夢なき世界で、あなたと ~夢を諦めたエンジニアと、夢を追う歌姫の二重奏~ 作:篝火サスケ
半分開いたドアから、黒髪の女性がこちらを覗いていた。
「——歌を、歌いに」
人がいるとは思わなかったらしく、驚いた顔で硬直している。こっちも人がくるとは思ってなくて、なんて声をかければいいのかわからないが……
「ここ、使う予定があったのか?」
とりあえず声をかけてみる。はてさて、目的がいまいちよくわからない。舞台——ホールを使うため?盗人であったり同業者なら、服がきれいすぎて汚れ作業にはあまり向いていない。
「あっ、下見に来ただけです!」
慌てたように手をワタワタと振っている。
「その、誰もいないと思って来たので…」
「こっちもだよ」
手を作業に戻しながら、意識は会話に向ける。ちょっと手が離せないタイミングだったもので。それにしても、なんの下見に来たんだろう。まさか、犯罪とかヤバめなこととか、やらないよね?
あー、そうだ。
「ガスマスク、このあたりなら外してもいいよ。はんだの匂いが気になるならあれだが。」
「えっ、排ガスは平気なんですか⁉」
「この清浄機が頑張ってるからね。」
半信半疑だったようだが、私がガスマスクをしていないからか、おずおずと外した。
口元まで見ることができたが、見た目は可憐な感じだろうか。思ったよりも美形で驚いた。
「先ほどから、何されているんですか?」
「見ての通り、機械をいじってる」
話しながら彼女はこちらに来る。その足取りは重心のブレが少なく、鍛えられているものだと思う。
「わぁ、すごいですね。ご趣味なんですか?」
…参った。誰も来ないと思ってたから、ほめられると思わなくてむず痒い。作業しているところをすごい食い入るように見ているのが気になるけど。
「ありがとう。そうだね、手を動かさないと落ち着かないかな」
「そうなんですね!もしかして何か機械を作りたいーとか、夢とかあったりするんですか!?」
おいおい、マジか、このお嬢さん。この世界で、特に初対面の人に夢を尋ねることはご法度だろう。
ロボットによる自動化が進んでから、現実世界で何かを作ることをやめてしまった。夢を追わず、泥臭く努力することもなく、与えられた環境を消費するようになってしまった。
絵を描くなら、材料はいらない。
スポーツも、体を鍛えずに理想のボディで動ける。
人との会話さえも、共同団地の狭い空間で完結してしまう。
そして気が付けば、人々は現実世界で、夢を追うことや泥臭さなどを嫌うようになってしまった。
”すべては夢で完結するから”と。
だから、この世界でその質問には答えないほうがいい。…本来ならば。
「あった。けど、素性を全く知らないあなたには教えない。」
ない、とは答えられなかった。かつての努力を否定することになるから。
それに、これ以上深く立ち入ってほしくなかった。
「あっ、そういえば自己紹介がまだでしたね。私はカナデ!世界の人々を夢中にさせる歌姫になるのが夢です!よろしくお願いします!」
思わずねじを締めていた手を止めて彼女を見る。目は輝いていて、客席を見据えていた。
まるで未来を見据えているように。
……正気か、この嬢さん。初対面の相手に堂々と夢を語ったぞ。
それにプライベートなことはもっと相手を知ってからの方がいいだろう。
それにしても、夢、ね。
かつての隣人が裕福な暮らしをしたいだの、毒のない場所で暮らしたいだの、聞いたことはあった。ただ、こういった他人の夢は久々に聞いたかもしれない。
やっぱり、この人は感性が世間一般の認識とは少し異なっているようだ。
「チトセ。よろしく」
「それでチトセさんは、夢があった、ということは今は夢がないんですか?」
話を戻しやがったよ。そんなに聞きたいのかね。
「そう、一時追いかけてた夢があったし、手をかけたけどやめちゃった」
「なんでですか⁉」
「初対面の人に言うようなことじゃない」
あの時のことを思い出すのは、本当に苦痛なんだ。言いたくもない。
口を噤んで視線を逸らすと、追求はされなかった。
「そうですか…。分かりました」
よかった、そう思ったのもつかの間。
「私があなたの夢を取り戻させます!」
「えぇ……」
私、夢を諦めたの、そういうのじゃないんだけどな。
「諦めたままなんてもったいない!せっかく持ったもの、大事にするべきです!私、停滞している日常に嫌気がさしたんです。だから人々に夢とか希望とかを持たせられるような歌姫になるって決めたんです!」
すごいなぁ、まっすぐだ。よくそんなまっすぐな想いを持つことができるね。
「そう、頑張って。それはそれとして、ステージを使うなら切りがよくなったから退くけど、下見だっけ?」
「はいっ、ここでコンサートをやろうかなと思って来ました!」
団地からどのくらい離れているのか、普通の人は来ないよ。
「ここでやるの? 客は来ないんじゃないかな」
「あなたがいるかも! あとは一応オンラインで配信はする予定!」
オンラインはAIとかが完璧なものから人間臭いものまで踊れるようになっている。果たしてどのくらい見られるのか。
「あなたは結構な登録者がいる配信者?」
「いや、これから初配信です! 記念すべき初配信は、リアルのステージでやりたかったんです!」
彼女は私に胸を張って宣言する。この現実世界で、その夢を叶えるのはどれほど非現実的なのだろう。
「AIの方が歌も踊りも完璧なのに?」
「いいえ、私は想いを届けたいんです!」
なぜ、そんなに熱意を持ってやろうと思えるのだろうか。
彼女は誰もいない客席に向かって全力の笑顔を向けている。あるのはただの埃をかぶった客席のみ。ただ、瞳を輝かせる彼女にとっては恐らくそこにいる客が見えているのだろう。
……。
なぜ、そんなに夢を持つことができるのだろうか。
なぜ、そんな顔ができるのだろうか。
ここのようで、ここではないところを見ている。初めて見たその横顔が残像のように目に焼きつく。
…とはいえ、すごく不安なんだけど。
片づけた舞台上は、カナデが、くるくると踊ったり、まるで光に照らされているように客席へと手を伸ばしたりする。その様子から全くの素人ではないように感じる。なんなら身体を動かすことを楽しんでいるようにも見える。
ただ、埃はある程度片付いているとはいえ、いまだ積もっているステージにはとてもではないが不釣り合いのように感じる。まるで、貴族が貧民街を歩くようだ。それとも、かつてステージが使われていた時もこんな印象を抱くのだろうか。
最近は見てなかったが、アイドル配信には様々な技術が使われているはずだ。AIが客の視線を把握して自動で最も魅力的に見える瞬間を届ける。
歌も、踊りも、呼吸も。機械のような完璧さから人間らしさまで再現できる。
そんなものを見慣れた連中を相手にやらなくてはならない。人間の生身だからこそ、不完全さやぎこちなさがAIよりも目立ってしまう。
だからこそ、下手をすれば誰にも見向きされない配信になる。
「それ、どんなに難しいことか知ってる?」
「知ってます! 実感はないかもですけど。」
これは苦労するだろうなぁ。
まぁ、私には関係ないことだ。笑うこともないが、手伝うこともないだろう。応援だけしておこうかな。
「そう。頑張ってね」
そう言って、荷物の入ったリュックを背負い、出口へと向かう。さすがにアイドル活動については管轄外だ。一人で逞しくやってくれ。そんな想いと共にその場を後にする。が、リュックが急に重くなった。
「ちょっと待ってください!」
どうやらリュックを引っ張ったらしい。危うく後ろに転びそうになった。
振り返ると、カナデがもの言いたげにこちらを見てくる。
「少しだけ、お手伝いしていただけませんか?」