三日月宗近、ルパン三世に盗まれる   作:半熟ハラミ丼

6 / 8
第六話 三つ巴

 新しい隠れ家は、海沿いの古いモーテルだった。

 潮風で錆びた看板。半分消えたネオン。客などもう何年も来ていないような、うらぶれた二階建て。その一番奥の部屋で、ルパンはベッドに大の字になっていた。

「……もうやだ」

 天井を見上げたまま、ルパンは呻いた。

「トーハクで一晩、アジトで一晩、首都高で朝っぱらから追いかけっこ。俺、ここ三日ろくに寝てないんだけど」

「俺もだ」

 窓際の椅子で、次元が帽子を顔に乗せていた。

「あの真顔の男の夢を見そうだ」

「やめて。思い出させないで」

 ドアが静かに開き、五ェ門が戻ってきた。着物の裾に、まだ工場地帯の煤がついている。

「戻ったか、五ェ門。あのぴょんぴょん跳ねる子、どうだった」

「……手強かった」

 五ェ門は短く言って、部屋の隅に腰を下ろした。それきり、黙って斬鉄剣を磨きはじめる。その横顔が、どことなく満足げに見えたのは、気のせいだろうか。

 部屋の真ん中の小さなテーブルには、布にくるまれた太刀が置かれていた。

 誰も握っていない。けれど、ふとした拍子に、テーブルの向こうで誰かがくすりと笑う気配がする。花のような匂いが、ほのかに漂う。

「……あの幽霊、元気だなあ」

 ルパンはベッドの上で寝返りを打ち、刀のほうを見やった。

 握れば、またあの公家の兄ちゃんが出てきて、にこにこ笑うのだろう。こっちは三日も寝ていないというのに、向こうは「よきかな」だの「はっはっは」だのと、終始ご機嫌だ。

「なんで盗まれた本人が一番楽しそうなのよ……」

 ルパンのぼやきに、答える者はいなかった。

 

      ◇

 

 その夜。

 次元は風呂へ、五ェ門は浜へ座禅に出ていた。部屋に残ったルパンが、ベッドでうとうとしかけた頃だった。

 こん、こん。

 ドアを叩く音がした。

「……誰?」

「私よ、ルパン」

 甘い声。ルパンは跳ね起きた。眠気など、どこかへ吹き飛んでいた。

「ふ〜じこちゃ〜ん!」

 ドアを開けると、峰不二子が立っていた。体の線がくっきりと出る黒いドレスに、肘まである黒い手袋。片手にワインのボトルを提げて、少し拗ねたように唇を尖らせている。

「ひどいじゃない。お宝を盗んだのに、私を置いてけぼりにするなんて」

「いやいや、置いてけぼりなんてとんでもない! 連絡しようと思ってたとこなの、ほんとほんと」

「ふうん?」

 不二子はするりと部屋に入り、ベッドの縁に腰かけた。グラスを二つ並べ、ワインを注ぐ。

「お疲れさま、ルパン。乾杯しましょ?」

「するする! 不二子ちゃんとなら何回でも!」

 グラスが触れ合う。ルパンは赤いワインを一息にあおった。

 不二子は、グラスに口をつけるふりだけをしていた。

「ねえ、ルパン」

 不二子が、ルパンの胸にしなだれかかる。黒い手袋の指が、ルパンの頬をなぞった。

「疲れてるんでしょ? 少し、休んだら?」

「ふ、不二子ちゃん……」

 ルパンの目が、とろんとした。

 急に、まぶたが重くなる。体の力が抜けていく。三日分の寝不足が、一気に押し寄せてきたような――いや、違う。これは。

「……ふ、じこ……ちゃん……ワインに、なに……」

「おやすみなさい、ルパン」

 不二子の囁きを最後に、ルパンの意識は、すとんと落ちた。

 ベッドに沈んだルパンを見下ろし、不二子はくすりと笑った。

「相変わらず、ちょろいんだから」

 テーブルの上の包みに手を伸ばす。布をほどき、太刀の茎を、しっかりと握った。

 その瞬間。

 テーブルの向こうに、誰かがいた。

 藍色の狩衣。三日月を宿した瞳。この世のものとは思えないほど美しい青年が、椅子に腰かけて、穏やかに不二子を見上げていた。

 不二子は、息を呑んだ。

 悲鳴は上げなかった。数々の修羅場をくぐってきた女だ。目の前に何が現れようと、取り乱したりはしない。――けれど、その美しさには、一瞬、言葉を失った。

 青年は、ふわりと微笑んだ。

「ほう。よきかな、美しいおなごだ」

「…………」

「その男を眠らせて、俺を連れ出しに来たのか? ふふ、なかなかの手際であった。見事、見事」

 褒められた。

 盗みの現場で、盗まれる側の何かに、にこにこと褒められた。

 不二子は、自分でも気づかないうちに、少しだけ肩の力を抜いていた。毒気を抜かれる、というのは、こういうことを言うのかもしれない。

「……あなた、幽霊?」

「そう思ってもらって構わんぞ。そこの男も、そう呼んでおった」

「いいわ。お話は、あとでゆっくり聞かせてもらう」

 不二子は太刀を布でくるみ直し、小脇に抱えた。青年の姿が、手の中の刀から離れずについてくる。

「行きましょ。ちょっと、ドライブに付き合ってもらうわよ」

「うむ。夜の遠出か。それはよい」

 青年は、心から楽しそうに笑った。

 

      ◇

 

 夜の湾岸道路を、真っ赤なオープンカーが走っていた。

 ハンドルを握るのは不二子。助手席には、布にくるまれた太刀が置かれ、その茎に、不二子の左手がそっと添えられている。手を離せば、隣の青年は消えてしまう。だから不二子は、片手運転のまま夜の道を流していた。

 助手席に、青年が座っていた。

 風に髪をなびかせ――いや、本当は風など受けていないのかもしれない。それでも青年は、流れていく景色に、子どものように目を輝かせていた。

「おお……」

 遠くに、湾岸の工場群が光っている。赤や白の灯りが、夜の海に映って揺れている。高層ビルの窓が、星を散らしたように瞬いている。

「これは、見事な眺めだな。星が地に降りてきたようだ」

「ただの夜景よ」

「ただの、か。千年前には、夜といえば月と星しかなかった。人の手で、これほどの光を灯せるようになったのだな」

 青年は、本当に嬉しそうだった。

 不二子は、横目でちらりとその顔を見た。それから、なんとなく、アクセルを少しだけ緩めた。

「……ねえ」

「うん?」

「あなた、盗まれてるのよ。分かってる?」

「分かっておるとも」

「怖くないの? このまま売り飛ばされるかもしれないのに」

「ふむ」

 青年は、少しだけ首をかしげた。

「俺は、千年の間、いろいろな者の手を渡ってきた。武士の手、公方の手、天下人の手。焼けた城から運び出されたこともある。それに比べれば、まあ、こういう夜もたまにはよいものだ」

「……変わってるわね、あなた」

「よく言われる」

 青年は、ふふ、と笑った。

 しばらく、二人とも黙っていた。カーラジオから、古い洋楽が小さく流れている。

「それで、そなたは」

 青年が、ふと口を開いた。

「何を、そんなに急いでおるのだ?」

「急いでる?」

「宝を手に入れたいのだろう。だが、宝を手に入れてどうする。何を買い、どこへ行き、誰と過ごす?」

 不二子は、すぐには答えなかった。

「……そうね。宝石を買って、ドレスを買って、いいホテルに泊まって、それから――」

 言いかけて、不二子は口をつぐんだ。

 それから、と考える。それから、何だろう。次のお宝を探しに行く。また誰かを騙して、また誰かに裏切られて、また別の宝を追いかける。

「……それから、また次のお宝」

「ほう」

「だって、そうでしょ。男なんて、どいつもこいつも、私の顔と体しか見てないんだもの。だったら、こっちも利用してやるしかないじゃない。ルパンだって、口では好きだの愛してるだの言うくせに、結局はお宝のほうが大事なのよ。いつもいつも、肝心なときには――」

 気づけば、不二子はしゃべりすぎていた。

 はっとして口を閉じる。青年は、黙って聞いていた。茶化すでもなく、説教するでもなく、ただ穏やかに、うなずきながら。

「……そうか」

 青年は、それだけ言った。

「そなたは、強いおなごだな。強くあらねばならなかったのだろう」

 不二子は、ハンドルを握る手に、少しだけ力を込めた。

「……やめてよ。そういうの」

「はっはっは。じじいの戯言だ。聞き流すがいい」

 不二子は、深く息を吐いた。

 盗んだお宝に、取り憑いた幽霊に、なぜか愚痴を聞いてもらっている。しかも、ちょっと慰められている。

「……調子狂うわね」

 夜の風の中で、不二子は小さく笑った。

 

      ◇

 

 埠頭の駐車場に、赤いオープンカーが滑り込んだ。

 不二子は車を降り、太刀を抱えて腕時計を見た。約束の時間まで、あと五分。闇のバイヤーが、ここで待っているはずだった。

 ところが。

「ふ〜じこちゃ〜ん!」

 聞き慣れた声が、背後から降ってきた。

 振り向くと、倉庫の屋根の上に、赤いジャケットの男が仁王立ちしていた。寝ぐせのついた頭。まだ少し赤い目。けれど、その顔はやけに楽しそうだった。

「ひどいじゃないの、ワインに一服盛るなんて。俺、泣いちゃうよ?」

「……もう起きたの。早いわね」

「次元に水ぶっかけられたの。で、不二子ちゃんの車の発信機、ちゃーんと追っかけてきたってわけ」

 倉庫の陰から、黄色いフィアットが顔を出した。運転席の次元が、呆れたように煙草をふかしている。

「さ、その刀、返してもらおっかな」

「いやよ。これは私が盗んだの」

「俺が先に盗んだの!」

 ルパンが屋根から飛び降りた。不二子が身を翻す。ルパンの手が太刀の包みをつかみ、不二子の手も包みを離さない。

「離してよ!」

「そっちこそ!」

 引っ張り合う。布がほどける。不二子の指が茎を握り、ルパンの指も茎を握った。

 二人のあいだに、青年がいた。

 左右から引っ張られる刀の真上に、ふわりと浮かんで、困ったように眉を下げている。

「……これ、これ。千年ものの年寄りを、そう乱暴に扱うでない」

「「黙ってて!」」

 声が揃った。

 その瞬間、ルパンが思い切り引いた。不二子の手が、するりと離れる。勢い余ったルパンの手からも、刀がすっぽ抜けた。

 布をなびかせ、太刀が夜空にくるくると舞い上がる。

「あっ」

「あっ」

 二人が見上げる先で、刀は弧を描き、駐車場の端へ――

 ぱしっ、と。

 白い手袋をはめた手が、それを受け止めた。

「――ようやく、捕まえたぞ」

 倉庫の陰から現れたトレンチコートの男が、太刀の茎を握っていた。くたびれたソフト帽。四角い顎。肩で息をしながら、猟犬の目でルパンを睨んでいる。

「と、とっつぁん!?」

「峰不二子の車を張っておれば、いずれルパン、貴様が現れると思っておったわ!」

 銭形は、勝ち誇ったように太刀を掲げた。その手が、茎をがっちりと握りしめている。

 そして。

 銭形の目の前に、青年がいた。

 藍色の狩衣。三日月を宿した瞳。刀の真横に立って、ほう、と銭形の顔をのぞき込んでいる。

 銭形は、ぴたりと動きを止めた。

 ルパンも不二子も、息を詰めて見守った。叫ぶか。腰を抜かすか。それとも。

 銭形は、真顔だった。

 真顔のまま、青年をじっと見つめた。青年も、穏やかに見つめ返した。

「……誰だ、あんたは」

 低い声だった。

 青年は、ふふ、と笑った。

「ただのじじいさ」

「…………」

 銭形は、しばらく黙っていた。

 それから、深くうなずいた。

「……そうか」

「納得すんのかよ!?」

 ルパンが叫んだ。

 

      ◇

 

 そこからは、もう滅茶苦茶だった。

 ルパンが袖からマジックハンドを伸ばし、銭形の手から刀をかっさらう。握った瞬間、青年がルパンの隣に現れる。

「おお、またお前か」

「はいはい、どうも!」

 不二子がルパンの足を払い、転んだルパンの手から刀を奪う。青年が、今度は不二子の隣に移る。

「先ほどはよい夜景であった」

「その話はあとで!」

 銭形が不二子に手錠を投げ、不二子がひらりとかわし、手錠はなぜかルパンの手首にかちりとはまる。その隙に銭形が刀を取り返し、青年が銭形の隣に戻る。

「やあ、また会ったな」

「お、おう」

 刀が持ち主を変えるたびに、青年が現れては消え、消えては現れる。そのたびに、刀を握った者だけが、ぎょっとした顔になる。握っていない者には、何もないところに向かって律儀に返事をする仲間の姿しか見えない。

「……今の見たか?」

「見てない」

「見たでしょ!」

「だから見てないって」

「とっつぁん、今、誰かと喋ってたよね!?」

「喋っとらん! ルパン、貴様こそ誰と喋っておった!」

 埠頭に、三人の怒鳴り声が飛び交う。フィアットの運転席で、次元が煙草の灰を落としながら、心底うんざりしたようにつぶやいた。

「……何やってんだ、あいつら」

 決着は、唐突についた。

 ルパンが手錠を外した拍子に、不二子が銭形のコートの裾を踏み、銭形が盛大につんのめった。手から離れた刀が、ちょうどフィアットの開いた窓に飛び込んでくる。

 次元が、刀にまとわりついていた布の端を片手でつかみ、器用に受け止めた。

「……ルパン、乗れ」

「よっしゃあ、ナイス次元!」

 ルパンがフィアットに飛び乗る。タイヤが砂利を蹴立て、黄色い車は闇の中へ走り去った。

「待てぇ、ルパーン!」

「ちょっと、私のお宝!」

 二人の声が、遠ざかっていく。

 

      ◇

 

 モーテルに戻ったのは、深夜を過ぎてからだった。

 いつの間にか、雨が降りはじめていた。窓ガラスを、細い雨粒が伝っていく。

 ルパンは椅子に腰かけ、テーブルの上の太刀を握っていた。

 向かいに、青年が座っている。

「楽しい夜であったな」

「楽しくないよ」

 ルパンは、ため息まじりに笑った。

 それから、テーブルの上の古文書の写しに目を落とした。『三日月の刃に、秘宝の道を刻む』。

 ――俺は、そんなものは知らんぞ。

 この幽霊は、最初からそう言っていた。古文書を見て、言い回しが後の世のものだとも言った。ルパンはそのたびに、幽霊が宝を隠そうとしているのだと笑い飛ばしてきた。

 けれど。

 宝を隠したい番人が、こんなに楽しそうにするだろうか。盗人の車で夜景を眺め、女の愚痴に耳を傾け、刑事にまで「ただのじじいさ」と笑ってみせるだろうか。

 それに、あのコスプレ一座。

 博物館からここまで、執拗に、まっすぐに追ってくる。金目当ての泥棒にしては、あの目は真剣すぎた。まるで、何か大事なものを、取り戻しに来ているような――

「……なあ」

「うん?」

「あの一座、本当にただの泥棒か?」

 青年は、答えなかった。

 ただ、少しだけ目を細めて、ルパンを見た。何かを確かめるような、待っているような、そんな目だった。

 ルパンが何か言おうとした、そのとき。

 青年の顔から、ふっと笑みが消えた。

 さっきまでの穏やかさが嘘のように、その瞳が、鋭く窓の外へ向けられる。三日月を宿した瞳の奥で、冷たい光が揺れた。

「……来たか」

「え?」

 ルパンは、窓の外を見た。

 雨の夜。モーテルの駐車場。半分消えたネオンの明かりの下に、何もいない。何も、見えない。

 けれど、背筋がぞくりと冷えた。

 雨音の向こうで、何かが、ゆっくりと集まってきている。音もなく、気配もなく、ただ確かに、この部屋を取り囲むように。

 部屋の隅で、五ェ門が目を開けた。斬鉄剣の柄に、手がかかっている。

「ルパン」

 低い声だった。

「……囲まれている」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。