扉間「聖杯戦争はワシが解体した」 作:ナハ
夜の住宅街を、間桐慎二は苛立たしげに歩いていた。
穂群原学園での戦闘は散々だった。衛宮士郎のセイバーにライダーを圧倒され、遠坂凛には妙な札で爆発を起こされる始末。結局、結界を維持することもできず、逃げ帰る羽目になった。
「……くそっ! 何なんだよ、あいつら!」
慎二は足元の小石を蹴り飛ばした。
「衛宮のくせに、セイバーなんて引き当てやがって! 遠坂だってそうだ! サーヴァントを失ったくせに、何であんなに偉そうなんだよ!」
その後ろをライダーが歩いていた。
先ほどの戦闘で肩に傷を負い、魔力も消耗している。致命傷ではないが、すぐに戦闘を再開するには厳しい状態だった。
「慎二。今は屋敷へ戻るべきです」
「分かってるよ! いちいち指図するな!」
「ですが、これ以上の戦闘は危険です。セイバーの能力は想定以上でした」
「黙れよ! お前が弱いから負けたんだろ!」
ライダーは何も答えなかった。
その態度が気に入らなかったのか、慎二は手にしていた本を掲げた。
「何だよ、その態度……さっさと傷を治せよ! そうしたらまたセイバーと戦わせて今度こそ僕が勝つんだからさあ!」
赤い表紙に金色の紋様が描かれた奇妙な本。
本来のマスターからライダーの使役権を借り受けるための魔術礼装である。
「ですが慎二……傷を治そうにも魔力がなければ……」
「なんだよ……僕が悪いってのか!?」
「いえ……桜から魔力を回してもらえば……治癒は出来ます」
「くそっ!桜……桜桜!お前も僕を馬鹿にしてよ!!……ならさっさと桜から魔力奪って回復しろ!」
「……承知しています」
慎二は不機嫌そうに鼻を鳴らし、再び歩き始めた。
その時だった。
「あの、すみません」
背後から声が掛かった。
「……あ?」
振り返った慎二の前に、一人の女子生徒が立っていた。
穂群原学園の制服に、肩まで伸びた黒髪。見覚えのない顔だった。
「何だよ、お前」
「少しお尋ねしたいことがあるのですが」
「はあ? こんな時間に?」
慎二は眉をひそめた。
女子生徒は彼の手元を指差した。
「その本、少し見せていただけませんか?」
「……本?」
慎二は偽臣の書へ目を落とした。
「何だよ。これがどうかしたのか?」
「少々、興味がありまして」
「意味分かんないんだけど?」
慎二は少女を睨んだ。
こんな時間に女子生徒が一人で歩いているだけでも妙なのに、突然知らない人間から本を見せろと言われる筋合いはない。
「悪いけど、これは見せられないんだよ。分かったらさっさと帰れよ。僕は今機嫌が悪いんだからさ」
「そうですか」
「……そうだよライダー。丁度いいじゃないか、目の前に新鮮な餌がある、ほら遠慮なく魔力を供給していいぜ?」
苛立ちが募り当たりたいのか、まさか一般人に危害を加える発言を始める。
しかし目の前の少女がただの一般人であれば良かったが。
「勝つ為ならば手段は問わんか……外道が」
見た目だけなら可憐な少女からはとても想像つかない言葉が聞こえる。
「力ずくで借りるとしよう」
「……は?」
慎二が聞き返した時には、少女はもう目の前にいなかった。
背後から手首を掴まれ、強く捻り上げられる。
「いっ!? な、何だよお前!」
慎二の指から本が滑りかけた。
だが、少女がそれを奪うより早く、鎖付きの短剣が飛来した。
ギィンッ!
少女は袖口から取り出したクナイで刃を弾き、慎二から距離を取った。
「……何者ですか」
ライダーが慎二の前に立つ。
その両手には、先ほどの戦闘でも使っていた短剣が握られていた。
「慎二、下がってください」
「な、何なんだよこいつ!?」
「分かりません。ですが、一般人ではないことは確かです」
少女はクナイを構えたまま、ライダーを観察していた。
その正体は千手扉間。先ほど穂群原学園で戦闘を観察していた男である。
扉間は学校を離れた後も、影分身に慎二たちの追跡を命じていた。
目的は一つ、慎二が持っている本を調べることだった。
学校で確認した限り、慎二の身体には令呪が見当たらなかった。それにもかかわらず、ライダーは彼の命令に従っている。
(……やはり契約を仲介する術具か。確かめてみる価値はあるな)
「ライダー! 何してるんだよ! さっさと始末しろ!」
慎二の命令を受け、ライダーが踏み込んだ。
短剣が少女の首元へ迫る。
しかし、少女は身を沈めてそれを避けると、クナイで鎖を払い、ライダーの懐へ入った。
「……っ!」
繰り出された掌底を、ライダーは身体を捻って回避した。
続く蹴りも後方へ跳んで避ける。距離を取ったライダーは、少女の動きを警戒した。
剣を持った敵との戦闘とは勝手が違う。相手は短剣を受け流すだけでなく、関節や急所へ的確に攻撃を仕掛けてくる。
「……速い」
「ほう。消耗しておる割には反応がよいな」
少女の口から、先ほどまでとは異なる低い声が出た。
「だが、先ほどの戦闘で随分と魔力を使ったようだな」
「……何故、それを」
「質問は後だ」
少女が再び距離を詰める。
ライダーは短剣で迎え撃ったが、その足元へ一本のクナイが投げ込まれた。
刃は地面に突き刺さり、それ以上動かない。
(……外した?)
ライダーがそう判断した瞬間、少女が消えた。
「……!」
直後、背後に気配が生じる。
ライダーは反射的に振り返り、短剣を振るった。
だが、そこにいた少女は攻撃することなく、再び姿を消した。
「なっ……!」
少女が次に現れたのは、慎二の背後だった。
先ほどの接触の際、扉間は慎二の足元へ術式を刻んだクナイを落としていたのである。
ライダーの注意を別の場所へ向け、飛雷神によって移動したのだ。
「借りるぞ」
「……え?」
慎二が振り返るより早く、手にしていた偽臣の書が奪われた。
「あっ!?」
慎二は空になった手を見つめた。
「か、返せよ! それは僕のだぞ!」
少女は既に数歩離れ、本を開いていた。
内部には複雑な魔術式が刻まれている。
凛から借りた資料で見たものとも異なり、契約を媒介するための術式が組み込まれているようだった。
(……やはり、あの小僧が直接使役しておるわけではなさそうだな)
術式の細部までは分からない。
しかし、命令を伝える経路が本の中で完結していないことは確認できた。
どこか別の契約へ接続しているらしい。
「ライダー! 取り返せ!」
慎二が叫んだ。
ライダーは短剣を構え直したが、それよりも早く、少女は懐から一枚の札を取り出した。
「少々試させてもらうぞ」
札には、忍界で用いられていた封印術の文字が刻まれていた。
扉間はあらかじめ、魔術礼装の機能を一時的に抑制することを目的として術式を改良していた。
魔術そのものを完全に理解したわけではない。だが、本に刻まれた術式へ干渉し、命令の伝達を妨げることなら試せる。
少女は札を偽臣の書へ押し当て、片手で印を結んだ。
「封印」
黒い文字が札から広がり、本の表紙を覆っていく。
赤い紋様が一度だけ強く輝いた。
しかし、その光は次第に弱まり、やがて消えた。
「……ふむ。上手くいったか」
扉間は術式の状態を確認した。
「チャクラ主体の封印術だが、多少の改良は通用するようだな」
もっとも、封じたのは偽臣の書が持つ命令伝達の機能だけである。
本来のマスターとライダーの契約にまで干渉できたわけではなかった。
「な、何してんだよ!?」
慎二が叫ぶ。
少女は答えず、ライダーへ目を向けた。
「……さて。これでどうなる?」
ライダーは動かなかった。
先ほどまで偽臣の書を通じて伝わっていた命令が、突然途絶えたのである。
「……慎二」
「何だよ! さっさとそいつを殺せ!」
「…………」
「おい! 何してるんだよ! 命令してるだろ!」
ライダーは首を振った。
「申し訳ありません慎二。貴方の命令には従えません、私のマスターは桜ですので」
「…………は?」
慎二は呆気に取られた。
「……何、言ってんだ?」
「偽臣の書との接続が遮断されています。現在の貴方には、私への命令権がありません」
「ふ、ふざけんなよ!!」
慎二は顔を真っ赤にした。
「僕がマスターだろ!? 桜なんか関係ないじゃないか!」
「……いいえ。私を召喚したのは桜です」
ライダーは慎二を見据えた。
「私は本来、桜のサーヴァントです。偽臣の書によって貴方へ使役権が委譲されていましたが、その経路が失われた以上、貴方の命令には従えません」
「…………」
慎二は口を開いたまま固まった。
やがて、奪われた本へ視線を向ける。
「……嘘だろ」
一方、扉間は思いがけない名前を聞いていた。
(……桜?)
間桐桜。
凛の実の妹であり、間桐家へ養子に出された少女。
その名前は、以前凛から聞いている。
(……なるほど。あの娘が正規のマスターか)
慎二に令呪が見当たらなかった理由も、これで説明がつく。
しかし、別の疑問が残った。
なぜ桜は自ら召喚したサーヴァントを、慎二に使わせていたのか。
しかも、目の前の少年は実際の戦闘では役に立っていない。
本人の意思で譲ったのか、それとも別の事情があるのか。
「……やはり、こやつは本来のマスターではなかったか」
少女の言葉に、慎二が顔を上げた。
「……なっ!?」
「この本は契約を仲介するための術具だ。機能を封じれば命令権が失われる。貴様自身がライダーを召喚したわけではあるまい」
「う、うるさい! お前には関係ないだろ!」
「では、一つ聞こう。何故、桜が召喚した英霊を貴様が使っておる?」
「黙れよ! 桜なんて関係ない! 僕が間桐の後継者なんだ!」
「……後継者か」
扉間は慎二を見た。
魔術師としての力は乏しく、令呪も持たない。それにもかかわらず、本人は間桐家の後継者だと主張している。
以前調べた間桐邸の様子も気になるところだった。
(……一度、あの屋敷を詳しく調べる必要があるな)
「何だよ! 何か言えよ!」
慎二が怒鳴った。
しかし、少女は偽臣の書を閉じ、懐へしまった。
「目的は果たした。そろそろ失礼するぞ」
「……は?」
慎二は目を見開いた。
「ちょ、ちょっと待てよ! それ僕の本だぞ!?」
「資料として借りておく」
「勝手に決めるなよ!!」
慎二は本を取り返そうと一歩踏み出した。
少女はその腕を掴み、簡単に身体を押さえ込んだ。
「うわっ!? な、何すんだよ!」
「暴れるな。すぐに済む」
そう言いながら、扉間は慎二の肩へ手を置いた。
ごく短い接触だったが、その間に指先からチャクラを流し、衣服の内側へ術式を刻んでいた。
飛雷神のマーキングである。
「……もうよい」
少女は慎二を解放した。
「何なんだよ、さっきから!」
「貴様の質問にいちいち答える義理はない」
「ふざけんな!」
慎二は肩を押さえながら怒鳴った。
しかし、少女は既に背を向けていた。
「ではな」
その姿が消えた。
「…………」
慎二は呆然と立ち尽くした。
「……何なんだよ、あいつ」
ライダーも少女が消えた場所を見つめていた。
「……あの移動方法」
「何だよ」
「恐らく、通常の魔術ではありません」
「そんなことどうでもいいだろ!」
慎二は苛立ちを露わにした。
「僕の本が! 僕のライダーが!!」
どれほど怒鳴っても、偽臣の書は戻ってこない。
ライダーへの命令権も失われたままだった。
「……くそっ!」
慎二は地面を蹴りつけた。
「こんなの……こんなの聞いてないぞ!!」
ライダーは何も答えなかった。
先ほどの少女は、セイバーとは異なる戦い方をしていた。
体術も、不可解な移動方法も、ライダーの知る魔術とは違う。
しかも、彼女を倒すのではなく、偽臣の書だけを狙ってきた。
最初から目的を定め、そのために必要な攻撃しかしていない。
「……屋敷へ戻りましょう」
ライダーが告げた。
「うるさい! お前に言われなくても分かってるよ!」
慎二は乱暴な足取りで歩き始めた。
その後ろをライダーが追う。
慎二の肩には、本人が気づかぬうちに飛雷神の術式が刻まれていた。
衣服の内側に残された小さな印は、夜道を歩く慎二にも、彼に付き従うライダーにも見えなかった。