで巨大化できる。だが、百メートルの状態で人間を安全に扱えるかといえば、現状では難しい」
『はい』
「だから、まずは八十メートルまでの制御を徹底的に鍛える」
『分かりました!』
大は力強く頷いた。
その横で、盾真はじっと大を見上げていた。
(……八十メートル)
それ以上になると、人間の感触がほとんど分からなくなる。
つまり。
百メートルの巨勢大にとって、人間一人など、触れているかどうかも分からないほど小さな存在なのだ。
(……素晴らしい)
盾真は静かに微笑んだ。
その表情を見た岩動が、少し眉をひそめる。
「……障守」
「はい?」
「お前、随分と楽しそうだな」
「ええ。巨勢くんの個性は、本当に素晴らしいと思いますので」
「……そうか」
岩動はそれ以上追及しなかった。
ただ、心の中で一つだけ思った。
(……こいつ、ちょっと危ない奴かもしれんな)
◇
試験終了後。
大は二百五十センチの姿に戻っていた。
岩動は記録用紙を眺め、しばらく考え込んでいる。
「巨勢」
「はい!」
「結論から言うぞ」
岩動は顔を上げた。
「お前の個性は、現時点でも極めて強力だ」
「ありがとうございます!」
「ただし、強力すぎる」
大が首を傾げる。
「強力すぎる、ですか?」
「ああ」
岩動は測定結果を見せた。
「最大巨大化時の筋力、破壊力、質量。どれも規格外だ。だが、制御が追いついていない」
「はい」
「今日の試験でも、何度か設備を破損させたな」
「すみません!」
「謝る必要はない。試験のために用意したものだ」
岩動は続ける。
「問題は、お前がその力をどこまで正確に扱えるかだ」
大は真剣に聞いている。
「正直百メートルはまず使わんだろう。せいぜい大規模災害が起こった場合にあるかもしれんってくらいだ。となると現実的なサイズとしてはまぁいっても50メートルくらいだろう。その状態で敵を攻撃しようもんならまず殺してしまう。それだけでなく余波も酷いもんになるだろう。周囲の建物なぞひとたまりもない」
「はい」
「踏みつければ、地盤が陥没するかもしれん」
「はい」
「指先で人間を掴めば、少しでも力加減を間違えると大怪我をさせる。下手をすれば殺してしまう」
「……はい」
「つまり、お前に今必要なのは、さらなる出力の向上じゃない」
岩動ははっきりと言った。
「制御だ」
大は頷いた。
「巨大化時の歩行。重心移動。力加減。縮小時の動作。サイズ変更の速度と精度。これらを徹底的に鍛える」
「はい!」
「特に、巨大化した状態での精密作業は重要だ。人間を安全に救助できるようになれば、お前の個性は非常に大きな武器になる」
「分かりました!」
大は力強く答えた。
「俺、頑張ります!」
岩動は満足そうに頷いた。
「いい返事だ。期待しているぞ」
◇
放課後。
大と盾真は、校門へ向かって歩いていた。
「いやー! 初日から結構大変だったな!」
「そうですね」
盾真は微笑んだ。
「ですが、巨勢くんの個性を間近で拝見できて、僕は非常に満足しています」
「ははっ! そうか!」
「はい! 特に最後の破壊力測定は素晴らしかったです!」
「おっ! ありがとな!」
「先生は制御が必要だとおっしゃっていましたが、あれほどの力を持っていること自体が、すでに素晴らしい才能だと思います!」
「そう言ってもらえると嬉しいな!」
大は笑った。
盾真はその顔を見上げる。
二百五十センチ。
今の姿でさえ、自分より遥かに大きい。
だが、これでも本来の最大サイズの四十分の一だ。
百メートル。
その巨体が、自分の目の前に立つ。
巨大な手が伸びてくる。
もしその手に掴まれたら、自分など簡単に潰されてしまうだろう。
(……いつか、あの手に掴んで欲しいとお願いしてみたいですね)
盾真は密かに決意した。
もっと近くで。
もっと巨大な姿を。
できれば、あの手のひらの上から。
「なあ、盾真!」
「はい!」
「明日も一緒に教室行こうぜ!」
盾真の思考が止まった。
「……え?」
「いや、せっかく友達になったんだしさ!」
大はにっと笑った。
「一緒に行った方が楽しいだろ?」
盾真は目を見開いた。
そして。
「……はい!」
満面の笑みを浮かべた。
「ぜひ! 喜んで!」
「よっしゃ! じゃあ明日な!」
「はい! 明日もよろしくお願いします!」
大は大きな手を振って歩いていく。
盾真も手を振り返した。
その背中が見えなくなるまで。
そして、ようやく一人になった盾真は。
「…………ふふっ」
小さく笑った。
今日、友達になれた。
明日も会える。
これから三年間、同じ学校で過ごせる。
しかも、あの巨人は自分に対して、とても友好的だ。
なんという幸運だろう。
「……素晴らしいですね、雄英高校」
盾真は空を見上げた。
彼がヒーローを志した理由は、決して純粋な正義感などではない。
ヒーローという肩書きにも、それほど興味はなかった。
ただ、自分の能力を活かすには、ヒーローという職業が都合よかった。
それだけの話だ。
だが。
今は違う。
この学校には、巨勢大がいる。
百メートルの巨人。
圧倒的な力を持つ、規格外の存在。
そして、その巨人は自分の友達になってくれた。
「……ふふふっ」
笑いが止まらない。
これからの三年間。
どれほど素晴らしい光景を見られるのだろう。
どれほど圧倒的な力を、間近で感じられるのだろう。
盾真は期待に胸を膨らませた。
一方、その頃。
「明日も楽しみだなー!」
大は、明るい笑顔で帰路についていた。
新しい学校。
新しい仲間。
新しい友達。
そして、これから始まるヒーローとしての訓練。
楽しみなことばかりだった。
二人の少年。
片方は、誰とでも仲良くなれる、明るく巨大な少年。
もう片方は、巨大な存在に並々ならぬ執着を抱く、少々変わった少年。
その出会いが、やがて二人の人生を大きく変えることになる。
だが、それはまだ先の話。
今はただ。
巨人と、その巨人に魅せられた少年の高校生活が、始まったばかりだった。