TS転生ちびっこ和種ウマ娘は、トレセン学園で平凡に暮らしたかった   作:雅媛

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4 低身長同盟

 先生が黒板に二本目の線を引いた。次はその端に三角形を描いて、たぶん、右側に補助線を一本。

 そのとおりになった。

 予知能力に目覚めたわけではない。昨夜、教科書のこのページを読んだばかりなのだ。おまけに似たような図形は前世でも習っている。解き方は分かるし、答えも出た。窓際の席は冬の日差しでほどよく暖かい。たいへん眠い。

 ボクは頬杖をついたまま、しばらく黒板をぼけーっと眺めていた。先生が定規を持ち替えたところで、このままでは本当に寝るな、と思い、机の中から読みかけの本を出した。

 図書室で借りた、ランナー向けの怪我予防の専門書である。朝練でストレッチをしたとき、同じ姿勢を取っているつもりでも、ボクとローレルさんとでは、楽に曲げられる角度がずいぶん違った。そのあたりが気になって借りてきたのだけれど、開いてみると、脚の図ひとつに知らない筋肉の名前が五つも六つも書いてある。こっちはよく眠気が飛ぶ。

 教科書の陰で一ページめくり、ときどき黒板を見る。先生が新しい問題を書き始めたので、一度本を閉じて、手元で解いた。顔を上げると、斜め前の子が大きなあくびを噛み殺すところだった。

 明るい栗毛のウマ娘だ。片手で頬杖をついて、窓の外を見ている。もう片方の手には消しゴムを持っていて、それが机すれすれをゆっくり飛んで、筆箱の脇に着陸した。なかなか滑らかな着陸だった。

 しばらくしてまた見ると、今度は窓を横切る鳥に合わせて、耳が二つ、きれいに左から右へ動いていた。

 ああ、退屈してる子がほかにもいる。なんとなく親しみが湧いたところで、先生がその子の名前を呼んだ。

 

「じゃあ、この三角形の高さは? マヤノトップガンさん」

「六センチでーす」

 

 即答だった。

 先生がうなずいて黒板に向き直る。マヤノトップガンさんはまた頬杖をついた。ボクと目が合うと、人差し指を唇に当てて、机の上の消しゴムをちらっと見た。

 大丈夫です。よい着陸でしたよ。声には出さず、ボクは小さく親指を立てた。

 

 休み時間になって、ボクのほうからその子の机に行った。向こうもちょうど椅子をこちらへ向けたところだった。

 

「さっきの、どうして六センチって分かったんですか。ほとんど外を見てたでしょう?」

「えへへ。クロちゃんこそ、ずっと違う本読んでたでしょ」

「あれ。ボクのこと、知ってるんですか?」

「出席取ったときに覚えたよ。クロクモちゃんだから、クロちゃん。そう呼んでもいい?」

「はい。じゃあボクは、マヤノさん?」

「マヤでいいよ!」

 

 そう言って隣の空いた椅子を引いてくれたので、ありがたく座った。

 

「でね、さっきの。先生がこっちに線を一本引いたら、同じ形のちっちゃいのが見えたでしょ? あ、半分だ、って」

「そこまで見えてたのに、消しゴムで遊んでたんですか」

「だって、答えが分かってからが長いんだもん。クロちゃんだって暇だったでしょ?」

 

 否定できずにうなずいた。ボクは教科書に載っていた補助線を覚えていた。マヤは黒板に一本引かれたのを見て、その場で分かったらしい。退屈になったのは一緒でも、ボクのほうは昨夜、ちょっとずるをしている。

 

「マヤ、先生が『はい、じゃあ次』って言ってくれるの、ずーっと待ってたんだ。クロちゃんは何読んでたの?」

「これです。脚を痛めずに走るにはどうしたらいいのかなって」

 

 本を渡すと、マヤは表紙に目を落とし、ボクの顔を見た。それから、もう一度表紙を見た。

 

「授業が退屈で、もっと難しいお勉強してたの?」

「……四角形の将来よりも面白いですよ」

「ふふっ。クロちゃんっておもしろーい」

 

 マヤが笑ってページを開く。挟んでいた貸出票がひらりと落ちて、机の下へ滑り込んだ。マヤが立って椅子をよけてくれたので、もぐり込んで拾う。そうして隣に立ってみて、二人で顔を見合わせた。

 あれ。座って話していたときより、だいぶマヤの顔が高い。向こうも同じことに気づいたらしく、さっきまでボクの目があったあたりから、すこし視線を下げた。

 

「クロちゃん、マヤよりちっちゃいんだ」

「百三十センチです。マヤは?」

「百四十三。……そっかあ。十三センチかあ」

 

 妙にうれしそうである。自分の頭に手を当てて、そのままボクの頭まで下ろしてみている。二人ぶんの耳を律儀によけて測るあたり、この子も背比べには慣れていそうだ。

 

「いいなあ、十三センチ。分けてほしいです」

「えーっ、マヤだって欲しいよぉ! 学園に来たらね、普通にしてても『何か探してるの?』ってお姉さんたちが聞いてくるんだよ。マヤ、自分の教室に行きたいだけなのに」

「分かります。うちの父さんなんか、ここを受けたいって言ったとき、いちばんに気にしたのが身長でしたもん」

「走る学校なのに?」

「ええ。ほかの子にぶつかったら大丈夫かって。母さんに『この子が走ってきたら、お父さんのほうが避けるでしょう』って言われて、黙っちゃいましたけど」

「あははっ! マヤ、クロちゃんのお母さん好きかも」

 

 窓や黒板に向けていたときより、マヤの耳はずっとよく動いた。笑うとぱっと左右に開くし、ボクが続きを話そうとすると二つともこっちを向く。おかげで、ついついもうひとつ何か話したくなる。

 

「よし、決めた。マヤたち、低身長同盟ね!」

「よく分からないうちに組織ができました。ちなみに何をする同盟です?」

「んー。クロちゃんが高い棚に届かないときは、マヤが取ってあげる」

「では、マヤにも届かないときは、ボクがマヤを持ち上げます」

「そこは一緒に台を探してよ」

 

 もっともである。うちでは姉さんとそうしていたもので、つい。

 ボクが差し出した手を、マヤが笑いながら握った。窓際の机二つの間で、低身長同盟は無事に結成された。

 

「ね、クロちゃん。走ってても、もっと脚が長かったらなーって思うこと、ある?」

「あります。ついこないだ、ほんとにあと一歩ってところで負けました。ボクの脚がもう十三センチ長ければ」

「それ、まだマヤからもらうつもりでしょ」

 

 ばれていた。

 もっとも、あの朝ローレルさんに届かなかったのは、脚の長さより、ボクが後ろでのんびり二人を眺めていたせいだと思うけど。そう話すと、マヤは「ふうん」と椅子に座り直した。

 

「クロちゃんはさ、前の子と足音をそろえて走ってたら、だんだん置いてかれちゃったこと、ない?」

「あ、あります。ゆっくり走ってるときは、音が合うと気持ちいいんですけど。速くなると、同じ回数だけ地面を蹴ってるはずなのに、なんでかなって」

「うんうん。そこでさ、前の子と同じくらい脚を伸ばそうとするでしょ? 見ててね」

 

 マヤは机の端に人差し指と中指を立てた。指先が交互に机を蹴って、筆箱の横を小気味よく駆け抜ける。次は指をうんと開いて、一歩、もう一歩。前の指を遠くにつくたび、後ろの指が離れるのが遅くなった。

 

「さっきまでタタタッて走れてたのに、ドスッ、ドスッてなっちゃうの。クロちゃんもなる?」

「なります。それ、姉さんの足跡でやりました」

 

 雪の積もった山道だった。前を行く姉さんの足跡を踏んで走るのが面白くて、初めのうちは笑ってついていけたのだ。ところが姉さんが速くなると、次のくぼみがやけに遠い。どうにか爪先を届かせた頃には腰が後ろに残って、我ながら見事に、ドスッ、である。

 しまいに悔しくなって、足跡なんか構わず好きに走った。そのほうがよほど早く姉さんの隣に戻れたのを覚えている。

 

「マヤも誰かの足跡、追いかけたことがあるんですか?」

「マヤは足跡じゃなくて、ルームメイトのテイオーちゃん。トウカイテイオーっていうんだけど、クロちゃん、知ってる?」

 

 トウカイテイオー。おや、と思った。前世で競馬をろくに見なかったボクにも、その名前には聞き覚えがあった。どんなレースを走ったかと聞かれたら困るけれど、教室の椅子に座って、まさか「マヤのルームメイト」として聞くことになるとは。

 

「お名前だけは。……その人と、毎朝おんなじ部屋で起きるんですか?」

「そうだよ? 朝なんてね、ベッドからぽんって下りるだけでも軽いの。走るともっとすごいよ」

 

 マヤの指がもう一度、机の端からぽんと跳ねた。なるほど。ボクがかろうじて名前を知っている人のことを、マヤは朝、ベッドから下りるときの足音まで知っているのだ。

 

「テイオーちゃんの一歩って大きいんだけど、すぐ次の足が出るんだ。いいなあって思ってマヤもやってみたら、最初はさっきのドスッ。だから今度は、足をどこまで伸ばすかは忘れて、音だけ真似してみたの。そしたら、ちょっと弾んだよ」

「マヤ、走ってる人を見て、そんなところまで真似してみるんですか?」

「うん。だって、やってみたくならない?」

「ボク、追いかけてる最中に考えるのなんて、どっち側が空いてるかな、くらいです」

「じゃあ、追いついて横に並んだら?」

「抜きます」

「もうちょっと見てあげて?」

 

 すみません。横に並べたら、前に出たい気持ちのほうが忙しいのである。

 マヤは机の上の指を止めて、ひどく楽しそうな顔をした。

 

「クロちゃんと一緒に走ったら、マヤ、その顔が横に来たところ見れるんだ」

「なんです、その顔って」

「今ね、『抜きます』のとこだけ、すっごくいい顔してたよ」

 

 そういう顔は、鏡の前でやってみろと言われても、たぶんできない。まじまじ見られるうちに頬が熱くなってきたところで、マヤが続きを引き取ってくれた。

 

「ね、クロちゃんのルームメイトはどんな人?」

「サクラローレルさんっていう、一つ上の先輩です。同室になったその日に、朝のコースを案内してくれるって」

「へえ、やさしいお姉さんだあ」

「はい。翌朝、ボクが追い越そうとしたら、すっごく楽しそうに笑って、そのまま先にゴールしました」

「あ、さっきのあと一歩の人! ……あれ? コースを案内してもらってたんだよね?」

「ええ。最初の一周は、ゆっくり」

「それで、なんで最後は勝負になったの?」

「ボクも不思議なんですよねえ」

 

 フジさんが前に出ようとして、ローレルさんが譲らなくて、二人の尻尾が遠くなって、気がついたときには全力だった。順を追って説明したところ、マヤは最後まで聞いてから、うんうんとうなずいた。

 

「そっか。三人とも、すっごく走りたかったんだね」

「…………そうですね」

 

 あんなに首をひねっていたのに、マヤにかかると一言で済んだ。黒板の図形もこうやって解いたのかもしれない。

 そこで予鈴が鳴った。あれ、もう? さっきの授業の終わりはあんなに遠かったのに。周りで椅子を引く音がして、ボクも借りていた席を立った。マヤが貸出票を元のページに挟み、本を返してくれた。

 

「ねえ、クロちゃん。お昼、一緒に食べよ。テイオーちゃんがいたら紹介するね」

「ぜひ。ボク、マヤの言う『弾む』っていうの、一度見てみたいです」

「じゃあ、今度はクロちゃんの走りも見せてね。マヤ、どんな顔して抜きに来るのか知りたい」

「いいですよ。お昼は食べますけど」

「もちろん! そこ、どうして念を押すの?」

 

 こちらには、コースを案内してもらうだけの朝練が、いつの間にか勝負になった事情がある。低身長同盟の最初の活動が、昼食抜きの併走になってはたまらない。

 席に戻って専門書をしまった。次の教科書を開く。ここも入学前に読んだところである。斜め前では、マヤがまた消しゴムを飛ばしていた。今度の着陸先は筆箱の上。見事に決まって、マヤが肩越しにちらっとボクを見た。ボクはもう一度、小さく親指を立てた。

 ついさっきまで、授業が早く終わらないかなと時計ばかり見ていた。

 今は、お昼まであと何時間あるのかが気になって、やっぱり時計ばかり見ている。

 




かなり背が低いマヤと並んでもこんな感じです。

【挿絵表示】
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