好きなキャラの短編集   作:チーズと唐揚げ、そしてハンバーグ

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 平塚敏深が、卒業した元教え子と結婚し、二人の子どもと暮らしている未来IFの短編です。




四人分の夕飯(生徒会には穴がある!、平塚敏深)

 

 

 

 

 片づけというのは、始めるまでが面倒くさい。

 

 そして始めてしまうと、だいたい余計なものを見つけて手が止まる。

 

「……あー。こんなのあったな」

 

 居間の棚を整理していた敏深は、古い封筒から滑り出した一枚の写真を拾った。

 

 校門の前。胸に花をつけた制服姿の青年と、いかにも写真を撮られ慣れていない顔の自分。

 

 卒業式の日の写真だった。

 

 彼は真っすぐカメラを見て笑っている。敏深は少しだけ身体を斜めにして、隣に立つ彼より、撮影している誰かへ文句を言いたそうな顔をしていた。

 

 写真の端を親指で撫でる。

 

 台所からは、玉ねぎを炒める匂いがしていた。夫が夕飯を作っている。子どもたちは二階で遊んでいるはずだったが、ときどき、何かが倒れる音と、それを二人でごまかそうとする声が聞こえた。

 

 後で見に行こう。

 

 そう思いながら、敏深は写真を膝に置いた。

 

 制服の彼を、もう一度見る。

 

 ──本当に、色々あった。

 

*

 

 最初の告白は、今でもよく覚えている。

 

 放課後の教室だった。

 

 敏深が提出物をまとめていると、彼は机の前に立って、妙に真剣な顔で言った。

 

「先生。俺、先生が好きです」

 

 敏深は顔を上げた。

 

 少し考え、それから彼の手元へ目を落とした。

 

「そうか。で、提出物は?」

「あります」

「じゃあ、まずそっち寄越せ」

 

 差し出されたノートを受け取ると、彼はまだ立っていた。

 

「今の、流しました?」

「聞いたよ」

「返事は」

「先生だからな」

 

 そのときは、それで終わりだと思っていた。

 

 若い頃の好意なんて、本人には大事件でも、しばらくすれば形が変わる。新しい友達ができて、楽しいことを見つけて、同じ年頃の誰かを好きになる。

 

 そうして思い出したときに、少し恥ずかしくなるくらいでいい。

 

 彼にも、そういう高校生活を送ってほしかった。

 

 だから、個人的な誘いには応じなかった。先の約束もしなかった。授業で手を抜けば注意したし、進路の話をするときには、敏深の顔色ではなく自分の将来を見るように言った。

 

 彼はそのたび、少し残念そうな顔をした。

 

 それでも、学校生活まで投げ出すようなことはなかった。

 

 友達とくだらないことで笑い、行事では騒ぎ、必要なときには机に向かった。敏深に何か言いたげな顔をしながらも、友人に呼ばれればそちらへ走っていった。

 

 その背中を見て、これでいいと思っていた。

 

 ただ、彼の好意は、敏深が思っていたよりずっと長持ちした。

 

 二年になっても、三年になっても。

 

「お前、そろそろ他に気になる相手とかできないのか」

 

 一度、呆れてそう聞いたことがある。

 

 彼は少しも迷わず答えた。

 

「できないですね」

「即答すんな。ちょっと考えろ」

「考えても変わらないんで」

 

 困ったやつだ。

 

 そう思った。

 

 けれど、彼について覚えていることは、告白ばかりではない。

 

 文化祭の片づけで雨が降った日。

 

 敏深が校舎の軒下から見たとき、彼は友人たちと一緒に濡れた資材を運んでいた。担当の仕事はもう終わっているはずだったのに、別のクラスが困っているのを見て、そのまま手伝っていたらしい。

 

「おーい。そっち、一回置け。無理して運ぶな」

 

 声をかけると、彼は振り向いて笑った。

 

「これ戻したら休みます」

「休むのも仕事のうちだぞ」

「はい。先生も」

 

 そう言って、敏深の抱えていた箱を半分持っていった。

 

 礼を言わせる間もなく、友人に何か言われて笑いながら歩いていく。

 

 自分の前でだけ、いい格好をするわけではない。

 

 敏深はそういうところを、何度も見ていた。

 

 困っている人に声をかけるところも、間違えれば謝るところも。頼まれたことを忘れて叱られ、次は同じ失敗をしないようにしているところも。

 

 立派なことを言うだけの少年ではなかった。

 

 三年間、彼の先生をしていた敏深は、それを知っていた。

 

*

 

 卒業式の日、彼は十八歳になっていた。

 

 教室で最後の挨拶を済ませ、友人たちと写真を撮り、泣いている同級生にからかわれながら笑っていた。

 

 敏深が校門へ向かうと、彼がこちらに気づいた。

 

「先生」

 

 その呼び方を聞くのも、これからは少なくなる。

 

 そう思うと、いつもの卒業式と同じように、胸の奥が少し寂しくなった。

 

「卒業おめでとう」

「ありがとうございます」

 

 彼は頭を下げた。

 

 それから顔を上げ、何か言いかけた。

 

 敏深は、その先を聞く前に口を開いた。

 

「今日は、友達とちゃんと写真撮っとけよ。後から欲しくなっても、同じのは撮れないからな」

 

 彼は一瞬黙り、それから笑った。

 

「じゃあ、先生とも」

 

 そうして撮ったのが、この写真だった。

 

 その数日後。

 

 彼は改めて敏深に会いに来て、今度はきちんと向かい合って言った。

 

「結婚してください」

 

 敏深は、しばらく返事ができなかった。

 

 聞き慣れたはずの言葉だった。

 

 それなのに、制服ではない彼が目の前に座っているだけで、今までと同じ返し方ができなくなった。

 

「……いきなり結婚か」

「ずっと考えてました」

「お前はな」

 

 敏深は息をついた。

 

 年の差のことも話した。

 

 これから始まる仕事や生活のことも、自分が思っているほど、敏深は出来のいい人間ではないということも。

 

 彼は、途中で遮らずに聞いていた。

 

 全部うまくいく、と簡単に言い切ることもしなかった。

 

「困ることは、あると思います」

「あるだろうな」

「喧嘩もすると思います」

「するだろうな。片づけとかで」

 

 そこで彼が、少し笑った。

 

 敏深も、つられて笑いそうになった。

 

「それでも、一緒に暮らしたいです」

 

 彼は言った。

 

「帰ってきたときに、敏深さんがいたら嬉しいと思うから」

 

 初めて、名前で呼ばれた。

 

 敏深はカップへ手を伸ばした。中身はもうぬるくなっていたが、持っていないと、手の置き場所がわからなかった。

 

 教師として彼を見てきた三年間があった。

 

 それを踏まえたうえで、これから一緒に暮らす相手として、もう一度彼を見た。

 

 そのとき初めて、自分も同じ家に帰りたいと思っていることを認めた。

 

「……朝、弱いぞ」

「知ってます」

「片づけも苦手だし」

「それも知ってます」

「結婚したら急にちゃんとする、とか期待するなよ」

「じゃあ、二人でやりましょう」

 

 ずいぶんあっさり言う。

 

 敏深は困ったように笑った。

 

 そこから先は、驚くほど慌ただしかった。

 

 互いの家族に話をして、春からの仕事と住まいのことを決めて、足りない家具を見に行って。周囲には何度も驚かれ、そのたび二人で頭を下げたり、笑ったりした。

 

 婚姻届を出したのは、卒業式からまだひと月も経っていない日だった。

 

 書類を書き終えた彼が、何度も日付を確かめていたことを覚えている。

 

「そんなに見ても変わらんぞ」

「わかってます」

「じゃあ何見てんだ」

「今日が結婚記念日なんだなって」

 

 あまりにも嬉しそうに言うから、敏深はそれ以上からかえなくなった。

 

 役所を出ると、風が強かった。

 

 乱れた髪を押さえた敏深へ、彼が手を差し出した。

 

 少し迷ってから握ると、その手は思っていたより大きかった。

 

*

 

 結婚したからといって、毎日がきれいに片づくわけではなかった。

 

 洗濯の仕方で揉めたこともある。買ってくると言ったものを二人とも忘れ、夕飯の前に顔を見合わせたこともある。

 

 敏深が疲れて余計なことを言い、彼が黙り込んだ夜もあった。

 

 逆に、彼の「大丈夫」を真に受けてしまい、ずいぶん無理をさせていたと後から気づいたこともある。

 

 娘が生まれてからは、なおさらだった。

 

 眠れない日が続くと、普段なら笑えるようなことに腹が立った。年上なのだから自分がしっかりしなければと思って、余計に抱え込んだこともあった。

 

 ある夜、泣き止まない娘を抱いたまま、敏深が途方に暮れていたとき。

 

 彼は何か気の利いたことを言う代わりに、隣へ座った。

 

「交代しよう」

「……お前も寝てないだろ」

「だから、順番にしよう」

 

 娘を預けると、彼も眠そうな顔をしていた。

 

 それを見て、敏深はようやく肩の力を抜いた。

 

 二人目が生まれたころには、全部を説明しなくても伝わることが増えていた。

 

 どちらかが子どもを抱けば、もう一人が食事を温める。

 

 何かをこぼせば、片方が拭いて、片方が着替えを持ってくる。

 

 それでも失敗はするし、ときどき言い合いにもなる。

 

 そうやって暮らしているうちに、家の中には、四人分の靴と、四人分の食器が並ぶようになっていた。

 

*

 

「おかーさん」

 

 膝に、ぺた、と手が乗った。

 

 敏深が顔を上げると、三歳の息子が立っていた。その後ろから、六歳の娘が写真をのぞきこむ。

 

「それ、だれ?」

「お父さん」

「えー。ちがう」

 

 息子は写真と台所を見比べた。

 

 敏深は笑った。

 

「昔のお父さんだよ」

「こっちは、お母さん?」

「そう。まだお前たちが生まれる前」

 

 娘は写真を受け取ると、まじまじと見た。

 

 それから、何か重大なことに気づいた顔になる。

 

「お父さん、せいふく着てる」

「高校生だったからな」

「お母さんは?」

 

 敏深が答えるより早く、台所から夫が顔を出した。

 

「お母さんは、俺の先生だったんだよ」

 

 娘の目が丸くなった。

 

「先生とけっこんしたの?」

「そう」

「おこられなかった?」

 

 夫が笑う。

 

「いっぱい怒られた」

「お前が余計なことばっか言ってたからだろ」

 

 敏深が言うと、娘はますます興味を持ったらしく、写真を胸に抱えて近づいてきた。

 

「どんなこと?」

「それはお父さんに聞け」

「お母さんが好きです、って」

「おい。夕飯は」

「もうできる」

「じゃあ先にそっちやれ」

 

 夫は笑いながら台所へ戻っていった。

 

 娘は写真の父親を見てから、敏深を見た。

 

「お母さんも、お父さん好きだった?」

 

 敏深は、少しだけ考えた。

 

「……そうじゃなきゃ、結婚しないよ」

 

 娘は嬉しそうに笑った。

 

 その顔が夫に似ていて、敏深は思わず娘の頭へ手を置いた。

 

 すると息子が、自分も、とばかりに身体を寄せてくる。

 

「ぼくは?」

「お前も好きだよ」

「わたしも?」

「はいはい。お前も」

 

 二人の頭を順番に撫でていると、台所からもう一つ声がした。

 

「俺は?」

 

 敏深は顔を上げた。

 

 夫は皿を二枚持ち、いかにも真面目な顔を作って立っている。

 

「お前はさっき聞いただろ」

「直接は聞いてない」

「面倒くさいな、ほんと」

 

 そう言いながら、敏深は立ち上がった。

 

 彼の横を通るとき、子どもたちには聞こえないくらいの声で付け足す。

 

「……好きだよ。今も」

 

 夫の顔が、あの卒業写真と同じように緩んだ。

 

 何年経っても、そこは変わらない。

 

 敏深は照れくさくなって、彼の持っていた皿を一枚取り上げた。

 

「ほら、運ぶぞ」

 

*

 

 食卓に四人分の夕飯が並ぶ。

 

 娘は学校であったことを、最初から順番に話そうとしている。息子は途中で何度も口を挟み、ついには二人で別の話を同時に始めた。

 

「待て待て。耳は二つあるけど、同時には無理だ」

 

 敏深が言うと、夫が笑った。

 

「じゃあ、こっちの話は俺が聞く」

「お前、後でちゃんと教えろよ」

「そっちもな」

 

 娘の話を聞きながら、息子の口元についたソースを拭く。

 

 夫がご飯をよそい直す。

 

 小さなコップが倒れそうになると、敏深が押さえ、夫が場所をずらした。会話はその間も途切れなかった。

 

 昔から、世話を焼く相手はいた。

 

 気にかけている生徒も、大切にしている人もいた。

 

 けれど、自分がこんなふうに、誰かの妻になって、二人の子どもの母親になっているところまでは、想像していなかった。

 

 休日の夕方に四人で座って、夕飯の味より先に、今日あった出来事を聞いている。

 

 食べ終われば風呂の順番を決めて、明日の支度を確かめて、眠くなった子どもを抱き上げる。

 

 その先にも、一緒に片づけをする相手がいる。

 

 敏深は、向かいの夫を見た。

 

 息子の説明がよくわからないらしく、彼は真剣な顔で聞き返していた。息子も真剣に、さらにわからない説明を重ねている。

 

 それを見ていたら、不意に胸がいっぱいになった。

 

 笑えるくらい、幸せだった。

 

「……敏深?」

 

 視線に気づいた夫が、こちらを見る。

 

「どうした?」

「いや」

 

 敏深は首を振った。

 

 けれど、夫がまだ見ているので、少しだけ本当のことを言った。

 

「色々あったなと思って」

「写真見てたから?」

「ああ」

 

 夫も、棚に立てかけた写真へ目を向けた。

 

「懐かしいな」

「お前、ほんとによく諦めなかったな」

「敏深こそ、よく結婚してくれたよな」

 

 敏深はコップを置いた。

 

 食卓の上には、娘が一生懸命並べたスプーンがある。一つだけ向きが逆だった。

 

 息子の皿には、小さく切り分けたおかず。

 

 その向こうに、彼がいる。

 

「……したかったんだよ」

 

 夫がこちらを見る。

 

 敏深は、その顔を見ながら続けた。

 

「お前となら、してみたいと思った」

 

 照れ隠しの言葉を足そうとしたが、やめた。

 

 たまには、そのままでもいい。

 

 夫は少し黙ってから、嬉しそうに笑った。

 

「俺も。結婚してよかった」

 

 娘が二人を見比べる。

 

「なかよしだね」

「そうだな」

「ぼくも!」

 

 息子が手を上げる。

 

 何に参加したつもりなのかわからなくて、三人で笑った。

 

 敏深も笑いながら、その小さな手をつかんで下ろしてやる。

 

「わかってるよ。お前も一緒」

 

 夫が敏深の皿へ、おかずを一つ足した。

 

「あんまり食べてないだろ」

「話聞いてたからな」

「冷める前に食べよう」

 

 敏深は箸を取り、温かいうちにひと口食べた。

 

 ちょうど好きな味だった。

 

 明日は仕事がある。

 

 洗濯物も、子どもの支度もある。今夜だって、このまま大人しく寝てくれるとは限らない。

 

 それでも、明日の夕方には、またこの食卓に四人で座る。

 

 敏深は、棚の上の写真をちらりと見た。

 

 あの頃の自分に教えたところで、きっと信じないだろう。

 

 だから今は、目の前にいる三人をちゃんと見ていればいい。

 

「お母さん、聞いてる?」

 

 娘に呼ばれ、敏深は顔を戻した。

 

「聞いてるよ。で、そのあとどうなった?」

 

 娘が嬉しそうに話し始める。

 

 隣では息子が夫の袖を引いている。

 

 敏深はもう一口、夕飯を食べた。

 

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