『謎のおじさん』   作:おじさん好き

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第3話 どこでもおじさん

 

 

▼ 六分街 昼

 

 

「……二個?」

「そう、二個よ。何か文句ある?」

「いや、文句はないけど……」

 

 猫宮又奈――通称『猫又』は、目の前に並べられた二つの金色の球を見つめていた。

 

 六分街のベンチに腰掛けたニコ・デマラが、大切そうに磨いているそれは、正真正銘の純金である。しかも、二つとも同じおじさんから貰ったものらしい。

 

「……つまり、ニコに二個くれたってこと?」

「そうよ! あたしだってびっくりしたんだから!」

「ぷっ……ニコに二個……」

「何笑ってんのよ!」

「いやぁ、ニコって名前でよかったなぁって!」

「馬鹿にしてるわね!?」

 

 猫又は腹を抱えて笑った。

 

 その隣では、ビリーが何やら感心したように頷いている。

 

「それにしても太っ腹なおっさんだよなぁ。親分に金の玉を二つもくれるなんてさ!」

「……ビリー。その言い方、ちょっとやめなさい」

「えっ、何でだよ?」

「何でもよ!」

 

 ニコは金の球を丁寧に布で包み、鞄へしまった。

 

 ちなみに、先日は一つしか持っていなかった。ところが、別れ際にもう一個欲しいと頼んだところ、あのおじさんは後から本当に二つ目をくれたのだ。

 

 世の中、言ってみるものである。

 

「でもニコ。それ、まだ売ってないの?」

「売るわよ! ただ、今は相場を見極めてるの!」

「ふ~ん。あたしには、手放すのが惜しくなったように見えるけど?」

「そ、そんなわけないでしょ!」

 

 ニコが慌てて否定する。

 

 猫又はにやりと笑った。

 

「へへん、図星だな?」

「違うってば!」

「ニコは金が好きだから、仕方ない」

「アンビーまで!?」

 

 いつの間にかハンバーガーを食べ終えていたアンビーが、淡々と口を挟んだ。

 

 猫又は二本の尻尾を揺らしながら、ニコの鞄を覗き込む。

 

「それで、そのおじさんって何者なの?」

「さあ?」

「……さあ?」

「知らないわよ。本名も教えてくれないし」

「ええっ!? そんな怪しい人から金なんか貰ったの!?」

「本物だったんだからいいでしょ!」

 

 ニコが胸を張る。

 猫又は呆れたように肩をすくめた。

 

「まったく、ニコはしょうがないなぁ」

「うるさいわね。あんただって、貰えるものなら貰うでしょ?」

「そりゃ、貰うけどさ!」

 

 即答だった。

 

「でも、ちょっと興味が湧いてきたぞ。そのおじさん、どんな人なの?」

「アロハシャツにサンダルで、銀色の髪をした髭面のおじさんよ」

「……それだけ?」

「あと、すね毛がすごい」

「そこ、そんなに重要?」

 

 猫又が首を傾げる。

 

 しかし、次の瞬間。

 

「あっ! いたいた!」

 

 ニコが通りの向こうを指差した。

 

 そこには、新聞スタンドの前で犬を撫でている男がいた。

 

 季節外れのアロハシャツ。白いショートパンツにサンダル。銀色がかった髪と、整えられた髭。

 

 確かに、聞いた通りの姿である。

 

「ほら、あのおじさん!」

「へえ……」

 

 猫又は興味深そうに目を細めた。

 

 男はウーフの頭を撫でながら、何やら楽しそうに話しかけている。

 

「よしよし。今日もお仕事お疲れ様」

「ワン!」

「ははっ、偉いなぁ。また今度、お土産でも持ってくるよ」

 

 どう見ても、普通のおじさんだった。

 

 ただし、初対面の相手に純金の塊を二つも渡すという時点で、普通とは言い難い。

 

「……ねえ、ニコ」

「何?」

「あたし、ちょっと行ってくる!」

「ちょっと、何するつもり!?」

「へへっ、内緒!」

 

 猫又は軽やかにベンチから飛び降りた。

 

「待ちなさい! あのおじさんに変なことしないでよ!」

「分かってるって! ちょっと遊ぶだけだぞ!」

 

 ニコの返事を待たず、猫又は人混みの中へ駆け出した。

 

 その背中を見送りながら、ビリーがぽつりと呟く。

 

「……親分、いいのか?」

「まあ、大丈夫でしょ。あのおじさんなら」

「むしろ、猫又の方が心配」

「……それもそうね」

 

 一方、そんな会話など知る由もなく、猫又は既におじさんの後を追っていた。

 

 猫又は尾行が得意だった。

 

 足音を消し、人混みに紛れ、相手の視線を避ける。身軽さと素早さには自信があるし、相手の気配を読むのもお手のものだ。

 

 何しろ、かつては赤牙組に身を置いていたのである。

 

 普通の人間を尾行するくらい、朝飯前だった。

 

「へへへ……さて、何が出てくるかな~」

 

 物陰から様子を窺う。

 

 おじさんは新聞スタンドを離れ、のんびりと歩き始めていた。

 

 道端の店員に挨拶をしたり、ショーウィンドウを覗いたり。特に目的地がある様子もない。

 

「……本当に、ただの散歩?」

 

 猫又が首を傾げた、その時だった。

 

 おじさんが角を曲がった。

 

 すぐさま後を追う。

 

 ほんの数秒。

 

 それだけの時間だった。

 

「……あれ?」

 

 いない。

 

 猫又は足を止め、辺りを見渡した。

 

 路地の先は行き止まり。左右に抜けられる道もなければ、隠れられそうな物陰もない。

 

「……おっかしいなぁ」

 

 確かに、ここへ入るのを見たはずだ。

 

 もしかして、建物の中へ入った?

 

 猫又が周囲を探っていると、どこからか紙をめくる音が聞こえた。

 

「ん?」

 

 顔を上げる。

 

 通りを挟んだ向こう側。建物の二階へ続く外階段の踊り場で、先ほどのおじさんが新聞を広げていた。

 

「……は?」

 

 猫又は目を瞬かせた。

 

 いやいや、ちょっと待ってほしい。

 

 さっきまで、あの路地にいたはずだ。

 

 しかも、ここから二階へ上がるには、一度通りへ戻って階段を使う必要がある。

 

 その姿を見逃すはずがない。

 

「……へえ」

 

 猫又の口元が、ゆっくりとつり上がった。

 

「面白いじゃないか」

 

 猫又は建物の壁に手を掛け、軽やかに身体を持ち上げた。

 

 外階段を使う必要などない。手すりを蹴り、ひらりと踊り場へ飛び乗る。

 

 しかし。

 

「……また、いない!?」

 

 そこには誰もいなかった。

 

 新聞すら残されていない。

 

 猫又は慌てて手すりから身を乗り出した。

 

「うそでしょ!? どこ行ったんだよ!」

 

 通りを見下ろす。

 

 すると。

 

「Hola! やあ、リンちゃん」

「あっ、おじさん! また散歩?」

「そうなんだ。いい天気だからね」

 

 聞き覚えのある声がした。

 

 Random Playの前。

 

 先ほどまで新聞を読んでいたおじさんが、今度はリンと立ち話をしていた。

 

「…………」

 

 猫又は無言で目を擦った。

 

 もう一度見る。やっぱりいた。

 

「……どうなってるんだ?」

 

 猫又は二階から飛び降り、着地と同時に駆け出した。

 今度こそ、見失わない。

 

 おじさんがリンと別れて歩き出したところを、正面から呼び止める。

 

「おーい、おじさん!」

「おや?」

 

 男が振り返った。

 

「こんにちは。何か用かな?」

「あたし、猫宮又奈! 猫又って呼んでいいぞ!」

「そうか。よろしく、猫又ちゃん」

「うんうん、よろしく!」

 

 にっこり笑って握手を交わす。

 

 そして、猫又は早速本題に入った。

 

「ねえ、おじさん。さっき、あそこの二階で新聞読んでたでしょ?」

「ああ、読んでいたね」

「それで、どうやってここまで来たの?」

「歩いてきたよ」

「……歩いて?」

「うん」

 

 おじさんは何でもないことのように頷いた。

 

 猫又の笑顔が引きつる。

 

「いやいや、待ってよ! さっきまであそこにいただろ? どうやったら、あたしより先にここへ来られるんだ?」

「ははっ。そんなに急いでいたつもりはないんだけどなぁ」

「そういう話じゃないって!」

 

 猫又は思わず頭を抱えた。

 

 目の前のおじさんは、まったく気にした様子がない。

 

 いや、そもそもおかしな挙動をしている自覚すらなさそうだった。

 

「……ねえ、おじさん」

「ん?」

「あたしと勝負しない?」

「勝負?」

「そう! 鬼ごっこだぞ!」

 

 猫又はびしっと指を突きつけた。

 

「あたしがおじさんを捕まえたら、あたしの勝ち! どう?」

「へえ、面白そうだね」

「へへん、言っておくけど、あたしはすっごく速いんだから!」

「それは頼もしいなぁ」

 

 おじさんは楽しそうに笑った。

 

「それで、勝ったら何かご褒美でもあるのかい?」

「もちろん! あたしが勝ったら、おいしい魚料理を奢ってもらうぞ!」

「ははっ、なるほど。そういうことか」

 

 おじさんは少し考え、頷いた。

 

「いいとも。私が勝っても何も無しでいい。ただし、周りの人に迷惑をかけないようにな」

「分かってるって!」

 

 猫又は腰を落とした。

 

「それじゃ、始めるぞ!」

 

 次の瞬間。

 

 猫又の姿が、掻き消えた。

 

 いや、正確にはそう見えるほどの速度で地面を蹴ったのだ。

 

 十歩ほどの距離が、一瞬で縮まる。

 

「へへん、捕まえ――」

 

 伸ばした手が、空を切った。

 

「……あれ?」

 

 おじさんは、少し先を歩いていた。

 

「おっと、惜しかったね」

「……今、何した?」

「何って、歩いてただけだけど?」

「またそれ!?」

 

 猫又は歯噛みした。

 

 もう一度、地面を蹴る。

 

 今度は背後から回り込む。

 

 それでも、届かない。

 

 おじさんはいつの間にか雑貨店『141』の前にいて、のんびりと飲み物を選んでいた。

 

「……ちょっと!」

「おや、猫又ちゃん。喉が渇いたのかい?」

「違う! なんでそんなところにいるんだよ!」

「買い物していたからね」

「そういうこと聞いてるんじゃないってば!」

 

 猫又は頭を抱えた。

 

 速さには自信がある。相手の動きを見切ることにも、追いかけることにも得意だ。それなのに、目の前のおじさんにはまったく追いつけない。

 

「……おじさん、どこにでもいるんだな」

「ははっ、そうだね。おじさんはどこにでもいるし、どこにもいないのさ」

「何それ!? 意味分かんない!」

 

 猫又は思わず叫んだ。

 

 しかし、おじさんは愉快そうに笑うばかりだった。

 

 何度追いかけても、結果は同じ。

 

 路地を曲がればいない。

 建物の上から探せば、いつの間にか下にいる。

 背後から近づこうとすれば、今度は別の場所で買い物をしている。

 

 そのくせ、本人は一度も走っていない。

 

「……こんなの、ズルだぞ」

 

 とうとう猫又は、通りの隅でしゃがみ込んだ。

 

 息は上がっていない。まだまだ走れる。

 

 けれど、どれだけ速く走っても捕まえられない相手を追いかけていては、きりがない。

 

「……うーん」

 

 猫又は腕を組んだ。

 

 おじさんは、どこにでも現れる。

 しかも、どこへ行っても楽しそうにしている。

 新聞を読んだり、買い物をしたり、知り合いと話したり。

 散歩をしているという話も、どうやら嘘ではないらしい。

 

 ならば。

 

「……あっ」

 

 猫又の耳が、ぴんと立った。

 

「へへへ……そういうことか」

 

 猫又は立ち上がると、もう一度通りを見渡した。

 

 そして、今度はおじさんを追いかけず、ある場所へ向かって歩き出した。

 

 しばらくして。

 

「おや、ウーフ。まだお仕事中かい?」

「ワン!」

 

 新聞スタンドの前に、おじさんが戻ってきた。

 

 しゃがみ込み、ウーフの頭を撫でる。

 

「今日もフワフワだなぁ。いくらでも撫でちゃうぞ!」

「ワウ!」

「ははっ。そんなに喜んでくれると、こっちまで嬉しくなるよ」

 

 その時だった。

 

「はい、捕まえた!」

 

 ぽん。

 

 背後から伸びてきた手が、おじさんの肩に触れた。

 

「おっと」

 

 振り返ると、猫又が得意げな顔で立っていた。

 

 二本の尻尾が、嬉しそうに揺れている。

 

「へへん! どうだ! あたしの勝ちだぞ!」

「これは参ったなぁ。どこに隠れていたんだい?」

「そこは秘密! おじさんだって、どうやって移動してるのか教えてくれなかったでしょ?」

「ははっ、それもそうだね」

 

 おじさんは愉快そうに笑った。

 

「でも、どうしてここに戻ってくると思ったんだい?」

「簡単だよ。おじさん、最初もここでウーフを撫でてただろ?」

「うん」

「それに、何度もこっちを気にしてた。だから、また戻ってくるんじゃないかと思ったんだ」

 

 猫又は胸を張った。

 

「速く走るだけが追いかけっこじゃないんだぞ!」

「なるほど。ちゃんと観察していたんだなぁ」

 

 おじさんは感心したように頷いた。

 

「お見事。おじさんの負けだ」

「へへーん! もっと褒めてもいいぞ!」

「ははっ、そうかい。じゃあ、猫又ちゃんはすごいなぁ」

「うんうん! 分かればいいんだよ!」

 

 猫又は満足そうに頷いた。

 

 しかし、すぐに表情を改める。

 

「……それで、おじさん」

「ん?」

「あたし、まだ聞いてないことがあるんだけど」

「何かな?」

「結局、あんた何者なの?」

 

 まっすぐに見つめる。

 

 おじさんは少しだけ目を細めた。

 

「おじさんは、おじさんだよ」

「もー! そうじゃなくて!」

 

 猫又が頬を膨らませる。

 

「さっき、あたしは確かに見てたんだ。おじさんが角を曲がるところも、二階で新聞を読んでるところも。なのに、次の瞬間には別の場所にいる」

「うん」

「普通の人間に、そんなことできないぞ」

 

 猫又の耳が、ぴくりと動いた。

 

「……何か隠してるだろ?」

 

 おじさんはしばらく猫又を見つめていた。

 

 そして、ふっと笑った。

 

「そうだね。誰にだって、一つや二つ秘密はあるものさ」

「……やっぱり、はぐらかすんだ」

「ははっ。そう怒らないでおくれよ」

 

 おじさんは立ち上がると、猫又の頭を軽く撫でた。

 

「それより、約束のご褒美だ。美味しい魚でも食べに行こうか」

「……魚?」

 

 猫又の耳が、勢いよく立った。

 

「今日はおじさんの奢りだよ」

「……どこに行く?」

「おや、随分と切り替えが早いね」

「うるさいな! 勝ったんだから、当然の権利だぞ!」

 

 猫又はそっぽを向いた。

 

 だが、二本の尻尾は正直だった。

 

「ははっ。じゃあ、行こうか」

 

 二人は並んで歩き出した。

 

 さっきまで何度追いかけても捕まえられなかった相手が、今度は猫又の歩幅に合わせて歩いている。

 

 猫又は横目でおじさんを見上げた。

 

 アロハシャツにサンダル。

 

 髭面で、すね毛が立派で、どこにでもいそうなおじさん。

 

 なのに、どう考えても普通じゃない。

 

「……ねえ、おじさん」

「ん?」

「また今度、勝負してくれる?」

「もちろん。いつでも歓迎するよ」

「へへっ、約束だぞ!」

 

 猫又は嬉しそうに笑った。

 

 いつか絶対に、あの不思議な移動の秘密を暴いてやる。

 

 そう心に決めた、その時だった。

 

「ああ、そうそう。猫又ちゃん」

「何?」

「次に尾行する時は、尻尾をもう少し下げた方がいいと思うよ」

「……へ?」

「最初から見えていたからね。二本とも、楽しそうに揺れていたよ」

 

 猫又は自分の尻尾を見下ろした。

 

「…………」

 

 一秒、二秒。会話に間が開く。

 

「……うにゃあああ!? 最初から気づいてたのかーっ!?」

 

 夕暮れの六分街に、元気な叫び声が響き渡った。

 

 おじさんは、ただ楽しそうに笑っていた。

 

 その後、たっぷりと魚料理をご馳走になった猫又は、上機嫌でニコたちの元へ戻ってきた。

 

「ただいまー!」

「おかえり。随分とご機嫌じゃない」

「へへん! おじさんに勝って、ご飯も奢ってもらったぞ!」

「えっ、勝ったの!?」

「もちろん! 猫又サマにかかれば、あんなの朝飯前だって!」

 

 猫又は胸を張った。

 ニコが感心したように頷く。

 

「へえ、やるじゃない。それで、あのおじさんの正体は分かったの?」

「…………」

 

 猫又の笑顔が固まった。

 

「……分かんなかった」

「えっ?」

「でも! 絶対に普通じゃないぞ、あのおじさん!」

「まあ、そうでしょうねぇ」

 

 ニコはあっさり頷いた。

 

「……もっと驚いてよ!」

「だって、急に金の玉をわたすような人よ?」

「それとこれとは別でしょ!」

 

 猫又は思わず叫んだ。

 しかし、ニコにはそんなことよりも気になることがあったらしい。

 

「……ねえ、猫又」

「何?」

「おじさん、魚料理を奢ってくれたのよね?」

「うん」

「それって、結構いいお店だった?」

「すっごく美味しかったぞ!」

「……そう」

 

 ニコは少し考え込んだ。

 

 そして。

 

「次はあたしも連れてって♡」

「結局それかーっ!」

 

 六分街に、今日何度目か分からない猫又の叫び声が響いた。

 

 なお、ニコが大切に保管している二つの金の玉は、今日も無事だった。

 

 換金する予定は、今のところ未定である。

 

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