チート持ち「どうせなら色んな人や動物に面白い走馬灯を仕込むか」   作:劇的な人生

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第五話

人間の一生を二つも作ったというのに、俺は犬の人生について何も知らなかった。

 

 そりゃそうだ。普通に生きていれば、犬と二十年同じ職場に勤めたりしない。第一、犬が職場にいる必要もない。

 

 でも、空の上に海がある街には、犬くらいいたっていいだろう。

 

 これも数年前、忘れ物窓口でスマホを返してもらった日の帰り道だ。小さな犬が工事用の柵を嗅いでいた。

 

「なあ、お前なら、あの街で何してた?」

 

 犬は無視した。

 

 飼い主の人が代わりに笑った。

 

「いつもこんな感じなんですよ。食べ物の匂いばかり気にして」

 

「そうなんですね」

 

 なるほど。人間が世界の終わりに弁を閉めている間、犬は地下の通路で昼飯の匂いを追いかけていたのかもしれない。

 

 そこで俺は、空の海に三つ目の人生を作った。

 

 停電した廊下。床の冷たさ。誰かの落としたパンの匂い。遠くで泣く人の声。犬は意味も分からず走り、閉じ込められた職員を見つける。

 

 そいつが世界を救ったと知る者は誰もいない。

 

 そんな人生を思い浮かべながら、俺は犬へ手を向けた。

 

 犬がくしゃみをした。

 

「風邪かな」

 

 飼い主は首をかしげ、リードを少し引いた。犬はすぐに歩き出す。もちろん、今ここで何か特別な行動を始めるわけじゃない。

 

 俺の頭の中では世界を救った犬が、現実には枯れ葉を踏んで帰っていった。

 

 悪くない。

 

     *

 

「お前、またその街の話か」

 

 数日後、佐伯にそう言われた。

 

「今度は犬だ」

「犬?」

「知らないところで人間を助けてた犬」

「世界が滅ぶ街だろ。どうやって助けたんだよ」

「それを今から考える」

「考えてから来い」

 

 紙コップを持った佐伯は、俺のスマホを覗き込んだ。

 

「で、あの主任には名前がついたのか」

「いや」

「二十年も一緒にいたんだろ」

「俺の方では決めてないんだよ」

「それ、女の人がかわいそうだな」

 

 俺はちょっと驚いた。

 

 俺が面白がっているのは、別々の人間へ同じ世界の違う人生を仕込めることだ。佐伯は、架空の女の人が名前を呼べないことの方を気にしている。

 

「書いてみろよ」と佐伯が言った。

 

「何を」

「その話。俺だけが聞くのももったいない」

 

 走馬灯を使えば、死ぬ間際にしか読めない超豪華小説を一人に配れる。たしかにそれは俺の趣味だ。

 

 でも、普通に公開したら、誰かに感想をもらえるかもしれない。

 

 世界を滅ぼすような話なのに、十円玉が好きな読者が現れたりするのだ。

 

 それも面白い。

 

 俺は書き始めた。名前のない主任と、牛乳を二本買っていた女の人の話を。

 

 書き上げて公開すると、佐伯から短い感想が届いた。主任の名前をまた聞かれたので、まだ決めていないと返した。

 

     *

 

 その話は、何年かたってもネットの片隅に残った。

 

 空にある海。地下施設。七番。最後の扉。名前のない主任。

 

 それを公開したことで、何が起こるかなんて考えなかった。

 

 考えたくなかった、と言う方が正しいかもしれない。

 

 何年か後、あの文字列を探す誰かがいることを、当時の俺は知らなかった。

 

     *

 

 それでも俺は、空の海ばかりを作っていたわけではなかった。

 

 通りすがりの人を見て、別の人生がふっと浮かぶことがある。港の案内所で、観光客の手袋を追いかけて走る女性を見かけた日には、帰らない誰かを灯台で待ち続ける人生を一つ仕込んだ。

 

 その女性は何も気づかず、次の客へ道を教えに戻った。俺も、そのあとのことは知らない。

 

 自分の書いた小説には感想が届く。走馬灯には届かない。

 

 俺は両方を、しばらく楽しんでいた。

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