好きなキャラの短編集 作:チーズと唐揚げ、そしてハンバーグ
『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語』の結末から分岐するIF短編です。前世が男性だった主人公が鹿目まどかに転生しています。劇場版の結末に触れながら、暁美ほむらとの対立と、その先で二人が選ぶ生き方を描きます。
「ほむらちゃん、写真お願いしていい?」
俺がスマホを差し出すと、ほむらは嬉しそうに受け取った。
あとで何度も思い返したのは、そのときの顔だ。自分も誘われているとは少しも思わずに、俺の頼みを聞けたことを喜んだ顔。
けれど、鹿目家の母はそういう遠慮を見逃さない。
「何やってんの、まどか。あんたが誘った子でしょ。一緒に写んな」
ママはほむらからスマホを取り上げると、公園のベンチに立てかけた。パパが背もたれとの間に畳んだハンカチを挟んで、傾きを直す。
「はい、十秒!」
ママが駆け戻ってきたところで、たっくんがほむらの髪を引っ張った。ほむらが振り向き、俺が笑った。まともに正面を見ていたのはパパ一人だった。
「撮り直す?」とパパが聞いたけれど、ほむらは首を横に振った。
十枚はまともな写真が撮れそうな秋晴れの日に、彼女が欲しがったのは、その一枚だけだった。
その夜、俺は布団の中で写真を見返した。
画面の中のほむらは、たっくんに髪を引かれて、ほんの少し口を開けている。こんな間の抜けた顔をする子だっただろうか。そう考えた途端、頭の中で別の明かりがついた。
映画館の照明だった。
見知らぬ男が一人、エンドロールの終わった席に座っていた。膝の間に挟んだ紙コップの中で、溶け残った氷が鳴る。その男が何を考えていたのか、俺にはわかった。
──俺、あの終わり方、嫌いだ。
思い出した。
あの席に座っていたのは、鹿目まどかとして生まれる前の俺だ。
そして今日、俺の隣で写真に写ったのは、この世界を一度終わらせてまで、俺を家族のもとに返した悪魔だった。
前の人生のことは、幼いころからおぼろげに覚えていた。
だから、最初から諦めていたわけじゃない。暁美ほむらが転校してくる前に、巴マミという先輩を捜した。さやかちゃんに隠し事をするかで、ほむらちゃんと喧嘩もした。一度なんか、夜中に二人でマミさんの部屋へ謝りに行って、お説教が終わるころには始発電車が走っていた。
物語を知っているだけで何もかもうまく運べるほど、俺は賢くなかった。それでも、あの夜に三人で食べた、少しのびたカップ麺はおいしかった。前の人生で見たどの場面にもなかった思い出だ。
そうやって十四年も生きれば、心の中で自分を「俺」と呼ぶのも、ママに「ただいま」と抱きつくのも、どちらも自分にとっては自然なことになった。俺は正真正銘、鹿目まどかだった。
だから、最後の願いも自分で決めた。
ワルプルギスの夜を前にして、泥に膝をついたほむらちゃんを見た。何度もここまで来た子だった。俺一人を助けるために、助けられなかった俺の顔を一つも忘れず、もう一度初めからやり直してくれた子だった。
俺にはそのとき、彼女の向こうに、ほかの女の子たちまで見えた。
病室で妹の回復を願った子。焼け落ちる村で雨を願った子。祈ったときには確かに誰かを愛していたのに、自分の願いを呪うところまで追い詰められた子たち。
彼女たちのたどり着く先を知っていて、俺の家族だけが無事に朝を迎えられればいいとは、どうしても願えなかった。
すべての時代の魔法少女が、魔女になるその前に、自分の手で迎えに行く。
そう願った。誰に台詞を言わされたわけでもない。
その日から俺は、人間一人として地上に暮らすことをやめた。どこかで一つのソウルジェムが最後の光を失うたび、その子のもとにいた。人は、俺の選んだ生き方を、円環の理と呼んだ。
やがて、ほむらちゃんを迎えに行く日が来た。
インキュベーターが仕掛けた隔離を破り、やっと彼女のところまでたどり着いた。もう一人で戦わせなくていい。そう思って、俺は手を伸ばした。
彼女は俺の手首をつかんだ。
俺がそれまで迎えた誰も、あんなふうにはつかまなかった。溺れている人が岸に上がるための手ではなかった。岸にいる俺を、水へ引きずり込む手だった。
そして俺は、ほんの一瞬、抵抗するのをためらった。
彼女に、もう一度触れてほしかったからだ。
その一瞬で、ほむらちゃんは円環の理から、人として生きた鹿目まどかの記録をもぎ取った。俺の記憶から別れの日を消し、家族の暮らすこの街へ帰して、自分は世界を書き換えられる悪魔になった。
そうして俺は今日、パパの焼いたパンを食べた。さやかちゃんと宿題を写し合った。紅葉のきれいな公園で、弟と笑った。
床に下りてリビングへ行くと、明日の朝に使う弁当箱が、二つ並べて伏せてあった。ママの分と、俺の分だ。
指で一つを起こした。底の隅に、小学校のころ自分でつけた傷があった。
俺は台所の床に座り込んで泣いた。
ほむらちゃんのしてくれたことが、嬉しかった。
嬉しかったからこそ、今度ばかりは、彼女と戦わなくちゃいけないと思った。
次の日、放課後の屋上に彼女を呼んだ。
「写真、ありがとう。大事にするわ」
ほむらちゃんは珍しく、自分からそう言った。スマホの待ち受けにしたのだと、少し恥ずかしそうに見せてくれた。
その顔を見ると、用意してきた言葉はほとんど役に立たなかった。
「ほむらちゃん。昨日のわたし、幸せそうだった?」
「ええ」
「うん。幸せだったよ。本当にありがとう」
そこで、彼女の指が止まった。
「……どこまで思い出したの」
「あなたが、わたしの手を離さなかったところまで」
風が止まった。校庭から聞こえていた運動部の掛け声も途切れた。フェンスを通り抜けかけた枯れ葉が、金網の穴に半分刺さったまま空中に浮いた。
「だったら、わかるでしょう。あなたは家に帰りたかった。家族と別れるのは寂しいって、私に言ったわ」
「うん。あれは本当」
「私は、あなたが自分に許してあげられなかったものを返しただけよ」
「ほむらちゃんは?」
「何?」
「わたしがみんなとお昼を食べてたとき、あなたはどこにいたの?」
彼女は答えなかった。
記憶の戻った俺には、もうわかっていた。あの公園でご飯を食べる前、俺たちから少し離れていた十分ほどの間に、彼女は世界の裏へ行っていた。円環の理から俺を引き離した継ぎ目にほころびが出るたび、ほむらちゃんはそこを、自分の手で縫い直していた。
写真を撮ったとき、彼女の左の親指には黒い糸が食い込んでいた。たっくんの頭を撫でたのは右手だった。
「痛かったでしょ」
「あなたが気にすることじゃないわ」
その返事を聞いて、俺はとうとう腹が立った。
「勝手に決めんなよ」
ほむらちゃんが目を見開いた。
「……その言い方、久しぶりね」
「俺はさ、前の人生で、ここから先を知らないんだ。お前が一人で残ったところで、映画が終わったから」
自分が何者だったのかは、ワルプルギスの夜が来る前、二人だけで話したことがあった。彼女はそのときも、少しも笑わずに聞いてくれた。
「昔は、見てるだけだった。だから席に座ったまま、こんなの嫌だと思ってた。今はここにいる。お前の指が痛いのもわかる。だったら、黙って弁当食ってられるわけねぇだろ」
ほむらちゃんはしばらく俺を見ていた。
やがて、ひどく優しい手つきで俺の前髪を整えた。
「私はね、まどか。あなたが世界中の子を愛せることを、立派だと思っているの」
その指先が額に触れた。
「でも私は、あの台所の弁当箱を、また一つに減らすのが嫌なのよ」
気がつくと、俺は教室で帰り支度をしていた。
窓から校庭を見下ろすと、さっき止まった枯れ葉が地面に落ちた。
ほむらちゃんはもういなかった。
何の用事で屋上へ行ったのか、俺には思い出せなかった。ただ、ノートの余白に、無意識のうちに紙コップの絵を描いていた。底に残った、小さな氷を二つ。
それが、最初の負けだった。
ほむらちゃんに一つだけ、やりにくい仕事があった。
鹿目まどかとしてこの宇宙に生まれてからの記憶は、彼女の手の届くところにある。けれど前の人生の映画館は、この宇宙のどこを探しても存在しない。あの席で男が覚えたやりきれなさを、ほむらちゃんは直接消せなかった。
ほんのわずかな綻びだ。屋上の会話を丸ごと思い出せるわけでも、時間の止まった中を自由に動けるわけでもない。
ただ俺は、何度記憶を閉じられても、もう一度、同じ疑問を持つことができた。
どうして、あの子だけいつも一人なんだろう。
そこから先は、地味で面倒な仕事だった。
円環の理へ戻ろうとしても、その気配をほむらちゃんに悟られれば終わりだった。一度は弓を手にするところまでいったが、弦を引くより彼女の手の方が速かった。
そこで順番を変えた。まず、自分が向こうへ行くのをやめた。
代わりに、ごく小さなものを一つだけ送る練習をした。窓際で消しゴムのかすを見つめ続けて、さやかちゃんに本気で疲れを心配された。小さな白いかけらが初めて机の上から消えた日は、思わず教室でガッツポーズをした。
次に、円環の側から、それを呼び戻した。
掌に消しゴムのかすが落ちてきた。たったそれだけのことが、泣きたいほど嬉しかった。
ほむらちゃんが人としての俺を取り分けても、円環の理は働き続けている。今の俺と、遠い昔の少女を迎えている俺は、同じ願いから生まれた一人だ。ほむらちゃんの作った境目を越えても、受け取ってくれる相手が、確かに向こうにいた。
それから何度も見つかった。やり直すたび、向こうへ送っておいた短い手紙を、自分の掌に取り戻した。
『写真を見て。左手』
『屋上では時間を止められる』
『弓は大きすぎる。矢を一本ずつ』
字が震えている日もあった。結びに『今日の数学、小テスト』と書いた日は、過去の俺に心から感謝した。
一人で全部やったわけでもない。
ある昼休み、屋上へ上がる階段で、さやかちゃんに腕をつかまれた。
「あたし、詳しい事情はわかんないけどさ。まどか、あいつをぎゃふんと言わせたいの? それとも仲直りしたいの?」
「……両方」
「なら、勝ったあとに何て言うか、先に考えときなよ。あんた、そこで泣いて何も言えなくなるタイプじゃん」
そう言って背中を叩いたさやかちゃんは、たぶん、円環の使者だったときのことを思い出してはいなかった。ただ、友達として、どうしても俺に言っておきたかったのだと思う。
その晩、俺は初めて、戦い方ではなく、勝ったあとにしたいことを紙に書いた。
書いてみると、たった一行だった。
その紙だけは向こうへ送らず、制服の胸ポケットにしまった。
決着の日に選んだのは、見滝原を流れる川の上だった。
誰も巻き込みたくなかった。円環と現世の境を川面に重ねると、鏡の中に潜るように、街の明かりだけを映した無人の見滝原へ出られた。
そこまで来ると、ほむらちゃんはもう、俺の記憶に手を出そうとはしなかった。
黒い羽が水面いっぱいに広がった。
「ずいぶん上手になったのね。私に隠れて、そんなことまでできるようになるなんて」
「先生がしつこかったから」
「そう。なら、最後の授業にしましょうか」
彼女が指を下ろすと、見滝原中の時計が一斉に止まった。
俺の頬のすぐ脇で、銃弾が一つ回っていた。目を動かせるようになったときには、もう二発目が弓を砕いていた。続いて黒い翼が胸を打った。川面を何度も跳ね、橋脚に背中をぶつけて、しばらく息が吸えなかった。
ほむらちゃんは本気だった。
俺が人の姿で生き続けられるなら、俺に一生嫌われたって構わない。そういう覚悟のできる子なのを、俺は誰よりよく知っていた。
「帰りなさい、まどか。まだ間に合うわ」
橋の上から告げる声に、息を整えて答えた。
「そっちこそ、今なら降参していいよ」
「……誰に似たのかしら、その負けず嫌い」
「たぶん、ママ」
新しい弓を引いた。
一射目は黒い羽に呑まれた。二射目を放った瞬間には、俺はまた橋脚の下に戻されていた。こちらが有利になりかけるたびに、ほむらちゃんはこの場所の時間を書き直せる。
けれど書き直すときだけ、彼女は左手を開く必要があった。
何度も負けて、やっと覚えた癖だった。
掌には、世界と彼女をつなぐ黒い糸が束になっている。あれを断たない限り、一万回いい矢を撃っても、当たらなかったことにされる。
俺は水を蹴り、ほむらちゃんへ正面から飛び込んだ。
「無茶よ。あなたが私より速かったことなんて、一度もないでしょう」
「うん。だから、先に撃っといた」
俺の手には矢がなかった。
その代わり、この幾日もの間に一本ずつ円環へ送り届けた矢が、いっせいに俺のもとへ帰ってきた。
雨のような光が見えたのは、ほんの一瞬だ。
ほむらちゃんは翼をひるがえし、前からの矢を払った。後ろから来た数本は、時間を止めてかわした。彼女の髪をかすめた矢が橋を貫き、欄干が水に落ちる。
だが、現世の時間をいくら書き直しても、時間の外から届く矢までは戻らない。彼女が止めた一秒のすぐ次に、また一本が帰ってくる。
彼女の顔から初めて余裕が消えた。
黒い翼が大きく開いた。一本ずつかわすのをやめ、戦いが始まる前までこの場所ごと戻そうとしたのだ。
左手が開いた。
そのときのために、最後の一本だけは、まっすぐ俺の掌に戻るようにしてあった。
一歩の距離で、その矢をつかんだ。
「それだけは、もうさせない」
弓につがえる時間はなかった。俺は矢を握ったまま、彼女の掌に絡む黒い糸を真横から薙いだ。
耳の底で、ぶつん、と鈍い音がした。
止まっていた時計が動き出す。
ほむらちゃんはなおも右手で俺の手首をつかんだ。俺を円環から引きずり下ろしたときと、まったく同じ力だった。
今度は、ためらわなかった。
俺はその腕を外し、地面へ降りる勢いのまま彼女を組み伏せた。広げかけた両翼を光の矢で水面に縫い留め、最後に、俺たちの頭上に残っていた世界改変の黒い紋を撃ち抜いた。
見滝原を覆っていた夜空が割れた。
ほむらちゃんは左手を握り、もう一度時間を戻そうとした。何も起きなかった。
もう一度。やはり、何も。
ようやく力の抜けた彼女の腕が、水面に落ちた。
「……私の負けね」
そう言った顔は、思っていたよりも悔しそうだった。
俺も、勝ったらもっと気の利いた顔ができると思っていた。実際は肩が痛くて、膝は震えて、洟まで出ていた。
さやかちゃんの言うとおりだった。考えておかなかったら、肝心の言葉は、きっと出てこなかった。
「これで、あなたの望む世界に戻せるわね」
ほむらちゃんは夜空を見たまま言った。
「私を連れていきなさい、まどか。あなたには、その権利があるわ」
俺は彼女を押さえていた矢を消した。ほどけた翼の根元に手を差し入れて、二人で橋の下に座り込んだ。
「連れていく権利なんて、勝っても貰えなかったよ」
「……なら、どうするの」
胸ポケットから紙を出した。川に落ちたせいで濡れていて、広げるのに手間取った。ほむらちゃんが黙って端を押さえてくれた。
『ほむらちゃんと、二人で世界を見ていたい』
声に出して読むと、十四歳の字で書いた十四歳のお願いだった。
「俺は円環に戻る。俺に会いたいと願ってくれる子がいるから。そこは変えられない。でも、前にほむらちゃんを置いていったのは、間違えたと思ってる」
「……私は、迎えを待っていたわけじゃないわ」
「うん。俺も、迎えに来たんじゃない。頼みに来た」
彼女の横顔を見た。
「俺と同じところに立ってほしい。俺が見てる景色を一緒に見て、俺がまた、自分一人くらいいなくなってもいいって考え始めたら、隣で怒ってほしい」
「永遠によ?」
「うん」
「家族を見送るのよ。あなたの弟が、あなたよりずっと年を取るところも」
「……そこが一番、怖い」
正直に言うと、彼女がこちらを向いた。
「たっくんが俺の背を追い越す日を見たい。でも、あの小さい手を、いつかもう握れなくなるのは怖い。前は、そういうことを言わなかった。いいことをする人は、寂しくても笑ってなくちゃいけない気がしてた」
「あなたは、いつもそう」
「だから今は言ってる。ほむらちゃん。俺は、あなたにいてほしい」
彼女は紙に目を戻した。
黒い翼は、もう世界を覆えるほどには大きくなかった。それでも、円環の理から一人の少女を見つけ出し、切り離せた力は、彼女自身のものとしてまだ残っていた。誰かの人生を書き換えるために使わなくても、ほむらちゃんは、世界の境目に立てる。
俺には祈りを見つけることができる。彼女には、どれほど大きな力に包まれた中からでも、一人を一人として見分けることができる。
なら、その両方を、この先の世界の理にできる。
「でも、今日じゃなくていいよ。家に帰って、学校に行って、違う生き方を選んでもいい。そのときは、お前が選んだ人生を、俺が最後まで見届ける」
「……あなた、私を倒すためにあれだけ用意しておいて、肝心なところは私任せなのね」
「そこを俺が決めたら、また喧嘩だろ」
ほむらちゃんはふいに吹き出した。
あんまり自然な笑い方だったから、俺までつられた。ぼろぼろになった二人で、橋の下で、しばらく笑っていた。
やがて彼女は濡れた紙を丁寧に折り、俺に返した。
「明日、学校の帰りにあなたの家に行っていい?」
「うん。もちろん」
「鹿目さんのご両親に、私からも話をしたいわ」
「……それって」
「勘違いしないで。あなたと行くかは、そのあとで答える」
そう言って立ち上がると、ほむらちゃんは俺に右手を差し出した。
俺はその手を取った。
今度は二人とも、自分の足で立った。
家族に話をするのは、悪魔に勝つよりずっと難しかった。
パパは紅茶を淹れ直した。誰も、最初の一杯を半分も飲んでいなかった。
ママは俺の話を途中で一度だけ遮った。
「まどか。それ、あんたが行きたいって話? 行かなくちゃって話?」
どっちだろう、と俺は考えた。
テーブルの下で、ほむらちゃんが俺の手を握った。代わりに答えてはくれなかった。
「……行きたい。会いたい子がいるの。でも、うちにいたいのも、本当だよ」
ママは唇を噛んだ。
「そっか。あーあ。両方本当だって言われちゃ、怒りにくいじゃない」
そうぼやいて、結局ママは泣いた。パパも泣いた。俺も、もう取り繕わなかった。
その晩はほむらちゃんも泊まった。夜中に喉が渇いて階下へ行くと、台所でママとほむらちゃんが、二人だけで何かを話していた。
「だからね、暁美さん。あの子が無茶をしたら止めてなんて、私は頼まないよ」
「……なぜですか」
「あんただって無茶する方でしょ。うちに来たときくらい、二人とも怒られる側にいな」
しばらく返事がなかった。
やがて、鼻をすする音がした。俺は水を飲むのを諦めて、そっと階段を上った。
ほむらちゃんが答えをくれたのは、その翌朝だった。
家の前で、ランドセルを背負う年にもなっていないたっくんが、自分も一緒に学校へ行くと駄々をこねた。パパが抱き上げて家へ戻るまで、二人で手を振った。
弟の姿が見えなくなると、ほむらちゃんは言った。
「私、あの子が大きくなるところ、見たいわ」
「……うん」
「そのときあなたがどんな顔をするかも見たい。あなたが救った子が何を願って、それで誰が笑えたのかも、少し知りたい」
それから一度目を伏せて、言葉を選び直した。
「違うわね。いちばん大事なことを、また後回しにするところだった」
まっすぐ、俺を見た。
「私はあなたといたいの、まどか。あなたを守る用事が、一つもない日にも」
ずっと聞きたかった言葉だった。
世界が滅びるからでも、俺の身に危険が迫っているからでもない。ただ、一緒にいるために一緒にいたいと、ようやく彼女は言ってくれた。
「私も、あなたと同じように理になる。ただし、あなたの一部になるつもりはないわ」
「うん。ほむらちゃんは、何をする?」
「円環にたどり着いた子が、最後まで自分の願いを自分のものにできるようにする。インキュベーターにも、ほかの誰にも、その記憶や望みを勝手に取り上げさせない」
彼女は俺の手を取った。かつて俺を引き裂いた、あの手で。
「私がもう一度、あなたのためだと言ってあなたの望みを奪おうとしたら、そのときは私自身をも拒む。私は、そういう盾になるわ」
俺はその指を握り返した。
「じゃあ、俺がまた何も言わずに自分を置き去りにしたら?」
「止めるに決まっているでしょう。腕力で敵わなくなったくらいで、私が諦めると思うの?」
「……思わない。全然」
おかしくて笑うと、ほむらちゃんも笑った。
その日、俺たちは学校へ行った。授業を受け、昼休みにはさやかちゃんたちと机をくっつけた。帰りのホームルームが終わるまで、どちらも世界をどうにかしようとはしなかった。
そして夕方、みんなにさよならを言って、二人で同じ空へ歩いていった。
二つの理が初めて一緒に迎えたのは、海沿いの町を守って力を使い果たした、そばかすの女の子だった。
俺の差し出した手を見て、彼女はためらった。
『あの、少しだけ待ってもらえますか』
防波堤の向こうを、避難していく人たちの背中が遠ざかっていた。その中に彼女の弟がいた。振り返らずに走れと言ったのは自分なのに、最後に一度だけ、顔が見たくなったのだという。
ほむらちゃんが彼女のそばに膝をついた。広げた黒い翼が、少女のソウルジェムを夜明け前の風から包む。残されたわずかな時間を、絶望にも、誰の都合にも奪わせなかった。
やがて坂を上り切った少年が振り向いた。遠くから、大きく両手を振った。
少女が笑って手を振り返した。
それから、自分で俺の手を取った。
送り届けたあと、ほむらちゃんはしばらく、少年の消えた坂を見ていた。
「……あなたは、こういう顔を見ていたのね」
「いつも見られたわけじゃないよ。今日は、ほむらちゃんが一緒だったから」
彼女は俺の肩に、そっと自分の肩を寄せた。
それが俺たちの、長い長い暮らしの始まりだった。
たっくんは本当に、俺の背を追い越した。
卒業式には寝癖をつけたまま写真に写った。やがて自分の子に自転車の乗り方を教える父親になり、ずっと先には、縁側で昼寝のうまいおじいちゃんになった。
見送った日は、俺の方が先に泣いた。
ほむらちゃんは何も言わずに隣にいた。夕方になると「私も寂しいわ」と言った。あの子が三つのとき、公園で引っ張った髪が思いのほか痛かったことを、まだ覚えているのだという。
それを聞いて、泣きながら二人で笑った。
星座の形が変わるほどの年月が過ぎても、そんな日をいくつも覚えていた。
ある星では、魔法少女の祈りが一粒の種を守り、百年後に、花の季節になると街じゅうが窓を開けた。別の星では、最後まで誰にも本当の名前を教えなかった子がいた。俺たちにも言わなかった。ほむらちゃんは「それでいいのよ」と答えて、彼女が自分で選んだ名を呼んだ。
何も起きない日には、二人だけで腰かける場所を作った。いつの間にかそれは、見滝原の公園にあった、背もたれの少し傾いたベンチになった。
そこで見るものが、いつも同じとは限らない。俺が遠くの町の灯を眺めている間に、ほむらちゃんは足元の惑星で、初めて雨が降るのを見つけたりする。
そういうとき、ほむらちゃんは俺の袖を引く。
「まどか。こっちも見て」
昔は、俺が幸せそうな顔をしているかばかり気にしていた人だった。今は、自分がきれいだと思ったものを、俺にも見せたがる。
俺はそれが、たまらなく好きだ。
いつだったか、新しい星に火が灯るのを見届けようと、二人でベンチに座っていた。まだ光を持たない星のまわりに、薄い金色の輪ができていた。
ほむらちゃんが掌の上に、小さなカメラを作った。
「あれ。今日は撮る方?」
「ええ。あなた、そこで座っていて」
そう言って彼女はカメラを少し離れた場所に置き、下に畳んだハンカチを挟んだ。
懐かしい手つきだった。
赤いランプが点滅を始める。
「ほむらちゃん。時間、止めなくて大丈夫?」
「十秒もあるのよ、まどか」
彼女は笑った。
「あなたの隣まで歩くくらい、十分だわ」
ほむらちゃんが腰を下ろした。俺たちの指が触れた。そのとき、目の前で新しい星が初めて光った。
思わず二人ともそちらを向いてしまったから、写ったのは、仲良くよそ見をした横顔だった。
撮り直そうかと聞いたら、ほむらちゃんは首を横に振った。
俺も、その一枚がよかった。