ジョニィ・ジョースター、テラを往く 作:マイルドハイブリッド
第9話です。艦の中で「うまの人」を探して回っている女の子がいるそうです。
新顔のことを訊いて回っている、小さなエリートの子がいるらしい。
その噂をジョニィの耳に入れたのは、貨物区画の馬房で水桶を運んでいたバニラだった。テラに来て十八日目の朝で、仕切りの内側にはもうブラシの音と、桶の水音が響いていた。
「食堂で聞いたんです。エリートオペレーターの、まだ小さな女の子が、『うまの人はどこ?』っていろんな人に訊いていたって」
「馬の人」
「た、たぶん、ジョニィさんのことだと思います……」
スロー・ダンサーの首の向こうから、ジェシカがおずおずと顔を出した。今日も、小さなブラシを両手で握りしめている。
「エリートの方って、すごく強い人たちなんです。わ、わたしなんて、近くを通るだけで緊張しちゃって……」
「ジェシカ先輩も、十分強いですよ」
真顔で言い切ったバニラに、ジェシカは真っ赤になってぶんぶんと首を振った。
「そ、そんなことないよ、バニラちゃん。わたしなんて、まだまだ……」
背の高い後輩に励まされるほど、小柄な先輩はますます縮こまっていく。二人のやり取りを横目に、ジョニィはバニラから受け取った水桶を馬の前へ置いた。
「その子、何の用なんだ」
「それが、分からないんです。でも、怖い感じではなかったって」
「エリートっていうのは、エースみたいな連中のことか」
バニラの代わりに、ジェシカが小さく頷いた。
「は、はい。Aceさんもエリートオペレーターです。ほかにも何人かいらっしゃるそうですけど、わ、わたしも全員は知らなくて……」
「小さな子が、エースと同じくらい強いのか」
「強さは、見た目では分からないものですから。……私も、よく背の高さで驚かれますし」
照れくさそうに笑うバニラの横で、ジェシカがこくこくと頷いている。
「確かに。最初は、きみの方が先輩だと思ってた」
「ええっ」
声を上げたのはバニラで、ジェシカの方はますます縮こまった。テラでは見た目で人を量ると痛い目を見るらしい。
艦の中で、自分を探している誰かがいる。物騒にも聞こえる話だが、相手が小さな女の子では、身構えようがなかった。
昼の食堂で、ジョニィは粥をすくいながら、何度か広間を見回した。
それらしい子供の姿はどこにも見当たらなかった。見つかったのは、隣の卓でこちらを指さして囁き合う整備班の二人くらいのものだった。四日前の幽霊騒ぎは、まだ艦のどこかでくすぶっているらしい。
結局、腹だけを満たして馬房へ戻った。ブラシ当番の二人はもう持ち場へ帰っていて、貨物区画には機関の唸りと、梱包材を蹄で掻く音しか残っていない。ジョニィは自分のブラシを取り、たてがみの付け根から背へ当てた。
三度目に毛並みを撫で下ろしたところで、背中に視線を感じた。
振り返ると、荷箱の仕切りの端に、猫の耳の女の子が立っていた。
細い尾。背はジェシカよりさらに低く、胸の前で小さな端末を両手に抱えている。大きな目がじっとこちらへ向けられていた。
いや、正確には、ジョニィを見てはいない。その目が捉えているのは、ジョニィの頭の上、背後の何もない宙だった。
「……誰だ」
「ロスモンティス」
短く名乗って、少女は一歩だけ仕切りの内側へ入ってきた。
「あなたが、うまの人?」
「ジョニィだ。うまの人で、合ってる」
「そっか。よかった」
ロスモンティスはほっとしたように息を吐いた。
「任務から戻ってきたら、艦のどこかに、知らない感じがしてたの。ケルシー先生に訊いたら、うまの人に会ってみるといいって。でも、触っちゃだめって」
「あの医者が?」
「うん。Mon3trも、そわそわしてたから」
そう言って、少女はジョニィの背後の宙をもう一度まっすぐに見た。
「そこにいるよね。……あなたの後ろの、大きい子」
手の中で、ブラシが滑り落ちかけた。
ACT4は呼んでいない。今は引っこめているはずだった。それなのに少女の目は、像がいつも立つ場所を寸分違わず捉えている。ほとんど反射のように、右手の爪が回りかけた。
――像の居場所を言い当てる相手は、レースの間、みんな刺客だった。
「……おまえ、スタンド使いか」
「すたんど?」
少女はきょとんとして、首を傾けた。とぼけている顔ではない。言葉そのものを、初めて耳にした顔だった。ジョニィは息を一つ吐き、爪の回転を止めた。
「……見えるのか」
「ううん、見えない。でも、分かるの。今は、眠ってるみたいに静か」
呼んでも構わない相手だと、決めるのに少しかかった。名を呼ぶより早く、貨物区画の薄暗がりに像の肩の星が灯る。その瞬間、ロスモンティスの目がぱっと大きくなった。
「あ……起きた」
「何が分かる」
「えっと……あったかい。それから、ぐるぐる回ってる感じ。ずっと止まらないで、回ってる」
耳の先をぴくりと動かして、少女は少しだけ考える顔をした。
「色は……桃色、かな。なんとなく、だけど」
今度こそ、返す言葉がなかった。
ケルシーの診察室で、最後に背中越しに聞いた言葉がよみがえる。Mon3trが反応したのは、君の像だけではない。あの医者は、この子のことを知っていたのだ。
像は少女をしげしげと見下ろしていた。
自分に気づく者がいると知るや、ACT4は胸を張り、顔の蹄鉄の紋をきらりと光らせて、得意げに笑った。
『ニョホホホ~』
ロスモンティスがぱちぱちと瞬きをした。
「今の、何? なんだか、ふるえた」
「笑ったんだ。得意になってる」
「やっぱり。声じゃないけど、気配が揺れたの。ふふ、変なの」
口元を押さえて、少女はくすくすと笑った。笑われたというのに、像はなぜか嬉しそうに肩を揺らし、『チュミッ!』と短く鳴いてさらに得意げに体を反らす。
調子に乗った時の、悪い癖だった。
像は両手を上げると、指を一本ずつ折りはじめた。何かを数えるように、ゆっくりと。六つ目まで折ったところでぴたりと手が止まり、残りの一本を見つめたまま、とうとう頭を抱えて左右へ揺れだした。
しばらく苦悩してみせてから、ぽんと手を打って、七本目を折る。
こらえる間もなく、ジョニィは吹き出していた。
曜日を数えて、一つ忘れたふりをする冗談だった。あの時は、にこりともせずに聞き流した冗談だ。それなのに今は、腹の底から笑いがこみ上げてくる。
「今、何か数えてた?」
指の動きまでは分からないらしく、ロスモンティスが不思議そうに訊いた。
「友だちの、くだらない冗談だ。こいつが勝手にやった」
「勝手に?」
「ああ。時々、こうなる」
満足したのか、像は少女の前に片膝をつき、青い籠手をそっと差し出した。
「……握手がしたいんだと」
そう伝えると、ロスモンティスは一度だけ手を伸ばしかけて、ぱっと引っこめた。
「だめ。触らないで」
「こいつは、そんなにやわじゃない」
「でも……怪我させちゃうかもしれないから」
両手を胸の前で握りしめ、少女は首を横に振った。その仕草が冗談ではないことは、ジョニィにも分かった。
差し出した籠手を、像はしばらく宙に浮かせていた。それからゆっくりと下ろし、少女の顔の高さまで屈みこんで、小さく鳴いた。
『……チュミ』
責める声ではなかった。気にするな、とでも言いたげな、短い声だった。
「……いい子だね」
ほんのりと、ロスモンティスが笑った。
「この子、名前はあるの?」
「タスク。今の姿は、ACT4だ」
「たすく……あくと、ふぉー……」
口の中で何度か繰り返してから、少女は眉を寄せた。
「難しい。桃色の子、でいい?」
ぴたりと、像の動きが止まった。
『ニョ……ホ?』
子、と呼ばれたのが不満なのか、気に入ったのか、像自身にも分からないらしい。しばらく固まっていたが、少女がもう一度「桃色の子」と呼ぶと、まんざらでもなさそうに肩を揺らしはじめた。
「好きにしてくれ」
仕切りの内側の梱包材を踏みならして、二人は並んで腰を下ろした。
スロー・ダンサーが首を下げ、少女の猫の耳の先を鼻でそっとつつく。ロスモンティスはくすぐったそうに肩をすくめたが、逃げようとはしなかった。自分から触れるのでなければ、怖くはないのかもしれない。
「この子は?」
「スロー・ダンサー。ぼくの馬だ。レースの間、ずっと一緒に走った」
「すろー・だんさー。……ゆっくり踊る人? でも、速そう」
「速い。名前と中身が合ってないんだ」
ふふ、と笑って馬の鼻先を見上げてから、少女は膝の上で端末を開き、細い指で何かを書きこみはじめた。
「何を書いてる」
「あなたのこと」
こちらへ向けられた画面に、短い字がいくつか並んでいた。
『ジョニィ。うまの人。後ろに桃色の子がいる。気配で笑う。くだらない冗談をする』
「最後のは、ぼくじゃない」
「じゃあ、直すね」
真剣な顔で一行を消し、少女は『桃色の子が、くだらない冗談をする』と書き直した。それから、画面を胸に抱えこんだ。
「あたしね、時々、忘れちゃうの」
驚くほど淡々とした声だった。
「痛かったこととか、怖かったこととか、楽しかったことも。ふっと、消えちゃう。だから、書いておくの。……読んでも、思い出せない時もあるけど」
ジョニィが黙っているうちに、少女の方が先を続けた。
「ケルシー先生が、言ってた。忘れても、書いてあることは本当にあったことだって。だから、あたし、たくさん書くの」
貨物区画の壁の奥で、艦の機関が唸っていた。
「ぼくにも、忘れられない奴がいる」
膝の上で指を組み、ジョニィは棺を置いた部屋の方へ目をやった。
「あっちで、棺に入って眠ってる。一緒に長い旅をした奴だ。……あいつのことは、書かなくても忘れない」
「いいな」
ロスモンティスがぽつりと言った。
「その人、名前は?」
「ジャイロ。ジャイロ・ツェペリ」
少女は端末を開き、一字ずつ丁寧に書きこんだ。
『ジャイロ。ジョニィの友だち。くだらない冗談をする人』
「あたしも、書いておく。そしたら、あなたが覚えてる人を、あたしもちょっとだけ一緒に覚えていられる」
画面の上の小さな字を、ジョニィは黙って見つめた。テラの誰かの端末に、ジャイロの名前が残っている。
「忘れないって、どんな感じ?」
「……重いよ。全部、残ってるからな。あいつが死んだ時のことも」
端末の画面をじっと見つめていた少女が、やがて顔を上げた。
「じゃあ、お願いしてもいい?」
「何をだ」
「あたしが忘れちゃっても、あなたは覚えててね。今日のこと。桃色の子のことも、あたしが笑ったことも」
大きな目がまっすぐにこちらを見ていた。消しては書き直された、小さな字の並ぶ端末へ、ジョニィは一度だけ目を落とした。
「ああ。覚えておく」
それから、もう一言だけ足した。
「きみが忘れた分は、ぼくが持っておく。重くはない」
ロスモンティスは何も言わずに端末を開き、一行だけ書き足した。何と書いたのかは教えてくれなかった。
「ロドスのみんなはね、あたしの家族なの。エリートのみんなも、隊員のみんなも」
端末を閉じて、少女はジョニィの顔を覗きこんだ。
「あなたも、もう家族?」
答えに詰まった。家族という言葉を、長いこと口にしていなかった。
「……まだ、来たばっかりだ」
「じゃあ、これから家族だね」
あっさりと言って、少女は端末を胸に抱えなおした。
「やっぱり、ここにいたか」
仕切りの外から、聞き覚えのある低い声がした。
大きな盾を背負った男が、腰に手を当てて立っている。エースだった。盾の縁にはまだあの抉れた跡が残っていた。
「Ace」
ぱっと立ち上がって駆け寄ったロスモンティスは、エースの顎を見上げ、手を伸ばしかけてまた引っこめた。代わりに背伸びをして顔を近づけ、じっと髭を見つめる。
「……また伸びてる」
「剃る暇がなくてな。ほら、そろそろ戻るぞ。お前さんの点検の時間だ」
少女の頭の上で手を止め、触れるか触れないかの所で軽く空気を叩いてから、エースはジョニィの方へ顔を向けた。
ジョニィの目は、自然と盾の縁へ向いた。
「盾、まだ直してないのか」
「クロージャに頼んだら、見積もりがひどくてな。誰かさんの蹄鉄の請求で、エンジニア部の予算が苦しいらしい」
「……ぼくのせいじゃない。その請求書なら、今はぼくの机の上だ」
一拍置いて、エースは盾ごと背を揺すった。
「ハハッ、そいつは気の毒に。……この子が迷惑をかけなかったか」
「いや。いい話し相手だった」
「そうか。なら良かった」
エースの袖の端を、ロスモンティスが指先でそっとつまんだ。
「ねえ、Ace。遠出するって、本当?」
「耳が早いな。近いうちに出る」
「その時、ドクターに会える?」
エースの顔から、一瞬だけ笑みが消えた。すぐに戻ったが、ジョニィの目はそれを見逃さなかった。
「……ああ。連れて帰ってくるさ。そしたら、一番に会わせてやる」
「本当? 約束だよ」
「約束だ」
二人は並んで貨物区画を出ていった。小柄な少女と、大きな盾。少女が何か話しかけ、エースが笑う声が、通路の向こうへ遠ざかっていく。
その背中から、ジョニィはしばらく目を離せなかった。
連れて帰ってくる、という声が、いつか聞いた「迎えに行く」と同じ所で耳に引っかかった。
梱包材の上に、少女の座っていた形のくぼみがまだ残っている。スロー・ダンサーがそこへ鼻先を寄せ、ひとつ息を吹きかけた。
最後の一行に何と書いたのかは、次に会った時に訊けばいい。あの子が忘れていたら、その時はこちらが覚えている。
第9話をお読みいただき、ありがとうございました。
二度目の診察でケルシーが言い残した「ほかの何か」の正体が、この子でした。
・ロスモンティスは、アークナイツのエリートオペレーターです。強いアーツを持つ代わりに、記憶がふっと抜け落ちることがあり、端末に書いて残しています。ロドスのみんなを「家族」と呼ぶのも原作どおりです。
・ロスモンティスには、ACT4の姿は見えず、声も聞こえません。分かるのは、居場所と、あったかくて回っている感じと、なんとなくの色だけです。ACT4が笑った時も、「気配が揺れた」としか伝わっていません。
・ACT4がやってみせた曜日の数え方は、ジャイロの持ちネタです。ジョニィは当時、にこりともしませんでした。
桃色の子、と呼ばれた本人は、まだ返事を決めていません