ジョニィ・ジョースター、テラを往く 作:マイルドハイブリッド
第15話です。ここから怒涛の戦いが始まります
廃墟の地下から地上へ抜ける道は、来た時とは別の、崩れかけた非常階段だった。
先導するドーベルマン教官のすぐ後ろでは、医療オペレーターがドクターに肩を貸し、一段ずつ足場を確かめながら慎重に上っていく。
目覚めたばかりの体はまだ自由が利かないらしく、フードの奥から漏れる呼気は荒く乱れていた。頭上から降ってくる焦げた匂いと遠い喧騒が、一段ごとに濃さを増していく。
燃えているのが木か油か、それとも人の住まいか。最後尾のジョニィは、その匂いを黙って
錆びついた鉄扉を押し開けた瞬間、地下の湿った冷気を押しのけて熱風が顔を打った。
炎上する市街。
鉄骨の家並みのあちこちから黒煙が柱となって立ちのぼり、夜明け前の空を重く塞いでいる。
霧はいくらか薄れたものの、代わりに
遠方の街区で上がった悲鳴に手近な窓硝子の割れる音が重なり、その下を、家屋の崩落する鈍い響きが這っていく。
「くっ……どうなってるんだ、この状況は……!」
ドーベルマン教官の喉から、苦い声が漏れた。その視線の先では、白い仮面の一団が民家の扉を次々に蹴破っている。
「――探せ! 家の中まで徹底的に調べるんだ!」
「やめて! その人を放して! 一体、どうしてこんなことを……!」
女の叫び声に、引きずり出された男の怒声が重なる。石畳へ組み伏せられながらも、男は屋内へ向かって必死に声を振り絞った。
「もういい、お前だけでも逃げろ! 俺のことは気にするな……子供たちを、頼んだぞ……!」
「――ママ……! ママ、どこにいるの……!?」
子供の泣き声は渦巻く黒煙と火の
通りの向こう、鉄柵を連ねた防衛線の内側には、揃いの装備に身を固めた兵士の一団が陣取っていた。ウルサスの憲兵隊だ。隊長らしい男が仮面の群れを睨みつけたまま、部下たちに
「――市民のことなど捨て置け! 総員、防衛ラインを死守せよ!」
昨日の関所で感染者の男を引き倒し、腹を蹴りつけていたのと同じ制服が視界に入り、ジョニィの奥歯がぎりと鳴った。
「守る相手を見捨てて、柵の方を守るのか」
「ここでは、それが命令なのだろう。……口を閉じていろ、ジョニィ」
通りの端には痩せた街路樹が続き、気づけば視線はその枝先を追っていた。葉はまだ枝に残っているものの、どれも煤をかぶって黒ずみ、熱風にあおられて片時も静止せずに震えている。
一枚の輪郭を目で捉える前に、葉はもう別の形へ揺れてしまう。これでは黄金の比率は拾えない。
――ここでもか。
崩れかけた塀の陰に一行は身を沈め、ひとまず通りからの射線を断った。医療オペレーターの肩に寄りかかったまま、ドクターはフードの奥で浅い呼吸を繰り返している。
足は前へ出ているものの、声はまだほとんど戻っていないらしい。
塀の端から通りの様子をうかがったアーミヤが、炎に照らされた仮面の群れを見て息を詰めた。
「っ、レユニオン……どうして彼らが、こんなことを……!?」
「何年も隠し続けてきた本性が、ついに牙を剥いた……といったところだろうな」
瓦礫に片膝をついたまま、教官が押し殺した声音でその問いに答えた。
「計画的な攻撃だ。秘匿されたあの区画にさえ、奴らは入りこんでいた。何らかの陰謀が動いていると見るべきだろう」
「ほんと何考えてんだよ、あの連中……! 感染者がウルサス政府に刃向かったら、タダじゃ済まないってのに!」
前衛オペレーターが悔しげに拳を地面へ押しつけた、その時だった。アーミヤの長い耳がぴんと跳ね上がり、塀の向こうの一点を捉えて止まった。
「……静かに。彼らが来ます……!」
塀の向こうを仮面の二人組が通りかかり、そのうちの一人が歩調を緩めて周囲の家並みを見回した。
「逃げ出した奴らの足取りは掴めたか?」
「申し訳ありません、現在捜索中です!」
「そのまま続けろ。一匹たりとも逃がすなよ」
燃え盛る家並みを振り仰いだ仮面の男は、吐き捨てるように言葉を継いだ。
「――血も涙もないチェルノボーグの連中め……俺の父と母、親の世代が受けた苦しみ、必ず味わわせてやる!」
その声に潜むものに、ジョニィは覚えがあった。
憎悪だ。自分から何かを奪った相手に、同じものを奪い返してやると決めた人間の声だ。あのレースで何度も聞き、この喉から絞り出したこともある響きだった。
その時、崩れた塀から舞い上がった土埃を吸いこんだのか、隣の医療オペレーターが堪えきれずに咳きこんだ。
「……何の音だ?」
「向こうから聞こえたようです!」
赤い光の中でもそれと分かるほど、医療オペレーターの顔から血の気が引いていく。
「ひっ……き、気付かれ……」
「――落ち着け。静かに……」
震えるその肩に教官が手を置く傍らで、ジョニィは右手を握りこんで指先の感触を確かめた。地下で撃った爪は、噛んでおいたカモミールのおかげで、もうあらかた生え揃っている。
瓦礫を踏む仮面の足音が塀へ接近し、その距離はあと五歩、四歩と縮まっていく。
そこへ、通りの反対側から別の悲鳴が上がった。
「……きゃっ……!」
「いたぞ! 奴らはここだ!」
仮面の二人が身を翻し、悲鳴の方角へ駆けだしていく。燃える家屋の陰から転がり出た女が、幼い子を胸に抱えたまま路地へ逃げこもうとしていた。
「……い、いやあああっ!! やめて、来ないで……!」
積み上げられた木箱の陰に女は身を縮めたが、大人ひとりが隠れきれるほどの陰ではない。追いついた仮面の男が木箱の向こうを悠然と覗きこんだ。
「こそこそ隠れたところで無駄だ。――見つけたぞ、女」
「ッ……! ゆ、許してください……! どうか、この子だけでも見逃してください……!」
男は答える代わりに、刃の腹で女の頬を叩いた。炎を映した刀身が鈍く光る。
迷いのない動作で、アーミヤが塀の陰から腰を上げた。
「……これ以上、黙って見てはいられません。――戦いましょう、レユニオンと」
「……アーミヤ。そうは言うが……」
「もちろん、リスクは承知しています。それでも、こうしている間に失われていく命を、見過ごすわけにはいきません。ですから――彼らを止めましょう、ドーベルマン教官」
塀の縁に右手を掛け、ジョニィも腰を浮かせた。
「教官。ぼくの爪は、もう回ってる」
燃える通りとアーミヤの横顔とを見比べて、教官の顎が一度だけ引かれた。
「……いいだろう。お前の指示に従おう」
それから教官は医療オペレーターに支えられたドクターへ体ごと向き直った。
「ドクター。ここからは、部隊の指揮をお前に預ける。見ての通りの状況だ。――その力量、見せてもらうぞ」
短い沈黙の後、フードの奥から掠れた声が返った。
「……分かった」
教官が鼻で短く笑った。
「ふっ。……いい返事だ。では、アーミヤ。号令を」
一つ大きく深呼吸し、アーミヤは塀の陰でまっすぐに背筋を伸ばした。
「はい。――みなさん、行きましょう。……『それが避けられる戦いならば、沈黙を守り』――『必要な戦いならば、最後まで戦い抜く』! それが私たち、ロドスの往くべき道ですから!」
その声を、ジョニィは背中で受け止めていた。地下で石棺の縁に置かれていたアーミヤの手は震えていたのに、今の声には微塵の震えもない。
上がったドクターの指が、木箱の陰の女を指し、通りの奥から駆けつけてくる仮面の一団を指し、最後にジョニィの上で止まった。
「……女を、頼む」
「言われなくても」
返事と同時に塀を跳び越え、ジョニィは木箱へ向けて一直線に駆けた。
地下で覚えた
木箱の向こうで、仮面の男がとうとう刃を振り上げた。女は子供を胸に抱えこみ、その上へ覆いかぶさるように背中を丸めている。
刃が、落ちはじめた。
ジョニィの背後から、桃色の像が飛び出した。
「回すな!」
『チュミッ!』
回転を載せないACT4の拳が、男の脇腹に深々とめりこんだ。肋骨が何本か折れる鈍い手応えが、像の
くの字に折れた男の体は真横へ吹き飛び、まだ炎上していない家屋の壁に激突した。ずるずると崩れ落ちる男の手を離れ、刃だけが石畳の上で甲高く跳ねた。
仲間が何に吹き飛ばされたのかも理解できないまま、通りの奥からもう一人が刃を構えて突進してくる。
突き出した右手の指先で、爪が唸りを上げて弾けた。男が次の一歩を踏み出した時には、その右膝のすぐ下は既に爪弾に撃ち抜かれていた。前のめりに転倒した男は膝を抱え、石畳の上をのたうち回るばかりだった。
その間に、前衛オペレーターと教官の隊は通りへの散開を終えていた。ドクターの指が動くたびに、隊員たちの配置が変わる。
路地の角へ二人、崩れた屋根の上へ一人、通りの反対側には盾を構えた護衛が一人と、それぞれが足音もなく位置を占めた。
仮面の一団は攻め手の方角すら掴めず、一人また一人と石畳に沈んでいった。奇襲から制圧まで、要したのはものの数分にすぎない。
最後に倒れた一人が割れた仮面の下から苦しげにジョニィを見上げた。
「ぐ、はっ……お前ら……よそ者、だろ……どう、して……」
「刃が子供の上にあった。それだけだ」
通りに束の間の静寂が戻った。聞こえるのは家々の燃える音と、遠い街区の悲鳴ばかりだ。前衛オペレーターがその場にへたりこみ、肺の底から安堵の息を吐く。
「はぁ……な、なんとかなった……」
「よし。増援も呼ばれずに済んだか。……よくやった、ドクター」
教官がそう告げた時には、アーミヤはもう木箱の陰へ歩み寄り、子供を抱いたまま震えている女の前にそっと膝をついていた。
「……そちらの方、大丈夫ですか?」
「え……ええ。ありがとう、ございます……」
「いえ。これも、私たちの使命ですから――」
女の視線がアーミヤの顔で止まり、その目に怯えが広がった。
「――ッ! ま、待って。まさか……あなたも感染者なの!?」
子供を抱いた女は尻をついて後ずさり、背中が木箱に当たってもなお下がろうとした。
「やめて、許して! お願い……この子にだけは、手を出さないで……」
恐怖に泳いでいた女の視線は、ほどなくジョニィの上に行き着いた。耳も尾もなく、肌のどこにも黒い結晶は光っていない。この街の誰とも違う姿を、女の目はたった一つの物差しで量っていた。
感染者では、ない。
膝で這うようにして、女はジョニィの脚にすがりついてきた。
「あなたは……あなたは、違うんでしょう? お願い、助けて……この子を、あの子から……」
母親の腕の中から、子供がアーミヤを見つめていた。怯えきったその目つきを、子供はたった今、母親から教わったばかりなのだろう。
その目を、ジョニィは知っていた。
撃たれて、何もかもを失った後のことだ。昨日まで自分の名を叫んでいた観客たちが、通りで出くわすと目を逸らした。終わった天才。見てはいけない物を見てしまったような、汚い物から顔を背けるような、あの目。
向けられる側の胸にそれがどう突き刺さるのか、嫌というほど思い知らされた。
今、その目はアーミヤに向けられていて、ジョニィはすがりつかれている。選ばれる側に、立たされている。
脚にかかった女の手を、静かに外す。
「ぼくに頼むな」
弾かれたように顔を上げた女へ、ジョニィは言葉を重ねた。
「……礼なら、あの子に言え」
言いながら、膝をついたままのアーミヤを目顔で示す。
女は黙ったまま、ジョニィとアーミヤの顔を交互に見比べている。一言で変わる目ではないことも、ジョニィには分かっていた。
気まずい静寂を破るように、アーミヤが膝の埃を払って立ち上がった。
「……どこか安全な場所を見つけて、状況が落ち着くまで隠れていてくださいね」
「……うぅ、助けて……どうか、見逃してください……」
子供を抱え直した女は一度も背後を見ることなく黒煙の向こうへ駆け去っていった。
女の消えた路地を向いたまま、アーミヤの小さな背中は長いあいだ動かなかった。
ようやく向き直ったアーミヤの瞳は乾いていて、その乾き方がかえってジョニィの胸に障った。
「さっきは、ありがとうございました。……でも、気にしないでください。慣れて、いますから」
「慣れなくていい」
アーミヤの耳がぴくりと揺れるのを横目に、ジョニィは続けた。
「慣れたふりなら、ぼくの方が年季が入ってる。きみまで覚えなくていい」
何か言いかけて口を閉じたアーミヤは、それから口元をほんの少しだけ
崩れた塀の陰へ引き返した一行は、黒煙の流れが変わるのを待ちながら短い休息を取った。
ドクターのフードが、女の去った方角と、隣に腰を下ろしたアーミヤとを行き来していた。膝の上で、アーミヤの両手が固く握り合わされる。
「……なぜ、あの人は」
掠れた問いに、アーミヤは小さく息を吸った。
「ドクター……記憶をなくす前にも、同じことを訊かれましたね。……あの人が怯えていたのは、私の病気のせいなんです」
言葉を選ぶような間を置いて、アーミヤは続けた。
「私だけではありません。ドーベルマン教官も、ロドスのほとんどの人も、さっきのレユニオンの人たちも。源石という鉱物から感染する、死に至る病――『鉱石病』です」
「……そして病気と同じく、その患者たちも人々に恐れられているというわけだ。『感染者』と呼ばれて、な」
腕を組んだまま、教官が重く後を引き取った。
「どの地域でも感染者への偏見は似たようなものだが、この国の拒絶は特別に冷酷だ。政府が意図的に恐怖を煽っているからな。……恐らくは、それこそがレユニオンがウルサスを襲撃対象に選んだ理由だろう」
少し離れた瓦礫に腰を下ろしていたジョニィは、そこで初めて口を挟んだ。
「それで、あの関所か」
「そうだ。あれが、この国の『ふつう』だ」
教官の答えはそれきりだった。
左腕の奥と背骨の芯には、まだ微かな温もりが宿っている。聖人の遺体の名残だ。この体が病に
それでも、この街の誰もが恐れているものを、ジョニィは今のところ恐れずにいられる。
さっき、あの女がすがりついたのは、その体だった。
腰袋からカモミールの葉を一枚取り出し、口に入れて噛む。いつもより、ずっと苦かった。
「さーて、そろそろ注射の時間ですよー……って、ちょっと、逃げないでください!」
医療オペレーターの朗らかな声が沈鬱な空気を割り、瓦礫の上では前衛オペレーターがじりじりと後退していく。
「い、いや、えーっと……ほら、俺こんなに元気だし? 注射してもらう必要とか、なさそうかな~って!」
「もう、そんなこと言って! 症状緩和用の定期薬なんですから、どんなに元気でも打ってもらいます! ……さっき頭がくらくらするって言ってましたよね?」
前衛が言葉に詰まった隙に、医療オペレーターの手が袖口を捕らえた。
「ふふっ、捕まえました! それじゃあ早速、チクっとしますよ!」
「あっ!? えっ!? う、うわーっ!」
情けない悲鳴を聞きながら、ジョニィは葉を噛む顎を止めた。
「捕まえる腕まで、レースの救護所の医者より上だな」
注射器を構えたまま、医療オペレーターが振り返った。
「それ、褒めてないですよね!?」
教官は短く首を振った。その仕草は、呆れとも安堵ともつかなかった。
「さて……隊員整列! 出発するぞ! 合流地点まで、何が待ち受けているかは未知数だ! 決して警戒を怠るな!」
号令一下、一行は腰を上げて隊列を組み直した。ジョニィが最後尾につく一方で、アーミヤは先頭の教官の横へ寄っていく。煙を運ぶ風に乗って、その囁きが列の後ろまで届いてきた。
「……残された時間は……あと、どのくらいですか?」
「……三時間だ。それを過ぎたら、天災がこの都市を飲み込むだろう。その時までに撤退を完了させなければ……我々は、終わりだ」
歩みを緩めないまま、ジョニィは合流地点のある西の方角へ視線を向けた。
合流地点ではエースが待ち、スロー・ダンサーが待っている。そこまで辿り着けば、少なくとも蹄の音が聞こえる。
崩れた塀の陰を発ってほどなく、首筋を冷たいものが撫でていった。
岩陰から、木立の奥から、刺客がこちらとの距離を測っていた時の、あの冷たさだった。
振り向いても、黒煙と薄れかけた霧と燃え続ける家並みがあるばかりで、人影はどこにも見当たらない。
「教官。誰かに見られてる」
「……気のせいであってほしいがな。前を向け」
ACT4もとうに同じ方角へ首を向け、鳴き声を潜めていた。
第15話をお読みいただき、ありがとうございました。
以下、小ネタです
・アーミヤの号令「それが避けられる戦いならば、沈黙を守り」「必要な戦いならば、最後まで戦い抜く」と、助けた母親がアーミヤに怯える場面は、アークナイツの序章の原文に沿っています(台詞は短くしました)。
・原作のドクターはプレイヤーで、台詞は選択肢から選ぶ形です。決まった言葉としての最初の一言「……分かった」は、この作品で決めました。
・ジョニィが鉱石病にかからないのは、体に残った聖人の遺体の名残のせいかもしれない、とケルシーは見ています(第11話)。確かなことは、まだ分かっていません。