扉間「聖杯戦争はワシが解体した」 作:ナハ
冬木市、穂群原学園。
第五次聖杯戦争が始まってから、千手扉間の行動は実に迅速だった。
凛が学校へ通っている間も、扉間は影分身を利用して冬木市内の偵察を続けていた。新都の高層ビル群、深山町の住宅街、人気の少ない河川敷、そして聖杯戦争に関係すると思われる施設。その全てに目を光らせ、情報収集を二十四時間体制で行っている。
扉間自身は基本的に霊体化して凛の傍に控え、必要に応じて影分身を動かしていた。
この方法ならば、万が一敵のサーヴァントに遭遇したとしても、本体を危険に晒すことなく相手の能力を調べられる。
ただし、影分身の数を増やせば当然チャクラの消費も大きくなる。そのため、扉間は状況に応じて分身の数を調整し、必要以上の戦力を割かないようにしていた。
凛からすれば、召喚されたばかりのサーヴァントがここまで自主的に動いてくれるのはありがたい。ありがたいのだが……
この男、こちらの指示を待つという発想がほとんどないのである。
何かを命令しようとする頃には既に行動を終えており、凛が把握していないところで次々と準備を進めてしまう。
そして、その日の夕刻。
授業を終えた生徒たちが次々と下校し、校舎から人の気配が薄くなり始めた頃、凛と扉間は校舎の屋上にいた。
夕日に染まる冬木市を見渡しながら、二人は静かに何かを待っていた。
「……来るぞ」
扉間が短く告げた。
「ええ、わかってる。来るわね」
凛も表情を引き締める。
校庭の向こうから、明らかに人間とは異なる魔力の反応が近づいていた。
サーヴァント。恐らく間違いない。
聖杯戦争が始まって早々、いきなり初戦を迎えることになりそうだった。
「……随分と堂々としてるわね。こちらに気づいているのかしら」
「可能性は高いな。だが、こちらの正確な位置までは把握しておらんようだ」
扉間は腕を組み、遠くを見つめていた。
その表情に緊張はない。むしろ、何かを観察する研究者のような冷静さがあった。
「で、どうするの? ここで迎え撃つ?」
「いや、まずは相手の力量を測る」
そう答えると、扉間は素早く両手を合わせて印を結んだ。
「影分身の術」
軽い破裂音と共に白い煙が生じ、扉間と瓜二つの男がその場に現れた。
凛も既に説明を受けていたとはいえ、実際に目の前で分身が作られる光景には未だに慣れない。
見た目だけでは全く区別がつかず、どちらが本体なのかすら分からないほどだった。
「影分身で戦うの?」
「そうだ。敵はどんな術を使うか未知数だ、ならばこちらの手の内を晒す必要も無い」
「なるほど。まずは影分身で様子見ってわけね」
「そうだ」
扉間が頷くと、影分身は何も言わずに屋上の縁へと向かった。
そして、躊躇することなく飛び降りる。
「ちょっ!?」
思わず凛が声を上げかけたが、影分身は校舎の壁面を蹴って落下速度を調整すると、音もなく地面へ着地した。
そのまま素早く茂みへと身を滑り込ませ、気配を消す。
一連の動作はあまりにも自然で、凛が目で追っていなければ、どこへ消えたのか分からなかっただろう。
「……本当に忍者なのね」
「何を今更」
扉間は当然のように答えた。
「ワシらも行くぞ。離れた場所から観察する」
「わかったわ」
二人は屋上を離れ、校舎の陰にある見通しのよい場所へ移動した。
グラウンド全体を確認でき、なおかつ相手からは発見されにくい位置である。
扉間はそこで足を止め、気配を抑えた。凛も魔力の流れを抑えながら、校庭へと視線を向ける。
そして、程なくして。一人の男がグラウンドに姿を現した。
青い全身タイツのような装束に身を包み、肩には長大な赤い槍を担いでいる。
逆立った青い髪と鋭い眼光。その立ち姿からは、獰猛な獣を思わせる威圧感が漂っていた。
「……ランサー」
凛が小さく呟いた。
あの赤い槍を見れば、クラスを推測するのは難しくない。
槍兵の英霊。七騎のサーヴァントのうち、白兵戦において高い能力を発揮するクラスだ。
ランサーはグラウンドの中央まで歩いてくると、周囲を見回した。
「なんだよ、ビビって逃げたか? つまんねえな」
不満そうに呟き、肩に担いだ槍を軽く回す。
どうやら、こちらを挑発しているらしい。
その様子を遠くから観察していた凛は、思わず眉をひそめた。
「……随分と好戦的な奴ね」
「槍を持って正面から挑んでくるか。近接戦闘に相当な自信があるのだろう」
扉間はランサーの足運びに注目していた。
一見すると無造作に歩いているようだが、重心の置き方に隙がない。槍を担いだ姿勢も自然であり、どの方向から攻撃されても即座に対応できる構えになっている。
(……かなりの使い手だな)
扉間は内心でそう評価した。
生前、数多くの忍と戦ってきた彼には分かる。
あの男は単なる力自慢ではない。長年にわたって戦場を経験してきた、本物の武人だ。
そして、その予想を裏付ける出来事が起こった。
ヒュッ!
鋭い風切り音が響いた。
ランサーの背後から、数本のクナイが飛来したのである。
「おっと」
ランサーは振り返ることすらせず、手にした槍を軽く動かした。
金属同士がぶつかる甲高い音が連続して響き、飛来したクナイが次々と弾き落とされる。
弾かれたクナイは地面に散らばり、そのうち数本がランサーの足元へと突き刺さった。
「……コソコソしやがって」
ランサーは不機嫌そうに周囲を見渡した。
だが、攻撃してきた相手の姿は見えない。茂みの中か、それとも校舎の陰か。
気配を探ろうとした瞬間、再びクナイが飛んできた。
「チッ!」
今度もランサーは槍を振り、飛来したクナイを難なく弾き飛ばす。
しかし、その直後。クナイに括り付けられた一枚の札が視界に入った。
「……あ?」
札には見慣れない文字が刻まれている。
何かの呪符だろうか。そう考えた瞬間だった。
ドォンッ!!
爆発音がグラウンドに響き渡った。
クナイに取り付けられていた起爆札が、一斉に炸裂したのである。
爆風が砂煙を巻き上げ、周囲の地面を抉った。
「……なっ!?」
離れた場所で見ていた凛が目を見開く。
「ちょっと! いきなり爆発させるなんて聞いてないんだけど!?」
「敵の動きを止めるには有効だ」
「そういう問題じゃないわよ! 学校のグラウンドなんだけど!?」
「威力は抑えておる。大した損傷にはなるまい」
「……本当に?」
「少なくとも、建物を破壊するようなものではない」
凛は頭を抱えた。
どうやら、この男と自分とでは『大したことはない』の基準が違うらしい。
しかし、扉間は凛の抗議など気にも留めず、砂煙の向こう側を観察していた。
爆発の中心。そこには、赤い槍を手にした男が立っていた。
衣服の一部が焦げ、わずかに傷を負っているものの、その表情には余裕がある。
どうやら、咄嗟に爆発から身を守ったらしい。
「陰湿なサーヴァントだな……! 姿を見せやがれ!」
ランサーが怒鳴った。
その声には怒りと同時に、戦闘そのものを楽しむような響きがあった。
だが、返事はない。代わりに、彼の足元に刺さっていた一本のクナイに変化が起こった。
柄に刻まれた特殊な術式。その模様が、ほんの一瞬だけ淡く光ったのである。
「……!」
ランサーが異変を察知した時には、既に遅かった。
先ほどまで誰もいなかった場所に、白髪の男が出現していた。
「なっ……!?」
瞬間移動。
ランサーの目には、そうとしか映らなかった。
しかも、男が現れたのは自分のすぐ懐。既に相手はクナイを握り込み、喉元へと刃を走らせていた。
(速え……!)
ランサーは反射的に身体を捻った。
同時に赤い槍を引き戻し、首を狙っていたクナイを受け止める。
ギィンッ!!
激しい金属音が響いた。
刃と槍がぶつかり合い、火花が散る。
ほんのわずかに反応が遅れていれば、確実に喉を切り裂かれていただろう。
「ワシの奇襲に対応するとは……やるな」
扉間が感心したように呟いた。
「そりゃどうも。さっきからコソコソやりやがって……!」
ランサーは獰猛な笑みを浮かべた。
目の前の相手は、どうやら相当に厄介な手合いらしい。
先ほどまで気配を隠して飛び道具を投げていたかと思えば、今度は何の前触れもなく懐へ飛び込んできた。
しかも、殺気を察知してからでは対応が間に合わないほどの速さだった。
「面白えじゃねえか!」
ランサーは鍔迫り合いから一歩引くと、槍を振り回して襲いかかった。
赤い槍が凄まじい速度で空気を切り裂く。
突き、払い、薙ぎ。
その全てが一撃必殺の威力を秘めており、扉間はクナイで攻撃を受け流しながら、少しずつ距離を取っていった。
甲高い金属音が幾度となく響く。ランサーの槍さばきは見事だった。
長大な槍をまるで自分の手足のように操り、間合いの内側へ入り込もうとする扉間を的確に牽制してくる。
一方、扉間も決して無理に踏み込もうとはしない。
(……なるほど。これが英霊の身体能力か)
影分身の扉間は、内心で相手の力量を分析していた。
速い。生前に幾度となく戦った忍たちと比較しても、その速度は相当なものだった。
何より厄介なのは、槍の技量である。攻撃の一つ一つに無駄がなく、わずかな隙を見せれば即座に急所を狙ってくる。
しかも、まだ全力を出しているようには見えなかった。
(分身に割り当てたチャクラでは、長時間の接近戦は不利だな)
扉間は槍の一撃をクナイで弾くと、素早く後方へ跳躍した。
距離が開いた瞬間、両手を合わせて印を結ぶ。
「水遁・水龍弾の術!!」
その声と共に、周囲の空気が震えた。
扉間の前方に大量の水が生じ、瞬く間に巨大な龍の形を作り上げる。
水によって形作られた龍は、まるで本物の生き物のように空中をうねりながら、その巨大な顎を開いた。
「……おいおい」
ランサーは思わず目を見開いた。
目の前に現れた巨大な水龍。
魔術の類いなのだろうが、これほどの規模の攻撃を、あれほど短い動作で発動できるとは思わなかった。
しかし、驚きは一瞬だった。
「水の龍か! おもしれぇ!!」
ランサーは槍を握り直すと、嬉々として迎え撃った。
水龍が唸りを上げ、一直線に襲いかかる。
その巨体はグラウンドを覆い尽くすほどではないにせよ、まともに受ければ人間などひとたまりもない威力を秘めていた。
だが、ランサーは退かなかった。
「ハァッ!!」
赤い槍が閃く。
迫り来る水龍の頭部を槍が貫き、続けざまに振るわれた刃が水の巨体を切り裂いていく。
水飛沫が周囲へ飛び散り、グラウンドを濡らした。
通常の水流とは比較にならない圧力を持つ水龍だったが、ランサーの槍はその勢いを正面から打ち砕いていた。
そして数秒後。巨大な水龍は完全に形を失い、ただの水となって地面へと降り注いだ。
「……この程度では倒せんか。影分身の身では厳しいな」
扉間は冷静に呟いた。
「……嘘でしょ」
その光景を見ていた凛は、思わず声を漏らした。
昨晩、庭で見せてもらった水遁とは比較にならない規模の術だった。
あれほどの水流を生み出せるというだけでも驚きだというのに、それを真正面から迎え撃ったランサーも尋常ではない。
「……あれを全部捌くなんて」
「槍術の腕は本物だな。身体能力も高い」
隣で観察していた扉間は、淡々と評価を口にした。
「だが、攻撃手段は今のところ槍のみだ。宝具とやらもまだ使っておらん」
「そうね……って、ちょっと待って!」
凛は何かに気づいたように扉間へ振り返った。
「影分身、かなり押されてるじゃない!」
「そうだな」
「そうだな、じゃないわよ! 負けたらヤバいじゃない! そうしたら偽物ってバレるわよ!」
凛が慌てる一方、扉間は腕を組んだまま動じる様子もない。
「案ずるな。それはそれで利用出来る」
「……は?」
「影分身が倒されるならば好都合よ。凛、お前はサーヴァントを失ったと誤認させられるのだからな」
「…………」
凛は一瞬、言葉を失った。
どういうことだろう。サーヴァントを失ったと誤認させる?
つまり、あの影分身を自分のサーヴァントだと思わせ、そのまま倒させるということだろうか。
「……バレない?」
「影分身を使えるのはワシだけだ。忍界ならばまだしもこの世では見破るのは難しい」
扉間は視線をグラウンドへ戻した。
「死を偽装すればよい」
あまりにも簡単に言ってのけた。
凛は呆気に取られながら、目の前の男を見つめた。
影分身という術は、本体と同じ姿を持ち、独立して行動できる。
だが、分身に割り振られたチャクラには限りがあり、強い攻撃を受ければ消滅してしまう。
つまり、本体よりも戦闘能力は劣る。その欠点を補うのではなく、あえて利用する。
そうすることで、相手に戦闘が終わったと思い込ませるのだ。
仮にランサーが自分のマスターへ戦闘結果を報告したならば、遠坂凛のサーヴァントは既に敗北したという情報が広まる可能性すらある。
(……そこまで考えてたの?)
凛は内心で戦慄した。
目の前の男は、ただ敵の能力を調べるために影分身を送り出したのではなかった。
倒されることさえ想定に入れていたのである。
「……でも、サーヴァントって倒されたら消滅するのよ? 普通の人間みたいに死体は残らないわ」
「ならば尚更都合がよい。消えること自体は不自然ではあるまい」
「……確かに」
「問題は消え方だ。そこは多少工夫が必要だろうな」
扉間はそう言うと、顎に手を当てた。
「何より、あの槍兵がどこまでこちらの情報を持っておるか分からん。まずは相手に誤った情報を与え、こちらの優位を確保する」
「……なるほどね」
使えるものは、とことん使う。それが自分自身であっても。
凛はようやく理解した。この男にとって戦いとは、単純に相手を倒すことではない。
情報を集め、相手の思考を誘導し、次の戦いを有利にする。
そうした積み重ねこそが、勝利へと繋がるのだ。
(……この人、本当に戦争の専門家なのね)
凛は改めて自分のサーヴァントを見つめた。
強大な力を持つ英霊は数多く存在するだろう。
しかし、ここまで徹底して情報戦を重視する英霊が、果たしてどれほどいるのだろうか。
少なくとも、凛が想像していたアーチャー像とは大きく異なっていた。
「おもしれぇ術だがな! 甘いぜ!」
ランサーは水龍弾を完全に捌ききると、濡れた地面を蹴った。
その瞬間、彼の姿が弾丸のような速度で前方へ飛び出した。
「……!」
影分身の扉間が反応する。
しかし、距離を取った直後で体勢を整えきれていなかったこともあり、迎撃の動作がわずかに遅れた。
そこへ、赤い槍が迫る。
「もらったぁ!!」
鋭い穂先が扉間の胸を貫いた。
「ぐっ……!」
影分身の身体が大きく揺れる。
槍は胸部を深々と貫通しており、通常の人間であれば致命傷は免れないだろう。
ランサーは確かな手応えを感じ、口元に笑みを浮かべた。
「へっ、悪くねえ腕だったぜ」
そう言って槍を引き抜く。
扉間の身体がぐらりと傾いた。
影分身を構成するチャクラが乱れ、その輪郭がわずかに揺らぐ。
本来であれば、この時点で術が解除されてもおかしくない。
しかし、扉間は意識的にチャクラを制御し、分身の形を維持していた。
(……もう少しだ)
膝が折れる。そして、地面に倒れ込んだ。
ランサーはその様子を見下ろし、軽く肩をすくめた。
「けっ、こんなもんかよ。にしてもアサシンかこいつ? いやキャスター……わかんねえな」
実際、ランサーには相手のクラスが判断できなかった。
最初は姿を見せず、飛び道具による奇襲を仕掛けてきた。
その後は瞬間移動と思われる能力で懐へ飛び込み、最後には巨大な水龍を生み出した。
暗殺者であるアサシン、あるいは魔術師であるキャスター。
どちらも考えられるが、決め手に欠ける。
何より、あの身のこなしと近接戦闘の技量は、単純な魔術師のものではなかった。
「……まあいい。帰るとするか」
ランサーは槍を肩に担ぎ直した。
相手は既に倒れている。あれほど深く胸を貫かれたのだから、今更動けるはずもない。
そう判断して、背を向けた。
――その瞬間。
地面に倒れていた扉間の指が、わずかに動いた。
「……!」
次の瞬間、影分身は残された力を振り絞って跳ね起きた。
そして、背を向けたランサーへ一気に接近する。
右手には一本のクナイ。狙いは背中、刃がランサーの身体へ押し当てられた。
「ぐっ!?」
突然の痛みにランサーが顔を歪める。
背中を裂かれ、赤い血が飛び散った。
「……痛えな!! 甘いって言ってんだよ!」
ランサーは怒声を上げ、反射的に槍を振り抜いた。
その一撃が扉間の身体を捉える。
今度こそ限界だった。影分身の輪郭が崩れ始める。
「……ふむ」
消滅する寸前、扉間は僅かに口元を緩めた。
(……反応速度、攻撃の間合い、槍術の癖。十分だな)
次の瞬間。
その身体は、淡い魔力の粒子が散るように見える薄い煙を残して消え去った。
「……あ?」
ランサーは槍を振り抜いた姿勢のまま、眉をひそめた。
消えた。確かにサーヴァントであれば、致命傷を受けて消滅することは不思議ではない。
しかし、今の消え方には奇妙な違和感があった。
「……往生際が悪い英霊だったな」
ランサーは小さく舌打ちした。
念のため周囲を確認するが、先ほどまでの敵の気配は既にない。
どうやら、完全に消滅したらしい。
「ま、これで一騎脱落ってところか」
そう呟き、背中の傷を確かめる。
深くはない。しかし、確かに刃が通っていた。
最後の最後まで油断ならない相手だったということだ。
「……ったく、嫌な野郎だったぜ」
ランサーは傷口から手を離し、校舎の方へ歩き始めた。
校舎の陰で戦闘を観察していた扉間が、静かに目を閉じた。
影分身が解除されたことにより、その経験が本体へと戻ってきたのである。
戦闘中に見た光景。槍の軌道。攻撃に対する反応速度。
さらには、槍に胸を貫かれた際の感覚までが、一度に意識へ流れ込んでくる。
扉間はそれらの情報を整理しながら、小さく息を吐いた。
「……なるほどな」
「アーチャー?」
凛が不安そうに声を掛けた。
「分身が倒されたわよね? 大丈夫なの?」
「問題ない。情報は戻ってきた」
「……本当に便利ね、その術」
「うむ。今回の目的は概ね達成した」
扉間は視線をグラウンドへ向けた。
「接近戦における技量は相当なものだ。槍の間合いを熟知しておる。特に突きの速度は警戒すべきだろう」
「……やっぱり強いのね」
「強いな。だが、戦い方はある程度把握できた」
扉間は腕を組んだ。
「あの男、攻撃に対する反応速度が尋常ではない。こちらの飛雷神による奇襲にも対応しておった」
「そうね……あれには私も驚いたわ」
「だが、完全に防がれたわけではない。最後の一撃も通った。対処できぬ相手ではないな」
凛は感心したように頷いた。
確かに、影分身は敗北した。
しかし、それによって扉間の能力が全て知られたわけではない。
むしろ、こちらは相手の戦闘能力を把握できたうえ、相手にはサーヴァントを倒したと思わせることができた。
結果だけを見れば、情報戦としては大きな成功と言える。
「……それで、これからどうするの?」
「ひとまず退く。敵の宝具はまだ確認できておらんが、無理に探る必要もあるまい」
「意外ね。もっと詳しく調べるのかと思った」
「情報を得るために本体を危険に晒しては本末転倒だ。それに、あの男はまだ何か隠しておる」
扉間はランサーの姿を目で追いながら、低い声で続けた。
「槍を扱う英霊である以上、あの槍自体が宝具である可能性も高い。正体が分からぬうちは不用意に接近せぬ方がよい」
「……分かったわ」
凛も同意した。
聖杯戦争において、宝具は英霊の切り札となる。
その正体を知らないまま戦えば、どれほど優位に立っていたとしても、一瞬で逆転される可能性がある。
ここは無理に戦闘を続ける場面ではないだろう。
しかし、二人が撤退しようとした時だった。扉間の表情が僅かに変わった。
「……む?」
「どうしたの?」
「待て。あの槍兵、何かに気づいたようだぞ」
凛が慌ててグラウンドへ目を向ける。
ランサーは校舎の方へ視線を向け、足を止めていた。
どうやら、何者かを発見したらしい。
「……誰かいるの?」
「……人間だな」
「え?」
扉間は目を細めた。
その視線の先。校舎の近くに、一人の少年が立っていた。
穂群原学園の制服を着た男子生徒。どうやら、まだ学校に残っていたらしい。
そして、ランサーもまた、その存在に気づいていた。
「……ん? ありゃあ……」
ランサーは眉をひそめた。
目の前にいるのは、どう見ても一般人だ。
魔術師らしい気配もなければ、サーヴァントのような魔力も感じられない。
ただの学生。しかし、問題はそこではなかった。この少年は、先ほどの戦闘を目撃していたのだろうか。
ランサーの瞳が、ゆっくりと細められる。
「……おいおい、マジかよ」
その声には、先ほどまでの戦闘を楽しむような響きはなかった。
聖杯戦争には、一つの原則がある。
魔術の存在を一般人に知られてはならない。
そして、その原則を守るために必要とあらば、目撃者の口を封じることも許されている。
「……見られちまったか」
ランサーは赤い槍を握り直した。
その様子を、離れた場所から扉間が静かに観察していた。
「……凛」
「……何?」
「どうやら、厄介なことになりそうだぞ」
凛は少年の姿を確認し、思わず目を見開いた。
「あれって……!」
見覚えのある赤毛の少年。
同じ学校に通う、顔見知りの男子生徒だった。
「……衛宮君?」
その名を口にした瞬間。
グラウンドに立つランサーが、ゆっくりと少年へ向き直った。
第五次聖杯戦争。その戦いに、本来関わるはずのなかった一人の少年が、今まさに巻き込まれようとしていた。
書き溜めが終わったので遅くなります…