静寂の娘、オラリオで怪物(モンスター)を狩る 作:上杉絵梨衣
第六層でベルを見つけた時、シャトの目に飛び込んできたのは、まさにその光景だった。
正確に言うなら、彼女が最初に聞いたのは、短刀が魔物の胸腔を貫く、歯の浮くような鈍い音。次に荒い息遣い。そして、また別の刃が肉を切り裂く、不快な摩擦音だった。
音を頼りに駆け抜ける。苔の放つ幽かな光の先、淡い緑色の壁に囲まれた正方形の広間に、ベルは壁を背にして立っていた。左手には戦影(バトルシャドウ)の死体から剥ぎ取った「戦影の指刃」、右手には刃こぼれした短刀を握りしめている。
彼の足元には、ゆっくりと灰へと還りつつある七、八体の戦影の骸。床一面には、引きずられた黒赤色の血痕と、砕け散った鏡の破片が散乱していた。
それらの鏡の破片が、緑がかった天井の光を反射し、彼の全身がまるで砕け散った巨大な星図の中に立っているかのように見えた。
そして、彼の目の前には、まだ少なくとも二体の戦影が立っている。
「――ベル!」
叫ぶと同時に、シャトの足はすでに動いていた。
黒ローブの裾が左足首の外側で跳ねる。彼女は壁を蹴って勢いをつけ、左上から戦場へと斜めに切り込んだ。ダガーを逆手に持ち替え、空中で突き刺す角度と着地点を調整する。
最初の戦影が彼女に気づいた時、その漆黒の長い腕はすでに振り下ろされていた。三本の鉤爪が左肩のわずか半寸上をかすめる。彼女は頭を逸らし、肩で壁を強く押して反動をつけ、右手のダガーを至近距離から戦影の脇腹へと突き刺した。
戦影には発声器官がないが、その瞬間、全身の漆黒の輪郭がビクリと縮こまった。ダガーが右腕の筋肉束を貫通し、二撃目を繰り出そうとしていた長い腕は、シャトの頭上を空しく薙ぎ払った。
「――シャトさん?!」
「黙って!まずは片付ける!」
シャトは彼を見る暇などなかった。ダガーを脇腹から引き抜き、反転してさらに一撃、今度は戦影の後頸部へと突き刺す。
地下城蜥蜴で鍛えたこの技は、戦影相手にも有効だった。刃先が軟骨層を貫通した瞬間、戦影の体は崩れ落ちる黒い砂柱へと変わった。彼女はまだ地面に落ちきらない灰の山を踏みつけ、前に一歩踏み出す。右足で二体目の戦影の膝をしっかりと踏んだ。
ベルとほぼ同じ背丈の彼女――立ってもせいぜい160センチ前後――では、この距離から直接戦影の胸を貫くのは無理がある。だから彼女は跳躍する際、左足を戦影の前脚の脛骨に当てて二段目の力を得て、全身をバネのように跳ね上げた。ダガーを両手で握り、上から下へ相手の鏡面に叩き込む。
鏡面が割れる音は非常に脆く、まるで固く締め固められたドライアイスを踏み砕いたかのようだった。
二体目の戦影が倒れる。それにベルがもう一体を仕留めたため、広間は一時的に静かになった。
ベルは荒い息をつき、壁に背を預けてゆっくりと座り込んだ。手にした短刀は、最後の戦影の魔石を貫いた姿勢のままだが、指は痙攣して震えている。
シャトは彼の前に立った。黒ローブは黒い魔物の体液と石の屑で汚れ、髪にはいつの間にか苔がこびりついている。左肩の布は鉤爪で三寸ほど裂けていたが、幸いなことに皮肉までは届いていない。彼女はベルを見下ろした。
「何で第六層なんかに来たの?!」
シャトは問い詰めた。
「今が何時だと思ってるの?!私がどれだけ必死にお前を追いかけたか分かってる?!第一層からずっとお前を探してたんだぞ!!」
最後の一言は、ほとんど叫びに近かった。
ベルが口を開く。
「ご、ごめ――」
「謝らないで!」
シャトはダガーを地面に突き立てた。刃先が石の隙間に刺さり、鈍い音を立てる。
「お前は何も悪くない!あんなこと言われたら、誰だって逃げるに決まってる!逃げたのはいいよ、でもせめて私が追いつける場所に逃げてよ!さっき、魔物の群れにお前が囲まれてるのを見た時の私の気持ちが――!」
彼女は言葉を詰まらせた。
「……もういい、後でお説教だからね!とにかく上に行くよ!」
「でも――」
ベルが言い終わらないうちに、シャトはあの聞き慣れた「ピキッ」という音を耳にした。
そしてもう一声。また一声。
ピキ、ピキ、ピキ。
広間の四方の壁に、一斉に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。一体、二体、三体、四体――さっきまでの倍以上の戦影が壁を破って同時に這い出してきた。しかも、まだ亀裂の中からもぞもぞと這い出ようとしている。
地下城が、魔物を生成している。
そして、唯一の出入口である通路の奥。チラリと視線をやったシャトは、心臓が半分凍りつくのを感じた。
無数の獣の双眸が、あの暗闇を隙間なく埋め尽くしていた。
「……」
シャトは大きく深呼吸した。
「……ベル?」
「……はい」
「今、走れる?」
「なんとか」
「じゃあ、私にぴったりくっついてきて」
「でも、シャトさんの体力が――」
「黙って」
シャトはダガーを石の隙間から引き抜き、右手で順手に握り直すと、腰からもう一本、小さな短剣を抜いてベルに投げ渡した。ギルドの支給品で、彼女が予備として装備していたものだ。
「お前の短刀、刃こぼれしてるでしょ。これを使いな。これから私は左側の壁を突破する。お前は私の右後ろからついてきて。絶対に単独行動はしないで、とにかく走ることに集中して。分かった?」
ベルは短剣を受け取った。柄にはまだシャトの掌の温もりが残っている。
「シャトさん……どうして私を助けに来てくれたんですか?」
「だってお前は私のパーティー仲間でしょ。今日の昼、そう約束したじゃない。」
彼女は振り返りもせずに言った。
ピキ、ピキ、ピキ――広間の魔物生成音がどんどん密になっていく。
獣の双眸が四方八方から押し寄せ、四枚の円形の鏡面が、幽かな緑の光の下で歪んだ影を反射していた。
ベルは見た。シャトの姿が、その歪んだ影の真ん中に立っているのを。銀白色の髪が魔物の巻き起こす腥い風に煽られて後ろになびき、黒ローブの裾が激しく翻る。
そして、彼女は動いた。
「私についてきて!」
シャトが駆け出した速さは、ベルが今まで見た誰よりも速かった。
彼女の最初の動きは、右足元の腰ほどの高さの瓦礫を踏んで宙に舞い上がり、左足で壁を蹴って亀裂を走らせ、全身を横薙ぎに投げ出すことだった。ダガーが飛翔の途中で最初の戦影の頭部の鏡面に突き刺さる。
彼女は戦影の鏡面の顔の中央にある十字の隙間が、ヤツらの視界の盲点であることを見抜いていた。だから、刃先を十字の隙間の真上から斜めに突き刺し――頭部を直接貫通させた。
「――――!」
声にならない悲鳴を上げ、最初の戦影が倒れる。
彼女はそのまま着地せず、ダガーを引き抜く勢いで前方回転し、左肩から地面を転がる。ゴマのように二体目の戦影の足元で半回転し、一刀でその足首を切り裂いた。戦影はバランスを崩して片膝をつく。彼女はその背中を飛び越え、ダガーを後頸部に突き刺した。
「――――!」
二体目も倒れた。
しかし危険なのは、着地の際に体勢を崩し、膝が横に滑ったことだ。そこへ、三体目の戦影の三本の鉤爪がすでに目の前まで迫っていた。
「――シャトさん!」
ベルが右後方から駆け寄り、シャトが投げた短剣でその一撃を辛うじて受け止めた。
四寸の刃先と三本の鉤爪がぶつかり、金属の火花が彼の顔に飛び散る。彼は歯を食いしばって耐え、虎口が一瞬で裂けて血が噴き出した。
シャトには礼を言う時間もなかった。彼女はベルの脇から身を乗り出し、彼が受け止めている戦影の首筋を、深々と横一文字に切り裂いた。
「――――!」
声にならない悲鳴とともに、円形の鏡面を持つ黒い頭部が地面に転がり落ちる。
三体目、首切り。
そして四体目が、すでに二人の背後へと迫っていた。
破風の音とともに鉤爪が襲いかかり、二人はほぼ同時に振り返る。ベルは腰を落として下へ潜り込み、シャトは彼の背中を飛び越え、ダガーと短剣が交差する瞬間に同時に突き出された。ベルが腹部を貫き、シャトが喉笛を切り裂く。
「――――!」
四体目、混合による同時撃破。
先に倒した二体を含め、合計六体の戦影――「新人殺し」が、こうしてデビューして半月の新人冒険者二人によって完全に屠られた。
もしこの戦闘をエイナさんが知ったら、そして二人の新人冒険者が夜中に地下城へ突撃し、六体もの「新人殺し」を合同で撃破したと知ったら、彼女は間違いなくその場で気を失うだろう。
もし【ロキ・ファミリア】の連中、特にあのベートという狼人が知ったら、彼はどれほど面目を潰されるだろうか。
だが、周囲の包囲網はさらに狭まっていた。もはや魔物たちは単独で突っ込んでくるようなことはなく、二方向から同時にシャトとベルへと圧力をかけてきている。
本来なら、地下城に入ってまだ半月の冒険者が、この階層をゆっくり探索して生き延びることなど不可能だ。複数の「新人殺し」に遭遇して生き残ることなどありえない。
エイナさんは教えてくれた。警告もしてくれた――
「新人の未熟な【ステイタス】では、この階層の魔物には通用しない」と。
奇妙なことに、なぜシャトたちはまだ生きているのか。しかも、ある程度の阿吽の呼吸で何体もの「新人殺し」を合同で討ち取っているのか。
だが、今はそんなことを考えている暇はなかった。シャトの呼吸はすでに「荒い」ものから「重い」ものへと変わっている。汗が右目の視界をぼやけさせ、彼女は頭を振った。銀白色の髪の先が水滴を撒き散らす。拭う暇もなく、左肩を再び戦影の鉤爪に切り裂かれた。
今度は血が出た。左上腕の外側から熱いものが伝い落ちるが、ダガーを握る左手の指の節は微動だにしない。
ベルも似たようなものだった。右脇腹を戦影の裏拳でかすめられ、肋骨のあたりの布は黒と赤の混ざったぼろ切れのようになっている。
「シャトさん、あと何体――!」
「外側の他の魔物は数えなくていい、正面の戦影はあと四体」
「私が左、シャトさんが右?」
「お前が左、私が後ろ。背中は任せて」
「どうやって抜け出すんですか?」
「お前の左の一体が死んだら、その死体を踏み台にして右側の二体を引きつける。お前はその隙に私の右後ろの壁の窪みへ回り込む。あそこだ、見える?あの凹んだところ。一人しか通れない。そこを抜けたら、通路の方へ先に走れ!」
押し寄せる敵を前に、シャトは驚異的な速さで頭の中で撤退プランを組み立てる。
「じゃあ、シャトさんは?!」
「私はこの二体をあの瓦礫の上まで引きずっていく。終わったら追いつく」
「でも、一人で二体も――!」
「二体が先だ!後ろにまだ何体かフロッグシューターが控えてるかもしれない!」
シャトは振り返って彼を見た。その異色の双眸には恐怖もなければ、悲壮な決意もない。
「死ぬなよ、バカ兎(うさぎ)。」
そう言い残して、彼女は飛び出した。