扉間「聖杯戦争はワシが解体した」   作:ナハ

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2話 有能なサーヴァント扉間

 

翌朝、遠坂邸。

窓から差し込む朝日が室内を照らす中、遠坂凛は自室のベッドで目を覚ました。

 

「……んん」

 

まだ眠気の残る身体を起こし、枕元の時計へと目を向ける。時刻は既に朝を迎えており、普段であれば身支度を始めている頃合いだった。

しかし、今日ばかりはすぐに動く気になれなかった。

昨晩の出来事が、未だに信じられないのだ。

遠坂家の後継者として、長年準備を重ねてきた儀式。最優のサーヴァントと呼ばれるセイバーを召喚するつもりだった凛の前に現れたのは、千手扉間と名乗る謎の男だった。

本人は忍者だと言い、聖杯戦争どころか、この世界の歴史すら知らない様子だった。

それだけでも十分に頭を抱えたくなる事態だったが、問題はその後である。

昨晩、凛は扉間に実力の一端を見せてもらった。

場所は遠坂邸の庭。まず披露されたのは、本人曰く『水遁』と呼ばれる忍術だった。

扉間が両手で奇妙な印を結ぶと、何もない空間に大量の水が出現したのである。

最初は水を操る魔術なのかと思った。

水を扱う魔術師は珍しくない。もちろん、あれほど大量の水を瞬時に生み出すとなれば相応の技量が必要だが、魔術師である凛にとって理解できない現象ではなかった。

だが、次の瞬間にその認識は覆された。

扉間が操った水は鋭い刃となり、庭に植えられていた木を一瞬で切断してしまったのだ。

さらに扉間は、水を針のように変化させて周囲へ飛ばす奇襲技まで披露した。

凛が驚いている間にも、扉間は次々と異なる術を見せてくれた。

そして、極めつけが空間移動である。

あらかじめ特殊な術式を刻んだ場所へ、瞬時に移動する術。

 

『飛雷神の術』

 

そう説明した扉間は、庭の端に置いた札へ一瞬で移動してみせた。

魔術の発動を感じ取るよりも早く、男の姿が消え、次の瞬間には別の場所に立っている。

空間転移。それも、ほとんど予備動作を必要としない瞬間移動だった。

 

「……何なのよ、あれ」

 

アーチャーにして、えらく芸達者だった。

遠距離攻撃、近接戦闘、奇襲、空間移動。

少なくとも、単純な弓兵の枠に収まる英霊ではないことだけは確かだろう。

だが、何より驚いたのは魔力消費の少なさだった。

あれほどの術を連発したにもかかわらず、凛の魔力にはほとんど変化が見られなかったのである。

当然、凛は理由を問い詰めた。すると扉間は、さも当然といった様子で答えたのだ。

 

『ワシはチャクラで術を使っておる。魔力ではない』

 

……らしい。

 

意味が分からない。

 

チャクラ。

 

扉間の説明によれば、身体エネルギーと精神エネルギーを練り合わせることで生み出される、忍術の源となる力だという。

魔力とは別のエネルギーなのだろうか。

しかし、身体や精神から生まれるエネルギーという説明は、魔術師の扱う魔力と似ている部分もある。

凛としては、もう少し詳しく調べてみたいところだった。

 

「……まあ、強いことは分かったんだけど」

 

少なくとも、戦力としては申し分ない。問題は、あの男が自分の指示に従うかどうかだった。

昨晩のやり取りを思い返す限り、どうにも一筋縄ではいきそうにない。

凛は小さくため息をつくと、ベッドから降りて身支度を始めた。

まずは、肝心のサーヴァントを探さなければならない。

 

「……あれ?」

 

身支度を終えた凛は、屋敷の中を見回していた。

しかし、肝心のアーチャーがどこにもいない。

居間にもいなければ、書斎にもいない。昨晩利用した地下室にも姿はなく、念のため庭まで確認したものの、そこにも白髪の男の姿はなかった。

 

「……どこ行ったのよ」

 

そういえば昨晩、寝る前に街の地図をよこせと言われた。

冬木市の地理を把握しておきたいというので、凛は書斎から地図を持ってきて渡したのである。

その際、扉間は随分と熱心に地図を眺めていた。

新都、深山町、冬木大橋。主要な道路や施設の位置を確認し、何やら考え込んでいたことを覚えている。

まさか、あの地図を頼りに勝手に出掛けたのだろうか。

 

「どこに行ったのよアーチャー! 全くもう! マスターに断りもなく無断に行動なんて……」

 

早くも命令を聞いてくれていない。

いや、そもそも最初から素直に命令を聞いてくれるようには見えなかったが。

だからといって、召喚初日から勝手に行動されては困る。

聖杯戦争は既に始まっているのだ。

他のサーヴァントと遭遇する可能性だってあるというのに、何を考えているのだろう。

凛が額に手を当てた、その時だった。

 

「そんなに騒がんでもここにいる」

 

「ひゃあっ!?」

 

突然、背後から声が聞こえた。

慌てて振り返ると、そこには昨日召喚したばかりの男が立っていた。

青い鎧に白い毛皮。

相変わらず鋭い赤い瞳をした扉間が、何食わぬ顔で腕を組んでいる。

どうやら霊体化していたらしい。

 

「驚かさないでよ!?」

 

「肝の小さい娘だ。この程度で騒ぐな」

 

「誰のせいよ! いきなり背後から声を掛けられたら驚くに決まってるでしょ!」

 

「敵意も殺気もない相手に、そこまで驚く必要があるまい」

 

「普通の人間はそんなもの感知できないの!」

 

「……そういうものか」

 

扉間は少しばかり不思議そうな顔をした。

凛は深々とため息をつく。

どうやら、この男と自分とでは常識が大きく異なるらしい。

それも、かなり根本的な部分から。

 

「それより何してたのよ!」

 

「冬木市内を探っておった。聖杯戦争などという儀式をするのだ、過去にも起きているだろう」

 

「まあそうね」

 

凛は頷いた。

冬木市の聖杯戦争は今回で五度目となる。

およそ六十年周期で行われてきた儀式であり、遠坂家はその御三家の一角として、聖杯戦争の成立に深く関わっている。

そのことは昨晩、簡単に説明したはずだった。

 

「ならば情報収集は重要だ。戦争ならば尚のことな」

 

「それは分かるけど……あなた一人で調べてたの? 冬木は広いわよ」

 

新都と深山町を合わせれば、冬木市は決して狭い街ではない。

ましてや、魔術に関係する施設や他のマスターの潜伏場所まで調べようとすれば、相当な時間が必要になるだろう。

しかし、扉間は当然のように答えた。

 

「心配ない。各地に影分身を散らしておる」

 

「……影分身?」

 

凛は首を傾げた。

この男は何を言っているのだろうか。

 

影分身?

 

まさか、分身を作って各地に配置しているとでもいうのだろうか。

 

「……それって、文字通りの意味?」

 

「そうだ。チャクラを分け与えて、実体を持つ分身を作る術よ」

 

「実体を持つ分身!?」

 

思わず声が大きくなった。

分身を作り出す魔術は存在する。

幻影や使い魔を利用して術者の姿を再現することも、魔術師であれば不可能ではない。

しかし、実体を持つ分身となれば話は別だった。しかも、それを複数同時に作り出したという。

 

「ちょっと待って。それって何体くらい作れるの?」

 

「状況による。チャクラの残量と任務の内容次第だな」

 

「……それで、今は何体?」

 

「今は十体ほどだ」

 

「十体!?」

 

凛は思わず扉間を凝視した。

自分と同じ姿をした分身を十体も作り出し、それぞれが独立して行動できる。

それが事実なら、情報収集において凄まじい優位性を得られることになる。

だが、扉間はそんな凛の驚きなど気にも留めず、淡々と話を続けた。

 

「とりあえずこの屋敷にあった文献も参考に、教会、間桐、アインツベルンと配置した。あとは反応が強い付近を感知し配置済みだ」

 

「……ちょっと待って」

 

凛は思わず額を押さえた。

昨日の夜に召喚したばかりだというのに、既に冬木市内の監視体制を構築しているらしい。

しかも、教会と間桐にアインツベルン。

どちらも聖杯戦争において重要な意味を持つ場所である。

 

「……間桐って、あの間桐家?」

 

「他にあるのか?」

 

「ないけど……よく分かったわね」

 

「屋敷にあった資料に記されておった。遠坂、間桐、アインツベルン。この三家が儀式の基礎を築いたのだろう?」

 

「ええ、そうよ」

 

「ならば真っ先に調べるべき場所だ。特に儀式を創設した一族ならば、何らかの情報を握っている可能性が高い」

 

凛は言葉に詰まった。確かにその通りだった。

聖杯戦争に参加する以上、他の御三家について調べるのは当然の行動である。

しかし、まだ召喚して一晩しか経っていないというのに、既にそこまで考えて動いていたとは。

 

(……この男、まさかかなり有能なんじゃないかしら?)

 

凛はそんなことを考え始めていた。

最初は随分と扱いにくいサーヴァントを召喚してしまったと思っていたが、もしかすると予想以上の当たりなのかもしれない。

もっとも、本人の態度が尊大であることに変わりはないのだが。

 

「でも、影分身って言っても状況わかるの? 使い魔とは違うわよね?」

 

「心配はいらん。影分身は解除、又は倒されればワシに経験が戻る」

 

「……え?」

 

「分身が見聞きした情報は、術が解けた時点で本体に還元される。故に、一度に複数の場所を調べることができる」

 

「……何そのチート!?」

 

凛の叫び声が居間に響いた。

それは反則だ。あまりにも便利すぎる。

使い魔であれば、視覚や聴覚を共有する術式を構築する必要がある。維持するための魔力も必要だし、術者自身が意識を向けなければならない場合も多い。

しかし、この影分身という術は違う。それぞれが自分の意思で行動し、術が解除された時点で経験が本体へ戻る。

つまり、十体の影分身を使えば、一人で十か所の情報収集を同時に進められるということだ。

しかも、敵に発見されて倒されたとしても、本体へ情報が伝わる。

偵察において、これほど便利な能力があるだろうか。

 

「……ねえ、アーチャー」

 

「なんだ」

 

「その術って、忍者なら誰でも使えるものなの?」

 

「いや。影分身はワシが作った術だ」

 

「はあ!?」

 

さらっと、とんでもないことを言っている。

 

「作った!? 貴方が!?」

 

「そうだが」

 

「そんな簡単に言わないでよ! 今の説明が本当なら、魔術の世界でも相当な大発明よ!?」

 

「……そうか?」

 

扉間は首を傾げた。

 

「影分身程度でそこまで驚くとはな」

 

「程度って……!」

 

「便利な術ではあるが、分身の数を増やせばそれだけチャクラを消費する。敵に倒されれば術も解けるし、経験が戻る際には疲労も伴う。万能ではないぞ」

 

「それでも十分すぎるわよ……」

 

凛は脱力したように肩を落とした。

昨晩もそうだった。

水を生み出し、刃に変え、空間を移動する。

そして今日は、実体を持つ分身を複数作り出して市内を探索しているという。

聞けば聞くほど、アーチャーというクラスが似合わない男だった。

 

(……この人、アサシンの方が向いてるんじゃないかしら)

 

もっとも、あの瞬間移動や水遁の威力を考えれば、単純に暗殺者と呼ぶのも違う気がする。

一体どれほどの術を使えるのだろう。

 

「……そういえば、さっき影分身が十体って言ってたわよね?」

 

「うむ」

 

「それだけ出しても、私の魔力は全然減ってないんだけど」

 

「昨日も説明したはずだ。術に使用するのはワシ自身のチャクラだ」

 

「……やっぱり、魔力とは違うのね」

 

「貴様らの言う魔力とチャクラの違いについては、ワシもまだ把握しきれておらん。だが、少なくともワシの忍術は問題なく使用できておる」

 

扉間は自分の手を見下ろした。

 

「もっとも、英霊として召喚されたこの身体自体は、貴様との契約によって維持されておるようだがな」

 

「そこは普通のサーヴァントなのね……」

 

凛は少しだけ安心した。

少なくとも、英霊召喚そのものの仕組みから完全に外れた存在というわけではないらしい。

もっとも、独自のエネルギーを使って術を発動できるという時点で、十分に規格外なのだが。

そんなことを考えていた凛だったが、不意に扉間の表情が変わったことに気づいた。

先ほどまでの淡々とした様子とは異なり、その赤い瞳には鋭い警戒の色が浮かんでいた。

 

「それよりも凛。此度の聖杯戦争……きな臭いぞ」

 

「……え?」

 

「特に教会だ。あそこから感じられる魔力は異質だ」

 

「教会って……言峰綺礼よね。監督役よ? まあ胡散臭いけど警戒する?」

 

凛は眉をひそめた。

言峰綺礼。聖堂教会に所属する神父であり、第五次聖杯戦争の監督役を務める人物。

同時に、凛にとっては父の弟子であり、魔術の師の一人でもある。

正直なところ、あの男を信用しているわけではない。

何を考えているのか分からず、いつも人を小馬鹿にしたような態度を取る、いけ好かない神父だ。

それでも、聖杯戦争の監督役という立場は理解している。

参加者を監視し、儀式が適切に進行するよう管理する。少なくとも、表向きは中立であるはずだった。

しかし、扉間は凛の言葉を聞くと、呆れたように眉を寄せた。

 

「だからだ。監督役だから何も無いと誰が決めた。先入観を捨てろ」

 

「……っ」

 

「戦場において、最も危険なのは敵を敵と認識できぬことだ。監督役という立場にあるならば、尚更その動向を把握しておく必要がある」

 

凛は反論しかけたが、言葉を飲み込んだ。

確かに、扉間の指摘はもっともだった。

監督役だからといって、絶対に裏切らない保証などない。

ましてや、魔術師たちが万能の願望機を奪い合う聖杯戦争である。

誰がどのような思惑を抱えていても不思議ではなかった。

 

「……それで、何が異質なの?」

 

「正確なことはまだ分からん。だが、教会には妙な力の反応がある」

 

「魔力の反応?」

 

「うむ。少なくとも、単なる人間のものとは考えにくい」

 

扉間は腕を組んだまま、昨晩から得られた情報を整理するように目を細めた。

 

「昨日、貴様から聞いた話では、英霊はサーヴァントとして現世に召喚されるのだったな」

 

「そうよ」

 

「ならば、他の英霊が潜伏している可能性もある」

 

「……!」

 

凛の表情が引き締まった。

監督役の教会にサーヴァントがいる。

本来ならば考えにくい話だが、可能性を完全に否定することはできない。

何より、扉間は既にその場を調査しているのだ。

 

「……分かった。教会については私も調べてみるわ」

 

「そうしろ。ただし、直接問い詰めるのは得策ではないぞ」

 

「分かってるわよ。私だって魔術師なんだから」

 

「ならばよい」

 

扉間は小さく頷いた。

 

「それに間桐もきな臭い。あれはもっと深いぞ」

 

「間桐……」

 

凛は思わずその名を繰り返した。

間桐、遠坂家と同じく、聖杯戦争を創設した御三家の一角。

かつては優れた魔術師の家系だったと聞いているが、現在では魔術回路の衰退が進んでいるという。

凛が知る限り、間桐家の後継者である慎二には魔術師としての才能がない。

そして、もう一人。

間桐桜。同じ学校に通う一学年下の少女。

凛にとって、決して無関係とは言えない相手だった。

 

「……間桐家がどうかしたの?」

 

「まだ詳しくは分からん。だが、屋敷から妙な気配を感じた」

 

「妙な気配?」

 

「生き物の気配だ。それも、尋常な数ではない」

 

「……生き物?」

 

「虫に近い。屋敷の内部にまで多数存在しておるようだ」

 

凛は眉をひそめた。

虫。間桐家は蟲を用いる魔術を得意としていたと聞く。

であれば、それ自体は不自然ではない。

だが、扉間の口ぶりからすると、単に魔術用の蟲を飼育しているという話ではなさそうだった。

 

「……それ、間桐家の魔術じゃないの?」

 

「その可能性はある。だが、問題は数と配置だ」

 

扉間は静かに続けた。

 

「屋敷そのものが一つの巣になっておるように感じる。あれほどの数を維持するとなれば、相応の目的があるはずだ」

 

「…………」

 

「それに、あの屋敷には妙な老獪さを感じる。表面に見えるものだけで判断するのは危険だな」

 

凛は黙り込んだ。

間桐家の事情について、彼女が知っていることは決して多くない。

御三家の一角であること。魔術師としての力が衰退していること。

そして、桜があの家で暮らしていること。

それだけだ。

 

(……桜)

 

一瞬、少女の顔が脳裏に浮かんだ。

しかし、凛はすぐにその考えを振り払った。

今は聖杯戦争の最中だ。個人的な感情だけで動くわけにはいかない。

 

「……分かった。間桐家についても警戒しておくわ」

 

「それがよい」

 

扉間は頷くと、何事もなかったかのように話を続けた。

 

「影分身には各地にマーキングをさせておる。何かあれば飛べるようにな」

 

「……マーキング?」

 

「昨日見せた飛雷神の術だ。あらかじめ術式を刻んだ場所であれば、そこへ瞬時に移動できる」

 

「……ああ、あれね」

 

昨晩、庭で披露された空間移動。

凛はその光景を思い出した。

 

「ちょっと待って。まさか、冬木市のあちこちに瞬間移動できるようにしたってこと?」

 

「そういうことだ」

 

「…………」

 

「いざとなれば術者を始末すれば良い」

 

「物騒ね!?」

 

思わず凛は叫んだ。

いくらなんでも、あまりに判断が早すぎる。

 

「ちょっと! いきなりマスターを殺すとか、そういうのは最後の手段でしょ!?」

 

「当然だ。最初から殺すとは言っておらん」

 

「今、始末するって言ったじゃない!」

 

「いざとなれば、だ。敵対した相手を無力化するには幾つか方法がある。説得、捕縛、あるいは戦闘による制圧。それでも排除が必要ならば、躊躇する理由はなかろう」

 

「……まあ、そうだけど」

 

「相手も殺し合いを前提に参加しておるのだろう? ならば、こちらも相応の備えをしておくべきだ」

 

扉間の言葉には、戦争を経験してきた者特有の重みがあった。

凛は少しだけ表情を曇らせた。確かに聖杯戦争は命を懸けた戦いだ。

しかし、彼女にとってはあくまで魔術師同士の儀式である。

一方、目の前の男は違う。戦争を知っている。

それも、聖杯戦争のように限られた人数で行われる戦いではなく、数多くの人間が命を奪い合う本物の戦争を経験してきたのだろう。

 

「……ねえ、アーチャー」

 

「なんだ」

 

「貴方、生前はそんなに戦争ばかりしていたの?」

 

扉間は僅かに目を細めた。

 

「……そうだな。ワシの生きた時代は戦乱の世だった」

 

「戦乱の世……」

 

「一族同士が争い、昨日まで生きていた者が翌日には死んでおる。そんな時代よ」

 

凛は黙って耳を傾けた。

 

「子供であろうと容赦なく戦場に駆り出された。ワシも幼い頃から戦っておったし、幾人もの身内を失ってきた」

 

「…………」

 

「だからこそ兄者と共に里を作ったのだ。少なくとも、子供が無意味に死ぬような世を終わらせるためにな」

 

その言葉に、凛は意外そうな表情を浮かべた。

昨日から見ている限り、この男は合理主義者だ。必要と判断すれば、どれほど冷酷な手段でも選びかねない。

だが、今の言葉には確かな信念があった。

 

「……そうだったの」

 

「昔の話だ」

 

扉間はそれ以上語ろうとはしなかった。

代わりに、凛へと視線を向ける。

 

「それより凛。一つ確認しておきたいことがある」

 

「何?」

 

「此度の聖杯戦争で、貴様は何を望む?」

 

「……望む?」

 

「聖杯はあらゆる願いを叶えるのだろう? ならば、貴様にも叶えたい願いがあるはずだ」

 

凛は少し考えた後、肩をすくめた。

 

「別に、これといって願いはないわよ」

 

「……何?」

 

今度は扉間が眉をひそめる番だった。

 

「願いがない?」

 

「ええ。私は遠坂家の後継者として聖杯戦争に参加してるの。聖杯を手に入れること自体が目的と言ってもいいわね」

 

「…………」

 

「何よ、その顔」

 

「いや……願いもないのに殺し合いへ参加するとは、随分と奇特な娘だと思ってな」

 

「なっ……!」

 

凛は思わず頬を膨らませた。

 

「魔術師には魔術師の事情があるのよ!」

 

「事情は分からんでもない。だが、目的と手段を取り違えるなよ」

 

「……どういう意味?」

 

「聖杯を得ることが目的なのか、それとも聖杯によって何かを成し遂げることが目的なのか。その違いは大きい」

 

扉間は腕を組んだ。

 

「そもそも、願いを叶えるという聖杯の力が本物である保証はあるのか?」

 

「それは……」

 

「何を代償に、どのような理屈で願いを叶えるのか。儀式を築いた者たちは、その仕組みをどこまで把握しておる?」

 

凛は答えに詰まった。

確かに、聖杯戦争の仕組みについては遠坂家に伝わる知識がある。

しかし、聖杯そのものの詳細について、全てを知っているわけではない。

 

「……そこまで言われると、私にも分からないわね」

 

「ならば調べるまでよ」

 

扉間はあっさりと言い切った。

 

「敵を知り、己を知る。それだけでは足りん。戦場そのものを把握せねば、思わぬところで足をすくわれる」

 

「……戦場そのもの、ね」

 

「聖杯戦争を勝ち抜きたいというなら、まずはこの儀式の全容を把握する必要がある。戦うのはそれからでも遅くはない」

 

凛はしばらく扉間を見つめていた。

そして、小さく笑った。

 

「……分かったわ。情報収集については、貴方に任せる」

 

「うむ」

 

「ただし!」

 

凛は人差し指を立てた。

 

「危険なことをする前には、ちゃんと私に相談すること! 勝手に敵のマスターを殺したりしないでよね!」

 

「状況によるな」

 

「そこは了承しなさいよ!」

 

「緊急時に貴様の許可を待っておれば、手遅れになる可能性もある。判断は現場で行う」

 

「ぐっ……!」

 

反論できない。理屈としては正しい。

正しいのだが、何とも腹立たしい。

凛は大きくため息をついた。

 

(……本当に扱いにくいサーヴァントね)

 

しかし、その一方で確かな安心感も覚えていた。

召喚からまだ一晩。

それだけの時間で、この男は冬木市の地理を調べ、重要施設に監視の目を置き、瞬間移動のための準備まで整えてしまった。

聖杯戦争の知識もほとんどない状態から、である。

これほど頼りになるサーヴァントも、そうはいないだろう。

もっとも、マスターとしての威厳が保てるかどうかは別問題だった。

 

「……とりあえず、私は朝食にするわ。貴方はどうする?」

 

「ワシは必要ない」

 

「そう? サーヴァントでも食事はできるんでしょ?」

 

「できるようだが、今は特に必要性を感じん」

 

「ふーん……まあ、いいけど」

 

凛は台所へ向かおうとして、ふと足を止めた。

 

「……そういえば、アーチャー」

 

「なんだ」

 

「昨日の夜からずっと情報収集してたの?」

 

「そうだ」

 

「……寝てないの?」

 

「英霊の身体に睡眠が必要だとは聞いておらんぞ」

 

「いや、そうだけど……」

 

凛は何とも言えない顔をした。

どうやら、自分が眠っている間もこの男は一晩中働いていたらしい。

しかも十体の分身まで使って。

 

(……私より働いてない?)

 

そう思ったところで、凛は慌てて首を振った。

いやいや、何を考えているのか。マスターは自分なのだ。

サーヴァントが働くのは当然ではないか。

そう自分に言い聞かせながら、凛は台所へ向かった。

一方、扉間は窓の外へ目を向けていた。

冬木市。一見すれば、平和な街である。

しかし、その裏では既に聖杯戦争が始まっている。

 

(……さて)

 

扉間は静かに思考を巡らせた。

 

(教会、間桐、そしてその他の魔力反応。まだ調べるべきことは多い)

 

幸い、影分身は各地で活動を続けている。

情報が集まるのも時間の問題だろう。

そして何より、この聖杯戦争という儀式そのものに、扉間は強い疑念を抱いていた。

死者を召喚し、使役する。それだけでも十分に危険な術だというのに、術者たちはその力を用いて殺し合いを繰り広げるという。

しかも、その根幹にある聖杯の仕組みは不明瞭だった。

 

(……穢土転生もそうだが、死者を利用する術というものは、扱いを誤れば取り返しのつかぬ事態を招く)

 

かつて、自ら禁術を開発した男だからこそ分かることがある。

術には必ず仕組みがある。術式が存在し、発動条件があり、維持するための力が必要となる。

どれほど不可解な現象であろうと、その理を解き明かすことは不可能ではない。

 

(まずは聖杯戦争の全容を把握する。話はそれからだ)

 

扉間は窓の外へと視線を向けたまま、静かに目を細めた。

この時点で彼は、聖杯戦争に勝利することだけを目的としてはいなかった。

必要とあらば、儀式そのものに手を加えることすら視野に入れていたのである。

もっとも、そのことを知れば凛がどのような反応を示すか。

それは、まだ誰にも分からなかった。

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