U.C.0078の年の瀬
「大儲け、ね」
機関長のリオが、整備用ハッチの縁に腰掛けて、呆れたように私を見た。
「船長、ふざけてるの?」
リオ・カルベック。月のアナハイム工専時代の同級生。機関科専攻。女だてらに背が高くて無骨で、三年間同じ教室で講義を受けていたが笑った顔を見たことがない。今も笑っていない。整備用手袋をはめた手で配電盤を叩いている。
「ふざけてない」
「じゃあ説明して。中古船を丸ごと買って、仕事の当てもローンの支払い予定も決まってない状態で、大儲けする当てがある、って。信用しろって言うの?」
はっきり言われると痛い。
「詐欺じゃないよね、フジマ。そっちは何か聞いてる?モニカ」
「……私もそろそろ詐欺じゃないかと疑い始めたところ」
もう一人、操舵席で計器を眺めている女が口を開いた。モニカ・オッター。同じく工専時代の同級生。航宙科専攻。メイン操舵の座席に細身の体に載せて、いつも何かを噛んでいる。今はガムだ。色は安物特有の安っぽいオレンジ。口を動かしながら計器盤を叩くリズムは、本人なりのタイミングらしい。
リズム感は悪くない。
「詐欺じゃない。ただ……」
「ただ?」
「……内緒」
「は?」
「だから内緒。言えないの。信じて」
リオの手が止まった。モニカの噛むリズムも止まった。二人が顔を見合わせた。そして同時に私を見た。
「あのさあ」
リオが立ち上がった。整備用手袋を脱ぎながら近づいてくる。背が高い。見上げなければならない。
「私たちを誘ったとき、お前何て言った?」
「……大儲けする当てがある」
「そう。で?」
「……それが嘘じゃないことは保証する」
「保証の根拠は?」
「……私の目」
沈黙が落ちた。
コックピットの空気循環音だけが低く響いている。中古船特有の、前の持ち主が残したオイルと古いプラスチックの混ざった匂い。それに私の焦り。
「フジマ」
モニカが口を開いた。ガムを噛むのを止めて、私を真っ直ぐに見た。
「あんた嘘はついてない。それは分かる。でもさ」
「うん」
「私らを信頼してるだろうからこそ言うんだけど」
「うん」
「詐欺じゃないなら何なの。密輸? 違法な何か? 私らそれでもいいよ。ただ知らされてないのは嫌だ」
真っ直ぐな言葉だった。工専時代から変わらない。モニカはそういう女だ。曲がったことが嫌いで隠し事が嫌いで、だからこそ私のような人間とは馬が合わないはずなのになぜかついてきてくれた。
「……密輸じゃない。違法でもない。ちょっと危ない橋を渡るけど……」
「じゃあ何?」
「……予測、いや予知」
また沈黙。
リオが眉を寄せた。モニカがガムを吐き出した。手元の古いパックに丸めて捨ててから、私を見た。
「予知」
「うん」
「未来が見えると?」
「……高度な予測は予知と変わらない、かも。見えると言ったら信じる?」
「信じない」
即答だった。
「でも嘘じゃないんでしょ?」
「……嘘じゃない」
「じゃあ信じる」
あっさりと言った。
リオが驚いた顔をした。
「おいモニカ」
「リオ、あんたも気づいてるでしょ。こいつ嘘ついてないって」
「……まあそうだけど」
「ならいいじゃん。予知でも占いでも神のお告げでも。当たれば何でもいいのよ。私らは船に乗るって決めたんだから」
モニカがまたガムを取り出した。新しいパックからオレンジ色の欠片を指でつまんで口に放り込む。
「それにさ」
噛みながら言った。
「詐欺ならもっと上手い嘘つくでしょ。予知とか言う? 普通はもっとそれっぽい言い方するよ。商売のコツがあるとか人脈があるとか。予知なんて馬鹿みたいじゃん」
「……馬鹿みたいだね」
「馬鹿みたい。だから信じる」
リオがため息をついた。整備用手袋をポケットに突っ込んで、壁に寄りかかった。
「分かった。信じるよ。で、その予知で何を見た?」
私は深呼吸をした。
コックピットの中は狭い。三人が座るともう満杯だ。計器類の光が薄暗い空間を照らしている。船の名前はザンザー。イタリア語で「蚊」を意味する名前だ。前の持ち主がつけた名前だが気に入っている。宇宙やコロニーにはいない、忍び寄る羽虫。
「来年戦争が始まる」
言った。
二人の顔が固まった。
「戦争」
リオが繰り返した。
「ジオンと連邦の。大戦争だ。一年くらい続く。宇宙の半分が壊れる」
「……根拠は?」
「予知」
「予知ねえ」
リオが壁に後頭部を預けた。目を閉じている。
「戦争か。まあ噂はあるけどね。ジオンがどうこうって。でも本気で戦争になるなんて誰も思ってない」
「なるよ」
「……ああ。お前がそう言うならそうなんだろう」
あっさりと認めた。
「でさ、なんで彼を誘わなかったの?」
モニカが唇の端を歪めた。ガムの香りが狭いコックピットに漂う。リオは脚を組み、腕組みをしながら「彼」という言葉に目を細めた。工専時代のあの男だ。機関科、整備コース。背が低くて無骨で、だからこそ機械に寄り添うような指をしていた男。
「ああ……あいつか」
私は計器盤の微弱な表示を指で辿りながら答えた。
「誘ってない」
「なんで」
「条件に合わなかった」
「条件」
リオが壁から頭を離した。眉が寄っている。
「何の条件だ」
「うちの船に乗る条件」
それきり黙った。言わなくていいことは言わない。そう決めていた。だがモニカは待たない。噛むリズムを速めて、私の横顔を見ている。
「ちょっとフジマ。隠さなくていいから。何の条件か言いなさいよ」
「……出身地だ」
「出身地?」
「サイド6か、フォン・ブラウン市の出身者。それが条件だった」
沈黙。
リオがポケットから手を抜いた。ゆっくりと整備用手袋をはめ直す。動作は丁寧だったが、目は私を見ていない。
モニカの噛む音がまた止まった。
「……あいつ、サイド4だったわね」
小さく言った。工専の同級生。同じ寮で、三年間、隣の部屋だった男。月から見上げながら「故郷の窓から見える地球はもっと小さかった」と言った男。
「出身地で人を選るなんて、連邦の官僚みたいね」
モニカが静かに言った。声に少し棘があった。
「私もリオもサイド6出身よ。リオはフォン・ブラウンに転居して五年だって言ってたよね」
「親が転勤だった。籍はサイド6のままだけど」
「……別に、差別とかそういうんじゃない。ただ、……この条件以外だとしがらみが強くなるからな」
モニカは怪訝な顔をした。「しがらみって?」
「……じきにわかる。もう、数日以内に。話は終わりだ。出港準備を急いでくれ」
私は席を立った。コックピットから通路に出てエアロックへ向かう。背中に二人の視線を感じたが振り返らなかった。
あの男はいい奴だった。だからこそ誘えなかった。
サイド4は一年戦争の初期にブリティッシュ作戦の標的となり壊滅する。彼を誘えば、——今この場にいたら——彼は生き残れるだろうが、故郷や親類、その全てが崩壊していくことに直面することになる。全てを知っていて、彼の故郷が生き残る手立てを講じなかった私をどう見るのか、想像もしたくない怖さがあった。
それに——もし彼が生き残ったとしても、故郷を失った男を船に乗せておくのは危険だ。喪失は人を変える。変わりたくない変化は船の運行を狂わせる。
だから誘わなかった。
「すまない」
小さく言った。声は誰にも届かない。大事にしまっている月面のキーホルダーが、ちゃりんと音を鳴らした幻聴が聞こえた。
ザンザーは静かに発進の時を待っていた。港の窓から見える地球は青い。あと数日でこの青は濁り始めるだろう。
それでも船は出る。
私の「世界一の贅沢」のために。
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正月は、月面の一部の居住区だけが祝っていた。
月面都市フォン・ブラウンの商店街は、地球の暦に合わせて派手に飾り付けられている。赤い提灯、合成紙の垂れ幕、安っぽい萬歳幟。宇宙開発で生きる人間にとって正月が何の意味を持つのか分からないが、それでも人は祝日が好きだ。区画内のバーでは泥酔した整備工たちが「アケマシテオメデトウ」と叫んでいた。
私たちはその祝日を無視して、フォン・ブラウン郊外の係留ドックでザンザーの最終整備を行っていた。
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「年明け初出航。正月三が日。誰が聞いても縁起が悪い」
整備用ハッチの陰からリオが顔を出した。黒いグリースのついた手で配線バンドを固定しながら言う。
「縁起を気にする人間は宇宙に来ないでしょ」
操舵席の上からモニカが答える。今日はガムではなく、正月用の福袋に入っていたという失敗チョコレートを噛んでいる。
「ちなみに私の分は?」
「報酬は仕事のあとだ。まずは出航だ」
私がそう言うと、二人は一瞬顔を見合わせた。そして同時にため息をついた。
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月面の曇天。
天候制御のない月面ドックは常に一定の温度と気圧だが、今夜は航空灯が揺れていた。地球からの反射光と採掘灯が交差する灰色の風景。ドック周辺にはほとんど人の気配がない。正月だからだ。整備士も管制官も休息中。最低限の待機員だけが点在している。
「新年の最初の仕事が準備だけだなんて」
モニカがポート入り口で荷物を足で転がした。私の私物と、航路用書類の束と、何か黄色い箱。
「それは何」
「安売りのレトルト餅。正月くらいは餅を食べたいでしょ」
「宇宙で餅」
「文化」
そういう問題でもない気がしたが、私は何も言わなかった。モニカは伝統とやらには妙にこだわる。
モニカはそれを携帯コンロの上で温めながら、続けた。
「まあ正月休みないのはね、諦めてるの。その分、給料はちゃんとくれればいいよ。他の船乗りより稼げればそれで」
「上限なしは約束する」
「上限なし?」
「条件次第。危険手当も物価変動調整もある。ギャラの基準はこれだ」
私は手元の書類を差し出した。事前に作っておいた暫定契約書。報酬の記載欄には数字ではなく「歩合制(詳細は運賃徴収後に個別算出)」とだけ書いてある。
モニカがそれを読んで、眉を寄せた。
「歩合制?」
「前金は最低限の生活費だけ出す。残りは運んだ荷物の量と重要度に応じて配分する」
「フジマ、それ詐欺の口上と同じ」
「詐欺だったら前金なんか出さない」
「詐欺は出す場合もある」
的確な指摘だった。
リオが奥から現れて、ザンザーの船体を見上げた。
「船体異常なし。スラスター応答良好。燃料満タン。月面離陸許可は今日中にも降りる」
「ありがとう」
「一つ確認。航路は決まってるの?」
「決まってる」
言いながら、私は目を閉じた。頭の中の地図が浮かぶ。宇宙の航路図。各コロニーの位置。サイド1、サイド2、サイド4、この一年で真っ先に壊滅する場所。
「サイド6方向に。…途中で指示を出す」
「サイド6に? ホームに帰るの?」
「経由だ。そこからまた先がある」
「どこ?」
「内緒」
「また内緒かよ」
リオの声に苛立ちが滲む。分かる。二人にとって私は半年以上の準備を経てようやく船に乗せた元同級生で、しかも理由は「予知」だ。不信感がない方がおかしい。
だから正直に言った。
「半信半疑でいい。疑っていい。でも一つだけ信じてほしい」
「何を?」
「来年の今頃、この船に乗っていれば全員生き残る。それだけは保証する」
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コックピットが静かになった。
空気循環装置の低い音。計器の光。三人の呼吸音。
モニカが最初に動いた。チョコレートをかじりながら、操舵席に座った。
「始めようか」
リオがため息をついて、機関席に着いた。
「帰ってきたらレトルトじゃない餅ぐらい食わせろよ」
「二十枚くらい用意する」
「よし」
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U.C.0079年1月1日。
年が明けて元旦。月面フォン・ブラウンから離陸。
出航管制からの許可が降りたのは年が変わってすぐの二時だった。担当管制官は眠そうな声で「正月早々に航出するなんて物好きだ」と言った。「あけましておめでとう」と言い返して管制の通信を切った。モニカが操縦桿を握る。私は副操縦席。リオが機関制御。
ザンザーはのっそりと係留アームを離れ、月面の低重力を蹴って上昇を始めた。
「すごい揺れ」
「古い船だから」
「古い船じゃなくてボロ船」
モニカが手元の計器を叩きながら言った。表示板の光が弱い。左舷の姿勢制御スラスターの応答が0.3秒遅れる。
「リオ、左舷スラスター」
「分かってる。補正かけた。0.1秒まで下げた」
「十分」
離陸シークエンスが終わると、月面の灰色が遠ざかり、視界が黒くなった。星が出ている。無数の光点。この宇宙にあって美しくも心細い光景。
モニカが操縦桿から手を離して背もたれに体を預けた。
「……やっぱり宇宙は広いね」
「広いね」
「サイド6まで何日?」
「通常航行で四日。エンジン出力を維持すれば三日で切れる」
とモニカが計算しながら言った。
「じゃあ三日で着く」
「何しに行くの? サイド6に」
私はシートに深く座り直した。
「まずは実家に帰る」
「へえ」
「親に顔を見せとく。零細だけど独立した、って報告も兼ねて」
「それだけ?」
「うん」
「嘘つけ」
笑い声だった。モニカはそれきり何も聞かなかった。モニカはそういう人間だ。問い詰めるが、答えたくないことは待つ。三年前から変わらない。
こうやって話している分には普通だが、私は彼女たちを巻き込んでいる。予断なく船に乗った一般人を。後悔はないがそこに付け込んだ罪悪感もあることは確かだ。
少し会話が途切れて。
「それで船長、本当の目的は?」とモニカが振ってくる。
「商売の第一歩。弱小運送業者の知名度を上げるための実績を稼ぎに」
その言葉の嘘くささに、モニカとリオの両方がお手上げというジャスチャーをしていた。