扉間「聖杯戦争はワシが解体した」 作:ナハ
冬木市、遠坂邸。
夜も更け、街が静寂に包まれる頃。遠坂凛は屋敷の地下室にいた。
床には大きな魔法陣が描かれ、その周囲には召喚の儀式に必要な準備が整えられている。遠坂家が代々受け継いできた魔術の知識と、自身の持つ魔術師としての才能。その全てを活かすための準備は、既に万全だった。
凛は壁に掛けられた時計を確認すると、自信満々に頷いた。
「よし、時間ぴったりね」
今夜はいよいよ英霊召喚の日。失敗は許されない。
冬木市で行われる第五次聖杯戦争。七人の魔術師が七騎の英霊を召喚し、万能の願望機である聖杯を巡って争う魔術師同士の戦争。
遠坂家の後継者である以上、負けるなどという選択肢は存在しなかった。
そして、その勝敗を大きく左右するのが召喚するサーヴァントのクラスだ。
「狙うは当然、最優のサーヴァント。セイバーのクラスよ」
凛は小さく笑みを浮かべると、魔法陣の前に立った。
深呼吸を一つ。意識を集中させ、体内の魔術回路に魔力を通していく。
「素に銀と鉄。礎に石と契約の大公。祖には我が大師シュバインオーグ――」
詠唱が始まると同時に、魔法陣が淡い輝きを放ち始めた。
凛の身体を巡る魔力が急速に高まり、地下室の空気が震える。床に描かれた陣から光が溢れ、魔術師として鍛え上げてきた彼女の魔術回路が悲鳴を上げるほどの負荷を受けていた。
それでも凛は詠唱を止めない。
「――汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ!」
最後の一節を唱え終えた瞬間、魔法陣から凄まじい光が放たれた。
「きゃっ!?」
思わず腕で顔を覆う。
地下室全体を満たした光は数秒ほどで収まり、やがて静寂が戻ってきた。
そして、光の中心には一人の男が立っていた。
「……え?」
凛は思わず間の抜けた声を漏らした。
そこにいたのは、戦国時代を思わせる鎧を身に纏った男だった。
青を基調とした鎧に、肩から首元を覆う白い毛皮。逆立った白銀の髪に、鋭い赤色の瞳。額には見慣れない意匠の刻まれた額当てを装着している。
年齢は三十代から四十代ほどだろうか。その立ち姿には一切の隙がなく、長年戦場を渡り歩いてきた武人特有の威圧感があった。
男は周囲を一瞥すると、目の前に立つ少女へ視線を向けた。
「サーヴァント、アーチャー。千手扉間だ」
男はそこで言葉を切り、眉をひそめた。
「……む? なんだ、口が勝手に動いたな」
「…………」
凛は固まっていた。
今、この男は何と言った?
アーチャー。セイバーではなく、アーチャーと言ったのだろうか。
「あ、あの……今、アーチャーって……」
しかし、男は凛の問いには答えず、自身の頭を押さえながら何やら考え込んでいた。
「……聖杯戦争? 英霊? なんだ……?ワシの知らん知識が流れてくる」
扉間は自分の身体を見下ろし、ゆっくりと両手を開いた。
指を曲げ、握り込み、再び開く。その動作を何度か繰り返した後、今度は自身の胸元に手を当てた。
「……ふむ」
身体の感覚は生前とほぼ変わらない。
しかし、決定的に異なる部分があった。
肉体を構成している力の性質が、これまで経験したものとは違うのだ。
「ワシは死んだはずだが……穢土転生とは違うようだな。奇妙な術よ」
扉間の赤い瞳が凛を捉えた。
「娘、貴様が術者か? 何が目的でワシを呼んだ」
「む、娘って……!」
いきなりの呼び方に凛は眉をつり上げたが、すぐに咳払いをして姿勢を正した。
ここで主導権を握られてはならない。
相手がどれほど強大な英霊であろうと、自分は召喚者でありマスターなのだ。
「そうよ。私が貴方を召喚した魔術師、遠坂凛。まずは契約の確認をさせてもらいたいんだけど」
「契約?」
「ええ。貴方は私のサーヴァントとして召喚されたの。聖杯戦争については、召喚された際にある程度の知識が与えられているはずよ」
「……なるほどな」
扉間は腕を組んだ。
召喚された瞬間から頭の中に流れ込んでくる不可解な知識。それらを整理していくうちに、現在の自分が置かれている状況が少しずつ理解できてきた。
七人の術者、七人の英霊。
互いに争い、最後に残った者が聖杯を手にする。
「つまり、貴様はワシを使って他の六人を始末し、聖杯とやらを手に入れたいというわけか」
「まあ、簡単に言えばそうなるわね。もっとも、必ずしも全員を殺す必要はないけど」
「ふむ……」
扉間は興味深そうに顎へ手を当てた。
「死者を呼び戻し、戦力として使役する。しかも願いを叶えるための殺し合いとはな。随分と物騒な儀式よ」
「……否定はしないわ」
「だが、気に食わんな」
「え?」
扉間の声が低くなる。
「事情も知らされずに呼び出され、見知らぬ小娘の命令に従えと言われても困る。そもそも貴様の言う聖杯とやらに、ワシは何の興味もない」
「ちょ、ちょっと待って! 英霊として召喚された以上、聖杯を求める願いくらいあるんじゃないの!?」
「ないな」
即答だった。
「少なくとも、今のワシには思い当たらん」
「そんなぁ……」
凛は思わず頭を抱えた。
セイバーの召喚に失敗しただけでも計算外だというのに、よりによって召喚された英霊が聖杯に興味を持っていない。
しかも、マスターに対して従順とは言い難い態度である。
早くも前途多難だった。そんな凛を尻目に、扉間は地下室を観察していた。
壁、床、天井。そして足元の魔法陣。目に入るものを一つずつ確認しながら、現在の状況を冷静に分析していく。
「……一つ聞くぞ」
「なによ」
「貴様はワシが何者なのか知っておるのか?」
「え?」
突然の質問に凛は目を瞬かせた。
「千手扉間、だったわよね?」
「そうだ」
「……悪いけど、聞いたことがないわ」
「ほう」
扉間は僅かに眉を動かした。
「千手の名も知らんか」
「ええ。少なくとも、私の知る歴史には出てこない名前ね」
「では、木ノ葉隠れの里は?」
「このは……? 何それ、地名?」
「火の国はどうだ?」
「火の国?」
凛が首を傾げると、扉間はしばらく沈黙した。
その様子を見て、凛も違和感を覚える。
通常、英霊とは過去の英雄や伝説上の人物が英霊の座へと昇華された存在である。知名度の低い英霊が召喚されること自体は不思議ではないが、この男が口にする地名には全く心当たりがなかった。
「……ねえ、貴方って本当に英霊なの?」
「知らん。英霊とやらの定義次第だな」
「じゃあ、生前は何をしていたの?」
「忍だ」
「忍?」
「忍者と言えば分かるか?」
「忍者!?」
凛は驚きの声を上げた。
確かに男の装いは日本の戦国時代を思わせるものだったが、忍者というよりは武将に近い。
もっとも、英霊の外見と生前の職業が必ずしも一致するとは限らない。
「忍者って……あの忍者? 手裏剣を投げたり、忍術を使ったりする?」
「間違ってはおらんが、随分と大雑把な認識だな」
扉間は呆れたように息を吐いた。
「ワシは木ノ葉隠れの里の二代目火影、千手扉間だ。かつては兄と共に里を築き、その後は里を治める立場にあった」
「二代目火影……?」
「火影とは里を治め、守護する者に与えられる称号よ」
「つまり、王様みたいなもの?」
「王とは違うが……まあ、里の長と考えればよい」
凛は改めて男の姿を見つめた。
一国の王ではないにせよ、集団を率いる指導者だったということか。
確かに、その威圧感には納得できるものがある。
しかし、問題はそこではない。
「……それで、忍者の貴方がどうしてアーチャーなのよ」
「知らん」
「知らんって……!」
「そもそもアーチャーとは何だ。弓兵のことか?」
「そうよ。基本的には弓や射撃武器を扱う英霊に与えられるクラスね」
「弓兵か。確かにワシは遠距離戦も得意だが、弓を主武装としたことはないな」
「……そうなの?」
「当然だ。ワシは忍だぞ」
凛は天井を仰いだ。
いよいよ分からなくなってきた。そんな彼女の様子を見た扉間は、小さく鼻を鳴らした。
「もっとも、戦い方に関しては心配するな。接近戦も遠距離戦も一通り心得ておる」
「へえ?」
凛の表情が変わる。
「それじゃあ、少し見せてもらってもいい?」
「何をだ」
「貴方の実力よ。召喚したサーヴァントがどんな戦い方をするのか、マスターとして知っておきたいもの」
「……ふむ」
扉間はしばらく考えた後、周囲を見回した。
「ここでは狭いな。外へ出ろ」
「外?」
「忍術を使うには、この部屋では少々都合が悪い」
「ちょっと待って。そんなに大規模なことをするつもりなの?」
「加減はする」
「信用できないんだけど……」
凛は困ったように眉を寄せた。
しかし、召喚したサーヴァントの実力を確認することは聖杯戦争を勝ち抜くうえで重要だ。
ましてや、相手は自分の知識にない英霊である。
何ができるのかすら分からない状態では、今後の戦略を立てようがない。
「……分かったわ。庭なら多少派手にやっても大丈夫でしょうけど、絶対に屋敷を壊さないでよね」
「心得た」
そう答えた扉間は、何気なく片手を上げた。
その瞬間だった。
「……え?」
凛の目の前から、扉間の姿が消えた。
正確には、消えたように見えた。
何の予備動作もなく、音も立てずに男の姿が視界から失われたのだ。
「なっ……!?」
「何をしておる。早く来い」
背後から声が聞こえた。
凛が慌てて振り返ると、そこには先ほどまで魔法陣の中心に立っていた男がいる。
いつの間に移動したのだろう。
「ちょ、ちょっと待って! 今の何!?」
「何とは?」
「移動よ! どうやって私の後ろに回ったの!?」
「……普通に移動しただけだが」
「嘘でしょ!?」
凛は思わず声を荒らげた。魔術の発動は感じなかった。空間転移の類いでもない。
少なくとも凛の目には、男が単純な身体能力だけで一瞬にして背後へ移動したように見えた。
「……貴方、本当にアーチャー?」
「だからワシに聞くなと言っておろう」
扉間は面倒そうに答えると、地下室の扉へ向かって歩き始めた。
その背中を見送りながら、凛は小さく息を吐いた。
セイバーではなくアーチャー。
聞いたこともない名前の英霊。
おまけに本人は聖杯に興味がなく、マスターに対する態度も尊大ときた。
だが――。
(……今の動き、普通じゃなかった)
凛は魔術師としての直感で確信していた。
この男は、間違いなく強い。しかも、まだ実力の片鱗すら見せていない。
(まあ、いいわ。セイバーじゃなかったのは残念だけど……)
凛は口元に笑みを浮かべた。
(最初から最強のサーヴァントを引き当てるなんて、私らしくないものね。だったら、アーチャーで勝ってみせるわよ)
そう決意して歩き始めた凛だったが、階段を上がる直前でふと足を止めた。
「……そういえば」
先を歩く扉間へ声を掛ける。
「貴方、私のサーヴァントになることは了承してくれたの?」
扉間も足を止めた。
「……まだ判断しかねるな」
「はぁ!?」
「貴様がどのような人間なのかも分からん。ましてや、聖杯戦争とやらの実態も把握しておらんからな」
「ちょっと! それじゃ困るんだけど!」
「慌てるな。少なくとも、今すぐ貴様を見捨てるつもりはない」
扉間は肩越しに凛を見た。
その赤い瞳には、先ほどまでとは異なる真剣な光が宿っていた。
「ただし一つ覚えておけ、娘」
「……何よ」
「ワシは無意味な犠牲を好まん。貴様が己の欲のために無関係な者を巻き込むようなら、その時は容赦せんぞ」
凛は僅かに目を見開いた。
そして、すぐに不敵な笑みを返した。
「奇遇ね。私もそういうやり方は大嫌いなの」
「……ほう?」
「聖杯戦争に勝つためなら何でもする、なんて考えてないわ。私は遠坂家の魔術師として、正々堂々と勝利するつもりよ」
「正々堂々、か」
扉間は僅かに口元を緩めた。
「戦争にそのような甘い考えを持ち込むのは感心せんな」
「なっ……!」
「だが、無関係な者を巻き込まぬという考えは悪くない」
それだけ言うと、扉間は再び歩き始めた。
「よかろう。ひとまず貴様に力を貸してやる」
「……随分と偉そうね」
「不満か?」
「別に。実力さえ確かなら文句はないわ」
凛は肩をすくめた。
「それから、私の名前は遠坂凛。娘じゃなくて凛って呼んでくれる?」
「ふむ。分かった、凛」
「……よろしい」
ようやく少しだけ話が通じた。
もっとも、これから先のことを考えれば、まだまだ問題は山積みである。
凛は階段を上がりながら、先を歩く白髪の男を見つめた。
千手扉間。木ノ葉隠れの里、二代目火影。
この世界の歴史には存在しない、異界の忍。
彼がどれほどの力を持ち、どのような術を使うのか。この時の凛は、まだ何一つ理解していなかった。
そして扉間自身もまた、自分を召喚した聖杯という存在が、かつて己の生み出した禁術とは全く異なる理によって死者を現世に呼び戻していることに、強い興味を抱き始めていた。
(……死者を現世に呼び戻す術か)
扉間は歩きながら思考を巡らせる。
(肉体を依り代として魂を縛り付ける穢土転生とは違う。生前の肉体を再現し、現世に留めておるのか? いや、そもそもこの身体は……)
未知の術式。
未知の世界。
そして、未知の戦争。
千手扉間という男にとって、それらは決して無視できるものではなかった。
(……まずは情報収集だな)
かつて忍界に数々の術を生み出した男は、静かにそう結論づけた。