TS転生したモブ令嬢ですが、断罪ダービーの予想が全部外れました 作:ごろうまるし
競馬実況で一番好き。YouTubeで見てみよう!
「具体的には?」
俺は身を乗り出した。顔がにやけていないか、少し心配だった。
「廊下で、ヘレナがエマ嬢を厳しく叱っているのを見た者が何人もいる。それから先週、エマ嬢の帳面を取り上げて、破いたらしい」
「それはそれは」
「私は婚約者として、どうすればいいのか分からない。ヘレナは昔から言葉がきつい。だが、人を虐げるような女性ではないと思っていた」
王子の声は、本気で沈んでいた。
俺は少しだけ、胸が痛んだ。
断罪は見たい。だが、目の前のこいつが苦しんでいるのを見るのは、別に楽しくない。テンよし、なかよし、しまいよしが最高なんだ。
「分かりました。俺……わたしが、ちょっと探ってきます」
「君が?」
「女子同士のほうが、話しやすいこともあるんで」
嘘ではない。半分くらいは。
残りの半分は、裏取りだった。
競馬でいえば、厩舎の関係者から馬の調子を聞き出すようなものだ。本命の断罪が成立するかどうかは、悪役令嬢がちゃんと悪役をしているかにかかっている。
日本ではアフゴとかサラブレッド自身がSNSをやっていたが、こっちでは自分の脚で稼がないといけない。
◇
ヘレナ・グランフェルトは、東棟の温室にいることが多い。
これはゲームの知識だ。悪役令嬢は一人で薔薇の手入れをしながら、ヒロインへの嫌がらせを考えている、という設定だった。
温室の扉を開けると、たしかに彼女はいた。
銀の髪をきっちり結い上げ、背筋を伸ばし、鋏で薔薇の枝を切っている。噂どおりの冷たい美貌で、近寄りがたい空気をまとっていた。
「どなた」
振り返りもせずに言われた。声まで冷たい。
「ベルクール男爵家のミナです。少し、お話を」
「わたくしに?」
「はい。エマ・ブルックさんのことで」
鋏の音が止まった。
ヘレナがゆっくりと振り返る。鋭く怜悧な青い瞳が、まっすぐ俺を射抜いた。うお、ビジュがいい。エマが可愛いなら、こっちは美人だな。
よし。この気配は本物だ。パドックで言えば、気合い十分の仕上がり。
俺は心の中で、王子の◎の横に「鉄板、ど本命、単勝元返し」と書き込む準備をした。
「……殿下から、何か聞いたのね」
鋭い。さすが悪役令嬢。スペックが低いとできない役割だもんな。
「殿下は心配されてます。ヘレナ様がエマさんを目の敵にしてるんじゃないかって」
ヘレナの肩が、ぴくりと揺れた。
そして。
「……違うの」
消え入りそうな声だった。
「え? なんか印象がちがう」
「違うのよ。わたくしは、あの子を……守りたかっただけなの」
冷たい美貌が、みるみる崩れていく。眉が下がり、唇が震え、青い瞳に涙がにじんだ。
俺は固まった。悪役令嬢が、泣きそうになっている。
これは、ゲームになかった展開だ。
頭の中で、審議のランプが点いた。
◇
温室の隅のベンチに並んで座ると、ヘレナはぽつぽつと話し始めた。
エマは平民の特待生で、貴族の令嬢たちから陰で嫌がらせを受けていた。教科書を隠されたり、悪い噂を流されたり。
ヘレナはそれを知って、どうにかしたいと思った。
しかし、どうすればいいか分からなかった。
「わたくし、昔から人に優しくするのが下手なの。笑うと怖いと言われるし、褒めると嫌味だと思われるし」
「あー……」
分かる気がした。この顔とこの声で「素敵ね」と言われたら、たしかに裏というか京ことば味があると思う。お前より素敵なものがあるのか? と言いたくなる美貌だからだ。
「だから、叱ることにしたの」
「叱る?」
「わたくしが廊下でエマさんを叱れば、周りは『公爵令嬢がもう目をつけている』と思うでしょう。わたくしの獲物に、ほかの者は手を出さない。貴族の令嬢というのは、そういうものよ」
「……なるほど」
発想が完全に縄張り争いだった。だが、理屈は通っている。いや、言うほど通っているか? 貴族の世界ではありなのだろうか、いまだにここら辺の匙加減はよくわからない。
レースで言えば、自分が壁になって、後ろの馬を進路妨害から守っているようなものだ。斜行に見えて、実は進路を作っている。ラビットではないが、日本競馬ならアウトだぞ!
「帳面を破ったのは?」
「あれは」
ヘレナは頬を染めた。
「誰かが、あの子の帳面に、殿下宛ての恋文を書き込んでいたの。あの子の筆跡を真似て。見つかったら、あの子は退学よ」
「それで、取り上げてやぶった」
「ええ。そのページだけ。でも言えないでしょう。『あなたを陥れようとした者がいるから処分した』なんて。あの子を怖がらせるだけだもの」
ヘレナはうつむき、膝の上で指を組んだ。
「……でも、あれはあの子の親御さんからもらった帳面だったの。授業の書き込みが、たくさんあって、お母さんからのメッセージも」
俺は天井を見上げた。
温室のガラス越しに、秋の空が見える。
……これ、断罪、起きなくね?
裏取りに来たのに、出てきたのは無実の証拠だけだった。いや、無実どころではない。この人は、裏でヒロインを守っていた。
審議の結果は、明らかだった。
悪役令嬢、降着なし。むしろ、ほかの馬の進路妨害を一頭で防いでいた。
このままでは、断罪どころか何も起きない。王子は婚約者を疑ったまま、ヘレナは誤解されたまま、エマは自分が守られていたことも知らないまま卒業していく。
レースとしては、そのほうが荒れる。誤解が誤解を呼べば、本番で何かが起きるかもしれない。高知ファイナルが起きるかもしれない。
でも、それは、なんか嫌だった。
前世で、好きだった馬がいた。人気はないのに、毎回まじめに走って、毎回負けていた。引退するまで、とうとう一度も勝てなかった。俺は、そいつの最後のレースの帰り道の気分を、今でも覚えている。
まじめに走っているやつが報われないのは、見ていて気分が悪い。
「ヘレナ様」
「なにかしら」
「それ、全部本人たちに言いましょう」
「……え?」
「俺……わたしが、場を作るんで」
乗りかかった船である。
断罪ダービーは、いったん放牧中だ。
◇
三日後、俺は学院の小さな茶室を借りた。
集めたのは三人。クラウス王子、ヘレナ、エマ。
王子とヘレナは向かい合ったまま、一言も喋らなかった。エマは何が起きているのか分からず、紅茶のカップを持つ手が震えている。
空気が重い。
前世でいうと、単勝1.2倍の大本命が飛んだ直後の競馬場の空気だ。誰も口をきかず、外れ馬券を握りしめている。もしくは叫んで投げ捨てている。
「はい、じゃあ始めます」
俺は手を叩いた。三人がそろってこちらを見る。
「今日は誤解を解く会です。ヘレナ様が先に話してください。殿下は最後まで口を挟まないこと。エマさんは、聞いて思ったことを正直に言ってください」
「ミナ嬢、君は何の権限で」
「殿下、黙って」
「……はい」
王子は素直に黙った。噴水の縁で鍛えた関係である。
ヘレナは何度か口を開きかけて、閉じた。指先がドレスの布を握りしめている。
「温室で話したとおりでいいですよ」
俺が小声で言うと、ヘレナは頷き、エマのほうを向いた。
「……エマさん。わたくし、あなたにずっと謝りたかったの」
そこからは、温室で聞いたのと同じ話だった。嫌がらせのこと。叱ったふりの理由。破いた帳面のこと。
最後に、ヘレナは擦り切れた帳面をテーブルに置いた。
話が進むにつれて、エマの目が大きく見開かれていった。王子は途中から、膝の上で拳を握りしめていた。
ヘレナが話し終えると、茶室はしんと静まり返った。
最初に動いたのは、エマだった。
彼女は帳面を胸に抱えて立ち上がり、ヘレナの前に膝をついた。
「ヘレナ様」
「ご、ごめんなさい。怖かったでしょう、わたくし――」
「わたし、ヘレナ様に叱られるの、好きでした」
「……え?」
「入学してから、誰もわたしをまっすぐ見てくれなかったんです。陰口はたくさん聞こえるのに、面と向かって話しかけてくれる人はいなくて。でもヘレナ様だけは、毎日わたしの目を見て、ちゃんと叱ってくれた。姿勢が悪いとか、ナイフの持ち方が違うとか」
エマは笑った。泣きながら笑っていた。
「怖かったけど、うれしかったです。見ていてくれる人がいるんだって」
ヘレナの目から、ついに涙がこぼれた。
俺は紅茶を一口飲んで、窓の外を見た。こういうとき、半分野次馬な元大学生はどこを見ていればいいのか分からない。脳内でアオシマバクシンオー実況の根岸ステークス最終直線を思い出しておく。必見。
横を見ると、王子も泣いていた。
お前もか。
「ヘレナ」
王子が、かすれた声で言った。
「すまなかった。私は、君を疑った」
「殿下……」
「君が昔から不器用なのは知っていた。知っていたのに、噂のほうを信じた。婚約者失格だ」
「そんなことは」
「ありますね。殿下はちょっと反省してください」
俺が口を挟むと、王子は「はい」と言った。ヘレナが泣きながら小さく噴き出した。
その笑い方は、ちっとも怖くなかった。審議の結果が、確定した。
悪役令嬢は、悪役ではなかった。
第2話 パドックの見方がよくわからん 了
最終話は明日の12時00分に投稿予定
パドックの見方がよくわからんのはマジ、誰が教えて
ずんこの解説聞いても???としかならない