拝啓、クソガキのママになりました。~百年以上も働いたブラック企業に退職金を踏み倒されたので、拾った生意気な娘と組んで取り戻すことにした~ 作:パッタリ
歓楽街の明かりが届かない、湿った空気が満ちる地下街への階段を下りていく。
ここから先は、警備局もほとんどが目を瞑る無認可エリア。
通称は闇市。一応、正式な名称はあるが誰も呼ばない。シティと同じだ。
地上にあるのが合法な店なら、地下にあるここは違法な店ばかり。
その境目は、大企業からの認可があるかどうかでしかない。得やすさは、賄賂の金額次第。
「ここ?」
「ええ。私が昔から使っていた闇ブローカーの店よ。店主のガズは強欲だけど、腕はいいし口も堅い」
重い扉を押し開けると、まともに換気されてないのかタバコの煙が漂っていて視界が悪い。
カウンターの奥には、片目を義眼に変えた小太りの男が座っている。
「……こりゃ驚いた。オルグラムの死神さんじゃないか。後ろの可愛らしいお嬢ちゃんはなんだい?」
「拾った娘よ」
「子どもが入り用なら、拾うより買うのがおすすめだぞ。紹介してやろうか?」
「それよりもガズ、この口座の中身を全部現金にしてちょうだい。通信履歴はダミーに混ぜて完全に消すこと」
私はカウンターに口座の認証チップを置いた。
ガズはチップを端末に差し込み、画面を流し見てからニヤリと下卑た笑みを浮かべる。
「へえ、退職したって噂は本当だったんだな。おまけに、今は古巣から追われる身ときた」
「耳が早いわね」
「そうでないとやっていけんさ。で、手数料なんだが……六割もらおうか」
私の眉がわずかに跳ねる。
「普段は一割でしょう。足元を見すぎよ」
「なんとでも言いな。今のあんたは後ろ盾のないただの逃亡者だ。嫌なら表のATMで引き出して、会社の追手に場所を教えてやるんだな」
ガズが背もたれに体を預け、タバコの煙を吐き出す。
さて、どの指からへし折って交渉し直そうか。
私がホルスターへ手を伸ばしかけた、その時。
「ぷっ、あははははっ!」
横から、実に人を小馬鹿にした高い笑い声が響いた。
イリスが口元を両手で押さえながら、肩を震わせて笑っている。
「……なんだ、このガキは。頭でもおかしいのか?」
「違うよ、おじさんの頭があんまりにもおめでたいから笑っちゃっただけ」
イリスはカウンターにぴょんと飛び乗ると、足をぶらぶらさせながら、見下すような視線でガズを覗き込んだ。
「ねえおじさん、安全な場所から一方的にカモをいたぶってるつもり? ざーんねん、おじさんの首、もう半分くらい飛んでるよ?」
「ああん? ガキが何を生意気な──」
「ええと……ダミー会社ガズ・トレーディング。そこを経由し、オルグラム社・第三監査室のマルコス室長に毎月大量の裏金を渡して違法行為を見逃してもらってる、よね?」
ガズの顔から笑みが消えた。
効いてるのを確認したイリスは、さらに意地の悪い、ねっとりとした笑みを浮かべつつ人差し指を自分の頬に当てる。
「でもおじさん、マルコス室長への上納金をごまかすために、数年分の裏帳簿を改ざんして毎月五万ずつピンハネしてるでしょ? その浮いたお金で、オルグラムに潜んでるヴァルヘイムのスパイから情報買ってるよねぇ?」
「なっ……!? て、てめえ、なぜそれを……!」
「なんでだろーねー? あ、今ここでマルコス室長の個人端末に『ガズが裏切ってヴァルヘイムにお金を流してますよー』ってチクったら、おじさんどうなっちゃうのかなぁ?」
イリスはクスクスと笑いながら、小さな指先でカウンターをトントンと叩いた。
「ねえママ、オルグラムの監査室って、お金でやらかした者にどういうお仕置きするんだっけ?」
「あら、決まってるじゃない」
私はホルスターから手を離し、わざとらしく顎に手を当てて思案するポーズをとった。
娘がここまで見事なお芝居を始めたのだ。合わせてあげるのが母親というものだろう。
「まずは指の爪を全部剥がす。次に神経を焼く薬を、爪があったところに塗って自白させる。見学したことあるけど、すごい声が出るわよ? ああ、可哀想に。ガズったら明日の朝には、その辺の排水溝にバラバラの肉片になって浮くことになるわね」
「うわぁ、こわーい! おじさん、太ってるから排水溝に詰まっちゃうよ! 迷惑だなぁ、死ぬならもっと痩せてからにしてよね!」
「まったくだわ」
私が深々とため息をつくと、イリスは「ねー」と小首をかしげて悪魔のように微笑む。
ガズは血の気の引いた顔に大量の脂汗を流しながら震えていた。
耳が早いからこそ、自らの末路を容易に想像できてしまうのだろう。
「ま、待て……待ってくれ。悪かった、今の話はナシだ」
「もう気が変わったの? 手数料六割なんでしょう?」
「て、手数料はゼロでいい! いや、むしろ長年のよしみだ、退職祝いとして二割ほど色をつけさせてもらう!」
「あら、ずいぶん太っ腹じゃない」
「うん。おじさん、最初からそうやって尻尾振ってればよかったのにね。ほら、早く現金を出してよ。わたしの気が変わっちゃう前にさぁ!」
ガズは震える手で金庫を開け、分厚い札束をいくつも掴み出すと、カウンターの上に積み上げた。
私はそれを受け取り、コートの内ポケットへしまい込む。
「ありがと。あと、ここに来たことをオルグラムに売ったら、さっきのチクるから」
「わ、わかってる! 絶対誰にも言わねえ!」
イリスはカウンターから飛び降りると、ガズに向かって軽く舌を出した。
「バイバーイ、ブタおじさん! せいぜい長生きしてね!」
店を出ると、イリスは得意げに鼻を鳴らし、胸を張って私の顔を見上げてきた。
「どう? 頭脳労働はわたしがやってあげたの。感謝してよね」
「はいはい、お見事。それにしてもあなた、ずいぶん性格が悪いわね」
「ママほどじゃないよ」
「どういう意味よ、それは」
憎まれ口を叩きつつ、私たちは闇市のさらに奥へと進んだ。
増えた現金で、まずは武器などを取り扱ってている店へ立ち寄る。
予備の弾薬、小型の通信妨害機、軍用ナイフ、そしてイリスの首筋にある生体ポートからデータを引き出すための、非正規の神経接続端末を買い揃えた。
「よし、最低限の装備はこんなところね。……あと、こっちへ来なさい」
「え、なに?」
さっきの店の隣にある、雑多な衣類が積まれた古着屋のテントへとイリスを引っ張っていく。
イリスが今着ているのは薄汚れた白いワンピースのような服で、人混みでは悪目立ちする。
私は棚から少し大きめの落ち着いた色のパーカーを選び出し、店主に金を払った。
「ほら、これも着なさい。今の格好は目立つわ」
「……なにこれ。ママっぽいことするじゃん」
「勘違いしないの。それに、服代はあとでしっかり引くからね」
「ぶーぶー、子どもの服代くらい気前よく出してよ」
文句を言いながらも、イリスはテントの奥で素直に着替えた。
出てきたイリスは、少し長いパーカーの袖口をパタパタと揺らし、まんざらでもなさそうに自分の姿を見下ろしている。
フードを被せると、生意気な金髪が隠れて、どこにでもいるスラムの悪ガキに見えた。
「悪くないわね」
「……まあ、ママのセンスにしては合格点かな」
少しだけ頬を緩めたイリスを連れ、私は闇市の外れにある現金払いの安宿へと入った。
カビ臭い一室の鍵を閉め、窓際に通信妨害機をセットする。
ようやく訪れた安全圏で、私は買ってきたばかりの神経接続端末を起動し、そのケーブルをイリスに差し出した。
「さて、見せてちょうだい。あなたの頭の中にある、私の退職金のありかを」
「びっくりして腰抜かさないでよ?」
イリスが首筋のポートにケーブルを繋ぐ。
端末の画面が立ち上がり、文字や数字の羅列のあと、次々とファイルが流れ始めた。
オルグラム社のダミー企業一覧、議員への賄賂リスト、非合法な実験施設の予算、そして──無数の秘密口座。
これらを整理するだけで、一つの仕事になりそうだ。
「……本当に入ってるのね」
「言ったでしょ。でも、本社のメインの裏口座はセキュリティが固すぎて、この安物端末じゃアクセスできないよ。無理に繋いだら逆探知される」
「でしょうね。本丸を抜くには、それなりの機材と、物理的に社内回線へ潜り込むための準備がいるわ」
私は画面をスクロールさせ、ある一つのデータの上で指を止めた。
「なら、まずは軍資金と機材を調達するために、手頃なところからいただきましょうか」
「どれにするの?」
「ここよ」
私が指差した画面には、【第三総務部・特別調整費保管所】という文字が浮かんでいた。
シティの中央区から離れた裏通りにある、表向きは廃棄物処理業者のビル。だがその実態は、特殊部隊の作戦費用や、死んだ兵士の遺族への口止め料、そして本来なら私たち現場の人間に支払われるはずだった危険手当などをプールしている、中規模の裏金庫だ。
管理責任者の欄には、見覚えのある名前がある。
私の退職金をゼロだと通告した担当役員だ。
「セキュリティは中程度。警備は外部委託した子会社の傭兵がメイン。オルグラムとしか取引してないところね。このビルに眠っている現金と暗号資産を奪えば、当面の資金には困らないわ」
「へぇ……私怨が入ってない?」
「人聞きの悪いことを言わないで。正当な対価の回収よ」
私が拳銃の弾倉を抜き、買ってきたばかりの銃弾を一発ずつ込め始めると、イリスはベッドの上で足を組んで楽しそうに笑う。
「いいよ、手伝ってあげる。ママが暴れてる間に、わたしが金庫のロックを全部開けてあげるから。物理も電子も、解除は結構得意なんだよ」
「頼もしいわね、クソガキ」
「もっと褒めてもいいよ、ママ」
まずは手始めに、私の退職金の前払い分を古巣の金庫から直接引き出すとしよう。
慣れた手つきで弾倉を戻し、スライドを引いた。