護廷十三隊において、四番隊は特殊な立場にある。
他の隊が現世での虚の討伐や瀞霊廷の警備、あるいは隠密活動などを主な任務としているのに対し、四番隊が担うのは傷病者の治療と救護、そして隊舎の清掃をはじめとする雑務である。直接戦闘を主任務としないため、他隊の一部の隊士から軽く見られることもあるが、実際には護廷十三隊の活動を根底から支える重要な部隊だった。
戦場で傷ついた死神を治療し、再び戦える状態にまで回復させる。言葉にすれば簡単だが、霊体の構造を正確に把握し、回道によって損傷した組織を修復するには、膨大な知識と繊細な霊圧制御が必要となる。
そして現在、俺はその四番隊の治療室で一冊の分厚い医学書と格闘していた。
「……なるほど。霊体の構造って、現世の人体と似ているようで微妙に違うんだな」
机の上には、霊体解剖学、霊絡の構造、霊圧循環に関する専門書が積み重なっている。どれも真央霊術院で学んだ内容より遥かに高度で、読み進めるだけでも相応の集中力を必要とした。
俺が四番隊で研修を始めてから、既に一週間が経過している。
発端は、十三番隊隊長である浮竹十四郎の病状改善だった。俺の斬魄刀『真人』が持つ魂への干渉能力によって、長年病に苦しんでいた浮竹隊長の肺を修復した。その報告が四番隊へ伝わり、隊長である卯ノ花烈から直接研修への誘いを受けたのである。
勿論、俺としても願ってもない話だった。
無為転変は魂の形状を作り変えることで肉体に変化を与える能力だが、だからといって何も考えずに使えるわけではない。例えば、腕を失った死神の魂を元の形へ戻すだけなら比較的単純だ。しかし、内臓疾患や複雑な霊絡の損傷となれば話は別である。
魂のどの部分が肉体のどの組織に対応しているのか。その構造を理解しなければ、治療のつもりで別の機能を損なう可能性すらあった。
「神々廻三席、お茶をお持ちしました」
顔を上げると、湯呑みを載せた盆を持った女性が立っていた。
四番隊副隊長の虎徹勇音さんだ。
この人は俺が研修を始めてから何かと世話を焼いてくれている。申し訳なさと感謝の気持ちで一杯だ。
「ありがとうございます、虎徹副隊長。すみません、お茶淹れて貰って」
「いえ、お気になさらないでください。それにしても……随分と熱心ですね」
「まあ、覚えておいて損はありませんから。俺の斬魄刀にも直接関係しますし」
「それでも、通常の隊務を終えた後に毎日ここまで勉強されるなんて、なかなか出来ることではありませんよ」
感心したように言われ、俺は苦笑する。
「別にそんな立派な理由じゃありませんよ。いざという時に力不足で助けられませんでした、なんて後悔したくないだけですから」
「……そう、ですか」
勇音は一瞬目を丸くした後、柔らかく微笑んだ。
「神々廻三席は優しい方なんですね」
「そうですかね?自分ではそうは思ってませんが」
「そんな事ないですよ。少なくとも、私はそう思います」
真っ直ぐに言われると、何となく照れくさい。俺はそう思いながら湯呑みへ手を伸ばした。
「そういえば、虎徹副隊長。午後から実際の治療に立ち会わせて貰えると聞いたんですが」
「あ、はい。卯ノ花隊長から許可をいただいています。ただし、最初は見学が中心になると思います」
「勿論です。勝手なことをするつもりはありませんよ」
「ありがとうございます。では、時間になりましたら私がお呼びしますね」
そう言って一礼した勇音が部屋を出ていく。その背中を見送りながら、俺は再び医学書へ視線を戻した。
『いやぁ、いいね〜』
頭の中に、聞き慣れた声が響く。
『あの副隊長さん、君のこと結構気に入ってるんじゃない?』
(……真人。お前、また勝手に覗いてたの?)
『勝手も何も、俺は君の斬魄刀なんだからさ。見えるものは見えちゃうんだよね』
(だったら黙って)
『あははっ!照れてる照れてる!』
(……後で覚えてろ)
『おっ、怖い怖い♩』
楽しそうな笑い声が遠ざかる。
まったく、俺の斬魄刀はどうしてこうも人を揶揄うのが好きなのだろうか。
もっとも、こいつにはこいつなりの考えがあることも理解している。普段こそ軽薄な言動が目立つが、魂に関する知識と感覚は俺より遥かに優れているのだ。
その力を十分に引き出すためにも、今は学ぶしかない。
◇◆◇
午後の治療室には、現世での虚討伐任務中に負傷した隊士たちが運び込まれていた。
幸い、命に関わる重傷者はいなかったものの、骨折や裂傷、霊絡の損傷など、怪我の程度は様々だった。
「神々廻三席。まずは此方をご覧ください」
虎徹副隊長が示した寝台には、左腕を負傷した男性隊士が横たわっていた。腕には深い裂傷があり、内部の筋肉まで損傷している。
「回道による治療では、まず損傷部分の霊子の状態を把握し、霊圧を適切に流し込むことで修復を促します。ただし、術者の技量や患者の状態によって、必要な時間は大きく変わります」
虎徹副隊長は説明しながら両手を患部へ翳した。淡い緑色の光が生まれ、裂傷が少しずつ塞がっていく。
俺はその様子を注意深く観察していた。無為転変とは根本的に異なる治療法だ。回道は損傷した肉体の回復を促す技術であるのに対し、無為転変は魂の形を変えることで肉体そのものを再構築する。
どちらにも長所と短所がある。回道は対象の本来の構造を保ちながら修復できるが、損傷の程度によっては時間が掛かる。一方、無為転変は一瞬で欠損を補うことも可能だが、魂の構造を誤認すれば危険を伴う。
「……なるほど」
俺が感心していると、勇音が治療を終えた。
「いかがでしたか?」
「勉強になります。特に霊圧の流し方が参考になりました」
「それは良かったです」
「ただ、一つ気になることがありまして」
「何でしょう?」
「回道と無為転変を組み合わせたら、もっと安全に治療が出来るんじゃないかと思うんですよ」
勇音が目を見開いた。
「組み合わせる……ですか?」
「はい。例えば、無為転変で魂の損傷部分を本来の形に戻してから、回道で霊体の状態を安定させる。あるいは逆に、回道で患部を整えてから無為転変を使う。そうすれば、互いの弱点を補えるかもしれません」
「それは……」
勇音は顎に手を当て、真剣に考え始めた。
「確かに可能かもしれません。ただ、魂そのものへの干渉となると、私たちには分からないことが多すぎます」
「ですよね。だから、まずは簡単な症例から検証していきたいと思っています」
「でしたら、卯ノ花隊長に相談してみましょう」
「そうですね」
「その必要はありませんよ」
その時、穏やかな声が背後から響いた。振り返ると、そこには四番隊隊長、卯ノ花烈が立っていた。
「卯ノ花隊長!」
虎徹副隊長が慌てて姿勢を正す。俺も直ぐに一礼した。
「お疲れ様です、卯ノ花隊長」
「ええ。お疲れ様です、神々廻三席」
卯ノ花隊長は柔らかな笑みを浮かべながら、俺たちの前へ歩み寄ってきた。
「今のお話、聞かせていただきました。なかなか興味深い考えですね」
「ありがとうございます。ただ、まだ思いつきの段階ですが」
「新しい技術というものは、そうした小さな発想から生まれるものです」
そう言って微笑んだ彼女は、寝台に横たわる隊士へ視線を向けた。
「ですが、治療において最も大切なのは患者の安全です。十分な検証を行わず、実際の患者に試すことは認められません」
「はい。その点は理解しています」
「よろしい」
卯ノ花隊長は満足そうに頷いた。
「では、神々廻三席。明日からは私が直接、貴方の指導を行いましょう」
「……え?」
思わず間の抜けた声が出た。虎徹副隊長も驚いたように目を見開いている。
「た、隊長が直接ですか?」
「ええ。彼の能力を正しく理解するには、私自身が見ておく必要がありますから」
卯ノ花隊長は穏やかに微笑む。
「それに……少々、興味もありますので」
その瞬間。何故か背筋に冷たいものが走った。
笑顔は優しい。声も穏やかだ。
しかし、その奥に潜む何かが俺の本能へ警鐘を鳴らしていた。
『あははっ!』
真人が頭の中で笑う。
『隼飛、気づいた?この人、すっごく面白いよ』
(……何がだ?)
『魂の奥の方がさぁ、全然穏やかじゃないんだよね』
(そうだろうな)
俺は内心で頷いた。この人の正体を、俺は知っている。
卯ノ花烈。
四番隊の隊長を長い間勤めている人だが、かつて尸魂界に名を轟かせた大罪人にして、初代十一番隊隊長。
そして、初代剣八『卯ノ花八千流』。
目の前で微笑む女性は、護廷十三隊の歴史においても屈指の剣士なのだ。
「神々廻三席?」
「あ、はい」
「どうかなさいましたか?」
「いえ、何でもありません」
「そうですか」
卯ノ花隊長は少しだけ目を細めた。
「では、明日の早朝。四番隊の鍛錬場へいらしてください」
「……鍛錬場、ですか?」
「ええ。貴方の能力を詳しく知るには、実際に使っていただくのが一番でしょう?」
穏やかな笑顔。だが、俺には分かる。これは単なる治療研修では終わらない。
「……承知しました」
しかし、断る事が出来ない俺はそう答えるしかなかった。
(…………俺、明日が命日になるかもしれないな)
『ハハッ!頑張れ♩』
内心黄昏る俺に真人が笑って応援する。お前も頑張るだよ。
◇◆◇
翌朝。
指定された鍛錬場へ向かうと、既に卯ノ花隊長が待っていた。普段と変わらない四番隊隊長の羽織を纏い、腰には斬魄刀を差している。
「おはようございます、神々廻三席」
「おはようございます、卯ノ花隊長」
「昨夜はよく眠れましたか?」
「ええ。お陰様で」
「それは何よりです」
卯ノ花隊長は微笑むと、腰の斬魄刀へ手を添えた。
「では、始めましょうか」
「…………一応、確認してもいいですか?」
「何でしょう?」
「今日は治療技術の研修ですよね?」
「ええ、勿論です」
卯ノ花隊長は何でもないことのように答えた。
「ですが、貴方の斬魄刀の能力は戦闘にも応用出来るのでしょう?でしたら、実際の戦闘に近い状況で、どの程度正確に扱えるのか確認する必要があります」
なるほど。理屈は通っている。
通っているのだが…………。
「……つまり、手合わせですか?」
「そう考えていただいて構いません」
卯ノ花隊長は静かに斬魄刀を抜いた。その瞬間、空気が変わった。いや、正確には俺の感覚が変わったのだ。
先ほどまで目の前にいたのは、穏やかで慈愛に満ちた四番隊隊長だった。しかし、刀を構えた彼女からは、言葉に出来ない程の圧迫感が漂っていた。
霊圧を露骨に放出しているわけではない。殺気を向けているわけでもない。それでも、全身の神経が警戒を訴えている。
『……へぇ』
真人の声から、いつもの軽薄さが消えた。
『これは、ちょっと凄いね』
(ちょっとじゃ済まないけどな………)
俺は深く息を吐き、斬魄刀を抜いた。
「弄れ、『真人』」
始解を発動し、刀身につぎはぎ模様が浮かび上がる。
同時に無為転変を自分自身へ発動し、筋肉、骨格、神経系に相当する霊体構造を最適化した。身体能力を大幅に引き上げる。
だが、それでも足りないだろう。何せ、相手はあの初代剣八なのだから。
「準備はよろしいですか?」
「はい。いつでも」
「では――」
卯ノ花隊長の姿が消えた。
「っ!」
反射的に刀を横へ構える。直後、凄まじい衝撃が腕を襲った。金属音が響き、俺の身体が数メートル後方へ滑る。
速い。いや、速いだけではない。無駄がないのだ。踏み込み、重心移動、刀の軌道。その全てが洗練されている。
「良い反応です」
卯ノ花隊長は静かに告げた。
「ですが、少々力に頼りすぎていますね」
「……ご指摘、ありがとうございます!」
俺は地面を蹴った。強化した脚力によって一瞬で間合いを詰め、右上段から斬り下ろす。
しかし、卯ノ花隊長は最小限の動きで刀を逸らした。続けて横薙ぎするが、これも防がれる。
さらに踏み込み、突きを放つ。だが、その切っ先が届くより早く、彼女の刀が俺の首筋へ迫っていた。
「……っ!」
首を傾けて回避するが、僅かに切先が掠めて頬に一筋の血が伝った。
危なかった。今の一撃、少しでも反応が遅れていれば首を斬られていた。
「能力による身体能力の強化は見事です。しかし、強化した肉体を十分に扱い切れていませんね」
卯ノ花隊長は淡々と指摘する。
「筋力が増せば、その分だけ動きも大きくなります。力に頼れば頼るほど、技の粗さが目立つようになるものです」
「……なるほど」
「貴方には優れた才能があります。ですが、それを活かすには相応の技量が必要です」
俺は思わず笑った。
「……耳が痛いですね」
「ふふ。理解が早いのは良いことですよ」
再び刀が交わる。
今度は無理に力で押さず、相手の動きを観察することに集中した。
卯ノ花隊長の剣は、恐ろしいほど静かだった。派手な技は使わない。大きく踏み込むこともない。
しかし、一太刀ごとに俺の急所を正確に捉えてくる。
俺が防御すれば、その防御の隙間へ刃が滑り込む。回避すれば、移動先へ次の斬撃が置かれている。
まるで、此方の動きを最初から知っているかのようだった。
「……っ、はぁ!」
俺は一歩退き、刀を地面へ向けた。その瞬間、左腕の形状を変化させる。筋肉と骨格を再構築し、瞬間的な爆発力に特化させた。
そして、再び踏み込む。
先ほどまでとは異なる速度。斬撃が卯ノ花隊長の肩口へ迫る。
「……!」
しかし。彼女は身体を僅かに捻り、刀を受け流した。次の瞬間、俺の胸元へ掌が添えられると、衝撃が身体の芯にまで打ち込まれた。
「ぐっ……!」
強烈な白打による一撃だった。身体が後方へ弾き飛ばされ、地面を転がる。何とか受け身を取ったものの、肺から空気が押し出され、呼吸が一瞬止まった。
「……はっ、はぁ……」
「ここまでにしましょう。神々廻三席」
卯ノ花隊長が刀を収める。俺も斬魄刀を下ろし、大きく息を吐いた。
「…………ありがとうございました」
「こちらこそ。大変参考になりました」
卯ノ花隊長は近づいてくると、俺の頬にできた傷へ視線を向けた。
「傷を治しましょう」
「ああ、それなら」
俺は真人の刀身へ指を触れさせた。
「無為転変」
魂の形状を修復する。頬の裂傷が瞬く間に消え、胸部の損傷も元通りになった。
その光景を見た卯ノ花隊長の目が、僅かに細められる。
「……なるほど」
その声音には、純粋な興味が滲んでいた。
「傷を治すというより、傷を負う前の状態へ戻しているのですね」
「ええ。厳密には少し違いますが、結果としては近いと思います」
「非常に興味深い能力です」
卯ノ花隊長は俺の胸元へ視線を向けた。
「ですが、一つ覚えておいてください」
「はい?」
「貴方は傷を治せるからこそ、これから傷を負うことへの警戒が薄くなる可能性があります」
俺は黙って耳を傾けた。
「どれほど優れた治療能力を持っていても、命を落としてからでは遅いのですよ」
「………はい」
「強くなることと、無謀になることは違います。そのことを忘れないでくださいね」
その言葉は、妙に胸へ響いた。
卯ノ花烈。かつて剣に生き、戦いの中で無数の命を奪ってきた女性。
そんな彼女が、今は俺への指導の為に刀を振るってくれた。
俺は改めて頭を下げた。
「ありがとうございます。肝に銘じます」
「ふふ。よろしい」
卯ノ花隊長は穏やかに微笑んだ。
「それでは、明日も同じ時間にいらしてください」
「…………え?明日もですか?」
「ええ。まだ確認したいことが沢山ありますので」
その笑顔を見た瞬間、俺は悟った。どうやら、とんでもない師匠を得てしまったらしい。
◇◆◇
夕方。
八番隊隊舎へ戻ると、執務室では伊勢七緒が書類の整理をしていた。
「お帰りなさい、神々廻三席」
「ただいま戻りました、伊勢副隊長」
「四番隊での研修はいかがでしたか?」
「……………まあ、色々と勉強になってますよ」
「そうですか。それは何よりです」
七緒は眼鏡を押し上げた。
「ですが、随分とお疲れのよう見せますね」
「今日は早朝から卯ノ花隊長に稽古をつけてもらいまして」
その瞬間、七緒の手が止まった。
「………卯ノ花隊長に?」
「はい。斬術の指南を受けることになりました」
「直接、ですか?」
「ええ。直接です」
七緒はしばらく沈黙した後、同情の視線と共に静かに息を吐いた。
「……よくご無事でしたね」
「副隊長もそう思います?」
「少なくとも、私なら遠慮したいところです」
俺たちは顔を見合わせた。
その時、奥の部屋から京楽隊長が姿を現した。
「おや、お帰り。隼飛君」
「戻りました、隊長」
「卯ノ花隊長との稽古はどうだった?」
「……知ってたんですか?」
「まあねぇ。昨日、卯ノ花隊長から話を聞いてね」
京楽隊長は愉快そうに笑った。
「いやぁ、君も大変だねぇ」
「知ってたなら教えてくださいよ……」
「ははは。でも、良い経験になったんじゃない?」
「それは間違いありませんけど」
俺が苦笑すると、京楽隊長は少しだけ真剣な表情になった。
「隼飛君。君は強くなりたいんだろう?」
「はい」
「だったら、あの人から学べることは多いと思うよ」
その言葉に、俺は頷いた。
「……そうですね」
「ただし、無理はしないこと。君はまだ若いんだから」
「分かっています」
京楽隊長は満足そうに笑うと、懐から一通の封書を取り出した。
「さて、それとは別に君に少し頼みたいことがあるんだ」
「何でしょう?」
「実はねぇ。ある人の病について、相談を受けていてね」
封書には、朽木家の家紋が刻まれていたことに俺は思わず目を見開く。
朽木家。尸魂界四大貴族の一つ。六番隊の隊長、朽木白哉が現当主を務めている家系でもある。
そして、その家に病を患っている人物と言えば………。
「……朽木緋真さん、ですか?」
俺が口にした名前に、京楽隊長が僅かに眉を上げた。
「おや。知っているのかい?」
「はい。噂程度には」
俺は封書を見つめた。
朽木緋真。朽木白哉の妻であり、朽木ルキアの実姉。
原作では病によって若くして命を落とし、その死が白哉の心に深い影を落とすことになる女性だ。
だが、彼女はまだ生きている。つまり、まだ間に合う可能性はある。
「隊長」
「何だい?」
「その依頼、俺に任せて貰えませんか?」
京楽隊長は俺の顔をじっと見つめると、ゆっくりと微笑む。
「そう言うと思っていたよ。向こうには僕から言っておくよ」
「お願いします」
俺は封書を受け取った。そこには、朽木家当主・朽木白哉からの正式な面会依頼が記されていた。
俺の能力が、また一つの運命を変えようとしている。
◇◆◇
その夜。
自室へ戻った俺は、布団の上に腰を下ろし、目を閉じた。
意識が沈んでいく。次に目を開いた時、そこは見慣れた精神世界だった。青白い空が広がり、無数の縫合痕が刻まれた巨大な建造物が立ち並ぶ、奇妙な空間。
その中心で、青髪の青年が退屈そうに寝転がっていた。
「やあ、隼飛!」
真人が笑顔で手を振る。
「今日は随分と楽しそうだったね!」
「……お前にはそう見えたのか?」
「だって、あんな強い人と戦えたんだよ?最高じゃない?」
「俺は何度か『死ぬんじゃね?』と思ったけどな」
「あははっ!でも、生きてるじゃん!」
真人は身体を起こし、俺の前へ歩いてきた。
「それにさ、君も気づいたでしょ?」
「……何に?」
「魂の形って、思ってるよりずっと自由なんだよ」
真人は自分の腕を持ち上げた。すると、その腕が瞬く間に巨大な刃へ変形する。
「君は今まで、元の形に戻すことばかり考えてた。でもさ、別に元通りじゃなくてもいいんじゃない?」
「……どういう意味だ?」
「例えば、筋肉を強くする。骨を硬くする。それだけじゃなくて、身体そのものを戦闘に適した形へ変えることだってできる」
真人の腕が元へ戻る。
「もっと自由に考えなよ。魂って、君が思ってるよりずっと面白いんだから」
俺は腕を組んだ。確かに、今までの俺は無為転変を治療と身体強化に重点を置いて使っていた。
だが、本来の能力は魂の形状を自在に変えること。
ならば、その応用範囲はもっと広いはずだ。
「……なるほどな」
「おっ、やる気になった?」
「ああ。ただし、無茶な改造はしないぞ」
「えー、つまんないの」
「俺はお前と違って、実際に身体を使う側なんだよ」
「はいはい」
真人は肩を竦めた。そして、不意に真剣な表情になる。
「でもさ、隼飛」
「何だ?」
「君の卍解、まだ完成してないよね」
「………ああ」
俺は黙って頷いた。
真人の卍解『自閉円頓裹』。
真人の能力を極限まで解放し、自身の霊圧によって形成した領域内の魂へ直接干渉する力。
始解とは異なり、刀身による接触を必要としない。
ただし、現在の俺には、その力を完全に制御するだけの技量が不足していた。
「……まだ先だな」
「そうだねぇ。でも、そろそろ本気で考えた方がいいと思うよ」
「どうして?」
真人は笑った。
いつもの軽薄な笑みではない。どこか意味深な表情だった。
「だってさ――」
その瞳が、真っ直ぐに俺を捉える。
「君が変えようとしてる未来って、そんなに優しいものじゃないでしょ?」
俺は言葉を失った。脳裏に浮かぶのは、これから起こる数々の悲劇。
朽木緋真の病死。
十三番隊の志波海燕と都夫妻の死。
藍染惣右介の裏切り。
そして、尸魂界を襲う数々の戦い。
俺が知っている未来は、決して平穏なものではない。
「……分かってるさ」
静かに答える。
「だから、強くなるんだ」
真人は満足そうに笑った。
「良いね。君のそういうところ、俺は結構好きだよ」
「そりゃどうも」
「じゃあ、明日も頑張ろうか!」
「……お前、他人事だと思って楽しんでるだろ」
「あははっ! バレた?」
俺は呆れたように溜息を吐いた。まったく、困った相棒だ。
だが、頼りになることも確かだった。
◇◆◇
翌日。
朽木家の屋敷では、一人の男が妻の寝顔を見つめていた。
朽木白哉。六番隊隊長にして、朽木家の当主。
常に冷静沈着で、感情を表に出すことの少ない男だったが、その表情には僅かな疲労が滲んでいた。
寝台に横たわる女性は、静かな寝息を立てている。
朽木緋真。
白哉が身分の違いを越えて妻に迎えた、かけがえのない存在。しかし、その身体は長年の病によって弱り続けていた。
「……緋真」
白哉は静かに名を呼んだ。
すると、緋真がゆっくりと目を開く。
「……白哉様」
「起こしてしまったか」
「いいえ……」
緋真は弱々しく微笑んだ。
「お仕事は、よろしいのですか?」
「案ずるな。既に済ませてある」
「……そうですか」
白哉は妻の手を取った。細く、冷たい手だった。
その温もりが、少しずつ失われていく。
白哉は、その現実を誰よりも理解していた。四番隊の治療でも改善しない病。どれほど優れた医師を招いても、緋真の身体は衰弱する一方だった。
だが昨日、八番隊から一つの報告が届いた。
十三番隊隊長、浮竹十四郎の病状を改善させた死神がいる。
魂そのものに干渉する、特殊な斬魄刀を持つ男。
八番隊三席、神々廻隼飛。
白哉は、その名を心の中で繰り返した。
まだ会ったこともない男だ。斬魄刀の能力の詳細も分からない。
しかし、もし本当に妻を救えるのなら。そう思いながら、白哉は静かに目を閉じたまま決心する。
「緋真」
「はい……?」
「近いうちに、客人が来る」
「お客様……ですか?」
「ああ」
白哉は妻の手を握り直した。
「そなたの病を診てもらう」
緋真は驚いたように目を見開いた。
「ですが……もう、何人ものお医者様に……」
「分かっている」
白哉は静かに答える。
「だが、まだ諦めるには早い」
その声には、揺るぎない決意が宿っていた。
そして、同じ頃。
八番隊隊舎を出た神々廻隼飛は、朽木家の屋敷へ向かっていた。
腰には、魂を弄る斬魄刀『真人』。懐には、京楽春水から託された紹介状。
彼はまだ知らない。
この日を境に、朽木白哉の運命が大きく変わり始めることを。
そして、救われた一つの命が、やがて尸魂界全体の未来へ影響を及ぼしていくことを。
初代剣八に稽古付けて貰えて良かったね、隼飛君。
羨ましくは無いけどな!!
いつかマジの剣八モードに入った卯ノ花隊長と剣を交えるのかな?
隼飛君、死ぬんじゃないの?