チート持ち「どうせなら色んな人や動物に面白い走馬灯を仕込むか」 作:劇的な人生
俺は、存在しない職場の見取り図を描いていた。
面接を受けるわけではない。設備の査察でもない。そもそも職場が存在しない。
ただ、これから電話をかけてくる人は、そこで二十年働いたと言っている。
「……せめて作者らしい顔をしないとな」
紙の真ん中に四角を描いた。制御室。その横に七番の電源設備。地下へ降りる階段を左側に置いて、最後の扉を太い線で囲む。
俺の頭の中では、もっと広い。毎朝誰かが遅刻する詰め所も、空の海を観測する窓もある。でも、紙に描くと四角と線ばかりになった。
こんな簡単なものを二十年間の職場だと言われても困るだろう。
……困るのは俺か。
画面には、昨日決めた通話の時刻が表示されていた。
話すのは一度だけ。互いに本名を名乗らない。必要なら途中で切る。向こうが決めた条件だ。異論はなかった。
俺は電話に出る前に、メモの最後へ書き足した。
『主任の名前を聞かれても、ない』
いい加減決めた方がよかったかもしれない。
*
「録音しないでください、って言っておく?」
娘がスマホを確認しながら聞いた。
「お願いできる?」
「向こうが分かったって言っても、確かめようがないけど」
「そうね」
母は、用意した紙を膝に置いていた。
紙には『階段』『観測窓』『夜勤』『主任』と四つだけ書いてある。昨日まで増え続けていた質問を、自分で減らしたのだ。
「そんなに聞くこと少ないの?」
「話してみて、違うと思ったらそこで終わりにする」
「……怖くない?」
「怖いよ。変な人かもしれないし」
母は少し笑った。
「でも、もし変な人だったら、あなたが切ってくれるでしょう」
「切るよ」
「そのときはお願い」
私は画面を母の見やすい位置に立てた。相手の顔も電話番号も表示されない、音声だけの通話だった。
まだ半信半疑だった。
母の言う階段の三段目まで、作者は考えていた。春先の窓も、温かい飲み物を二つ買う夜勤も。公開されていないところが重なったのは奇妙だけれど、相手が正直かどうかは分からない。
だから、確かめる。
そう思っていた。
けれど、母の手は四つの単語のうち『主任』のところを押さえていた。
私が確かめたいことと、母が聞きたいことは、たぶん同じじゃない。
約束の時刻になった。
「私が押すね」
母が言った。
私はスマホを渡した。
*
『こんばんは』
女の人の声だった。
「こんばんは。……小説を書いた者です」
『はい。今日は、私の方から聞きたくて』
「もちろんです。ただ、その前に一つ。録音はしません。何か公開するときは許可を取ります」
言いながら、何を公開するつもりなんだ、と思った。
俺はただの趣味の小説作者だ。取材される立場かと思ったら、取材する立場にもなっている。
『ありがとうございます。最初に聞きたいんですけど』
「はい」
『あの地下施設、どういうふうに造ったんですか』
質問が大きい。
「まず空の上に海を作って、それを維持する施設が地下にあって……」
『いえ、建物の方です。七番から制御室まで、どれくらい離れているのかと思って』
あ、そっちか。
「今、簡単な図を描いてるんです。送っても大丈夫ですか」
『お願いします』
紙を撮って、さっきの連絡先へ添付する。
受信したらしい。電話の向こうから、紙を動かすような音が聞こえた。
『……これだと、台車が通れませんね』
「えっ」
『七番の横の通路です。ここで曲がれないでしょう』
俺は自分の描いた線を見た。
七番から制御室へ、最短距離で一本引いてある。
「人は通れますけど」
『人だけなら。交換する部品は? あそこ、小さい箱ばっかりじゃなかったから』
「……確かに」
『それに七番が止まっているときは、こっちの扉が閉まるんです。だから普段から反対側を回る。急ぐときほど、回らなきゃいけないの』
俺は紙に迂回路を描き足した。
「じゃあ、ここに通路が要りますね」
『そこは資材置場だったと思います』
「資材置場」
『重い物を置いておくと、点検の日に叱られます。だから壁際に寄せてあって』
今度は資材置場の四角まで生えた。
俺は一度、スマホから耳を離した。
俺が考えた施設に、俺の知らない通行止めがある。
しかも、この人の言い方が、架空の地図を見ている人じゃない。何度も荷物を運んで、何度もその道で腹を立てた人の言い方なのだ。
「……俺が考えた職場なんですけど」
『はい』
「なんで俺より詳しいんですか」
電話の向こうで、少し間があった。
『二十年いましたから』
負けた。
完全に負けた。
架空の職場を考えた作者が、その職場で働いた人に現場指導されている。
「じゃあ、この図はそちらの覚えている配置とは違うんですね」
『そうです。私の覚えている限りでは』
「なるほど……。あ、ここも違います?」
『その手前に水の出るところがあったはずです』
「また増えた」
思わず笑った。
けれど俺は、線を描き足すのをやめた。
『どうかしました?』
「面白いから、全部聞きたくなるんですけど。今ここに描いたものが、あなたの記憶にあった建物だって証明されたわけじゃないですよね」
『ええ』
「それなのに、俺が描いた線の方を正しいことにするのも違うなと思って」
『……そうですね』
彼女はあっさり答えた。
『私も、うろ覚えなところはあります。そこは線を引かないでおいてください』
俺は鉛筆を置いた。
「はい。じゃあ、この紙はまだ地図じゃなくて、俺の落書きということで」
『最初からそうじゃないんですか』
その言い方に、笑ってしまった。
*
母が笑っている。
私は、スマホの向こうの作者の言葉より、そのことに驚いていた。
「お母さん、そんなに簡単に人の図を直すんだ」
「だって、台車が曲がれないもの」
母はごく普通の顔で答えた。
そういえば現実でも、家具の配置を変えるときにいちばん厳しいのは母だった。椅子を置いたあと、人が通れるかどうかまで試す。
架空の二十年は、母の知らない部分じゃないのかもしれない。
けれど、その考えを口にしようとしたとき、母が画面を指した。
「ここ」
太い線で囲まれた、最後の扉。
作者は鉛筆で書いていた。
『制御室・最終弁』
「ここに、主任が残ったんですよね」
母が聞いた。
『はい』
「私、ずっと気になっているんです。あの人、怖くなかったんでしょうか」
私は黙った。
母は、その質問を昨日から用意していたんだろうか。四つしかないメモの最後に『主任』と書いていた。
さっきまで冗談を言っていた作者も、すぐには返事をしなかった。
『俺が考えた主任の話でよければ』
「お願いします」
『怖かったと思います。……というより、怖い人として考えたんです』
母が顔を上げた。
『帰りたくて。仕事なんか置いて帰りたいし、洗濯物だってまだ干しっぱなしで。でも、あなたを中に残したくなかった』
母の指が、紙の端をつかんだ。
「そんなこと、あの人は一言も」
『言わなかったことにしたんです』
「どうして」
作者は息を吸った。
『それを言ったら、あなたが残ると言い張ると思ったから』
母は目を閉じた。
私は何度も聞いてきた。主任は最後に笑っていた。牛乳を二本買えと言った。母はその顔を忘れられない。
怖くなかったのなら、どうして残ったのか。
怖かったのなら、どうして笑っていたのか。
いま、答えらしきものが出てきた。なのに、母は少しも救われた顔をしなかった。
「……帰りたかったなら、言ってほしかった」
その声は小さかった。
「私だって、帰りたかったんです」
作者は何も言わない。
「私が残るって言ったら、あの人は、私には家族がいるだろって。自分だって帰る家があるくせに。あの人が平気そうだったから、私……」
母はそこで言葉を切った。
泣くのかと思った。でも、母は紙を見たまま、急に眉を寄せた。
「……だいたい、あの人、最後まで機械に文句を言ってたはずなんです」
『え?』
「手順どおりに動かないって。こんなものを誰が整備したんだって、いっつも」
作者の方が、今度は黙った。
『……それ、考えていました』
母の目が、少しだけ大きくなった。
『最終弁、作動不良。改修を強く要望。そんな文句を、主任側の話では考えてました』
「……やっぱり」
母はそう言いかけて、止まった。
私の方を見た。
「同じって言っても、それだけじゃ証拠じゃないわよね」
「……うん」
同じ質問を繰り返しているみたいだった。でも、さっきとは少し違う。
母は目の前の言葉で、何が分かって、何がまだ分からないのか、自分で線を引き直している。
『その主任の話』
母が作者に言った。
「少し読ませてもらえますか。あなたが考えた方の」
『……書いたものがあります。短いですけど』
「お願いします」
*
俺は通話をいったん保留にして、古いメモを開いた。
主任側の一生を考えたときの断片が残っている。
怖かったこと。洗濯物。最後の弁が動かないこと。女に残ってほしくなかったこと。
その人生を、駅の忘れ物窓口の男へ仕込んだことも、別のメモに残っていた。
向こうには、まだそのことを言わない。
本人がどうしているのか、俺は知らない。俺が仕込んだ人生を、本当に経験したかどうかも知らない。別の誰かの現実を、ここで勝手に呼び出すわけにはいかない。
いま聞かれたのは、俺が主任をどう考えたかだ。
俺は残っていた断片をつなぎ、数行の短い話にした。
◇
最終弁は、手順書に書かれているとおりには動かなかった。
主任はもう一度だけレバーを引いた。駄目だった。あの女に、ほら見ろと言ってやりたかった。いつか整備申請を出そうと言い合って、二人とも後回しにしていた。
制御室の外で、彼女が扉を閉める準備をしている。
帰りたい。
その言葉を口に出したら、彼女は自分を押しのけて中へ入ってくるだろう。あの人は、自分のことならいくらでも乱暴に扱う。
主任は、扉の向こうの顔を見た。
いつも、買い物の量を間違える人だった。
「帰りに牛乳を買ってきてくれ。今度こそ忘れるなよ」
彼女が笑った。
「昨日も買ったでしょうが」
そうだった。
明日があるような返事が聞けたので、もう一度レバーに手をかけた。
こんな手順書を作った奴は、誰だ。
生きて帰れたら、絶対に文句を言ってやる。
◇
書いてから、俺は少し後悔した。
読み返すと、主任は立派なことを一つも言っていなかった。
でも、俺が作ったのはそういう男だった。
「送ってもいいですか。小説には出してない部分です」
『はい』
俺は短い文章を、連絡先へ送った。
電話の向こうで、紙を動かす音がやんだ。
*
母は届いた文章を、一行ずつ読んだ。
読んでいるあいだ、私は声をかけなかった。
途中で母が、小さく鼻を鳴らした。
「……本当に、あの人らしい」
そして、最後まで読んでから首を振った。
「でも、ここは違うわ」
私は画面を見た。
「どこ?」
「『あの人は自分のことならいくらでも乱暴に扱う』って。私のことをそう思ってたなら、あとで文句を言ってほしかった」
向こうの作者が、少し笑った。
『主任側を考えたとき、俺はそういう男にしたんです』
「そうでしょうね。あなたが書いたんですもの」
母は指で画面を閉じた。
「でも、私が知ってるあの人は、もっと嫌なところもありましたよ」
私は目を上げた。
これまで母は、主任の最後の話になると、泣きそうな顔をしていた。
「点検票の字が汚くて、私に清書しろって渡すんです。自分が悪いのに、私の方が字が読めるからって」
少し怒った声で言った。
「そういう人だったんです。最後のときだけ、かっこいい人だったわけじゃない」
作者は、すぐには答えなかった。
『……それ、聞きたいです』
「聞くのはいいですけど」
母は間を置いた。
「あなたの小説に、書くんですか」
その質問に、今度は私が作者の返事を待った。
*
書きたかった。
とんでもなく書きたかった。
点検票を人に清書させる主任。自分の考えた男が、俺の知らないところで、そんな面倒くさいことをしていたと言われたのだ。
いい。ものすごくいい。
でも、それを言った相手は、面白い設定を持ってきてくれた読者じゃない。
その男と二十年働いたと思っている人間だ。
「……書きたいとは思いました」
正直に答えた。
『そうでしょうね』
「ただ、勝手には書きません。あなたの話ですから」
相手は少し黙った。
『私には、その二十年を勝手に書かれたことになるんでしょうか』
何も言えなかった。
その通りだ、と謝るのも違う。俺が人生を創作したのは本当だ。相手にとっては、そこが実際に過ごした場所だというのも、今聞いた限りでは本当らしい。
俺の側だけを正解にすることも、この人の側だけを正解にすることも、今はできない。
「少なくとも、あなたが今話してくれたことを、無断で続きを書く材料にはしません」
『……それなら』
相手が何か言いかけたとき、遠くから娘さんらしい声がした。
『もうそろそろ、面会の時間が』
「あ、そうですね。長くなってしまって」
『いいえ。私の方から聞きたいと言ったんです』
少し間があった。
『ねえ、ひとつお願いしていいですか』
「どうぞ」
『あの図、私の知ってるところを勝手に直さないでくださいね』
俺は自分の紙を見た。
制御室の横に鉛筆で増えた資材置場。行き止まりになった俺の通路。
「分かりました。まだ落書きのままにします」
『お願いします』
そこで通話が切れた。
俺は紙を机に置いて、十分ほど見つめていた。
最後の扉には、俺が描いた一本の太い線がある。
その向こうで何を考えていたか、俺は主任側の人生を作った。
でも、扉を閉めた女の人が、その後どんな夜勤を思い出すかまでは、俺のメモの中にない。
……ないからこそ、聞きたい。
聞きたいからといって、俺が勝手に書いていいわけでもないらしい。
ずいぶん不便なことになった。
それなのに、ちょっと楽しかった。
*
通話のあと、母はしばらく何も言わなかった。
私は紙を片付けようとして、途中で手を止めた。
母は、主任の名前の横に、何か書いていた。
「何してるの」
「忘れる前に、書いておこうと思って」
私は覗き込んだ。
『三段目』
「それ、もう質問したよ」
「違うの。あの階段ね、主任と一緒に修理の申請を出したことがあるのよ」
母は鉛筆を止めずに話した。
「三段目を踏むと鳴るから、あの人、そこを避けて上り下りするようになって。自慢するの。自分は足音がしないって」
私は少し笑った。
「ずるい」
「そう。直してもらわなきゃいけないから、ちゃんと踏んでって言ったらね、わざわざ戻って踏むのよ。ぎい、って」
母が、口で階段の音をまねた。
私は初めて、主任の話を聞いて声を上げて笑った。
あの人が扉の向こうで死んだ話ではなく、故障した階段をわざわざ鳴らす話だったからだ。
「それ、作者の人にも話せばよかったのに」
「そう思ったんだけどね」
母は紙を少し引き寄せた。
「言うと、あの人が上手に書いてしまいそうだから」
私は返事に詰まった。
母は書くのが得意な人じゃない。家でも説明書の余白に要件だけ書いて、あとで私に「これ、何のこと?」と聞かれる。
それでも、いま書いているのは母の言葉だった。
「……一回、私が読みやすく直してあげようか」
言いかけて、やめた。
母がいつも私のやることを注意するとき、こんな気持ちだったのかもしれない。
「やめとく。書いたあとで、読ませて」
「うん」
母は続きを書いた。
面会時間が近づいて、私は荷物をまとめた。母は一度筆を止めて時計を見たが、紙を畳まず、最後の一行まで書いた。
私は椅子に座り直して待った。
「……読んで」と母が言った。
渡された紙を読んで、私はまた笑った。主任は大きな施設の責任者で、最後には街を救った人なのに、階段を一段飛ばしただけで得意になっている。
「これ、送ってもいいの?」
「最後のところだけ。私が書いたままで」
「作者の人、また書きたがるかもしれないよ」
「だから、載せないでって言うの。話すのと、人に読ませるのは別だから」
母は私のスマホを借り、短い文面を自分で打った。
『今夜は、短いところだけ送ります。小説には載せないでください』
私は紙の余白を切って、名前も病院の冊子も写らない角度から写真を撮った。母に画面を返すと、母は一度画像を確かめ、自分で送信を押した。
何だか、私が作者の人を見つけた日のことを思い出した。
あのときは私が送った。
今日は、母が送った。
*
その夜、俺のスマホに一枚の写真が届いた。
病院の名前も、人の名前も写っていない。余白を切り取った、手書きの紙だった。
『今夜は、短いところだけ送ります。小説には載せないでください』
送信者の意思が、短い一行にはっきり書かれていた。
俺は返事より先に写真を開いた。
『夜勤の前、階段の三段目が鳴るので、主任が自分だけそこを踏まずに上れるようになった。足音がしないと得意がっていた。修理が必要だと言っているのに、踏まなければ鳴らないからもう直さなくていい、と言い出した。私は戻ってちゃんと踏むように言った。主任はわざわざ二段下りて、三段目を踏み直した。やっぱり鳴った。二人で申請書を書いた。主任の字は相変わらず汚かった。』
読み終えて、笑った。
あの主任が。
世界の終わりに、最後の扉へ残るような男が。
階段を一段飛ばして得意がって、怒られて、わざわざ戻って軋ませたのか。
「……何やってんだよ、主任」
俺の知らない場面だった。
施設も主任も、俺が考えた。それは変わらない。だけど、この一段飛ばしの話は俺のメモにない。今、この人がそう覚えていると書いてきた。
俺がその人生の全部を知っているわけじゃない。
こんなことを言うのも変だが、自分の作った男について、人から教わるのが、ものすごく面白い。
すぐに返事を書いた。
『ありがとうございます。公開しません。読みました』
短い。
何か気の利いた感想も書きたかったが、まだ言葉が出てこなかった。
昔のメモを開く。
『主任(名前未定)』
その下に、俺が作った主任側の人生がある。数年前の駅の忘れ物窓口で、一人の男へ仕込んだ人生だ。
あの男は、いま何をしているだろう。
あの階段を一段飛ばす主任のことを、俺の知らない別の言葉で覚えている日が、いつか来るのだろうか。
……来ると決まったわけじゃない。
ただ、今の俺には、ひとつ確かなことがある。
自分で創作した話の続きを、俺は初めて、人から読ませてもらった。
その文章が面白かった。
俺はもう一度、三段目を踏みに戻る主任のくだりを読んだ。
自分で作った男なのに、笑いをこらえられなかった。
あらすじとタイトルで約束しているチート、中二病、走馬灯の中で使っていた力という見どころを実現がなかなかできてないので一話から書き直そうか悩んでるんですが、どう思いますか?今七話までアップされてますが仮に書き直ししてもししても八話までは更新されます
-
あり寄りのあり
-
あり寄りのなし
-
どちらでもない
-
なし寄りのあり
-
なし寄りのなし
-
どうでも良い