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瀞霊廷の北東に位置する朽木家の屋敷は、尸魂界四大貴族の筆頭に相応しい威容を誇っていた。
高い塀に囲まれた広大な敷地には、丹念に手入れされた庭園と幾棟もの建物が立ち並び、門から屋敷の奥へ続く石畳には塵一つ落ちていない。護廷十三隊の隊舎とは明らかに異なる格式と静けさが漂っており、初めて訪れる者ならば、その雰囲気に気圧されても不思議ではないだろう。
もっとも、俺が気にしていたのは、屋敷の豪華さではない。
「……さて、どうなることやら」
門前で小さく呟き、懐に収めた紹介状の存在を確かめる。
本日の目的は、朽木家当主にして護廷十三隊六番隊隊長、朽木白哉との面会。そして、彼の妻である朽木緋真の治療だった。
前世で知っていた『BLEACH』の物語において、朽木緋真は病によって命を落としている。
流魂街出身でありながら四大貴族の当主に嫁いだ彼女は、病床に伏せるようになってからも、かつて捨ててしまった妹を探し続けていた。そして最期には、妹を見つけて守ってほしいという願いを夫へ託し、この世を去る。
その妹こそ、後に十三番隊へ入隊する朽木ルキアだ。
つまり、現在の緋真が生きているということは、少なくとも彼女の死に関しては、まだ原作の運命を変えられる余地が残されているということになる。
ただし、未来を知っているからといって、何もかもが思い通りに進むとは限らない。
浮竹隊長の病を治療した時もそうだったが、魂というものは想像以上に複雑だ。特に、長年の病によって衰弱した者の場合、単に肉体を修復すれば済むとは限らない。
『あははっ、また難しい顔してる』
頭の中に、真人の声が響いた。
(真人。お前、少しは静かにできないのか?)
『えー? せっかく面白そうなことが始まるのに?』
(人の病気を面白がるなよ)
『違う違う。俺が面白いと思ってるのは、君がどうやって治すかってこと。魂の形を弄るのって、やっぱり楽しいじゃん』
(俺は楽しいかどうかより、ちゃんと治せるかが重要なんだけどな)
『そこが君と俺の違いだよね』
真人軽薄な笑い声が遠ざかる。俺は小さく溜息を吐くと、門番へ名乗りを上げた。
「護廷十三隊八番隊第三席、神々廻隼飛です。朽木隊長との面会のお約束で参りました」
門番は既に話を聞いていたらしく、丁寧に頭を下げると屋敷の中へ案内してくれた。
◇◆◇
通された客間には、一人の男が待っていた。
整った顔立ちに、冷ややかな印象を与える眼差し。長い黒髪には朽木家当主の証である牽星箝が飾られ、首元には高価な銀白風花紗が巻かれている。
朽木白哉。
六番隊隊長にして、朽木家の現当主。
その姿を認めた俺は、姿勢を正して一礼した。
「八番隊第三席、神々廻隼飛です。本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「……朽木白哉だ。話は京楽より聞いている」
朽木隊長は簡潔に答え、俺へ着席を促した。促されるまま腰を下ろすと、彼はすぐに本題へ入った。
「浮竹の病を改善させたというのは、事実か」
「はい。長年損傷していた肺の組織を修復しました。ただし、特殊な事情もあるため、現在も経過観察を続けています」
「……そうか」
朽木隊長は僅かに目を伏せた。
「ならば、次に兄の斬魄刀について聞きたい」
「承知しました」
俺は真人の能力について、必要な範囲で説明した。
始解の名は『真人』。
解号は『弄れ』。
能力は、斬魄刀に触れた対象の魂へ干渉し、その形状を変化させること。
魂の構造を正確に把握できれば、欠損した手足や損傷した臓器を修復することも可能であり、実際に四番隊で治療技術を学びながら応用方法を研究している。
朽木隊長は一度も口を挟まず、最後まで説明を聞いていた。
「……魂そのものを変える、か」
「はい。ただし、誰にでも無条件で使えるわけではありません。対象の霊圧や魂の状態によって、干渉の難易度は変わります」
「その力で緋真の病も治せるのか?」
真っ直ぐな問いに俺は曖昧な希望を口にすることを避け、慎重に答える。
「まずは自分に奥方の診察をさせてください。その上で、治療方法を判断したいと思います」
「……分かった」
白哉は静かに立ち上がった。
「ついて来い」
その背中を追いながら、俺は思った。
原作での朽木白哉は、掟と誇りを重んじ、感情を表に出すことを極端に嫌う人物だった。
しかし、今の彼からは明らかな焦燥が感じられる。それほどまでに、妻の病状が深刻なのだろう。
◇◆◇
朽木隊長に案内された緋真の寝室は、屋敷の奥まった場所にあった。
障子越しに柔らかな陽光が差し込み、室内には微かな薬草の香りが漂っている。調度品は上品ながら華美ではなく、病人が静かに過ごせるよう細やかな配慮がなされていた。
その中央に敷かれた寝具の上で、一人の女性が横たわっていた。
朽木緋真。
長い黒髪と穏やかな顔立ちを持つ、美しい女性だった。
その容貌は、俺が前世で知っていた朽木ルキアによく似ている。しかし、現在の彼女は酷く衰弱しており、頬には血の気がなく呼吸も浅かった。
「……白哉様?」
緋真がゆっくりと目を開いた。
「起こしてしまったか」
「いいえ……そちらの方は……?」
「八番隊の神々廻隼飛三席だ。お前の病を診てもらうために招いた」
俺は寝具の傍へ進み、膝をついた。
「初めまして、朽木緋真様。八番隊第三席の神々廻隼飛と申します」
「……初めまして。わざわざ、お越しいただいて……」
「どうか、そのままで。無理に起き上がらないでください」
身体を起こそうとする緋真を制すると、彼女は申し訳なさそうに微笑んだ。
「……すみません」
「お気になさらず。今日は診察に来たんですから」
そう答えてから、俺は白哉へ視線を向けた。
「朽木隊長。診察のため、始解を使わせていただきます」
「……ああ」
「緋真様。俺の斬魄刀には、魂の状態を調べる能力があります。刀身を身体に触れさせる必要がありますが、よろしいでしょうか?」
「……はい。お願いいたします」
緋真が小さく頷く。
俺は斬魄刀を抜き、静かに解号を唱えた。
「弄れ、『真人』」
刀身に、黒い縫合痕のような模様が浮かび上がる。その変化を見た白哉の眼差しが鋭くなったが、何も言わずに見守っていた。
俺は刃を立てないよう刀身の平を緋真の肩へ触れさせ、意識を集中させる。
次の瞬間。彼女の魂の構造が、感覚として流れ込んできた。
「……これは」
思わず眉を寄せる程、緋真さんの症状は予想以上に深刻だった。
魂の輪郭が著しく弱まり、霊体を維持するための構造が各所で崩れかけている。特定の臓器だけが病んでいるのではなく、長年の衰弱によって魂と肉体の双方に損傷が広がっていた。
普通の回道では、ここまで傷んだ霊体を完全に修復するのは難しいだろう。
『うわぁ……結構ひどいねぇ』
彼女の魂を視た真人が声を上げる。
『でも、魂そのものが消えかけてるわけじゃない。形が崩れてるだけだね』
(ああ)
『なら、簡単じゃん。元の形に戻せばいいんだよ』
(言うのは簡単だな)
『実際、君なら出来ると思うけど?浮竹って人も直してるし、四番隊で勉強して来たでしょ?』
俺は緋真さんの魂を更に詳しく調べた。確かに、真人の言う通りだった。
彼女の魂は衰弱しているものの、その根本的な構造までは失われていない。長年の病によって歪んだ部分を正確に修復し、魂と霊体の結びつきを正常化できれば、完治させられる可能性は十分にある。
しかも、今回は浮竹隊長の時のような異質な存在が結びついているわけではない。純粋に、病によって損傷した魂を修復すればいい。
俺はゆっくりと目を開いた。
「……朽木隊長」
「何だ」
「治せます」
その瞬間、室内の空気が止まった。
白哉が僅かに目を見開く。
「……何?」
「緋真様の病です。俺の斬魄刀なら完治させられます」
白哉は言葉を失った。
緋真も驚いたように俺を見つめている。
「……本当、ですか?」
消え入りそうな声に、俺は微笑んで答える。
「はい。少なくとも、今確認できた病変については、全て修復出来ます」
白哉が一歩近づく。
「……確かなのか」
「ええ。ただし、治療中は魂の構造へ直接干渉します。慎重に進めますが、身体に違和感を覚えたらすぐに教えてください」
「……分かった」
白哉は短く答えた。
その声音には、普段の彼からは想像できないほど強い感情が滲んでいた。
◇◆◇
「では、始めます」
俺は斬魄刀を緋真の肩へ触れさせたまま、霊圧を流し込んだ。
「無為転変」
瞬間、魂の輪郭が鮮明になる。無数の霊子によって構成された魂の形状を、一つずつ把握していく。
損傷した部分。
歪んだ部分。
霊圧の循環を妨げている部分。
それら全てを正確に認識し、本来あるべき形へと組み替えていく。
緋真の身体が、淡い光に包まれた。
「……あ……」
彼女が小さく声を漏らす。
「緋真!」
白哉が思わず身を乗り出した。
「大丈夫です。今の所、治療は順調です」
俺は集中を切らさずに答えた。
魂の修復が進むにつれ、緋真の霊体にも変化が現れ始める。痩せ細っていた腕に健康的な張りが戻り、青白かった頬へ血色が差していく。弱々しかった呼吸は徐々に深くなり、乱れていた霊圧の循環も正常化していった。
『いいねぇ、その調子!』
真人の声が響く。
『ほら、そこ。魂の繋がりが少し歪んでるよ』
(分かってる)
『あははっ、頼もしいねぇ』
普段は人を揶揄うことばかり考えている相棒だが、こういう時には頼りになる。
俺は真人の助言を元に、霊圧を慎重に調整しながら最後に残った損傷部分へ干渉した
「……よし」
そして、漸く最後の歪みが消えた。
魂の形状が完全に整えた事で霊体との結びつきが安定し、長年にわたって緋真を苦しめていた病変は、全て消失していた。
俺は斬魄刀を緋真さんから離し、ゆっくりと息を吐いた。
「終わりました」
朽木隊長が緋真さんへ視線を向ける。
「……緋真」
彼女は呆然と自分の手を見つめていた。先ほどまで細く震えていた指先が、今はしっかりと動いている。
緋真さんは恐る恐る身体を起こした。
「……あれ?」
上半身を起こす。何の苦痛もない。
続いて、深く息を吸い込む。
胸の痛みも、息苦しさも感じなかった。
「……苦しく、ありません」
緋真さんの瞳が揺れる。
「身体が……軽い……」
彼女の様子を見て、俺は問う。
「試しに立ってみますか?」
「……はい」
朽木隊長がすぐに手を差し伸べ、緋真さんはその手を取ってゆっくりと寝具から立ち上がる。
一歩。そして、もう一歩。
長い間、まともに歩くことすら難しかった身体が、何の問題もなく動いていた。
「……白哉様」
緋真さんが朽木隊長を見上げる。
「私……歩けます……」
「……ああ」
「胸も、苦しくありません……」
「……そうか」
白哉は静かに答えた。しかし、その手は緋真の手を強く握り締めていた。
緋真さんの目から涙が零れる。
「……夢では、ないのですね」
「ええ。夢じゃありませんよ」
俺がそう答えると、彼女は両手で口元を覆った。
「……ありがとうございます……本当に……」
涙が次々と頬を伝う。朽木隊長は何も言わず、妻の肩を抱き寄せた。
その姿を見て、俺は静かに息を吐いた。
本当に、良かった。
前世で知っていた未来では、彼女はこのまま病によって命を落とすはずだった。
しかし、今は違う。緋真さんは生きている。
それも、病に苦しむことのない健康な身体を取り戻した。
俺は改めて彼女の魂の状態を確認した。
損傷はない。霊圧の循環も正常。病の原因となっていた歪みも、完全に消失している。
「朽木隊長。確認しました。緋真様の病は完治しています」
朽木隊長が顔を上げた。
「……完治、か」
「はい。今後、通常の健康診断は必要でしょうが、今回の病については治療を続ける必要はありません」
しばらくの沈黙。
やがて、朽木隊長は緋真から静かに手を離し、俺へ向き直った。
「神々廻隼飛」
「はい」
「……礼を言う」
そう言って朽木隊長は深々と頭を下げた。
あの誇り高い朽木白哉が頭を下げて礼を言った事に俺は驚いて目を見開く。
「朽木隊長!?」
「兄は、私の妻を救った」
低く、しかしはっきりとした声だった。
「この恩は忘れぬ」
四大貴族筆頭、朽木家の当主。そして護廷十三隊の隊長格。
その男が、一介の第三席である俺へ頭を下げている。
俺は慌てて首を振った。
「頭を上げてください。俺は自分に出来ることをしただけですから」
「……それでもだ」
朽木隊長は顔を上げた。その眼差しには、これまでとは異なる温かさが宿っていた。
「兄が居なければ、緋真は……」
言葉が途切れる。しかし、その先を聞く必要はなかった。
「だったら、これから緋真様と過ごす時間を大切にしてください。それが一番です」
朽木隊長は暫く俺を見つめた後、静かに頷いた。
「……ああ」
◇◆◇
治療を終えてから暫く、俺は朽木家の客間で休息を取ることになった。
緋真さんの病を完治させるために相応の霊圧を消費したものの、まだ余力は十分にある。とはいえ、白哉から強く勧められたため、好意に甘えることにした。
目の前には、上品な和菓子と温かい茶が用意されている。和菓子は季節の花を模っており、職人の芸の細かさが目に見えて分かる。それに一緒に出されたお茶も上等な茶葉で淹れられたものだった。
「…………美味しそうだ」
「お口に合えばよろしいのですが……」
声の方を見ると、緋真さんが立っていた。
先ほどまで病床に伏せていたとは思えないほど、顔色が良くなっている。
「緋真様。もう動いて大丈夫なんですか?」
「はい。お陰様で、身体がとても軽いんです」
「長い間、寝てばかりおりましたから……こうして歩けることが、夢のようで」
「そうですか。それは良かった」
俺は和菓子を一つ口へ運んだ。上品な甘さが口内に広がる。
「………とても美味しいです」
思わず頬が緩んだ俺に緋真さんが小さく笑う。
「ふふ……お気に召したようで何よりです」
「ええ。甘味は好物でして。よく流魂街の団子屋に行く程です」
何を隠そう、俺は甘いもので酒が飲める程の甘党である。他に好物はブリ大根と鮭の塩焼きと言った魚料理で、たまに京楽隊長と一緒に七輪で魚の干物を炙っては晩酌をしていた。
「そうでしたか」
緋真さんは嬉しそうに頷いた。そして、少し躊躇うように視線を落とした。
「あの……神々廻様」
「はい」
「一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「勿論です」
緋真さんは膝の上で両手を重ねた。
「……私の様に、長く病を患っていた者でもこうして元気になれるのですね」
「ええ。今回の様に魂の構造が残っていれば、修復出来る可能性はあります」
「……そう、ですか」
彼女は静かに俯いた。その表情に、何かを思い詰めているような影が差す。彼女の様子が気になった俺は訊く。
「緋真様。何か気になることでも?」
「……いえ」
緋真さんは首を振ったが、少ししてから意を決したように口を開いた。
「……私は、昔……取り返しのつかないことをしてしまったんです」
俺は黙って耳を傾けた。
「流魂街で暮らしていた頃……まだ幼い妹を、置き去りにしてしまいました」
その声は後悔の声色で震える。
「生きることに必死で……妹を抱えたままでは、どうしても……」
緋真さんは唇を噛んだ。
「私は……姉失格です」
俺は静かに息を吐いた。緋真さんがルキアを捨ててしまったことを、ずっと悔やみ続けているのを知っている。
そして、その罪悪感が、彼女の心を深く蝕んでいることも。
「……緋真様」
「はい……」
「後悔されているのだったら、探しに行きましょう」
俺の言葉に緋真さんが顔を上げた。
「……え?」
「妹さんです。まだ見つかっていないんでしょう?」
「……はい」
「なら、これから探せばいいじゃないですか」
俺は当たり前のことのように答えた。
「過去に貴女がやった事は消えない。でも、これからどうするかは選べます」
「……ですが……」
「勿論、妹さんがどう思っているかは分かりません。怒っているかもしれないし、許してくれないかもしれない」
俺は少しだけ間を開ける。
「………でも、会わなければ謝ることも出来ませんよ」
緋真さんは目を見開き、そしてゆっくりと俯く。
「……そう、ですね」
ぽつりと呟く。
「私は……ずっと、怖かったのかもしれません」
その目から、再び涙が零れた。
「妹に会って……あの子に拒絶されるのが……」
「それでも、会いたいんでしょう?」
「……はい」
緋真さんは力強く頷いた。
「会いたいです……あの子に……ルキアに」
俺は微笑んだ。
「だったら、探しましょう。俺も出来る範囲で協力しますよ」
「……本当ですか?」
「ええ。人探しなら、八番隊にも多少の伝手がありますから」
緋真さんは深々と頭を下げた。
「……ありがとうございます」
俺は少し照れくさくなり、頬を掻いた。
「まだ見つけたわけじゃありませんから。お礼はその時にお願いします」
すると、緋真は涙を拭いながら微笑んだ。
「……はい」
◇◆◇
夕刻。
朽木家の門前では、朽木隊長と緋真さんの二人が揃って俺を見送ってくれた。
「本日は本当にありがとうございました、神々廻様」
「いえ。緋真様も、暫くは無理せず過ごしてください」
「はい」
緋真さんは穏やかに微笑んだ。その隣で、朽木隊長が静かに口を開く。
「神々廻三席」
「はい」
「緋真から話は聞いた」
俺は何となく察した。
「妹さんの件ですか?」
「……ああ」
朽木隊長は頷いた。
「これまでも密かに捜索を続けていたが、未だ手掛かりは掴めておらぬ」
「そうでしたか」
「兄が協力を申し出たと聞いた」
「ええ。出来ることは限られますけど」
朽木隊長は暫く沈黙した後、静かに言った。
「……重ねて、礼を言う」
「いえ。まだ何もしてませんよ」
俺が苦笑すると、緋真さんが小さく笑った。その笑顔を見て、朽木隊長の表情も僅かに和らぐ。
ほんの一瞬だったが、確かに彼は微笑んでいた。俺はその光景を見て、胸の奥が温かくなるのを感じた。
これで、朽木緋真の死という未来は変わった。
だが、それだけでは終わらない。彼女が生きている以上、ルキアとの再会も、原作とは違った形になる可能性がある。
そして、朽木白哉もまた、妻を失った男ではなく、妻と共に生きる男として未来を歩んでいくことになる。
その変化が、どのような影響をもたらすのか。
今はまだ、誰にも分からない。
◇◆◇
八番隊隊舎へ戻った頃には、既に日が暮れ始めていた。
執務室へ顔を出すと、伊勢七緒が書類を整理している。
「ただいま戻りました、伊勢副隊長」
「お帰りなさい、神々廻三席。朽木家での治療はいかがでしたか?」
「無事に終わりました。緋真さんの病は完治しました」
七緒の手が止まった。
「……完治、ですか?」
「はい。魂の損傷部分を全て修復できました」
「……それは、素晴らしいことですね」
七緒は心から感心したように言った。
「四番隊でも治療が難しいとされていた病を、ここまで短時間で……」
「俺一人の力でなく、これまで四番隊で学んだ知識も役立ちましたから」
「それでも、貴方の能力があってこそでしょう」
七緒は眼鏡を押し上げる。
「ただし、今後は同様の依頼が増える可能性があります。通常の隊務に支障が出ないよう、調整が必要ですね」
「……まあ、ですよね」
俺は思わず天井を仰いだ。
人助けはしたい。だが、仕事が増えるのは困る。何しろ、俺は早く仕事を終わらせて鍛錬や散歩を楽しみたいのだ。
その時、奥の部屋から京楽隊長が姿を現した。
「おや、お帰り。隼飛君」
「ただいま戻りました、隊長」
「うん。それで、どうだった?」
「緋真さんの病は完治しました」
京楽隊長が目を細めた。
「……そうかい」
そして、穏やかに微笑んだ。
「それは良かった。本当に良かったねぇ」
「はい」
「朽木隊長も、さぞ喜んだだろう」
「ええ。………正直、少し驚きましたけど」
「へぇ?何で」
「朽木隊長が、俺に頭を下げてお礼を言ったので」
京楽隊長は一瞬目を丸くした後、愉快そうに笑った。
「ははは!そりゃあ珍しいものを見たねぇ!」
「俺も思わず目を見開きました」
「でも、あの朽木隊長だって人の子さ。大切な奥さんを救ってもらったんだ。嬉しくないわけがないよ」
その言葉に、俺は頷いた。
京楽隊長は徳利を取り出しかけたが、その瞬間、七緒の視線が鋭くなる。
「隊長」
「……はい?」
「まだ本日の決裁書類が残っています」
「いやぁ、七緒ちゃん。今日はめでたい日なんだから少しくらいいいでしょ?」
「仕事を終えてからにして下さい」
「……はい」
あっさり引き下がる京楽隊長。俺は笑いを堪えながら、自分の机へ向かった。
「さて、俺も残りを片付けます」
書類を手に取り、筆を走らせる。今日も一日、色々なことがあった。
だが、悪い一日ではなかった。寧ろ、これまでで最も充実した日の一つだったかもしれない。
◇◆◇
その夜。
朽木家の屋敷では、白哉と緋真が静かな夕食を共にしていた。
長い間、緋真は病のために食事を十分に取ることが出来ず、白哉と同じ席で食卓を囲むことすら難しい日が続いていた。
しかし、今夜は違う。
緋真は自分の手で箸を持ち、温かな料理を口へ運んでいる。
「……美味しいです」
「……そうか」
小さく呟く緋真に、白哉はその姿を静かに見つめていた。
「白哉様」
「何だ」
「私……これからは、もっと色々なことをしてみたいです」
白哉は僅かに目を見開いた。
「やりたい事があるのか?」
「はい。お庭を歩いたり、お買い物に出かけたり……それから……」
緋真は少し躊躇った後、微笑んだ。
「いつか、妹にも会いに行きたいです」
白哉は静かに箸を置いた。
「……緋真」
「はい」
「お前の妹は、必ず探し出す」
緋真の瞳が揺れる。
「……白哉様」
「今まで以上に捜索を進めよう。お前が直接会えるよう、手配する」
「…………ありがとう、ございます」
緋真は微笑みながら涙を零し、白哉は静かに頷いた。
そして、白哉は心の中で一人の死神の名を思い浮かべる。
神々廻隼飛。
彼が現れなければ、今夜のような穏やかな時間は訪れなかったかもしれない。
その恩を、白哉は生涯忘れないだろう。
ルキアの姉で原作では既に故人の朽木緋真救済回でした。
改めて真人の能力はヒーラー適正が高過ぎますね。