VRMMOで【食屍姫】になった無職だけど、現代ダンジョンでも化け物扱いされ始めて嬉しいです!外伝 玉織紬のゴミ処理日記 作:ちんこ良い肉
実証実験の初日、研究責任者である小野寺修が第一に確認したのは各種測定機器の動作状況であり、第二に確認したのは試料の厳密な管理記録だった。
そして第三に確認したのは、被験者がすでに昼食を済ませているか否かであった。
「食事は済ませていますね?」
「食べたわよ」
「本当に?」
「失礼ね。五十人前も食べたって言ってるじゃない」
紬はあからさまに不機嫌な声で答えた。
小野寺が傍らの村山に視線を向けると、村山は静かに頷いた。
「確認済みです」
「そうですか」
研究者としての長いキャリアの中で、これほど馬鹿げた最終確認をした経験は一度もなかった。だが、被験者が常軌を逸した食欲の持ち主であり、目を離せば実験用の試料を勝手に口に入れるリスクがある以上、この確認プロセスを省くわけにはいかなかった。
厄介なことに、紬自身には悪意など欠片もない。
悪意ある人間であれば、ルールを理解した上で意図的に破る。しかし彼女の場合、そもそも「なぜそのルールが必要なのか」という根本的な理屈を理解していない節があった。
「それでは、実験を開始します」
小野寺は手元の測定記録に目を落とした。
第一段階の試料は、性質が完全に特定されており、厳格に管理された微量の放射性物質を含むものだ。周辺環境への漏洩を完全に防ぐため、取り扱いは専用の管理区域内に限定されている。紬本人に対しても、事前に実験の手順とリスクを説明し、同意書へのサインは得ていた。
小野寺にとって今最も重要なのは、「何を」「どれだけ」体内に取り込んだのかを、寸分の狂いもなく把握することだった。
摂取後の変化を正確に測定するためには、摂取前の初期状態を完璧に記録しておく必要がある。
「こちらの試料を摂取してください」
「ちっちゃ」
提示された試料を見るなり、紬は露骨に顔をしかめた。
「これだけ?」
「安全確認のため、初回はごく少量から始めます」
「試食の量にも満たないじゃない」
「これは食事ではなく、実証実験です」
「分かってるわよ。だから、もっとたくさん食べさせなさいって言ってるの」
やはり、何も分かっていなかった。
小野寺が反論の口を開くより早く、村山が冷静に割って入った。
「今回の結果が確認でき次第、次の段階へ進むことができます」
「だったら、さっさと終わらせてよね」
紬は無造作に試料を口に放り込み、咀嚼もそこそこに飲み込んだ。
苦しむような素振りは微塵もない。味に対する文句の一つでも出るかと思われたが、本人は軽く口元を動かした後、ただ水を要求しただけだった。
「終わり?」
「ここから、ご自身の身体と周辺環境の測定に入ります」
「えー、もう?」
「今摂取した試料がどうなったのかを調べる必要があるのです」
「研究って、本当に面倒くさいのね」
小野寺は一切の反応を返さなかった。
専門家たちが何年もの歳月をかけて積み上げてきた緻密な理論と手順を、無職の女が文字通り一口で飲み込んでしまった可能性がある。その事実だけでも十分に苛立たしかったが、私情を挟んで測定結果を歪めるような真似は許されなかった。
検査は極めて慎重に進行した。
試料の取り違えがないことを再確認し、実験設備と測定器具の数値を何度も読み直した。紬の身体についても、現状の技術で測定可能なあらゆる項目がチェックされた。
結果は、異常としか言いようがなかった。
摂取前には確実に存在していた放射性物質が、摂取後に想定される残存量としても、排出物としても、一切確認できなかったのである。
「測定装置のエラーではないのですか?」
同席していた高瀬の問いに、小野寺は重い首を横に振った。
「複数の独立したアプローチで検証しています。少なくとも、一つの装置が故障したという単純な説明では辻褄が合いません」
「では、完全に消滅したということですか」
「現段階で、そこまで断言することはできません」
小野寺は手元のデータ記録を指し示した。
「投入された物質が、既存の物理法則から予測される形では観測できなくなった。これが現在確認できる事実です。しかし、その物質が一体どこへ消えたのか、あるいはどう変化したのかは、全くの未知数です」
「行政の現場としては、これをどう評価すべきでしょうか」
「少なくとも今回の条件下に限れば、管理区域外への放射能汚染は認められず、対象者本人にも測定可能な健康被害は出ていません。ただし、長期的な影響が存在しないことまで証明されたわけではありません」
村山は、その慎重な見解を正確に記録にとどめた。
成功した、と手放しで喜びたい気持ちは確かにある。
実際、廃棄物処理の技術として評価するならば、これは信じ難いほどのブレイクスルーだ。これまで厳重な管理の下で保管し続けるしかなかった物質が、彼女が「食べる」という行為を経るだけで、少なくとも検出不可能な状態まで処理できる可能性が示されたのだから。
だが、「安全である」と社会に宣言するためには、あまりにも裏付けが不足していた。
「同条件での再現実験を繰り返しましょう」
小野寺の提案に、高瀬と村山は異論なく同意した。
不満を漏らしたのは、ただ一人だけだった。
「また同じの食べるの?」
「はい、そうです」
「もうちょっと大きくしてくれない?」
「量を増やすのは、再現性が確認されてからです」
「ケチ」
人類の物質観そのものを揺るがすかもしれない未曾有の現象が、今まさにこの研究施設で起きている。
その中心にいるキーパーソンは、あろうことか研究責任者をケチ呼ばわりしていた。
【国内ニュース①】
「放射性物質を含む試料の摂取実験、管理下で一定の成果 政府は追加検証の意向」
政府関係者からの情報によれば、特殊な摂食能力を有する協力者を対象とした、放射性物質を含む少量の試料を用いた実証実験が実施された。
実験では、摂取前に確認されていた対象物質について、摂取後に想定される残存が確認されなかったという。一方で、物質が体内でどのようなプロセスを経て変化したのかについては未解明であり、研究チームはさらなる追加検証が必要との見解を示している。
政府は、今回の実験結果が直ちに各種放射性廃棄物の安全な最終処理を保証するものではないと強調。
対象者本人の健康状態についても、継続的なモニタリングが実施される予定である。
それから数日後、実験は新たなフェーズへと移行した。
放射性物質を用いた検証と並行して、紬が「一日にどれだけの質量を処理できるのか」という、処理能力の限界測定が開始されたのである。
こちらの実験には、放射性物質を一切含まない、安全性が担保された無害な試験材料が用意された。
「徐々に量を増やしていきますが、途中で気分が悪くなった場合は速やかに申告してください」
「そんなことより、味付けはどうなってるの?」
「一切していません」
「なんでよ」
「純粋な処理能力を測定するためです」
「だからって、味付けしちゃいけない理屈にならないでしょ」
紬はまったく納得がいかない様子だった。
彼女の感覚からすれば、せっかく食べられるものをわざわざ不味い状態で提供されること自体がナンセンスなのだ。確かに、人間の摂食能力を正確に測る上で、味覚や嗜好が与える影響は無視できない。しかし、実験の初期段階から不確定要素となる調味料を大量に投入することには、研究チーム全体が強い難色を示していた。
結局、試験材料の物理的・化学的性質を損なわない範囲で、ある程度食べやすい状態に加工することで妥協案が成立した。
このくだらない調整に、予定外の時間が割かれることになった。
「なぜ我々は、試験材料の『味付け』について真剣に会議をしているんですか」
高瀬が疲労を滲ませた声で問うと、村山は表情一つ変えずに答えた。
「本人の協力を円滑に得るためです」
「我々が行っているのは、能力測定ですよね」
「本人にとっては、あくまで『食事』なのです」
高瀬は黙り込んだ。
長年廃棄物行政に携わり、様々な利害関係者とタフな交渉を重ねてきた彼だが、「処理対象の味付け」を要求してくる協力者など、後にも先にも彼女だけだろう。
測定は段階的にスケールアップしていった。
最初は数百キログラム。紬は顔色一つ変えずに平らげ、すぐにおかわりを要求した。続いて一トン、五トンと設定量を引き上げても、彼女の摂食能力そのものに目に見える低下は確認できなかった。
ボトルネックとなったのは、時間だった。
いかに規格外の能力を持っていようと、物理的に口へ運び、咀嚼し、飲み込み、次の材料を受け取るまでには相応の時間がかかる。また、材料を準備して搬入する側の作業ペースにも限界があり、単に彼女の食べる速度だけで一日の運用量を決定するわけにはいかなかった。
さらに、紬は途中で何度も長時間の休憩を要求してきた。
「お疲れですか?」
「飽きた」
「身体の不調、というわけではなく?」
「同じような味のものばっかり食べてたら、誰だって飽きるでしょ。普通のご飯が食べたいわ」
小野寺は、実験記録の備考欄に「休憩理由:食事内容への不満」と書き込んだ。
科学的な実験記録としては前代未聞の記述だが、現実に測定結果を左右している以上、無視するわけにはいかない。
紬は別室で用意された「普通の食事」を済ませると、再び試験材料の処理作業に戻った。
そうして、その日の最終的な処理量は五十トンに達した。
「本日の測定はここまでにします」
「まだ食べられるわよ?」
「計画上の上限値に達しましたので」
「何よそれ。食べ放題って話じゃなかったの?」
「最初から、食べ放題だとは一言も申し上げておりません」
紬は不満げに口を尖らせた。
しかし村山にとって重要なのは、「本人がまだ食べられると主張している事実」ではなかった。
一日五十トン。
この具体的な数字こそが、今後の実運用を見据える上での重要なベンチマークとなる。
ただし、一日限定で達成できた最大値と、毎日継続して処理できる安定稼働量はイコールではない。連日稼働した場合の身体への未知の負荷や、長期的な健康リスクについても、まだ十分なデータが揃っているとは言えなかった。
「一日五十トンを、現時点での暫定的な処理上限とします。これを超過する計画は組みません」
村山の提案に、小野寺も深く頷いた。
「連続稼働時の耐久性については、別途検証スケジュールを組む必要がありますね」
「ええ。休日設定や定期的な健康診断のスキームも含めて、実用化に向けた条件を整理していきます」
高瀬が懐から電卓を取り出し、素早くキーを叩いた。
「仮に毎日五十トン処理したとして、年間で約一万八千二百五十トンですか」
「あくまで、一日も休まず稼働した場合の理論上の最大値ですが」
「全国から排出される廃棄物の総量と比較すれば、微々たる数字です」
「おっしゃる通りです」
村山は同意した。
紬一人の能力で、全国のごみ処理問題をすべて解決するなどという夢物語を描いているわけではない。既存の巨大な廃棄物処理施設を完全に代替するには処理能力が圧倒的に不足しているし、そもそも一人の人間にそこまでの負担を強いる合理的な理由もなかった。
だが、「処理が極めて困難な物質」にターゲットを絞れば、この五十トンという数字が持つ意味は劇的に変わる。
既存の技術では長期的な隔離保管が必要な物質や、安全な最終処分に莫大なコストと労力を要する物質であれば、仮に少量の処理であっても、社会にもたらす恩恵は計り知れない。
「処理の総量ではなく、『何を処理させるか』が鍵ですね」
高瀬の言葉に、小野寺が即座に反応した。
「その通りです。ただし、忘れないでいただきたいのは、今回の実験で確認されたのは『特定の試験対象』に対する結果のみだということです。別の性質を持つ廃棄物に適用する場合には、対象ごとにゼロから検証をやり直す必要があります」
小野寺は強い口調で釘を刺した。
高瀬も、その懸念は十分に理解していた。
取り込まれた物質の最終的な行方が科学的に説明できない以上、この研究に「完了」はない。特に放射性物質に関しては、試料の種類や物理的な状態が少しでも変われば、今回と全く同じ結果が得られる保証はどこにもないのだ。
それでも、未知数だらけだった実験前に比べれば、確かな一歩を踏み出したことは間違いない。
【X(旧Twitter)①】
@science_watch:放射性物質の摂取実験、再現性はどうやら確認されつつあるみたいだけど、物質収支のメカニズムが全く説明できないのが逆に怖い。測定限界や条件も含めて、詳細なデータを開示してほしい。
@waste_worker:一日50トンって聞くとすごい量に思えるけど、普通の廃棄物処理のスケールからすれば大した量じゃない。問題は「何を」処理できるかだな。
@tsumugi_fan:あの人が何か食べるだけで社会の役に立つシステム、本人の適性的にも天職なのでは?
@ordinary_taxpayer:税金で何十人前もタダ飯食わせるのかよって思ったけど、将来的な処理費用や管理コストがそれ以上に削減できるなら、普通にアリな投資かも。
@another_taxpayer:本人がこれで調子に乗りそうなのが一番腹立つ。
@research_note:未知の現象に対して、しっかり「未知である」と言い切れる研究者がプロジェクトを統括しているのは大きな安心材料。何でもかんでも安全だと吹聴するのが一番危険だからね。
その日の測定がすべて終了した後、紬が村山の元へやって来た。
「ねえ、今日の分のお金はどうなってるの?」
「事前の契約に基づき、後日指定口座に支払われます」
「いつ振り込まれるの?」
「所定の事務手続きが完了次第です」
「また手続き?」
「はい」
紬は、これ以上ないほど露骨に嫌そうな顔を見せた。
「働くって、本当に面倒くさいシステムね。ただ食べるだけなら楽ちんなのに」
「今日は、かなりの量を処理していただきましたからね」
「別にあれくらい、私にとっては普通よ。ただ、次からはもっと美味しいものを用意してほしいわ。あと、もうちょっと私のこと褒めてくれてもいいんじゃない?」
「大変助かりました。本当にありがとうございます」
「そうそう、そういうのが大事なのよ」
紬は満足げに深く頷いた。
村山は、彼女がなぜこれほどまでに他者からの賞賛を求めるのか、少しだけ思考を巡らせた。
食欲の奴隷であり、極めて怠惰で、周囲に多大な迷惑をかけることも珍しくない。社会の枠組みに適応できず、親元に依存して生きてきた二十六歳の女性が、ここに来て初めて、「自身の行動が他者から肯定され、感謝される場所」を見出したのかもしれない。
もっとも、だからといって彼女の根本的な性格が改善されたわけでは決してないのだが。
「ところで、村山さん」
「何でしょうか」
「これって、一応『お仕事』なのよね?」
「はい、立派な仕事です」
「じゃあ私、ついに社会の歯車になれてるってこと?」
村山はわずかに沈黙し、言葉を選んでから答えた。
「少なくとも、今日のあなたの仕事は、確実に社会の役に立っています」
「ふふん。そうでしょう、そうでしょうとも」
紬は誇らしげにふんぞり返った。
その様子だけを切り取れば、褒められて無邪気に喜ぶ、ごく普通の女性に見えなくもない。
だが、直後に発せられた言葉が、その幻想を粉々に打ち砕いた。
「じゃあ、明日はお休みでいいわよね。今日一日しっかり働いたんだし。あと、報酬はできれば今すぐ、現金でちょうだい」
「……明日のスケジュールについては、改めて協議しましょう」
「えー、面倒くさい」
村山は彼女の文句をBGMにしながら、手元にある山積みの資料に視線を落とした。
一日あたりの処理量、対象物の選定基準、安全確認のプロトコル、健康管理体制の構築、報酬の算定方法、同意書のフォーマット、そして休日規定。
いずれも、今後の本格運用に向けて避けては通れない重い課題ばかりだ。
この特異な女性は、間違いなく社会の役に立つ。
しかし、社会の側が彼女という存在をどう受け入れ、どう管理し、どう処遇していくのかについては、まだ何一つとして明確な答えが出ていなかった。
村山は深く息を吐き出すと、新しい白紙の書類を一枚引き抜いた。
実験が成功すれば自分の仕事が楽になるなどと、甘い期待を抱いていたわけではない。
それにしても、これほどまでに業務が増殖するとは予想外だった。