「凄いな、扇詩」。
——そう、どこかから聞こえた気がした。
かつて目の前で投げていた友の影を追いかけて、気付けば自分がマウンドに立っていた。普段見る事の無い景色に戸惑いながらも、壮観極まる奪三振ショーを演じた痛快に、思わず猛々しく酔いしれた。
あいつはこんな気持ちだったのか——羨ましさを感じながら。ボールに宿った想いと対話しながら。最後の最後、この試合の全てを委ねられた。
ボールを擦ったような鈍く小さな音。頭上、なんて事の無いフライだ。簡単に捕れる。落下地点は目の前。腰を落とし備える。
そういえば俺達が少年野球で優勝した時も、最後はピッチャーフライだったような——
——扇詩。
——ありがとう。
——確かに、聞こえた。松尾康太の声が、聞こえた気がした。
紡いで、繋いだ——1個のボールが過去と未来を駆け巡る。球女は過去を拭い、球児は未来を掴む。想いを乗せたボールを落とす事なく掴み取り、彗勢高校男女混合野球部は、部発足初勝利を掴み取ったのだった——。
「……援護できなくて、悪かったな」
「気にしないでくれ慶四郎。3番を出した時点で、この試合には負けていたんだ」
タオルを頭から被る神童の隣に、正捕手・坂本は腰掛ける。
「……」
「そう落ち込むなよ、旦那」
「落ち込んでなんて居ないさ。寧ろ、嬉しいくらい」
「この状況でか? ポジティブだな」
「いいや。さすがにそこまで僕はポジティブではないよ」
「じゃあ何だよ?」
「……懐かしい顔に会えたからかな。それも
「……よく分かんねえ。取り敢えず帰る準備しようぜ。この有様じゃ、帰っても練習があるわ」
「だね。今度は抑えられるように頑張ろう」
3-2。扇詩の逆転スリーランで、創部以来未勝利の弱小が昨夏3位の強豪を撃破——面目丸潰れな白楼学園の向かい側、成し遂げた下剋上の甘美に酔いしれる彗勢ナインは、扇詩に抱きいた美空を中心に歓喜の輪が出来上がっていた。
「扇詩くうううううん!」
「美空、分かったから離れてや」
「もうほんとに凄かったよ! ほんとに……ありがとう! 扇詩くんが居なかったら……」
「大変なことになっていただろうな。良く打ってくれた、良く踏ん張ってくれた。私からも礼を言う。ありがとう、花咲」
「こっちこそやで。あんな短いサイン交換だけで全部こぼさず捕ってくれたんやからな」
「ああ。おかげさまで、この左手に感覚が戻らん」
「おいおい、大丈夫かいな聖川ちゃん」
「この部が残るのならこのくらい大した事ではない。それに私はキャッチャーだ。覚悟はしているさ」
「
「私は女だ」
「諸君。御苦労だったな」
「お疲れさんです、静音ちゃん先生」
「うむ。後で鈴原は指導するとして。この後午後からサッカー部が練習試合をする。今すぐにグラウンドの片付けに取り掛かり給え」
「はーい!」
「花咲、白楼の皆様がお帰りになられる。見送りに行くぞ」
「分かりました」
グローブを置き、白楼学園の選手達を見送りに向かう。
「じゃあね、扇詩。また話そう」
「おう」
「次は勝つからな、覚えとけよ。忘れんなよ」
「お、おう」
神童と坂本に手を振り、シャトルバスが見えなくなった所で。
「じゃあ、俺も片付けに向かいます」
「待ち給え」
「は、はい」
「……私からも礼を言わせてくれ。ありがとう」
「いや言われる筋合いありませんて」
「斉投が悩んでいたことを私も知っている。正直言って、見ている立場からすれば戦力差など絶望的だった。それを君が1人でひっくり返してくれたからな」
「美空の執念ですよ。俺をここに引っ張ってきたことと言い、肩痛めながら投げたことと言い……まぁ、その執念に俺もあてられたってことですね」
「君も楽しそうだったな」
「……そう、ですかね」
「おい兄弟! いつまで静音ちゃんとイチャついとんねん! 早よ手伝えや!」
「分かっとる! 今行く! ……すいません、失礼します」
「うむ。時間が押している、急ぎ給え」
「はい!」
男女混合野球部は10人。黎明期のスポーツで尚且つ公立校ならばこれだけ集まれば破格だ。更にメンバーは粒揃い。不敵に笑う平山の中で、夢は広がる。
「……これは、もしかすればあるかもしれないな」
グラウンドの片付けが終わったナインらは、再び祝勝ムードへ。
「扇詩くん、このまま混合野球部で野球しよ?」
「お? ああそうか。兄弟この試合だけの期間限定やったっけ」
「まぁ、そういう話やったな。すっかり忘れとったけど」
「何で期間限定なん? このまま続けたらええやんけ」
「甲子園に繋がらんからなぁ」
「繋がるぞ、花咲」
「驚かさんとってください、平山先生。繋がるって何ですか?」
「うむ。水曜日に夏の大会の要綱が届いてな。今年から、男女混合野球大会の決勝戦は甲子園で開催されることになったそうだ」
「ほ、ほんとですか!? 平山先生!」
「本当だとも。後に斉投に伝えるから共有して欲しい」
「やったああああ!! 扇詩くん! 甲子園だよ!」
「甲子園……」
このグラウンドからでも見える。全高校球児の夢の祭典・阪神甲子園球場が。そしてこの混合野球で勝ち上がれば、その夢舞台に立てる。
そうすれば、康太との約束も——。
「さぁ花咲。決断し給え。このまま混合野球部に残るか否か」
「……考えるまでもありません」
聖川が同意し、美空が笑う。答えは1つだ。
「——行きますよ、甲子園」
「……そうか。そう来なくてはな」
「そう来なくては〜っ!」
「……これからも、よろしくお願いします」
「うむ。頼んだぞ、花咲」
「はい!」
「……甲子園とか、マジで
「なんかそういう雰囲気になってるなぁ」
「乾、螺子松。乗り掛かった船だ。とことんやり給え」
「よぅし! 早速練習だぁ!」
「試合後なのに練習すんの?」
「その前にお前は肩を治すところからだ」
「う゛」
……甲子園。夢にまで見たあの光景に俺は辿り着きたい。康太との約束だけじゃなく、本心から——それを望む。
「……ここから、もう一度」
失った時間を、糧へと変えて行く——。
▽△
——興治市内、某所。高速道路を走る車が行き交う喧騒から逃れるようにして立つ、街の郊外にある共同墓地。夕暮れに墓石か染まる頃、そこに1人の青年が足を踏み入れていた。
「最近は
慣れた手つきで墓石に水を掛け流し、真っ白な雑巾で丹念に拭き上げる。
刻印された名は「松尾康太」。扇詩の親友で盟友が眠る場所。墓花の代わりに置かれてある藍色のグローブとボールだけが、彼がこの世界に居たという痕跡を証明している。
一頻り墓石の汚れを取ると、
「……俺、また野球チームに入ったんや。甲子園、目指すで」
ここで眠る彼はもう、その外観を眺める事もできない。2人が目指した夢舞台・甲子園。拓かれた運命に、扇詩は静かに心を踊らせている。
【——頑張れよ、扇詩】
「……ああ、頑張るわ」
どこかから聞こえた言葉に頷き返して、扇詩はその場を後にした。
「扇詩くん」
「待たしてすまんな、美空」
「平気。それよりも、何だか嬉しそう」
「……そうやなぁ。漸く、約束を果たせる時が来たからな」
「甲子園! だね!」
「松尾は俺の中で生きとる。やからあいつとの夢を、俺が叶えるんや」
「だね! よぉし! 頑張ろう!」
「おう」
潰えた夢、違えた道、それでも失わなかった目標。求めた未来は近く、遠い。それでも彼はその夢を追い掛ける。
親友との「約束」が、ある限り——。
——第一章 完——