目を開ければ、見知らぬ天井だった。
いや、違う。見知らぬ天井などと口中で呟いてみたところで、ここにはテレビもなければパソコンもない。白い蛍光灯の代わりに、窓から差し込む陽光が部屋を照らしている。壁の時計はアナログで、日付の表示はない。だが、今がいつ頃なのかは分かっていた。
U.C.0066。
その数字が頭の中に浮かんだ瞬間、息が止まった。
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学校の帰り道、私は購買で買った安い果汁入り飲料をちびちびと飲みながら、コロニーの内壁に沿って歩いた。サイド6の殖民衛星、その郊外区画。住宅が並び、小さな公園があり、遠くに人工の空が弧を描いている。青い。今日は天候操作が晴天に設定されているらしい。穏やかすぎるほどだった。
十二歳の体は軽くて、どこを歩いても疲れにくい。前世の三十代の感覚がまだ残っているせいか、この体の軽さが逆に落ち着かない。まるで着ぐるみを着ているような違和感。手を見る。小さい。指が短い。握りしめてみても、あまり力がない。
それでも、ここは安全だ。
サイド6。
中立を宣言するこのコロニーは、これから起きる戦火のなかで最も長く平和を保つ場所の一つになる。一年戦争が始まっても、中立地帯として最後まで戦場にならずに済む。終盤で戦闘が起きることは知っているが、それでも地球連邦政府の支配下にある他のサイドと比べれば、圧倒的に安全だ。
だから私は、ここに生まれ落ちたことに安堵した。
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公園のベンチに座って、飲みかけの缶を隣に置いた。
考える。
あと十三年。
十三年後に一年戦争が始まる。ジオン公国の独立戦争。開戦初期のブリティッシュ作戦——コロニー落とし。一週間戦争で全人類の半数近くが死ぬ。その後もルウム戦役、オデッサ、ソロモン、ア・バオア・クー。核兵器、コロニーレーザー、ソーラ・システム。人類史上最大の殺し合いが、この宇宙で繰り広げられる。
知っている。全部知っている。
では、何かできないか。
一瞬、考えた。
——無理だ。
結論はすぐに出た。早すぎて、自分でも笑えた。
十二歳の子供が、何をどうしろというのか。地位もない。金もない。つてもない。この体には前世の知識だけが詰まっているが、知識だけで世界を動かせるほど、現実は甘くない。だいたい、私の知識とて映画とアニメーションから得たもので、軍事機密でも政治の裏でもない。ミノフスキー粒子の理論式を書けるわけでもなく、ガンダムの設計図を描けるわけでもない。知っているのは物語だ。物語を語ったところで、誰が信じる?
「十三年後に戦争が起きます。半分の人類が死にます」
ベンチの上で独り言を言ってみた。声に出してみると、あまりに空虚だった。風が吹いて、言葉はどこにも届かない。
騒げばどうなるか。想像がつく。
変人扱いされるのが関の山だ。十二歳の子供が未来予知を語り始めました——近所の噂になり、親が心配して精神科に連れて行かれる。あるいは、もっと悪い場合。ジオン公国——今はまだ成立して数年のムンゾ自治共和国だが、その工作機関に目をつけられる可能性がある。下手に動けば消される。そういう時代だ。
だから黙る。
それが正解だ。
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夕方、家に帰ると母親が台所に立っていた。父親はまだ仕事から戻っていない。私は「ただいま」と言い、靴を脱いで洗面所に向かった。鏡に映る顔は見慣れない。十二歳の自分。まだあどけない。前世の記憶にある自分の顔とも違う。全くの別人だ。
「お腹空いた?」と母親が言った。
「うん、少し」
「もうすぐできるから。宿題やってて」
「はい」
何の変哲もない日常会話。前世ではもう忘れていた母の声。温かくて、少し高めで、台所の音が混じる。
私は机に向かって、教科書を開いた。歴史。宇宙世紀の始まり。スペースコロニーの建設。人類の宇宙移民。
教科書には未来のことは書かれていない。これから起きる戦争のことも、死ぬ人々のことも。ただ、宇宙への夢が語られている。人類は宇宙へ進出した。それは進歩であり、希望である。
ページをめくる手が止まった。
分かっている。この教科書に書かれている希望が、あと十三年で砕かれることを。でも、今の私にはそれを変える力がない。
だから、生きる。
ただ生きる。
この穏やかなサイド6の空の下で、十三年後まで、何も起きないふりをして、普通に生きる。
それでいい。
それしか、できない。
夜、布団に入って天井を見た。コロニーの外側は宇宙だ。この壁の向こう側は真空で、何もない。それを思うと、やはり少し、眠れなかった。
夜が深まっていく。
布団の中で、私は目を閉じた。眠れない。頭の中で年代記が流れ始める。止めようとしても止まらない。知識というのはそういうものだ。一度思い出し始めると、溢れる。
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**U.C.0079。一年戦争。**
あと十三年。
開戦一週間で、人類の総人口の半分が死ぬ。ブリティッシュ作戦。コロニー落とし。サイド2、サイド5、サイド4が壊滅する。核兵器が使われる。毒ガスが使われる。宇宙空間に散らばったコロニーの破片が、それ自体巨大な凶器となって軌道上を漂う。
サイド6は中立を宣言する。戦場にはなるけれど、最後まで持ちこたえる。終盤で連邦軍とジオン軍の両方が介入してくるが、他のサイドに比べれば被害は格段に少ない。ここにいれば、とりあえずは生き残れる。
ただし——「とりあえず」だ。
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**U.C.0083。デラーズ紛争。**
一年戦争終結から三年後。ジオン軍残党が決起する。コロニー落としが再び実行される。今度は北アメリカへ。農業地帯が壊滅し、地球の食糧事情が悪化する。連邦軍内部でジャミトフ・ハイマンの勢力が台頭し、ティターンズが創設される。
この頃、私は二十九歳になっている。サイド6にいれば直接の戦火には縁がない。だが、地球の食糧危機は波及する。物価が上がる。生活が逼る。安全と快適は別物だ。
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**U.C.0087。グリプス戦役。**
ティターンズとエゥーゴの全面衝突。サイド7、サイド2、月面都市、グリプス2。戦場が転々とする。サイド6にも戦火が及ぶ瞬間がある。シャア・アズナブルがネオ・ジオンを率いて復権する前段階。Zガンダムの時代。
私は三十三歳。そろそろ中年に入り出す頃だ。この頃には自分の人生がどうなっているか分からない。何の仕事をしているか。誰と暮らしているか。ただ分かるのは、世界がまた揺れるということだけだ。
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**U.C.0088。第一次ネオ・ジオン抗争。**
シャアが行方をくらまし、ハマーン・カーンがミネバ・ザビを擁してネオ・ジオンを率いる。サイド3を拠点に地球連邦に武力による独立を迫る。ダブリンにコロニー落とし。アイルランドが壊滅する。
三十四歳。
また人が死ぬ。また世界が壊れる。そして終わる。
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**U.C.0093。第二次ネオ・ジオン抗争。**
シャア・アズナブルが帰ってくる。アクシズを地球に落とそうとする。割れるアクシズをサイコフレームが発する光が包み込む。アムロ・レイが消える。
三十九歳。
もう私はこの世界に馴染んでいるはずだ。馴染んで、何を思うか。
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**U.C.0096。ラプラス事変。**
ユニコーンガンダム。ジオン共和国の自治権返還。箱の中身。ラプラスの章。
四十二歳。
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ここまで思い返して、私は布団の中で小さく笑った。いや、笑ったというより、息が漏れた。
どの戦争も、私には止められない。どの悲劇も、私には回避できない。知識はあるが、権力はない。記憶はあるが、力はない。私は十二歳の子供で、これから三十年以上、次々に押し寄せる戦争の波をただ見ているしかない。
見ているしかない。
その事実を噛みしめて、私はふと思う。
——では、何を目指すのか。
何もできないのなら、何のために生きるのか。ただ生き延びるだけか。ただ戦争を眺めているだけか。それもいい。それも十分に立派な選択だ。だが、少しだけ考えた。
暗喩めいたものが浮かんだ。
世界一の贅沢。
それは何か。
金ではない。地位でもない。権力でもない。
この宇宙世紀において、最も贅沢な生き方とは何か。
——それに閃いたとき、実現の可能性をゆっくりと考え始めた。
荒唐無稽な、それでいて、もしかしたらと思えるような考え。
布団の中で体勤を変えた。枕の位置を直し、もう一度目を閉じる。
ようやく眠気が来た。
「あと十三年」と思うと怖い。
でも、少しだけ面白いかもしれない。誰も知らない未来を、誰も見たことのない世界を、知っている目で見続ける。歴史の観客席で最前列を確保して、最初から最後まで見届ける。
世界で一番、安全な場所から、一番、激しい時代を見る。
眠りに落ちる直前、ふと考えた。
あと十三年。それまでに何をしておけばいいか。体を鍛えるか。金を貯めるか。人脈を作るか。
……まあ、まずは明日の宿題をやろう。
世界一の贅沢には、まず明日の小テストに備えることから始まるらしい。