TS転生したモブ令嬢ですが、断罪ダービーの予想が全部外れました 作:ごろうまるし
戸崎騎手はすごいですね。
私はルメールに裏切られました、最終直線では床に転がっていました。前が壁!
JC頑張ります。
断罪イベントは、ダービーだ。
前世の俺は本気でそう思っていた。
鈴木湊(すずき みなと)、二十歳、男性。大学三年で趣味は競馬。日曜は府中か中山に通い、平日は授業の合間に過去のレース映像を見て、競馬新聞に赤ペンで書き込みをしていた。
地方競馬は高知ファイナル以外は手を出さないだけの慎みがあった。
収支で言えば当たった額より外れた額のほうがはるかに多いが、それはそれで楽しかった。
そんな俺に乙女ゲームを教えたのは、姉だった。
三つ上の姉は社会人で、休日になると実家の居間を占領して『星冠のエトワール』をやり込んでいた。平民の少女が王立学院に入学し、王子や騎士や天才魔術師と恋をする。そして卒業記念の夜会で、ヒロインをいじめ抜いた悪役令嬢が、選ばれたイケメンに断罪される。
姉はその場面のたびに、ポテチを片手に「ざまぁ!」と叫んでいた。
横で競馬新聞を広げていた俺は、最初は呆れていた。だが、何周か見ているうちに気づいた。
誰が断罪役になるかで、台詞も演出も全部変わる。しかも、途中の選択次第で、攻略対象ごとの好感度が上下する。
「姉ちゃん、これダービーじゃん」
「は?」
「出走頭数四。本命が王子で、対抗が騎士。好感度が馬体重みたいなもんで、最後の直線で誰が抜けてくるか見る遊びだろ」
「乙女の夢を馬券みたいに言うな」
出走頭数が少ないのはさみしいが、海外競馬ならG1でも数頭立てということもままある。さて、姉には怒られたが、俺は本気だった。それから姉が新しい周回を始めるたびに、横から予想を出した。今回は王子の単勝。いや、この選択肢なら騎士の差し切りがある。眼鏡は逃げ切り型だから、序盤で好感度を稼げなかった時点で消し。
的中率は、本物の競馬より高かったが、払い戻しは無かった。即パットは何も言わない。
そして大学三年の冬、有馬記念からの帰り道で、俺は交通事故に遭って死んだ。年末のグランプリに夢をかけた馬券は、外れていた。
そして気がついたら、この世界で女の子として生まれていた。
ミナ・ベルクール。男爵家の三女。十六歳。
ゲームには名前すら出てこない。立ち絵もない。背景で笑っているだけの女学生その三。いわゆるモブである。
最初の数年は、さすがに混乱した。鏡を見るたびに知らない女の子が映っているし、スカートは足元がすうすうするし、母上には「ミナ、足を閉じなさい」と百回は言われた。
この世界に競馬がないと知ったときは、本気で泣いた。馬はいる。馬車も走っている。なのに、誰もそれを走らせて賭けようとしない。文化の損失である。
似たようなレース賭博はあるが、そもそもサラブレッドのような品種はおらず、愛した競馬ではないのでどうにも気が乗らなかった。
それでも十六年もたてば、人間は慣れる。
慣れた結果、俺は一つの結論にたどり着いた。
馬券がないなら、別のレースを買えばいい。
王立学院の卒業夜会。悪役令嬢を断罪するのは、四人の攻略対象のうち誰か。
しかも今回は、ゲームではない。現実だ。セーブもロードもない。ルートは一本、レースは一回きり。
現実しかり一発勝負の断罪ダービーである。
◇
春。王立学院に入学した日の夜、俺は寮の机にノートを広げた。
表紙に「断罪ダービー」と書き、一ページ目に出走表を作る。前世で毎週見ていた馬柱を思い出しながら、一頭ずつ情報を書き込んでいった。
一枠 クラウス・エル・セレスタ(第一王子)
家柄:王家 脚質:先行
悪役令嬢ヘレナの婚約者。断罪するなら最有力。台詞が一番かっこいい。
二枠 ブルーノ・ヴェルナー(騎士団長子息)
家柄:騎士団長家 脚質:差し
正義感が強い。ヒロインをかばって最後に前へ出てくる型。
三枠 シモン・ルフェーヴル(宰相子息)
家柄:宰相家 脚質:逃げ
証拠を並べて序盤から詰める。逃げ切れるかは好感度次第。
四枠 ニコ・オルテンシア(天才魔術師)
家柄:魔術師団 脚質:追込
年下。最後方から一気に来る大穴。
そして、印を打つ。
◎(本命) クラウス
〇(対抗) ブルーノ
▲(単穴) シモン
△(連下) ニコ
ゲームの人気どおりの、堅い予想だ。前世の俺なら「面白みがない」と鼻で笑う印だが、ビッグレースはまず人気を信じるのが鉄則である。
ヒロインは平民の特待生、エマ・ブルック。悪役令嬢は公爵令嬢、ヘレナ・グランフェルト。
役者はそろった。
問題は、予想には情報が要るということだった。
競馬で一番大事なのはパドックだと信じている。レース前に馬が周回する姿を見て、毛艶や歩様、首の位置やトモのハリ、騎手の騎乗時のイレ込み具合を確かめる。数字だけでは分からない調子の良し悪しが、そこに出る。
俺はモブだ。イケメンたちと接点がない。遠くからちらりと眺めているだけでは、パドックを見たことにならない。今回のダービーで重要なのは見た目ではなく、内面だからだ。
なら、近づくしかない。
◇
最初に近づいたのは、ブルーノだった。
理由は簡単で、食堂で一人だけ山盛りの肉を食っていたからだ。
「それ、全部食うの?」
気づいたら、口に出ていた。
しまった、と思った。令嬢の言葉遣いではない。ブルーノは肉を刺したフォークを止め、俺を見下ろした。でかい。座っていても見上げるくらいでかい。
「……食うが」
「マジか。午後、剣術だろ。腹いっぱいで動けんの?」
「食わないと動けない」
「まあ、分かる」
分かってしまった。前世の俺も、大一番の日はスタンドで牛丼を二杯食っていた。あの日の牛丼は結局一杯三万の高い買い物だった。
ブルーノは少し考えてから、皿を一枚こちらへ押した。
「食うか」
「食う」
その日から、俺は昼飯をブルーノと食うようになった。
ブルーノは無口だが、話してみると素直なやつだった。女学生に話しかけるとたいてい固まってしまうらしく、俺とだけは普通に喋れると言った。
「お前は、変なやつだな」
「それ、褒めてる?」
「褒めてる」
なら、いい。
パドック評としては、馬体は文句なし、気性はおとなしい、ただし人の多い場所でイレ込む癖あり、といったところだ。ヒロインとの接点はほぼゼロ。〇を☆にするか悩み中。
差し切りができる前提で、実馬ならエイシンフラッシュかオルフェーヴルあたりか。
シモンとは、図書館で仲良くなった。
彼が一人でチェス盤を広げていたので、向かいに座って勝手に駒を動かした。前世で父親に仕込まれていたから、それなりに指せる。
「……君、誰だ」
「ベルクール家のミナ。それ、ナイト逃げないと取られるぞ」
「知っている。わざとだ」
「嘘つけ。今気づいた顔だったろ」
シモンは眼鏡を押し上げ、しばらく黙ってから、もう一局と言った。
三局目で俺が勝つと、彼は本気で悔しがった。宰相子息の冷たい仮面がはがれて、ただの負けず嫌いの同い年になった瞬間だった。
以来、週に二回は図書館で指している。会話の大半は駒の話で、残りは試験の山を張る話だ。過去十年分の問題を並べて出題の傾向を割り出すシモンのやり方は、血統と出走データを読むのとよく似ていた。
「君は、どうしてそんなに予想が好きなんだ」
「当たると気持ちいいだろ」
「外れたら?」
「外れても、次がある(金は無くなるが……)」
シモンは、なぜかしばらく俺の顔を見ていた。
ヒロインの話は一度も出てこない。逃げ馬でテンが良く無いのは致命的だが、そもそも他馬が出走すらしていないため、▲は据え置き。
実馬では世界のパンサラッサを目指してほしいところ。
ニコは、向こうから寄ってきた。
俺が中庭のベンチで腕を組んで昼寝をしていたら、頭の上に魔法で作った蛙を乗せてきたのだ。蛙がなんだ、こちとら前世では居酒屋で何度か食べたこともあるぞ。
悲鳴を上げるかわりに、俺は蛙をつまんで、ニコの襟の中に入れ返した。
「ひゃあっ!?」
天才魔術師は、年相応の悲鳴を上げた。
それ以来、ニコは俺を見かけるたびに何か仕掛けてくる。俺も仕返しする。先週は彼の帽子を購買で何故か売っていた、馬の被り物のおもちゃにすり替えておいた。
「ミナ先輩って、ほんとに男爵家の娘なんですか?」
「書類上はな」
「書類上」
ニコは腹を抱えて笑っていた。
追込馬らしく、普段はやる気がなさそうに見えて、面白いことを見つけたときだけ急に伸びる。△は、楽しそうなので保留。
実馬では気質からもゴールドシップが近いか? 個人的にはドウデュースを目指してほしいところだ。
最後に話すようになったのが、先行本命、王道競馬っていうか王族のクラウス王子だった。
これは偶然だった。中庭の噴水の縁で、王子が一人でため息をついていたのだ。王子がため息をつく場所としては、あまりにも目立つ。
「殿下、そこ、みんな見てますよ」
「……分かっている」
「分かっててやってんなら、なおさら場所変えたほうがいいっす」
王子は目を丸くした。たぶん、生まれてから一度も「っす」と言われたことがないのだと思う。
それから、小さく笑った。
「君は、遠慮がないな」
「モブなんで」
「もぶ?」
「こっちの話です」
ふっ、おもしれー女、とは言われなかった。そういうタイプのキャラはいないみたいだ。
それから王子とは、ときどき噴水の縁で話すようになった。王子は真面目すぎて、自分で自分を追い込む癖があった。
「殿下、それ悩みすぎ。一回寝たほうがいいっすよ」
「寝たら解決するのか」
「しないけど、寝てないと解決できないと思う」
「……なるほど」
王子は妙に納得していた。
本命馬にしては、背負っているものが重すぎる。国一つ分の斤量だ。それでいて手綱を誰にも預けられず、一人で走ろうとしている。
あれは、そのうち掛かる。そして最終直線で粘れず、差し切られるのだ。前目有利の展開ながら先行馬が敗北する、前世で何度も見た負け方だった。
実馬ならここは世界のど本命、イクイノックスを目指してほしいところ。
◇
夏の終わりに、学院の剣術大会があった。
俺にとっては、本番前の前哨戦である。攻略対象のうち、ブルーノとシモンとニコが出場する。ここでの勝ち方を見れば、本番の夜会での調子もある程度読める。
俺は観客席の最前列で、手製の予想表を広げていた。
隣の席の令嬢が、気味悪そうにこちらを見ていた。
ニコは一回戦で、相手の剣を魔法で花束に変えて失格になった。
シモンは二回戦で、相手の癖を完全に読み切って完勝し、三回戦で読みすぎて逆に裏をかかれた。
そして、ブルーノは準決勝まで勝ち上がった。
相手は格下の三年生だった。誰が見ても、ブルーノの楽勝だった。
だが試合が始まると、観客席のご令嬢たちから黄色い声が上がった。ブルーノが剣を構えるたびに、悲鳴みたいな声援が飛ぶ。
それで、こいつは固まった。
完全に出遅れた。いつもなら絶対に食らわない突きを、まともに受けた。審判の旗が上がり、ブルーノは負けた。
観客席から聞こえてきたのは、ため息ばかりだった。
「騎士団長のご子息なのに」
「見かけ倒しね」
俺は予想表を丸めて、赤ペン(何故か購買で売っていた)を耳から外して購買へ走った。肉の串を二本買って、訓練場の裏に回る。
案の定、ブルーノは一人で木剣を振っていた。
「ほら」
串を突き出すと、ブルーノは振り向いて、少し驚いた顔をした。
「……見てたのか」
「当たり前だろ。お前の単勝、買ってたんだぞ」
「たんしょう?」
「応援してたってこと」
ブルーノは黙って串を受け取った。
俺は隣に座って、もう一本をかじった。
「三合目、右足に重心乗りすぎてた。観客席の声で掛かったんだよ。あれがなきゃ、あの突きは余裕でかわせてた」
「……そこまで見てたのか」
「パドックを見るのは得意なんだよ。次は勝てる。お前、普段の稽古だと三年生なんか相手にしてないじゃん」
ブルーノは肉をかじったまま、しばらく動かなかった。
それから、ぼそりと言った。
「みんな、俺を騎士団長の息子として見る。勝って当然で、負けたら見かけ倒しだ」
「ふーん」
「お前は、俺の試合を見てた」
「だから、見てたって」
ブルーノは、ほんの少しだけ笑った。
こいつが笑うのを見たのは、それが初めてだった。
悪くない顔だった。次は勝てる、と本気で思った。ブルーノ軸で紐をどうしたものか……
◇
入学して半年。俺の出走表は、困ったことになっていた。
誰も、ヒロインとの距離が縮まっていない。
ブルーノは俺と肉を食っている。シモンは俺とチェスを指している。ニコは俺に蛙を仕掛けている。王子は俺に悩みを話している。
……あれ?
エマはいい子だった。廊下ですれ違うと丁寧に頭を下げるし、成績も良い。ゲームのとおりなら、そろそろ誰かと恋が芽生えている頃のはずだ。
なのに、イケメンたちの視界に彼女はほとんど入っていない。
代わりに入っているのが、なぜか俺だった。
いや、そんなわけはない。俺はただの情報収集係だ。パドックで馬を見ている客が、馬に惚れられるわけがない。
たぶん。
俺は出走表の余白に「展開遅い。スローペース」と書き足した。
スローペースのレースは、最後の直線で一気に動く。前世で嫌というほど学んだことだ。
そして秋の終わり、レースは動いた。
噴水の縁で、王子がいつもより深刻な顔をしていた。
「ミナ。相談がある」
「どうしたんすか」
「……ヘレナが、エマ嬢を目の敵にしているかもしれない」
来た。
俺は心の中で、両手の拳を突き上げた。
キタコレ。
悪役令嬢がヒロインをいじめる。断罪への第一コーナーである。ここから嫌がらせがひどくなり、卒業の夜会で一気に爆発する。
そうか、ここからがダービーの始まりだったのか。
第1話 生涯収支マイナス20万の元男 了
続きは明日の12時00分に投稿予定