TS高円寺に異物が混入した結果 作:ろろろってぃ
一年Dクラスの教室。その重厚な扉の前に、一人の少女が佇んでいた。
「ここが、我が暇潰しに過ごす学舎というわけか……」
廊下の窓から差し込む春の陽光を受け、流れるような金髪が眩いばかりの煌めきを放つ。
その浮世離れした美貌と圧巻の存在感ゆえに、教室へと向かう生徒たちの視線は、吸い寄せられるように彼女一目へと集まっていた。――少女の名は、高円寺六花。
しかし、当の本人は周囲から寄せられる羨望や困惑の視線など、路傍の石ころと同等にしか扱っていない。
「フン……実にくだらん。我には見合わぬ、貧相な城よ」
これから三年間、己の時間を消費することになる学び舎。
その入口を一瞥し、六花は隠そうともしないあからさまな侮蔑の笑みを唇に浮かべた。
もっとも、彼女がこの学校を低く評価しているのは、単に安普請な外観や退屈な建築様式が気に入らないからではない。
ここへ至るまでの広大な敷地内。
六花の鋭敏な視界は、廊下の死角や天井の隅々に配置された無数の監視カメラを余さず捉えていた。
そして、この学校が声高に掲げる――『完全なる実力至上主義』という理念。
教職員たちが生徒たちへ向ける、品定めするような無機質な視線。
さらには、すれ違う上級生たちの頽廃した、あるいは尖りきった空気感。
それらすべての点と線を繋ぎ合わせれば、六花の明晰な頭脳には、疾くにこの学校の仕掛けた構造が描き出されていた。
(進路に関する絶対的な特権を得られるのは、おそらく最上位たるAクラスのみ。……逆に言えば、B、C、Dという敗者どもには、希望を抱く権利すら与えられんということか)
六花は、目の前に掲げられた『一年Dクラス』のプレートへ深紅の瞳を向けた。
(政府直轄の国立校と聞いて、多少は興を惹かれたのだがな……)
口元が、皮肉めいて僅かに吊り上がる。
(なるほど。凡夫にしては、よほど狡猾な仕組みを用意したものではないか)
甘い餌で釣られた生徒たちを序列によって競わせ、互いを蹴落とさせながら搾り取る。
そして、その過酷なレースの先にある『Aクラス』というたった一つのゴールにのみ、約束された未来を与える。実に単純明快、かつ悪趣味なシステムだ。
「しかし……実に滑稽な道化どもよな」
六花は、廊下を行き交う生徒たちの姿をゆっくりと見回した。
「まさか己らの浅はかな立ち振る舞いが、刻一刻と採点されておるとも知らずにな」
常に監視され、品定めされ、価値を付けられている。
その仕掛けられた檻の存在に、この中で一体どれだけの愚者が気づいているというのか。
もっとも、六花にとってそんな解答はどうでもよかった。
この学校が何を目的として生徒を集め、どのような基準で選別しているのか。
その全貌をわざわざ解き明かす気すら起きない。
なぜなら――
「所詮は、雑種どもが描く泡沫の未来よ。我が関知するところではない」
六花にとって、この学校での成績やクラスの序列など、その程度の価値しか持ち得なかったからだ。
そもそも彼女には、この学校を卒業したその先に、揺るぎなく約束された絶対の未来が存在する。
世界的巨大財閥――高円寺コンツェルン。
その正統なる後継者として、頂点に君臨する未来。
六花にとって、歩むべき道はそれ以外に存在しない。
否――存在させるつもりすらないのだ。
(Aクラス……か)
教室の扉へ、一瞬だけ侮蔑の視線を送る。
(我がわざわざ、そのような泥泥とした競い合いに身を投じる理由などどこにもない)
仮にAクラスに進むことで提示される特権がどれほど魅力的であろうと、それは高円寺六花という存在には不要な飾りに過ぎない。彼女の後ろには、既に世界を動かすほどの巨大な金と権力が控えているのだから。
この学校が用意する程度の『恩恵』など、彼女の価値を何一つ高めはしない。
それどころか――
(我が望む道を切り拓くのに、他者の許可や評価など金塊の前の塵芥に等しい)
六花は、絶対の自信に満ちた優雅な笑みを深めた。
「……ふふ」
一年Dクラスの教室前で足を止めたまま、彼女は胸の内で静かに、そして傲然と呟く。
「ならば、せいぜい楽しませてもらうとしようではないか」
氷のように澄んだ深紅の瞳が、愉悦に細められた。
「雑種どもが繰り広げる、浅はかで醜悪な道化芝居をな」
そう残し、高円寺六花は一歩、洗練された足取りで一年Dクラスの教室内へと踏み入れた。
◇
(まったくもって、浅薄かつ児戯に等しい策よな)
教室の中央に立ち、居並ぶ同級生たちを見渡しながら、六花は心の中で鼻を鳴らした。
(この学舎の長とやらは、一体どのような夢想に浸っておるのだ? この程度の罠で我を試そうなど……腹がよじれるほどの愚行!)
今月、各生徒の端末に一律で支給された十万ポイント。
そして、「来月以降も毎月同様に支給される」という説明。
一見すれば、国が保証する富裕な学校生活の象徴。
だが――それこそが、学校側が最初に用意した露骨な踏み絵であることは明白だった。
自制心を失って浪費に走る者、目先のポイントに固執して他者を蹴落とす者、あるいは危機感を覚えて蓄える者。
そうやって全額自由という甘い毒を与え、生徒の価値観や資質を観察し、実力を測ろうとしているのだ。
(これでも、こちらを試しているつもりなのだろうな)
しかし――
(試練と呼ぶのもおこがましい)
六花にとって、それは罠と呼ぶことすら躊躇われるほど稚拙で、あからさまな手口だった。
まるで、覚えたての言葉遊びで大人を出し抜こうと必死になっている幼子の知恵比べを見せられているかのようだ。
「……ふっ」
抑えきれない冷笑が、六花の桃色の唇から漏れ出る。
(己のちっぽけな知恵を誇る童の悪知恵……その域を出ぬ)
この程度の揺さぶりで、己の本質が見極められるとでも思っているのだろうか。
(至高の王たる我が真価など、凡夫どもの狭隘な尺度で推し量れる道理がなかろうて)
そもそも、他者の手によって評価されること自体、六花にとっては耐え難い不快であった。
己の価値を定義するのは、常に自分自身のみ。
他人が定めたちっぽけな基準など、知ったことではない。
ましてや、この程度の箱庭が用意した評価制度など――。
(我を測るには、器があまりにも小さすぎる)
そこまで思考を巡らせた瞬間、六花の脳裏に一人の女性の姿が掠めた。
(……そして何より滑稽だったのは――あの雑種よ)
この一年Dクラスを担任する女性教師、
入学初日。
彼女は教壇に立ち、冷淡な教師としての仮面を被って生徒たちを導こうとしていた。
だが、六花の眼をごまかすことなど不可能だった。
あの女が、単なる冷徹な教育者などではないということを。
(至高の我にものを教えると息巻いておった愚か者も、実に痛々しい道化であったな)
六花の瞳が、蔑みを含んで細められる。
(隠し通せているとでも思っていたのか?)
表面上はいかに淡々と振る舞おうとも、人間の内面に巣食う醜悪な本質まで覆い隠せるわけがない。
言葉の端々に滲む焦燥。
生徒に向ける僅かな視線の強張り。
抑えきれない執着の匂い。
そうした微細な綻びから、人間の醜悪な欲望など幾らでも透けて見える。
ましてや――
(その醜い身の奥底で、見苦しく燻り続けている過去への妄執……)
六花の双眸には、それがあまりにも鮮明に映し出されていた。
(我が眼をごまかせる道理がなかろうて)
教師という立場を利用し、このクラスを使って何を成し遂げようとしているのか。
あるいは、どんな過去の亡霊に縛られているのか。
六花にはそれを紐解く興味すらない。
興味があるのはただ一つ。
己の前に現れる人間たちが、これからどれほど滑稽で、哀れで、香ばしい道化劇を演じてくれるのか。
「……ふふ」
教室の喧噪の中、六花は誰の耳にも届かないほど小さく、美しく微笑んだ。
(さて……この退屈な箱庭で、どのような愚者どもが我が退屈を紛らわせ、愉しませてくれるのだろうな)
それこそが――
高円寺六花にとって、この学舎で過ごす三年間における、唯一の慰みであった。