三日月宗近、ルパン三世に盗まれる   作:半熟ハラミ丼

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第四話 邂逅

 郊外の廃工場を改装したアジトに、ポンと景気のいい音が響いた。

「かんぱーい!」

 ルパンがシャンパンの瓶を高々と掲げ、泡があふれるグラスを三つ並べる。次元は黙ってバーボンのグラスを取り、五ェ門は湯呑みの茶を少しだけ持ち上げた。

「顔認証にAI監視に赤外線網、ぜーんぶ素通り。いやぁ、我ながら惚れ惚れする仕事だったねえ」

「お前は天井でぶら下がってただけだろうが」次元がグラスを傾ける。「刀を運んだのは俺だ」

「その段取りを考えたのは俺でしょ?」

「拙者は、まだ気が進まぬ」

 五ェ門が湯呑みを置き、テーブルの上の包みに目をやった。布にくるまれた、細長い包み。今夜盗み出してきた、天下五剣の一振りだ。

「ちゃんと返すって言ったろ? 暗号を読んだら、それでおしまい。さ、ご対面といこうじゃないの」

 ルパンはグラスを置き、包みの紐を、ひとつずつ丁寧にほどいていく。

 布がはらりと落ちた。

 鞘から抜かれた太刀が、作業灯の白い光を受けて、静かに輝いた。博物館の硝子越しに見たときよりも、ずっと近い。ずっと生々しい。細い刀身の上に、三日月の模様がいくつも、いくつも散っている。

「……やっぱ、きれいなもんだな」

 次元が、ぽつりと言った。

「ああ」

 ルパンは虫眼鏡を取り出し、古文書の写しを横に広げた。

「『三日月の刃に、秘宝の道を刻む』……さて、どの月がお宝への道しるべかな、っと」

 細かいところを確かめようと、ルパンが素手のまま刀に手を伸ばした、そのときだった。

「ルパン!」

 鋭い声が飛んだ。五ェ門が湯呑みを置き、身を乗り出している。

「素手で触れるな。人の手の脂は錆のもとだ。千年守られてきた刃を、貴様の指で曇らせる気か」

「……茎ならいいかと思ったんだけどなぁ」

「茎とて同じだ」

 五ェ門の剣幕に、ルパンは肩をすくめ、差し出された手袋をしぶしぶはめた。それから改めて、刀の茎――柄に隠れる根元の部分を、そっと握った。

 その瞬間だった。

 ふわり、と。

 テーブルの向こう側に、誰かが座っていた。

 藍色の狩衣。袖からのぞく白い手。濡れたように艶のある黒髪に、金の飾り。そして、こちらを見つめる瞳の奥に、三日月がひとつ、浮かんでいる。

 平安絵巻から抜け出てきたような美しい青年が、頬杖をついて、にこにことルパンを眺めていた。

「うむ。ようやく顔が見えたな」

 ルパンの手から、虫眼鏡が落ちた。

 ゆっくりと、ルパンの顔から血の気が引いていく。

「……で」

「で?」

「で、で、で、出たぁぁぁーーーっ!!」

 ルパンは太刀を放り出した。

 刀がテーブルの上にがしゃんと落ちる。同時に、青年の姿は、まるで最初から何もなかったかのように、ふっと消えた。

「なんだ、どうした!」

 次元が腰のマグナムに手をかけて立ち上がる。ルパンは椅子ごとひっくり返り、床の上で尻餅をついていた。

「い、いま、そこに! そこに誰かいた!」

「誰もいねえぞ」

「いたんだって! 平安のお公家さんみたいなのが、そこに座ってにこにこしてたの!」

 次元と五ェ門は、テーブルの向こうの空っぽの椅子を見た。それから、顔を見合わせた。

「……飲みすぎだ」

「まだ一杯目だよ!」

 ルパンは床から這い上がり、テーブルの上の刀を睨んだ。

 気のせいだ。そうに決まっている。泥棒が幽霊なんか怖がってどうする。

 恐る恐る、手を伸ばす。指先が、茎に触れる。

「――ふむ。投げるとは、ひどいではないか」

「ひぃっ!」

 また、いた。今度はテーブルの真横に立って、少し困ったように眉を下げている。

 ルパンは刀から手を離した。青年が消えた。

 握った。出た。

 離した。消えた。

 握った。

「……それは、楽しいのか?」

「楽しくないわっ!」

 ルパンは半泣きで叫んだ。

 

      ◇

 

「じ、次元! ちょっとこれ持ってみて!」

「あ?」

 有無を言わさず、ルパンは太刀を次元の手に押しつけた。

「なんだってんだ。ただの刀じゃねえか――」

 次元が茎を握った、その瞬間。

 ソファの、次元のすぐ隣。肩が触れそうな距離に、藍色の狩衣の青年が、行儀よく膝を揃えて座っていた。

「おお。今度はお前か。よろしく頼むぞ」

 青年が、にこりと微笑む。

 次元は、無言だった。

 ゆっくりと、青年の顔を見た。青年も、次元の顔を見た。しばらく、二人は見つめ合った。

 それから次元は、空いているほうの手で、帽子のつばをぐいと引き下げた。顔の半分が、すっぽりと帽子の陰に隠れる。

「…………」

「次元? 次元ちゃん? 見えた? 見えたよね?」

「……俺は何も見てねえ」

「見えてるじゃん! 今、帽子で目ぇ隠したじゃん!」

「見てねえって言ってんだろ」

 次元の声が、ほんのわずかに裏返っていた。

「ほう、照れておるのか」青年は楽しげに首をかしげる。「なかなか愛らしいところがあるではないか」

「誰が愛らしいだ!」

 次元が叫んで刀を放した。青年が消えた。

 部屋に、沈黙が落ちた。

 その沈黙の中で、ひとり、すっと立ち上がった男がいた。

 五ェ門だった。

 刀には触れていない。手を伸ばしもしない。ただ、静かに斬鉄剣の柄に手をかけ、鯉口を切った。その切っ先が、ゆっくりと、何もないはずの空間に向けられる。

 刀を手放したばかりの次元の、すぐ隣。さっきまで、青年が座っていた場所。

「……何か、いる」

 五ェ門が、低く呟いた。

「お、お前も見えるのか、五ェ門?」

「見えん。だが、分かる。この部屋に入ったときから、ずっと気配がしていた。ただの物の怪ではない。……刃の気配だ」

 五ェ門の額に、うっすらと汗が浮いていた。

「……隙がない。これほどの相手、そうはいない」

 ルパンはごくりと唾を飲み、テーブルに置かれた太刀を見下ろした。

 これは、もう、気のせいでは済まない。

 

      ◇

 

 結局、もう一度刀を握る羽目になったのは、ルパンだった。

 テーブルの向こうに、青年が戻ってくる。今度は向かいの椅子に浅く腰かけ、膝の上で袖を揃えて、興味深そうにルパンを眺めていた。

「あ、あのさ」

 ルパンは刀を握ったまま、精一杯の愛想笑いを浮かべた。

「あんた、いったい何者?」

「ふむ」

 青年は顎に手を当て、少し考えるそぶりを見せた。その目が、いたずらっぽく細められる。

「何者、と問われれば……そうだな。お前たちの言葉で言うところの、幽霊、とでもしておくか」

「ゆ、幽霊……」

「うらめしや、とでも言えばよいか?」

 青年は両手を胸の前でだらりと垂らしてみせた。どこで覚えたのか、いかにも芝居がかった幽霊の格好だ。

「うらめしや〜。……はっはっは。いや、これは存外楽しいな」

 楽しんでいる。完全に楽しんでいる。

 けれど、ルパンの頭の中では、まったく別の歯車がかちりと噛み合っていた。

 天下五剣。平安の秘宝。三日月の暗号。そして、刀に取り憑いた平安装束の幽霊。

「……そういうことか」

 ルパンの目が、ぎらりと光った。

「あんた、秘宝の番人だな? 宝を守るために、千年もこの刀に取り憑いてる怨霊ってわけだ」

「うん?」

「こりゃ本物だぜ、次元! 幽霊が出るってことは、お宝の伝説も本物ってことだ!」

「なんでそうなる」次元が帽子の下から呻いた。

「なんでもこうなるの!」

 青年は、きょとんと目を瞬いた。

「いや、待て。暗号だの秘宝だのと言っておるが、俺はそんなものは知らんぞ」

「またまたぁ」

「本当だ。この刀身に何かを刻んだ覚えなど、とんとない。俺を打った宗近も、そのような細工をする男ではなかった」

「はいはい、分かってる分かってる」

 ルパンは、まったく分かっていない顔で、うんうんと頷いた。

「幽霊ってのはな、宝を隠したがるもんなのよ。素直に教えてくれるわけないもんな。大丈夫、自分で見つけるから」

「……話を聞かぬ男だな」

 青年は、怒るでもなく、むしろ面白そうに笑った。

「まあよい。好きにするがいい。じじいは気長だからな」

「じじい? その顔で?」

「はっはっは。これでも千年は生きておる」

 

      ◇

 

 それから、奇妙な夜が更けていった。

 刀は、テーブルの真ん中に置かれていた。誰も握っていないから、青年の姿は見えない。けれど、そこに誰かがいることだけは、部屋にいる全員がなんとなく感じていた。

 ふと視線を感じて振り向くと、誰もいない。誰もいないはずの椅子が、少しだけ引かれている。空気が、ほのかに花の匂いをまとっている。

「……落ち着かねえ」

 次元がバーボンをあおった。

「なあルパン、やっぱりあの刀、どっかにしまっとけよ」

「しまったら暗号が読めないでしょ」

 ルパンは古文書の写しと虫眼鏡を手に、テーブルにかじりついていた。片手で刀を握り、もう片方の手で写しをめくる。握っている間は、当然、青年がいる。

「ほう、それが古文書か。どれ、見せてみよ」

 青年が、ルパンの肩越しに写しをのぞき込んだ。

「……ふむ。筆跡は平安風を装っておるが、この言い回しは、ずっと後の世のものだな」

「幽霊が口出ししないの」

「しかしな」

「はい、気が散るから離れてて」

「やれやれ」

 青年は肩をすくめ、ふわりと部屋の中を漂いはじめた。

 ルパンが疲れて刀を置くと、今度は次元が仕方なく握る羽目になった。ルパンが「目を離した隙に逃げられたら困るでしょ」と言い張ったからだ。

 次元が握ると、青年は次元のラジオの前にしゃがみこんでいた。

「これは何だ? 人の声がするが、中に誰か入っておるのか?」

「……ラジオだ。遠くの声を拾う機械だ」

「ほう。からくりか。最近のからくりは面白いな」

 青年がつまみに手を伸ばす。指は、つまみをすり抜けた。青年は少し残念そうに自分の手を眺め、それから「まあ、そういうものか」と笑った。

「……触れねえのか」

「うむ。俺には、触れるための体がないのでな」

 次元は、しばらく黙っていた。それから、ラジオのつまみを自分で回してやった。古い演歌が流れ出す。

「おお」青年が目を輝かせた。「よい声だな」

「……そうかよ」

 次元は帽子のつばを下げた。その口元が、ほんの少しだけ緩んでいたのを、青年は見逃さなかった。

 

      ◇

 

 夜半過ぎ。ルパンが台所で夜食を作りはじめた。

 フライパンの上で、にんにくとベーコンがじゅうじゅうと音を立てる。茹で上がったパスタを放り込み、手早く絡める。香ばしい匂いが、部屋いっぱいに広がった。

 テーブルの上の刀を、今は五ェ門が握っていた。

 刀を握れば姿が見えると聞いて、五ェ門は長いこと迷っていた。それから意を決したように、正座したまま、懐紙を挟んだ両手で、恭しく茎を握ったのだ。

 目の前に、青年がいた。五ェ門の正面に、同じように正座していた。

 二人は、しばらく無言で向かい合っていた。

「……拙者、石川五ェ門と申す」

「うむ。丁寧な挨拶、痛み入る」

 青年も、背筋を伸ばして頭を下げた。

「先ほどは刃を向けた。非礼を詫びる」

「よいよい。良い構えだった。久しぶりに、まっすぐな剣気を浴びた」

 五ェ門の頬が、かすかに赤くなった。

「おーい、できたぞー!」

 台所から、ルパンが山盛りの皿を運んでくる。

「おお、よい匂いだ」

 青年が皿をのぞき込み、目を細めた。

「食えるのか、あんた」

「いや、食えぬ。だが、匂いは分かる。……うむ、よきかな。このような匂いを嗅ぐのは、千年生きてきて初めてだ」

「そりゃ、にんにくとベーコンだからな」

「にんにく、べえこん」

 青年は、珍しい呪文でも唱えるように繰り返した。

 幽霊のくせに、と。ルパンは思った。なんだってこんなに、楽しそうなんだか。

 

      ◇

 

 明け方。窓の外が、うっすらと白みはじめた頃だった。

 テーブルで突っ伏して眠っていたルパンの手の中で、刀が握られたままになっていた。寝ぼけまなこで顔を上げると、青年が窓辺に立って、外を眺めていた。

 さっきまでの楽しげな顔とは、少し違う。何かを待っていたような、懐かしむような、静かな横顔だった。

「……どしたの」

「ふむ」

 青年は、ルパンを振り返って、穏やかに微笑んだ。

「迎えが来たようだな」

「迎え?」

 ルパンは窓に駆け寄った。

 廃工場を囲む錆びたフェンスの向こう。朝靄の中に、いくつもの人影が立っていた。白い衣。甲冑。陣羽織。それぞれの腰に、刀。

 先頭に立つ男が、まっすぐにこちらを見ていた。灰がかった髪に、藤色の瞳。微塵も揺るがない、射抜くような眼差し。

 昨夜、博物館の展示室にいた、あの連中だ。

「……げぇっ」

 ルパンの顔が引きつった。

「あのコスプレ一座、もう嗅ぎつけやがった!」

「なんだ、どうした」

 次元がソファから跳ね起きる。五ェ門は、とうに斬鉄剣を手に立ち上がっていた。

「ずらかるぞ! 次元、車!」

 ルパンは太刀を布でくるむのももどかしく、小脇に抱えて駆け出した。

 抱えられた刀の上で、青年が――三日月宗近が、のんびりと笑っていた。

「はっはっは。さて、今度はどこへ連れて行ってくれるのだ?」

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