『謎のおじさん』 作:おじさん好き
「それは おじさんの きんのたま! おじさんの きんのたま だからね!」
「…………は?」
ニコ・デマラは、目の前の男を見つめた。
季節外れのアロハシャツに白いショートパンツ。サンダルからは立派なすね毛が覗き、無造作に撫で付けたシルバーブロンドの髪には、妙な色気すら漂っている。
そんな髭面のおじさんが、満面の笑みを浮かべていた。
差し出された手のひらには、金色の球体が一つ。
「……あんた、何言ってんの?」
怪しい。
あまりにも怪しい。
何しろ、見知らぬおじさんが突然、自分のきんのたまを差し出してきたのである。
「親分、下がってろ! このおっさん、ヤバいぞ!」
「ニコ。落ち着いて。まずは状況を整理するべき」
「いや、アンビー。状況は十分分かってるわよ……!」
何でも屋『邪兎屋』の三人は、揃って男から距離を取った。
それも無理はない。
事の発端は、ほんの数分前に遡る。
▼ 六分街 昼
「お金がない……」
ニコ・デマラは、深いため息とともに財布を覗き込んだ。
小銭が数枚。使いどころの分からない割引券が一枚。それから、随分前に入れたままのレシートが数枚。
以上。
実に見事な惨状だった。
「親分、それ昨日も言ってなかったか?」
「昨日より今日の方がないのよ!」
「なるほど。状況が悪化している」
「分かってるわよ、アンビー!」
ニコが頭を抱える。
先日の依頼では、それなりの報酬が手に入ったはずだった。ところが車の修理費、装備の補充、その他諸々の出費を差し引けば、手元にはほとんど残らない。
それどころか、未払いの請求書まで待ち構えている始末だ。
「おかしいでしょ! なんでこんなに働いてるのにお金がないのよ!」
「そういう時こそスターライトナイトの出番だぜ! あいつらだって、どんな逆境でも諦めずに――」
「ビリー。今月のグッズ代、いくら使った?」
「…………」
「ビリー?」
「……親分、俺たちは未来を見て生きるべきだと思うんだ」
「現実から目を逸らすんじゃないわよ!」
ビリーがそっと視線を逸らした。
その隣では、アンビーが真剣な顔で財布の中身を見つめている。
「ニコ」
「何?」
「お腹が空いた」
「……そうよね」
ニコは天を仰いだ。
今日も今日とて、何でも屋は苦労が絶えない。
「……分かったわよ。何か安いものでも食べましょ」
「ハンバーガーがいい」
「だから安いものって言ってるでしょ!」
「ハンバーガーは価格と満足度のバランスに優れている」
「はいはい、分かったから!」
まったく、うちの連中は。
そう思いながらも、ニコは財布をしまった。
自分一人なら昼食を抜いても構わない。けれど、仲間にまでひもじい思いをさせるのは嫌だった。
その時である。
「ンナァッ!?」
少し先の通りから、甲高い声が聞こえた。
見ると、小さなボンプが荷物をひっくり返していた。紙袋が破れ、中に入っていた品物が道いっぱいに散らばっている。
「あーもう、何やってんのよ!」
ニコは駆け寄ると、車道へ転がりかけた箱を拾い上げた。
「ビリー! そっちお願い!」
「おう!」
「アンビーは袋!」
「了解」
三人が手分けして拾い集めると、散らばった荷物はすぐに元通りになった。
「ンナナ! ンナ!」
「いいって、お礼なんか。次から気をつけなさいよ」
「ンンナ!」
ボンプは何度も頭を下げ、荷物を抱えて去っていった。
「いやぁ、親分は優しいなぁ」
「何よ、急に」
「さっきまで金がないって騒いでたのに、見返りもなく助けてやるんだからさ」
「当然でしょ。困ってる子を放っておけないじゃない」
「ニコはそういうところがある」
「ちょっと、二人して何なのよ!」
ニコが照れ隠しに声を上げる。
そんな三人の前に、いつの間にか一人の男が立っていた。
「やあ、君たち。ちょっといいかな?」
アロハシャツのおじさんである。
「……何よ?」
「いやね、さっきのを見ていたんだけど、感心しちゃってさ」
「さっきの?」
「あの小さなボンプを助けていただろう? いいことをしたね」
おじさんは穏やかに笑った。
「別に、普通のことでしょ」
「ははっ。そういう普通のことを、当たり前にできるのは立派だよ」
面と向かって褒められ、ニコは少しだけ居心地が悪くなった。
「……で、何? わざわざそれを言いに来たの?」
「いやいや。実は、ちょっとしたものをあげようと思ってね」
「……もの?」
おじさんは白いショートパンツのポケットに手を入れた。
「おやつか何かかな」
「アンビー。知らない人から物を貰うのは危ないぜ」
「それはそう」
「ビリーにしてはまともなこと言うじゃない」
ニコが頷く。
その直後、おじさんはポケットから何かを取り出した。
そして、握った拳をニコの前へ差し出す。
「ほら、これだよ」
手のひらが開かれる。
そこには、金色に輝く小さな球体が載っていた。
おじさんはにっこり笑った。
「それは おじさんの きんのたま! おじさんの きんのたま だからね!」
「だから何なのよ、それぇ!?」
六分街に、ニコの絶叫が響き渡った。
「おや? どうしたんだい?」
「どうしたもこうしたもないわよ! 言い方! もうちょっと他にあるでしょ!?」
「うーん……金色の球?」
「最初からそう言いなさいよ!」
おじさんは不思議そうに首を傾げた。
どうやら、本当に何がいけないのか分かっていないらしい。
「親分、俺、このおっさん結構好きかもしれない」
「あんたは黙ってなさい!」
「ニコ。落ち着いて。少なくとも、目の前にあるのは金属製の球体」
「アンビーも真面目に分析しないで!」
三人の反応が面白かったのか、おじさんは愉快そうに笑っていた。
「いやぁ、賑やかでいいねぇ」
「誰のせいだと思ってんのよ……」
ニコは頭を抱えた。
しかし、ふと気になることがあった。
「……ねえ、それって何でできてるの?」
「ん? 金だよ」
「いや、そうじゃなくて。メッキとかじゃなくて?」
「正真正銘の純金さ」
ぴたり。
ニコの動きが止まった。
「…………純金?」
「ああ」
「本物の?」
「もちろん」
ニコの目が、ゆっくりと見開かれる。
次の瞬間には、おじさんの手から球をひったくっていた。
「ちょっと見せなさい!」
持ってみると、意外なほどずっしりと重い。
表面は滑らかで、傷一つない。金色の塗装を施した安物には見えなかった。
「……ビリー」
「何だ、親分?」
「これ、本物だと思う?」
「いや、俺に聞かれてもなぁ……」
「アンビー!」
「専門家による鑑定を推奨する」
「そうよね……!」
ニコは球を握りしめた。
もし、本物なら。
これを売れば、今月の請求書を片付けられるかもしれない。
いや、それどころか、アンビーに好きなだけハンバーガーを食べさせてやれるのではないか。
「……ねえ、おじさん」
「何だい?」
「これ、あたしにくれるの?」
「そうだよ」
「タダで?」
「もちろん」
「何か裏があるんじゃないでしょうね?」
「ないない。おじさんからの贈り物さ」
怪しい。
やっぱり怪しい。
しかし、金は金である。
「……も、貰ってあげてもいいわよ?」
「ははっ。ありがとう。大事にしてくれよ」
「うんうん! 大事にする! 絶対大事にするから!」
つい先ほどまでの警戒心は、どこかへ消え去っていた。
「親分……」
「ニコの態度が急変した」
「うるさいわね! 金よ!? 金なのよ!?」
男は三人のやり取りを楽しそうに眺めると、軽く手を振った。
「それじゃ、私はそろそろ行くよ」
「あっ、待って! あんた、名前は?」
「おじさんだよ」
「そうじゃなくて! 本名!」
「おじさんでいいさ。そう呼んでくれると嬉しいな」
そう言って、男は笑った。
「Adiós。またね」
引き止める間もなく、おじさんは人混みの中へ歩き去っていった。
その背中を見送りながら、ニコは手元の球を見下ろした。
「……変なおじさん」
「親分、どうするんだ? それ」
「決まってるでしょ!」
ニコは勢いよく拳を握った。
「本物かどうか、調べるのよ!」
それから三人が六分街を飛び出し、貴金属の買い取り店へ向かったのは言うまでもない。
なお、鑑定の結果は――。
「……ほ、本物だった」
高純度の金。
しかも、店員が思わず唸るほど綺麗な品物だった。
「嘘だろ!? あのおっさん、本当に金をくれたのかよ!」
「ニコ。金の価格は重量と純度によって決まる。これはかなりの価値がある」
「……そうね」
ニコの手が震えた。
笑いが止まらない。
この世には神様というものが本当にいるのかもしれない。
「売る! 絶対売る! これで今月の支払いは――」
そこまで言って、ニコはふと動きを止めた。
「……どうした、親分?」
「いや……」
手の中の金色の球体。
思い出すのは、あのおじさんの笑顔だった。
困っている子を放っておけないのは立派なことだと、そう言っていた。
だからといって、こんな高価なものを渡す必要があるだろうか。
「……やっぱり、もう一回会ってからにするわ」
「えっ、売らないのか!?」
「売るわよ! 売るけど、その前にちょっと聞きたいことがあるの!」
「ニコらしい判断」
「どこがよ!?」
ニコは球をポケットへしまうと、踵を返した。
向かう先は、六分街。
あのおじさんのことを知っていそうな人物なら、心当たりがあった。
▼ 六分街 Random Play
カランカラン。
「アキラ! リン! ちょっと聞きたいことがあるんだけど!」
「いらっしゃい、ニコ。どうしたの?」
「何かあった?」
カウンターの奥から顔を出した兄妹に、ニコはずいっと詰め寄った。
「アロハシャツにサンダルで、銀色の髪をした髭面のおじさん! 知らない!?」
「あっ、おじさん?」
「おじさんのことだね」
二人はあっさり頷いた。
「……えっ?」
今度はニコが固まる番だった。
「ちょっと待って。知ってるの?」
「うん。うちの常連さんだよ」
「昔からよくしてもらってるんだ」
ニコは信じられないものを見るような顔をした。
「じゃ、じゃあ、あの人の名前は!?」
「……おじさん?」
「おじさんだね」
「それはもう聞いたわよ!!」
ニコの絶叫に、足元の18号がびくりと跳ねた。
「ンナッ!?」
「あっ、ごめん……」
リンは苦笑いを浮かべる。
「実は私たちも本名は知らなくて」
「……は?」
「つい最近、同じ話をしてたんだ」
「長い付き合いなんでしょ!?」
「まあ、そうなんだけど……」
ニコは頭を抱えた。
何なのだ、あのおじさんは。
通りすがりの他人に純金を渡すわ、昔からの知り合いにも本名を教えないわ、挙げ句の果てに本人は何も気にしていない。
「……あんたたち、よくそんな怪しい人と付き合ってるわね」
「うーん。でも、おじさんはいい人だよ?」
「そうだね。昔から僕たちを助けてくれてるし」
アキラの言葉に、リンも頷く。
「ちょっと変だけどね」
「ちょっと!?」
ビリーが思わず突っ込んだ。
「親分に金の玉を渡してきたおっさんだぜ!?」
「……金の玉?」
リンが首を傾げる。
ニコは嫌な予感がした。
「そうなのよ! いきなり『おじさんのきんのたまだから大事にしてくれ』って――」
「…………」
「…………」
アキラがそっと目を逸らした。
リンは口元を押さえている。
肩が小刻みに震えていた。
「……笑っていいわよ」
「ぷっ……! あははははっ!」
「やっぱり!?」
リンが盛大に吹き出した。
「お、おじさん……! 何やってるの、もう……!」
「笑いごとじゃないわよ! 本物の金だったのよ!?」
「ええっ!? 本物!?」
「そう! 鑑定までしてきたんだから!」
ニコは金の球を取り出し、カウンターに置いた。
リンとアキラが揃って覗き込む。
「……すごいね」
「おじさんらしいと言えば、おじさんらしいけど……」
「どこがよ!?」
ニコが呆れた声を上げる。
その時、アキラが小さく笑った。
「でも、何となく分かる気がするな」
「何が?」
「おじさんがニコにそれをあげた理由」
ニコが首を傾げる。
「どういうこと?」
「昔から、そういう人なんだ。困ってる人を見つけると、何だかんだで手を貸してくれる」
「……そうなの?」
「うん。僕たちも何度も助けてもらったよ」
リンも頷いた。
「おじさんって、見た目はあんなだけど、結構優しいんだよね」
「見た目はあんなだけど、ね……」
ニコは金色の球を見つめた。
変なおじさんだ。
でも、悪い人ではないのかもしれない。
「……ま、まあ、貰っちゃったものは仕方ないわよね!」
「売るのかい?」
「そりゃあ、金だもの!」
ニコは当然のように胸を張った。
「……でも、その前にちゃんとお礼くらい言っとくわ」
「うん。それがいいと思うよ」
アキラが笑う。
「おじさんなら、まだこの辺にいるんじゃないかな」
「本当!?」
「散歩が好きな人だからね」
「よし! 探すわよ、アンビー! ビリー!」
「また歩くのかぁ!?」
「ハンバーガーは?」
「見つけたら奢ってあげるから!」
勢いよく店を飛び出そうとしたニコだったが――。
「おや、賑やかだね」
カランカラン。
入口のベルとともに、聞き覚えのある声が響いた。
そこには、アロハシャツのおじさんが立っていた。
「Hola! やあ、アキラ、リンちゃん。……おっと、さっきのお嬢さんたちもいるじゃないか」
「おじさん!」
「おかえりなさい!」
兄妹が嬉しそうに挨拶する。
一方のニコは、勢いを失ったまま固まっていた。
「……あんた、何でここにいるのよ」
「映画を返しに来たんだよ。ほら」
おじさんはレンタル袋を持ち上げた。
「それより、さっきはありがとう。あの子、助かっただろうね」
「……別に、あれくらい普通でしょ」
ニコは照れ隠しに顔を背けた。
そして、ポケットから金の球を取り出す。
「……これ、本物だったわ」
「うん。そう言っただろう?」
「こんな高いもの、タダで貰っていいの?」
「もちろん。気に入ってくれたなら何よりだよ」
「……変なの」
ニコは小さく息を吐いた。
「……でも、ありがと」
「どういたしまして」
おじさんは穏やかに笑った。
何だか調子が狂う。
お金持ちなら、もっと偉そうにするものではないのか。
それなのに、目の前の男は何でもないことのように笑っている。
「……ねえ、おじさん」
「ん?」
「その……もう一個、ない?」
沈黙。
アキラが目を閉じた。
リンは口元を押さえ、ビリーが肩を震わせている。
アンビーだけが真面目な顔で答えた。
「ニコ。金の球体がもう一つあれば、資産価値はおおむね倍になる」
「アンビー! そういうことじゃない!」
おじさんは一瞬きょとんとした後、声を上げて笑った。
「はははっ! いやぁ、欲張りだなあ。おじさんのきんのたまは、そう何個もあげられないよ」
「だからその言い方やめなさいってば!!」
六分街に、今日一番の叫び声が響き渡った。
ちなみに。
その日の邪兎屋の夕食は、無事にハンバーガーとなった。
しかし、売れば当面の生活費を賄えるはずの金の球は、結局ニコの手元に残されたままだった。
「……いざという時のために取っておくのよ!」
そう言い張るニコに、ビリーとアンビーは顔を見合わせた。
「親分、意外と気に入ってるんだな」
「そういうことだと思う」
「うるさいわね! これは非常用の資産よ、資産!」
何しろ、あのおじさんから貰ったものだ。
……もっとも。
邪兎屋の金庫に、新たな財産が一つ加わったことだけは確かだった。
今日の戦利品――おじさんのきんのたま。2つ。