チート持ち「どうせなら色んな人や動物に面白い走馬灯を仕込むか」 作:劇的な人生
『施設や主任に実在のモデルはいません。小説の世界は、私の創作です』
私はその返事を二度読んだ。
短い。驚くほど短い。
母が何十年も働いたと言う場所について、見知らぬ人がたった二行で答えを出している。
でも、質問したのは私たちだ。向こうには、それ以上の事情を知る理由がない。
「返事が来たよ」
病室で言うと、母は先に私の顔を見た。
「嫌な返事だった?」
「嫌っていうか……モデルはないって」
「そう」
「読む?」
「読む」
母はスマホを受け取り、自分で画面を動かした。
「……そっか」
その声は、諦めた人のものには聞こえなかった。安心した人のものでもない。
「これで、あの人のことは探さない?」
「この作者がどこかの主任をモデルにしたかどうかは、分かったよ」
「でも、いないんでしょう」
「作者がモデルにしてないんだって。そこは同じじゃないよ」
私は反論しようとして、やめた。
母にはあの人の顔も、声も、手袋を外した指もある。小説に書かれているよりずっと多いものがあるという。
「ひとつ、聞いてくれる?」
母が、枕元の紙を取った。
『主任』『七番』『牛乳』。
そこに、ゆっくり書き足した。
『階段 三段目』
「地下へ降りる階段。三段目だけ、踏むと鳴るの」
「そんなの小説にあった?」
「分からない。確かめて」
私は投稿された文章を検索した。階段という単語は出てきた。でも、三段目はない。軋むという表現もない。
「書いてない」
「じゃあ、書いた人は知ってるかな」
「……これ、当ててもらうつもり?」
「違うよ。私が覚えているものを、あの人も考えていたか聞くの」
私は眉を寄せた。
こっちから教えてしまえば、どんな作者だって「考えていました」と答えられる。本人を試す質問としては、あまりにも簡単だ。
「それで合ってるって言われても、証拠にはならないよ」
「そうだね」
「分かってるの?」
「分かってる。だから、その次を考えたい」
母は私のスマホを指した。
「私が何か覚えているのか、あの人が何を作ったのか。違うところがあったっていい。まず、そこを分けよう」
私はしばらく母を見ていた。
母は、誰かに正しい答えを与えてもらおうとしているわけではなかった。
こんなに厄介な質問の仕方をする人だっただろうか。
そう思ってから、そういう人だったと思い直した。家でも、説明が曖昧な約束は何度も聞き返す。
私は母が言った言葉を、そのまま打った。
『地下へ降りる階段の三段目だけ、踏むと軋むという細部を考えたことはありますか。公開された作品には見当たりませんでした』
送信の前に、母が最後の一行を加えた。
『考えていなければ、そう答えてください』
「……妙に厳しいね」
「相手が困らないようにね」
私は送った。
*
「困るわ」
俺は声に出して言った。
質問に『考えていなければ、そう答えてください』とある。
困るのは考えていなかったからじゃない。
考えていたからだ。
雨のスーパーで、牛乳を抱えた女の人の背中を見送ったとき。俺は空の上に海がある街を作り、地下に古い管理施設を作った。階段の三段目が軋むことまで考えた。そういうどうでもいい細部が、二十年の職場を職場らしくすると思った。
公開小説に書いたっけ。
投稿を開く。全文を検索する。ない。
書き直し前の下書きに紛れていないかも確かめた。少なくとも今見られる公開本文にはない。過去に誰かへ口で話した可能性まで、証明できるわけじゃないけれど。
俺の頭の中でしか鳴らなかったはずの階段が、知らない誰かの文章にある。
「……うわあ」
背筋が寒くなった。
そして、その直後に、ひどく面白くなった。
今までは、一人で二十年を作ることができた。作るところまでが俺の遊びだった。渡したあと、誰が何を覚えたか分からない。それも含めて気楽だった。
なのに、向こうから話しかけてきた。
俺が創作した街で働いていたと言う人が、階段の修繕について問い合わせるみたいな調子で。
「待ってくれ。お前、実在するのか」
もちろん、スマホの向こうの人間が実在することくらい分かっている。
分からないのは、俺が勝手に作った人生を、あの人が本当に覚えているかどうかだ。
スーパーで会った女の人だと決まったわけではない。もっと普通の理由で一致した可能性もある。
それでも俺は、続きを聞きたかった。
返信欄に打つ。
『三段目が軋む階段は考えました。公開した文章には書いていません』
ここで送れば、相手の質問には答えたことになる。
でも、俺はもっと聞きたい。
何年も前、俺が想像した施設には、春先になると結露する観測窓があった。実際の街にもそんな窓があるかどうかは関係ない。空に海がある街なのだ。湿度くらい好きにしたっていい。
その窓を、相手は知っているだろうか。
もう一行加えた。
『ほかに、春先になると結露する観測窓も考えていました。あなたの記憶にはありますか』
さらに書きかけて、手を止めた。
主任は怖かったはずです。
その一文は、今は送らなかった。
俺が数日後に別の男へ仕込んだ一生が、そこに混ざってしまう。質問者が誰なのかも分からないのに、別の人間のことまで持ち出す理由はない。
送信した。
スマホを机に置いたあと、何度も画面を見た。
返事が届くのを待つというのは、こんなに面倒だったっけ。
走馬灯の方には、通知欄がない。
*
「知ってる」
母は、返事を見るなり言った。
「この窓、知ってる。春先、ひどく曇って、主任が掃除したって変わらないって怒ってた」
「待って」
私は、母の前で画面を閉じた。
「いま読んだから思い出したのかもしれないよ」
「うん」
「『結露する』って書かれたら、誰だってそういう窓を想像できる」
「そうだね」
「だから、これじゃ証拠には――」
「だから、次は私が先に答えるの」
母が笑った。
私はその笑い方を知っていた。
何かを買うときに、説明書を読まずに進めようとする私を止める顔だ。
「今度は作者がまだ何も言っていないことを書こう。私が覚えてる、あの場所の普通のこと」
「普通のこと?」
「うん。たいしたことじゃないことの方がいい」
母はしばらく考えた。
そのあいだ、私はスマホを置き、病院の時計を見た。面会できる時間は無限じゃない。聞きたいことだって無限にある。
「夜勤のときね」と母が言った。
「温かい飲み物を二つ買ってたの。私のと、主任の。一つしか買わなかった朝は、あの人がすごく嫌な顔をして」
「それ、作品に出てた?」
「知らない。あなたが調べて」
私は公開文章を検索した。夜勤は出てくる。でも温かい飲み物を二つ買う話はない。
「……ない」
「じゃあ、これを伝えて。あの人は、どう答えるかな」
私は母の言葉を、自分の解釈を足さずに送った。
『母は、夜勤のたびに温かい飲み物を二つ買っていたことも覚えています。これは公開作に見当たりません。作者の構想にもあったことですか』
相手が「はい」と答えても、それだけで不思議な力が証明されるわけではない。
それでも、この質問を書いたとき、私は初めて、母が何を確かめようとしているか少し分かった気がした。
母は、自分の二十年を作者から取り返したいのではない。
自分の経験が、どこまで他人の創作と重なるのかを、自分の順番で確かめたいのだ。
*
『夜勤のたびに温かい飲み物を二つ買っていた』
俺は机から立ち上がった。
考えていた。
確かに考えていた。女の人は夜勤で飲み物を二つ買う。主任の分を忘れると、あの人は文句を言う。何でもない場面だったから、公開した原稿からは落とした。
俺の頭の中にあった何でもない二十年が、向こうにもある。
ただし、その人が何年も前に俺の話をどこかで聞いた可能性は消えない。ネットの向こうから本人だと断定することもできない。
でも、俺は知っている。
雨のスーパーで一瞬思いついた夜勤のことを、俺がその人に仕込んだことだけは。
「……これ、どっちが作者なんだよ」
思わず笑った。
俺が作ったはずの職場に、その人は二十年間出勤していたと言う。そして、俺が忘れかけていた夜勤の細部を、あっさり持ってくる。
今まで俺は、創作した人生を渡すところまでしかできなかった。
今は、その人生を生きたという人から、感想ではなく業務報告が届いている。
返事を打った。
『考えていました。二つ買っていたのも、その人が一つしか買わなかった日に相手が文句を言ったのも』
送ってから、自分の文章を見直した。
言葉は届く。でも、これだけでは向こうの人が、何を見て何を失ったのか分からない。
『もし差し支えなければ、お母さまが覚えている仕事のことを、もう少し聞かせてください。公開した小説に書いていない部分を含めて』
それも送った。
俺は、ずいぶん大それたお願いをしている。
本人にとっては、失った職場の話かもしれない。俺にとって面白いからといって、答えてくれる義務はない。
それでも頼みたかった。
返事が来るなら、聞きたいことがある。
七番を落としたあと、あの人は誰に会ったのか。
俺はそこまで作らなかった。最後の扉までを考え、実際にその人が生きたと感じる残りの時間には立ち会っていない。
俺の知らない話が、あの人の中にはあるのだろうか。
*
母は作者からの返事を読んだ。
驚いていた。けれど、私が期待していたように「やっぱり本当にあった」とは言わなかった。
「この人、当たってるね」
「うん。でも証明ではないよ」
「そうだね。だから、聞きたいことがあるの」
母はスマホを自分の手元へ引き寄せた。
「あなたに、代わりに聞いてもらうだけなのは、もう終わりにする」
「お母さん?」
「私がそこにいたことを、この人と話したい。お話じゃないって言い張るためじゃないよ。お話だったなら、どうして私がこんなに覚えてるのか。それを、書いた人の声で聞いてみたい」
私はすぐに賛成できなかった。
作者がどんな人なのか分からない。画面の向こうには、私たちのことを知らない誰かがいる。
「通話するってこと?」
「もし向こうがよければ、一度だけ」
「病院も名前も言わないよ」
「もちろん。あなたも無理に同席しなくていい」
それを聞いて少し腹が立った。
私はずっと母の代わりに調べていた。ここで急に「同席しなくていい」と言われると、役目がなくなったような気がする。
「……同席するかどうかは、私が決める」
「そうして」
母は笑った。
私は母の言葉で依頼文を書いた。通話するかどうかは相手の自由で、本人の名前や病院を明かす予定はないこと。短い時間だけ話したいこと。
送信したあと、母は私にスマホを返さず、画面を見ていた。
しばらくして、返事が来た。
『私も話してみたいです。一度だけ、音声で。時間を決めましょう』
母は、紙の『主任』に指を置いた。
「名前を聞こうと思ってたんだけどね」
「違うこと聞くの?」
「聞くよ。でも、その前に、この人がどこまで私のことを知ってるのか、こっちから確かめる」
私は画面の時刻を見た。
母が相手に聞くことを、私より先に決め始めた。
どうやら今度の約束は、私の知らないところで進んでいくらしい。
あらすじとタイトルで約束しているチート、中二病、走馬灯の中で使っていた力という見どころを実現がなかなかできてないので一話から書き直そうか悩んでるんですが、どう思いますか?今七話までアップされてますが仮に書き直ししてもししても八話までは更新されます
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