ジョニィ・ジョースター、テラを往く 作:マイルドハイブリッド
第2話です。ロドスへ向かう道中、ジョニィはBSWの四人と初めてまともに言葉を交わします。
「あの、ジョニィさん。この駄獣さんって、何を食べるんですか?」
荷台の後ろの扉から、バニラが長身を半分ほど乗り出していた。
荒れ地を貫く一本道を、BSWの装甲車が駆け足ほどの速度で進んでいる。運転席にはリスカム、助手席にフランカ。その横に並び、ジョニィはスロー・ダンサーの背で揺れていた。車輪が巻き上げる砂埃を避けて、少しだけ風上に寄る。
この速度なら、半日は並走できる。ただし水場が無ければ、日暮れ前に一度は休ませなければならない。蹄の音の乱れ、首の振り、汗の浮き方。騎手時代の習い性で、ジョニィの目は道の行く手と馬体を交互に測り続けていた。
「駄獣じゃない、馬だ。草と穀物と、たまに果物。それと水をたくさん」
バニラが腰の袋から、黒々とした干し肉を取り出した。
「草……! じゃあ、これはどうですか? 故郷の駄獣は、狩りで獲った肉の切れ端をあげると、すぐに懐いてくれたんです。だから、ご挨拶にと思って」
「馬は肉を食わない」
「えっ」
「食わない」
バニラの手が宙で止まり、干し肉が所在なげに揺れた。ジョニィはため息をつき、前を向いた。昨日、知らない相手には噛みつく馬だと言ったばかりだ。どうせ鼻であしらわれて終わる。
ところがスロー・ダンサーは干し肉には目もくれず、首を伸ばしてバニラの頭へ鼻面を寄せた。額の角の付け根をふんふんと嗅ぎ、それから、甘えるように鼻先をこすりつける。
「わあっ……! ジョニィさん、この子、すりすりしてくれます!」
「……」
手綱を握る指に、余計な力がこもった。
荷台の奥から、ジェシカの小さな声が真顔で届いた。
「あの……噛まない、ですね……」
ジョニィは何も答えず、スロー・ダンサーの首を軽く叩いて、車から半馬身だけ離した。
それから半刻ほど、バニラは扉の縁に頬杖をついたまま、故郷の獣の話をし続けた。冬毛が雪のように白くなる駄獣、群れで渡りをする鳥、夜にだけ鳴く小さな獣。動物の話になると、この娘は驚くほど饒舌になるらしい。
ジョニィは相槌も打たずに聞き流していたが、話を遮りもしなかった。知らない土地の知らない獣の話は、地図より多くのことを教えてくれる。
▽
昼を回った頃、装甲車は干上がった川べりで止まった。
冷却のための小休止だという。リスカムとフランカが周囲を見回りに出ると、荷台の縁にはジョニィとジェシカとバニラが並んで腰かける形になった。
スロー・ダンサーは川底に残った水たまりに鼻を突っこみ、棺は荷台の奥で毛布にくるまれている。
しばらく、誰も口を開かなかった。
やがてバニラが、遠慮がちにジョニィの頭のあたりを見た。
「あの……失礼だったら、ごめんなさい。ジョニィさんって、耳はどこにあるんですか?」
「耳? ここにある」
帽子の横から耳たぶをつまんでみせると、バニラは目を丸くした。
「顔の横、なんですね……! じゃあ、角は? 尻尾は?」
「ない」
「どこにも、ですか?」
「生えてたまるか」
ジェシカまでが、おそるおそるジョニィの背中のあたりを覗きこんでいる。猫の耳がぴんと立ち、細い尾が落ち着きなく揺れていた。
見回りから戻ってきたフランカが、荷台の縁に片肘をついて会話に混ざった。
「確かに、こんなに何もない人は珍しいわね。ロドスにはいろんな種族がいるけど、耳も角も尻尾もない人なんて、見たことないわ」
「そんなに珍しいか」
「珍しいわよ。頭のてっぺんから腰まで、つるんとしてるんだもの」
「人を毛のない犬みたいに言うな」
フランカは楽しそうに笑い、それから声の調子を少しだけ変えた。
「それより、昨日のあれ。指が二人の首から出てきたやつ。あたし、三年この仕事をしてるけど、あんなアーツは見たことがないわ」
リスカムも戻ってきて、荷台の脇に盾を立てかけた。表情は硬いが、目には同じ問いが浮かんでいる。
ジョニィは少し迷った。手の内を明かすのは、生き延びる者のやり方ではない。けれど、この連中はもうあれを見ている。全部は話さない。輪郭だけだ。
「アーツじゃあない。スタンドだ。……正直に言うと、ここに来た時も、ぼくは誰かのスタンド能力にやられたんだと思った。昨日あんたたちを疑ったのも、それが理由だ」
「すたんど」
四人の声が、ばらばらに重なった。
「ある土地や、ある物に触れた人間が目覚める力だ。目覚めると、自分の心が形になったような像が出せるようになる。レースで会ったカウボーイが、それを『立ち向かう者』って意味でスタンドと呼んでた。能力は一人ずつ違う。ぼくのは、回転だ」
「回転……」
バニラが真剣な顔で繰り返し、それから、おずおずと手を挙げた。
「あの、そのスタンドって、私にも出せるようになりますか?」
「どうだろうな。ぼくの知ってる奴らは、悪魔の手のひらって呼ばれる土地に迷いこむか、ある物に触れるかして目覚めた。生まれつき持ってる奴は聞いたことがない。そのどっちかが、この大地にあるとも思えないしな」
ある物。その中身までは言わなかった。棺の中の友と、二人で追いかけた遺体のことは、まだこの連中に話す気になれない。
「それで、普通の人間には見えない。見えるのは、同じスタンド使いだけだ。……あんたたち、見えるか?」
ジョニィは右手を軽く掲げた。肩の上には、ACT4の姿が静かに浮かんでいる。だが四人の視線はジョニィの手と顔の間を行き来するばかりで、どこにも焦点を結ばない。
「……何も、見えません」
リスカムが正直に言った。
いちばん必死だったのはジェシカだった。目を細め、見開き、首を傾け、しまいには両手で筒を作って覗きこんでいる。猫の瞳孔が、丸くなったり細くなったりと忙しい。
「み、見えません……で、でも、そこに何か、いる、んですよね……?」
その顔があまりに真剣で、ジョニィは少しだけ考えた。ACT4は大きすぎて、こんな近くで出しておく物ではない。
ジョニィは力を緩め、ACT1の形まで戻した。手のひらに乗るほどの、小さな姿だ。それを、隣に座るジェシカの肩へそっと歩かせる。
とん、と小さな足が肩に触れた。
「ひゃあああっ!?」
ジェシカは荷台から飛び上がり、そのまま縁から転げ落ちかけて、バニラに襟首を掴まれた。尾の毛が倍の太さに膨らんでいる。
「い、い、今っ、今、肩に! 何か、ちっちゃいのが! とんって!」
ジョニィは思わず吹き出した。肩が揺れ、喉の奥から笑い声が漏れる。こんなふうに笑ったのは、いつ以来だろう。
そこで、はたと気づいた。
昨日、首に爪を当てた相手の隣で、自分は手の内を見せびらかして笑っている。スタンドの像まで、無防備に晒して。
ジョニィは笑いを喉の奥へ押し戻し、ACT1を引っこめて、素知らぬ顔で前を向いた。
その一部始終を、フランカがにやにやと眺めていた。
「あら、今の見た、リスカム? この子、笑うと案外かわいい顔するのね」
「見てない」
「あなたに訊いてないわよ、ジョニィ。ね、もう一回笑ってみせて?」
「断る」
「照れてる」
「照れてない」
肩をさすっていたジェシカが、そこでおずおずと顔を上げた。
「あ、あの……ひとつだけ、いいですか。昨日の、爪の弾……撃った爪は、そのあと、どうなるんですか?」
「また生える。少し時間はかかるけどな」
「ま、また生える!? じゃあ、弾の補給が要らないってことですか!? 装填の動作もなくて、銃身も要らなくて、それに回転がかかってるなら弾道も安定して……あっ、す、すみません、わたし、武器のことになると、つい……」
早口でまくしたててから、ジェシカは耳まで赤くなって縮こまった。さっきまで涙目で震えていた娘と、同じ人間とは思えない。
「ジェシカは、うちの装備のテストをやってたのよ。銃の話をさせたら止まらないわ」
フランカの補足に、ジョニィは少しだけジェシカを見直した。臆病そうに見えて、物を見る目は確かだ。
リスカムが咳払いを一つして、話を本筋へ引き戻した。
「……つまり、あなたのスタンドは、源石を使わない力ということですね。昨日、反応がまるで感じられなかったのは、そのせいですか」
「源石なんて知らなかった。それより」
ジョニィはリスカムと、フランカと、まだ肩をさすっているジェシカを順に見た。
「さっきから、ぼくばかり話してる。フェアじゃあないだろ。次はあんたたちの番だ。そのアーツってのは何なんだ」
フランカが目を瞬かせ、それから、おかしそうに肩をすくめるかわりに両手を広げた。
「それもそうね。じゃあ、あたしから。アーツっていうのは、源石を媒介にして、体の中の力を外に出す術のこと。才能のある人がアーツユニットっていう道具を使うと、火を出したり、雷を落としたりできるの。あたしのは、熱」
フランカが細剣を少しだけ鞘から抜くと、刀身の根元がじわりと赤く色づき、陽炎が立った。熱気が、離れたジョニィの頬にまで届く。
「……見える」
「当たり前でしょ。見えなかったら、相手が怖がってくれないじゃない」
「アーツって、誰でも使えるのか」
「才能と、源石との相性しだいね。あたしみたいに使える人もいれば、ジェシカみたいに銃のほうが得意な子もいる」
「わ、わたしは、アーツはあまり……引き金を引くほうが、ずっと落ち着きます……」
「リスカムさんのは、電気です」
バニラが誇らしげに言うと、リスカムは少し困った顔で盾に手を置いた。
「この盾が、わたしのアーツユニットです。ただ、放つと体力をかなり使うので、普段は使いません。昨日、使わずに済んでよかったと思っています」
その言葉に、皮肉は少しも混じっていなかった。
ジョニィは黙って、フランカの剣に残る赤い色を見た。スタンドは見えない。アーツは見える。源石という石を通して、才能のある者なら誰でも使えるらしい。同じ不思議な力でも、生まれ方がまるで違う。
――ジャイロなら、この石の「回転」まで見ようとするだろうな。
そんな考えが浮かび、ジョニィは小さく息を吐いた。
▽
日が落ちると、一行は岩陰に車を止めて野営を張った。
焚き火のはぜる音と、遠くで鳴く知らない鳥の声。フランカとバニラとジェシカは車内で眠り、外にはジョニィと、見張り番のリスカムだけが残った。ジョニィは棺を背にして座り、スロー・ダンサーは少し離れた所で脚を休めている。
眠る前に、ジョニィはスロー・ダンサーの脚を一本ずつ持ち上げ、蹄の裏に挟まった小石を指でかき出した。荒れ地の道は、蹄を少しずつ削る。替えの蹄鉄など、この土地のどこを探してもないだろう。
そう考えると、先のことが急に重く感じられた。
リスカムは膝の上に書類板を載せ、ペンを持ったまま、さっきから一文字も進んでいなかった。
「……何を書いてる」
「今日の報告書です。要救助者一名、棺一基、それから」
ペン先が、紙の上で止まる。
「駄獣、と書くと違うと言われそうで。けれど、うま、と書いても、本部の誰にも伝わらない気がして」
「馬は馬だ」
「ですから、それが伝わらないんです」
リスカムは真剣な顔で考えこみ、やがて小さな字で何かを書きつけた。焚き火の明かりで、ジョニィにもその文字が読めた。
『大型の駄獣、一頭(本人いわく、うま)』
ジョニィは何か言いかけ、やめた。正確ではある。
しばらく、薪のはぜる音だけが続いた。リスカムは書類板を脇に置き、火に小枝を一本くべた。
「あなたは、騎手だったと聞きました。フランカが、乗り方を見てそう言っていました」
「……ああ。昔の話だ」
それきり、黙るつもりだった。
レースが終わってから、まだいくらも経っていない。ジャイロを棺に納め、船に乗り、ろくに口もきかずに海ばかり眺めていた。胸の内は、何一つ片づいていない。あの旅のことは、まだ誰にも話していない。
聞いてくれる相手が、もういなかった。
焚き火を見ているうちに、言葉のほうが先に出ていた。
「勝つのが当たり前だと思ってた。賞金も取り巻きも、勝手に寄ってきた。だから、周りを見下してた。……その報いで撃たれた。下らない揉め事で背中をな。それから、歩けなくなった」
リスカムの手が、小枝を持ったまま止まった。目だけが、ジョニィの足に向く。
「今は歩けてる。大陸を横断するレースのスタート地点で、ある男の回転に触れて、脚が一度だけ動いた。それを追いかけて、レースに出た。馬には、そいつの一言を頼りに自分で乗った。撃ち方も、前に進むやり方も、そいつの背中から覚えた。……棺の中にいるのは、そいつだ」
言い終えてから、少し喋りすぎたと思った。昨日まで仲間の首に爪を当てていた相手に、だ。
それでも、胸の奥につかえていたものが、いくらか軽くなっていた。誰かに聞いてほしかったのかもしれない。
ジョニィは小枝を一本拾い、火の中へ放りこんだ。ぱちん、と火の粉が上がる。
「あんたは。どうして、この仕事を」
リスカムはしばらく黙ってから、短く答えた。
「背が低くて、アーツの訓練も受けていなくて。誰にも期待されていませんでした。……いつか、自分の警備会社を作りたいと思っています」
それ以上は言わなかった。言わなくても、焚き火を見る目の据わり方で、本気なのは分かった。
期待されなかった子ども。その言葉が、ずっと昔の自分と重なった。兄と比べられ、父に背を向けられた、あの家の子ども。
「……いい夢だ」
それだけ言うと、リスカムは少しだけ驚いた顔をして、それから、ほんのわずかに口元を緩めた。
「あなたの友人も、いい先生だったのですね」
ジョニィは答えなかった。答えるかわりに、膝の上で指を組み直した。
右手の爪は、昨日からずっと、眠る時も小さく回り続けていた。いつ何が来ても撃てるように。
その回転を、今夜は止めた。
全部を信じたわけではない。ここが誰かの能力の中だという疑いも、心の隅にまだ残っている。それでも、この火のそばで爪を回し続けるのは、少しだけ違う気がした。
▽
夜明けは、砂の色から始まった。
東の空が白むと、リスカムが車内の三人を起こし、ジョニィはスロー・ダンサーに鞍を載せた。丘を一つ越えた所で、先を行く装甲車が速度を落とす。
ジョニィは手綱を引き、丘の頂で馬を止めた。
地平線が、動いていた。
いや、地平線の上を、何かが進んでいる。山と見紛うほどの鋼の塊が、朝日を背負って、ゆっくりと大地を渡っていく。甲板らしき平らな面があり、煙突らしき塔があり、その下で、巨大な脚とも履帯ともつかない物が地面を噛んでいた。
荷台の扉から、フランカとバニラとジェシカが団子になって顔を出した。
「見える? あれがロドス。あたしたちの艦よ」
「三日ぶりです……! ジョニィさん、あそこに食堂があるんですよ。お肉も、お野菜も、あ、駄獣さん……じゃなくて、うまさん用の草も、たぶん……」
「たぶん、なんだな」
「う、うまさん用は……ちょっと、自信ないです……」
ジョニィは、しばらく口がきけなかった。昨日、町が脚で歩くのだと言われた時、ふざけているのかと言い返したことを思い出す。
帽子のつばを持ち上げ、もう一度その鋼の山を見た。
「……大真面目だったのか」
フランカは、満足そうに笑った。
ジョニィは鋼の山から目を離せないまま、頭の中で距離を測っていた。あの大きさなら、一日にどれほど進むのか。あれに乗れば、いつか海まで行けるのか。ネアポリスへ続く海が、この大地の果てにあるのなら。
背後の棺が、朝日を受けて淡く光った。ジョニィは手綱を握り直し、スロー・ダンサーの腹を軽く蹴る。丘の斜面を、蹄の音が下っていった。
第2話をお読みいただき、ありがとうございました。
話タイトルは、ジョニィの「フェアじゃあないだろ」から取りました。自分の手の内ばかり明かしてしまった彼が、相手の番だと言い返す一言です。見えない手に肩を「とん」とされたジェシカには、少し悪いことをしました。
焚き火のそばで、ジョニィは初めて誰かに身の上を話します。レースが終わってから、まだいくらも経っていません。
スタンドは見えないけれど、アーツは見える。同じ不思議な力でも、生まれ方も見え方もまるで違う二つが、この物語ではたびたび向かい合うことになります。
それでは、次回も楽しみに