『謎のおじさん』 作:おじさん好き
▼ 白祇重工 地下鉄工事現場 昼
「いやぁ、くまったなあ」
「……俺のことでしょうか?」
「うん。君を見たら、どうしても言いたくなってしまってね」
ベン・ビガーは、手にしていた書類から顔を上げた。
目の前にいるのは、アロハシャツ姿の中年男性だった。白いショートパンツにサンダルという、工事現場には到底似つかわしくない格好をしている。
その隣には、小さなボンプが一匹。
「ンナ……」
ボンプの胸元に備えられた小さな画面に、『0点』という文字が表示された。
「おや、厳しいねぇ」
「ンナ!」
「そうかい。次は頑張るよ」
何やら一人と一匹で会話している。
ベンは少し考えた末、ひとまず笑っておくことにした。
「はは……なかなか面白い冗談ですね」
「おや、ありがとう。君は優しい人だね」
「い、いえ。それほどでも……」
実のところ、ベンは少々困惑していた。そもそも、なぜこの二人と話しているのか。発端は、ほんの少し先の話になる。
工事現場の出入口付近で、資材を運んでいた作業用ボンプが荷物を落としてしまったのだ。幸い大した被害はなかったが、転がった工具箱を拾ってくれたのが、この見知らぬ男性だった。
それだけなら、親切な通行人で済む話である。
しかし。
「それにしても、立派な身体だねぇ。毛並みも綺麗だ」
「あ、ありがとうございます」
「これだけ大きいと、服を選ぶのも大変じゃないかい?」
「そうですね。既製品ではなかなか合うものがなくて……」
気づけば世間話が始まっていた。
しかも、妙に話しやすいせいでやめ時が見つからない。
「そうだ。自己紹介がまだだったね。私はおじさん。こっちは相棒のミラだよ」
「ンナ!」
小さなボンプが元気よく片手を上げる。
白を基調とした身体に、銀色の装飾。丸い頭には小さなサングラスが取り付けられていた。
どうやら主人の格好を真似ているらしい。
「おじさん……ですか?」
「うん。そう呼んでくれると嬉しいな」
「分かりました。俺はベン・ビガーです。白祇重工で財務を担当しています」
「ベン君か。いい名前だねぇ」
おじさんは満足そうに頷いた。
「それにしても、財務担当とは頼もしい。ベン君がいれば、何かとベン利そうだ」
「…………」
再び、ミラの画面に『0点』が表示された。
「……ミラ。せめて一桁くらいはくれないかな?」
「ンナ」
「駄目かぁ」
ベンは笑っていいものか迷った。
そこへ、聞き慣れた大声が響いた。
「おーい、ベン! こんなところで何してんだ?」
現れたのは、白祇重工の現場責任者、アンドー・イワノフだった。
左腕に装着した動力ハンマードリルを軽く持ち上げながら、二人の顔を交互に見る。
「おっ、客人か?」
「ああ。先ほど、うちのボンプを手伝ってくれた方なんだ」
「へえ! そいつはありがてえな!」
アンドーは豪快に笑い、おじさんへ手を差し出した。
「オレはアンドー・イワノフ! よろしくな、おっさん!」
「こちらこそ。元気のいい青年だねぇ」
「ハッハッハ! 元気だけが取り柄みてえなもんだからな!」
握手を交わした二人は、すぐに打ち解けた。
「それで、おっさんは何してる人なんだ?」
「うーん。散歩かな」
「散歩!? こんなところまでか!?」
「天気もいいしね。歩くのは気持ちがいいよ」
「へえ、いいじゃねえか! 健康的だな!」
アンドーは感心したように頷いた。
ベンは何か言おうとして、やめた。
おじさんの服装には、健康的という言葉より先に指摘すべき部分がいくつもある気がする。
「それより、おっさん! せっかく来たんだ、少し休んでいかねえか?」
「おや、いいのかい?」
「もちろんだ! 助けてもらった礼もしねえとな!」
「アンドー、作業区域には入れられないぞ」
「分かってるって! 外の休憩スペースなら問題ねえだろ?」
「……それなら大丈夫だな」
こうして、おじさんとミラは白祇重工の面々と休憩することになった。
もっとも、工事現場の中へは入らず、出入口に隣接した日除けの下である。
「いやぁ、いい会社だねぇ」
「そうだろ! うちは腕のいい連中ばっかりだからな!」
「アンドー、声が大きいぞ」
「おっと、悪い悪い!」
おじさんは缶コーヒーを受け取りながら、アンドーの左腕に目を向けた。
「それは立派なドリルだね」
「おっ、分かるか!?」
アンドーの目が輝いた。
「こいつはオレの兄弟なんだ! ずっと一緒に現場を駆け回ってきた相棒さ!」
「へえ。兄弟か。いいねぇ」
「だろ!? こいつがいれば、どんな硬い地盤だって怖くねえ!」
「なるほど。頼もしい兄弟だ」
おじさんは感心したように頷いた。
「つまり、君たちがいれば現場も安堵できるわけだね」
「……ん?」
「アンドー君だけに、安堵」
「…………」
沈黙。
ミラの画面に『0点』が表示された。
「……おっさん」
「何かな?」
「今の、ダジャレか?」
「うん」
「…………」
アンドーはしばらく考えた。
そして。
「ハッハッハッ! なるほどな! 安堵とアンドーを掛けたのか!」
「おや、分かってくれたかい!」
「面白えじゃねえか!」
「そう言ってもらえると嬉しいなぁ!」
意気投合していた。
ベンは静かに缶コーヒーを飲んだ。どうやら、アンドーとは相性がいいらしい。
「ンナ……」
ミラの画面には、依然として『0点』が表示されている。
「ミラ。世の中にはね、点数じゃ測れないものもあるんだよ」
「ンナ?」
「人の心さ」
「ンナナ」
白いバンプは首を振る。表示はやっぱり変わらなかった。
「……君は本当に厳しいねぇ」
おじさんは困ったように笑った。
「おい! 何やってんだ、お前ら!」
その時、鋭い声が飛んできた。
振り返ると、小柄な少女が腰に手を当てて立っていた。赤い髪を揺らし、不機嫌そうな顔で三人を睨んでいる。
「休憩はいいけどな、次の作業の準備は終わってんだろうな?」
「おう! もちろんだぜ、社長!」
「資材の確認も済んでいます。午後の工程に影響はありません」
「ならいいけどよ……ん?」
少女の視線がおじさんに向いた。
「誰だ、そいつ?」
「さっき現場のボンプを助けてくれたおっさんだ!」
「おじさんだよ。よろしく、社長さん」
おじさんは椅子から立ち上がり、軽く頭を下げた。
少女は少し意外そうな顔をした。
「あたしが社長だって、分かるのか?」
「二人がそう呼んでいたからそりゃあね」
「……ふん。そうかよ」
どこか満足そうに鼻を鳴らす。
「あたしはクレタ・ベロボーグ。白祇重工の社長だ」
「クレタさんか。若いのに立派だねぇ」
「歳は関係ねえよ。仕事ができるかどうかだろ」
「うん。その通りだ」
おじさんは穏やかに笑った。
「いい仲間にも恵まれているみたいだし、安心だね」
「……まあな」
クレタは少しだけ照れくさそうに視線を逸らした。そこへ、アンドーが余計な一言を挟む。
「社長! このおっさん、面白えんだぜ!」
「何が?」
「ダジャレだよ、ダジャレ!」
「……は?」
クレタの眉が寄った。
「アンドーがいると安堵できるんだとよ!」
「…………」
クレタは無言でおじさんを見た。
「……それ、面白いのか?」
「私は結構気に入ってるんだけどね」
「ンナ」
ミラの画面に『0点』。点数は微動だにしない。
「ほら見ろ! ボンプにも駄目出しされてるじゃねえか!」
「ははっ。手厳しいなぁ」
「ったく、何が面白いんだか……」
クレタは呆れたように肩をすくめた。
しかし、おじさんは少しも気にした様子がない。
「ところで、社長さん。現場は順調かい?」
「ああ。厄介なこともあるけどな、あたしたちなら何とかするさ」
「そうか。頼もしいね」
「当たり前だろ。白祇重工を舐めんなよ!」
胸を張るクレタに、おじさんは嬉しそうに頷いた。
「うんうん。いい社長さんだ」
その時だった。
「ンナッ!」
ミラが突然立ち上がった。
「ん? どうしたんだい?」
先ほどまで冗談の点数を表示していた画面が消え、細い線と数字が次々に浮かび上がる。
「ンナ! ンナナ!」
ミラは工事現場の方を指差した。
その先では、作業員たちが鉄骨の吊り上げ準備を進めていた。
おじさんがそちらを見る。
「……おや」
それだけだった。
「社長さん。ちょっといいかな?」
「何だ?」
「あそこの吊り具、確認してもらえるかい?」
「……吊り具?」
クレタが視線を向けた。
「何かあんのか?」
「うん。少し気になるところがあってね」
クレタの表情が変わった。
「アンドー! 作業を止めろ!」
「おう! お前ら、一旦ストップだ!」
アンドーの声が響き、現場の動きが止まる。
ベンもすぐに立ち上がった。
「俺が確認してきます」
「ああ、頼む!」
ほどなくして、作業員たちが吊り具を点検し始めた。
そして。
「社長! 固定金具の一つに亀裂が入ってます!」
「何だと!?」
クレタが声を上げた。
「すぐに交換しろ! 他の金具も全部確認だ!」
「了解!」
現場が慌ただしく動き出す。
小さな亀裂だった。
すぐに破損するとは限らないが、そのまま重量物を吊り上げれば重大な事故につながる恐れがある。
作業を止めた判断は正しかった。
「……おっさん」
アンドーが振り返る。
「よく分かったな、あんなの」
「いやいや。気づいたのはこの子だよ」
おじさんはミラの頭を撫でた。
「よく見つけたね。偉いぞ」
「ンナ!」
ミラが嬉しそうに両腕を上げる。
クレタはその姿をじっと見つめた。
「……そのボンプ、何か特別なセンサーでも積んでるのか?」
「そうだね。少しばかり、目がいいんだ」
「少しばかりって……」
クレタは言いかけて、口を閉じた。
小さなボンプが異常を発見したのも驚きだが、それ以上に、おじさんの反応が妙に落ち着いていた。
まるで、最初から何が起こるか分かっていたような。
「……ま、いいか」
考えるのは後だ。
今は従業員の安全を確保する方が先である。
「助かった。礼を言うぜ」
「いや、私は何もしてないよ」
「お前のボンプが気づいたんだろ? だったら同じことだ」
クレタはそう言って、ミラの前にしゃがみ込んだ。
「ありがとな。お前のおかげで事故にならずに済んだ」
「ンナナ!」
ミラは嬉しそうに腕を振った。
「……可愛いやつだな」
クレタが小さく笑う。
その様子を、おじさんは少し離れたところから眺めていた。
「いい社長さんだねぇ。支え甲斐がある」
「……聞こえてるぞ!」
「おっと。これは失礼」
おじさんは笑った。
やがて点検が終わり、交換用の金具も用意された。作業は予定より遅れることになったが、クレタは気にした様子もなく指示を出している。
「焦って事故を起こすくらいなら、遅れる方がマシだ。安全確認が終わるまで再開すんなよ!」
「了解!」
その姿を見て、おじさんは満足そうに頷いた。
「うん。やっぱり、いい会社だ」
ベンが隣に戻ってくる。
「おかげで助かりました。本当にありがとうございます」
「どういたしまして。ベン君たちがすぐに動いてくれたからだよ」
「いえ。ですが、気づいていなければ……」
ベンは少し考え込んだ。
おじさんはそんな彼の肩を軽く叩く。
「何事もなくてよかった。それで十分じゃないか」
「……そうですね」
ベンの表情が和らぐ。
すると、おじさんは思い出したように手を打った。
「ああ、そうだ」
「はい?」
「やっぱり、ベン君がいてくれるとベン利だねぇ」
「…………」
ベンは固まった。
「おい! またそれかよ!」
クレタがすかさず突っ込む。
「いやぁ、どうしても言いたくなってしまってね」
「さっきも聞いたぞ!」
「大事なことは二度言わないと」
「大事じゃねえだろ!」
アンドーが豪快に笑い出した。
「ハッハッハ! いいじゃねえか社長! オレは好きだぜ、こういうの!」
「お前が笑うから調子に乗るんだろ!」
「いやぁ、社長さんも大変だねぇ」
「誰のせいだと思ってんだ!」
おじさんは楽しそうに笑った。
「でもね、社長さん。ベン君がいてくれればベン利だし、アンドー君がいれば安堵できる。いい仲間じゃないか」
「……だから! まとめて言うなって!」
クレタは頭を抱えた。
その横で、ベンが小さく吹き出す。
「……ふっ」
「ベン!?」
「す、すみません、社長。つい……」
「何で笑ってんだよ!」
「いや……何度も言われると少し面白くて……」
クレタは信じられないものを見るような目をした。
「お前まで何言ってんだ! そんなくだらねえことで笑ってたら、現場の連中に示しがつかねえだろ!」
「ははっ。いいじゃないか。笑う門には福来たるってね」
「何が福だ! こっちはお前のせいで、くまった……こ、困ったことになってんだよ!」
ぴたり。
全員の動きが止まった。
「…………」
クレタが目を瞬かせる。
「……社長?」
ベンが恐る恐る声を掛けた。
「……何だよ」
「今、くまったと……」
「噛んだだけだ! 困ったって言ったんだよ!」
クレタが慌てて言い直す。しかし、時すでに遅し。
「……ぷっ」
「……何笑ってんだよ」
「い、いえ……くまった、というのは……ふふっ……」
ベンが口元を押さえた。
アンドーも肩を震わせている。
「ハッハッハ! 社長までダジャレかよ!」
「違うって言ってんだろ! ただ噛んだだけだ!」
「いやぁ、これは一本取られたなぁ」
おじさんが感心したように頷いた。
「社長さん、なかなかやるねぇ」
「お前が言うなぁっ!」
その瞬間。
ピコン。
ミラの胸元に『100点』という文字が表示された。
「ンナ!」
拍手するように両腕を振る。
「おおっ! 満点じゃないか!」
「社長、すげえ!」
「……ふ、ふふっ……」
とうとうベンが堪えきれずに笑い出した。
「お前ら全員、いい加減にしろぉぉぉっ!!」
白祇重工の休憩所に、クレタの叫び声が響き渡った。
その後、作業が無事に再開されたところで、おじさんは帰ることにした。
「いやぁ、楽しかったよ。今日はありがとう」
「礼を言うのはこっちだぜ! また遊びに来てくれよな!」
「ええ。今度はぜひ、仕事の邪魔にならない時に」
「ははっ、そうさせてもらうよ」
アンドーとベンに見送られ、おじさんは歩き出そうとした。
「おい、ちょっと待て!」
そこへ、クレタが駆け寄ってきた。
「ほら、これ。持ってけよ」
差し出されたのは、缶コーヒーと小さな包みだった。
「おや、いいのかい?」
「ああ。事故を防いでくれた礼だ。そっちのボンプにも、うちで用意した補給品が入ってる」
「それはありがたい。ミラ、お礼を言おうか」
「ンナナ!」
ミラがぺこりと頭を下げる。
「……ま、また何かあったら顔くらい出せよ」
クレタは少し照れくさそうに鼻を鳴らした。
おじさんは受け取った缶コーヒーを眺め、嬉しそうに笑う。
「いやぁ、やっぱりいい社長さんだねぇ」
「な、何だよ急に」
「こんなものまで貰っちゃって。まさかクレタちゃんがくれるとは」
そこで、おじさんはふと口を閉じた。
「……ん?」
何かに気づいたらしい。
口元が、ゆっくりと緩んでいく。
「クレタが、くれた……」
「…………」
「……ふふっ」
「……おい」
「ははっ! クレタがくれた! これは一本取られたなぁ!」
「自分で言って自分で笑ってんじゃねえよ!!」
クレタの怒鳴り声が響いた。
アンドーは腹を抱えて笑い、ベンは必死に口元を押さえている。
「ハッハッハ! こいつは傑作だぜ!」
「アンドー! お前まで笑うな!」
「す、すみません社長……ふふっ……」
「ベンまで!?」
そんな騒ぎの中、ミラが静かに胸元の画面を点灯させた。
『-100点』
「……おや?」
おじさんが目を瞬かせる。
「ちょっと待ってくれ。マイナスまであるのかい?」
「ンナ!」
ミラは元気よく頷いた。
「……そうかぁ。おじさん、ちょっと自信があったんだけどな」
「自信持つなぁぁぁ!!」
今日も白祇重工は賑やかだった。