『謎のおじさん』 作:おじさん好き
▼ 白祇重工 黒雁街跡地 昼
「……三人とも、帰ってこないんだ」
「それは心配だね」
グレース・ハワードの沈んだ声に、おじさんは眉を下げた。
「この前見せてもらった子かい?」
「ううん。あの子じゃなくて、もっと大きな子たちだよ」
グレースは端末を取り出し、三枚の写真を表示した。
「ハンス、グレーテル、フライデー……みんな、私の自慢の子供たちなんだ」
「へえ。立派な子たちだねぇ」
「そうだろう!?」
途端にグレースの表情が明るくなる。
「ハンスは力持ちだし、グレーテルはとっても器用! フライデーだって頑固なところはあるけど、本当にいい子なんだよ!」
「うんうん。ずいぶん可愛がってるんだね」
「もちろん! だから、早く迎えに行ってあげたいんだけど……」
そこで、再び肩を落としてしまった。
「それは落ち着かないね」
「……おい、おじさん」
隣で話を聞いていたクレタ・ベロボーグが、呆れたように口を開いた。
「お前、もっと疑問に思うところはないのか?」
「特にないなぁ。気になるところでもあった?」
「普通は重機を三人って数えた時点で、何か言うだろ」
「ははっ。グレースちゃんにとっては大事な家族なんだろう? だったら、三人でもいいじゃないか」
「……まあ、そうだけどよ」
クレタは少しだけ口ごもった。
黒雁街跡地に設けられた白祇重工の仮設事務所は、朝から慌ただしい空気に包まれていた。そんな中、近くを散歩していたおじさんが通りかかったのである。
今日のおじさんは、真っ赤なアロハシャツに黒いパンツという出で立ちだった。銀がかった金髪はいつもより少し乱れているものの、整えられた髭と相まって、それなりに落ち着いた雰囲気がある。
ただ、年齢を感じさせる外見に反して、よく見るとその肌には目立った皺や染みがほとんどない。もっとも、そこまでよく見る人がいるのかは謎であるが。
「その三人はどこに行ったんだい?」
「ホロウの中さ。しかも、かなり奥まで行っちゃったみたいでね」
「……ほう」
おじさんは写真へ視線を戻した。
「それはまた、随分と遠くまで家出しちゃったものだねぇ」
「だろう? 私もびっくりしたよ!」
グレースは困り果てたように頷いた。
「少し前から急に様子がおかしくなってね。命令を聞かずに、勝手にホロウの奥へ行っちゃったんだ」
「何か理由があるのかもしれないね」
「うん。戻ってきたら、ちゃんと調べてあげないと」
グレースは端末に映る三機を、心配そうに見つめた。
すると、クレタが腕を組んだ。
「とにかく、あいつらを放っておくわけにはいかねえ。うちの主力だし、何より大事な仲間だからな」
「うん。そうだね」
おじさんは静かに頷いた。
「何か手伝えることはあるかい?」
「気持ちはありがてえけど、こっちで何とかするさ。腕のいいプロキシも紹介してもらったところだしな」
「……プロキシかい?」
「ああ。パエトーンって知ってるか?」
「名前は聞いたことがあるよ」
おじさんは穏やかに笑った。
「なかなか腕のいい人たちらしいね」
「そうなのか?」
「うん。きっと力になってくれると思うよ」
妙に自信のある返答だった。
クレタは少し首を傾げたものの、それ以上は気にしなかった。
「まあ、ニコの紹介だからな。あいつのことは信用してるし、腕も確かなんだろ」
「……ニコちゃんが紹介したのかい?」
「何だ、お前も知り合いなのか?」
「ははっ。ちょっとした縁があってね」
おじさんは楽しそうに笑った。
どうやら、世間は思っているより狭いらしい。
「それにしても……」
おじさんは改めて周囲を見渡した。
重機の点検に追われる作業員たち。何度も通信機を確認するクレタ。端末とにらめっこを続けるグレース。
皆、普段より少しばかり余裕がなさそうだった。
「大変そうだねぇ」
「そりゃあな。工事は進めなきゃなんねえし、あいつらの捜索もしなきゃいけねえ」
「社長! 資材の確認、終わったぜ!」
そこへ、アンドーがやってきた。
「おっ、おっさんじゃねえか! また来たのか!」
「Hola! やあ、アンドー君。元気そうだね」
「あたぼうよ! 元気だけは有り余ってるぜ!」
アンドーは豪快に笑った。
「そういや、おっさん。今日はミラはいねえのか?」
「今日は別行動だよ」
「そっか! あいつにもまた会いたかったんだけどな!」
少し残念そうに笑う。
「こっちはしばらく忙しくなりそうだぜ。ハンスたちがいねえと、作業がなかなか進まなくてよ。残業上等!ってな有様だぜ」
「そうだねぇ。早く帰ってきてくれるといいんだけど」
「ああ! でも、あいつらなら大丈夫だ! なんたって、オレたちの兄弟だからな!」
その言葉には、迷いがなかった。
おじさんは嬉しそうに目を細める。
「うん。いい仲間だね」
「だろ!?」
アンドーが胸を張った。
その後ろから、ベンも姿を現した。
「おや、おじさん。いらっしゃってたんですね」
「やあ、ベン君。お仕事お疲れ様」
「ありがとうございます。今日は少々立て込んでいまして……」
「そうみたいだね。無理はしないようにね」
「ええ。お気遣い、ありがとうございます」
ベンは丁寧に頭を下げた。
まだ知り合って間もない人たちだが、白祇重工はなかなか居心地のいい場所だった。
誰もが自分の仕事に誇りを持ち、仲間を大切にしている。
おじさんは、こういう人たちが好きだった。
「……さて」
しばらく話したところで、おじさんは軽く手を叩いた。
「忙しいところ、邪魔しちゃ悪いね。私はそろそろ失礼するよ」
「ああ。悪いな、せっかく来てくれたのに」
「気にしないで。今は三人を迎えに行くことを考えておくれ」
そう言って、クレタの頭に手を伸ばしかける。
「……おい」
「おっと、失礼」
おじさんは慌てて手を引っ込めた。
「子供扱いすんなよ」
「ははっ。そうだったね」
クレタは不満そうに鼻を鳴らした。
そんなやり取りをしていた、その時だった。
『警告。外縁部第三区画にて異常なエーテル反応を検知』
仮設事務所に、機械的な音声が響いた。
「……何だ?」
クレタが端末へ視線を向ける。
直後、通信機から慌ただしい声が飛び込んできた。
『社長! ホロウ境界の変動を確認! 巡回中の作業員が一名、退避できていません!』
「何だと!?」
クレタの表情が引き締まった。
「アンドー! 現場の連中を下がらせろ!」
「おう! 任せとけ!」
「ベン! 退避経路の確認を頼む!」
「了解した!」
「グレース! 境界の変化を調べてくれ!」
「任せて!」
先ほどまでの賑やかな空気が、一瞬で引き締まった。
全員が迷いなく動き出す。
おじさんは、その様子を眺めていた。
「……おやおや」
困ったものだ。
どうやら、今日の散歩はもう少し長くなりそうだった。
▼ 黒雁街跡地 ホロウ外縁部
「くそっ……何でこんな時に……!」
若い作業員は、崩れた通路を前に立ち尽くしていた。
巡回中、突然ホロウの境界に異常が起こった。彼は慌てて道を引き返そうとしたものの、先ほどまで通れた道は歪んだ空間に呑み込まれ、帰路を見失ってしまった。
通信機は雑音ばかり。
非常用のナビゲーションも、現在地をうまく捉えられない。
「誰か! 応答してください!」
返事はなかった。
代わりに、瓦礫の向こうから不気味な音が響く。
ぎしり。
何かが、動いた。
「……っ!」
振り返る。
そこには、結晶質の外殻を持つエーテリアスがいた。
人間より一回り大きな身体。不規則に伸びた四肢。周囲の瓦礫を踏み砕きながら、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
「ひっ……!」
作業員は後ずさった。
しかし、背後は崩れた通路だった。
逃げ場がない。
エーテリアスが腕を振り上げる。
作業員は思わず目を閉じた。
「――おっと」
その時だった。
「危ない危ない。こんなところで何してるんだい?」
場違いなほど穏やかな声が聞こえた。
「……え?」
恐る恐る目を開ける。
そこにいたのは、アロハシャツ姿のおじさんだった。お気楽で場違いなその姿は、どう見ても、ホロウの中にいるべき人間ではない。
「あ、あんた……!」
「やあ。怪我はないかい?」
「何でこんなところに!? 早く逃げてください!」
叫んだ直後、エーテリアスが動いた。
「危ないっ!」
巨大な腕が振り下ろされる。
避けられない。作業員の彼はすぐに悟った。目の前の男も自分も、既にその間合いの内側にいる。
だが、おじさんは慌てることなく、作業員の肩へ軽く手を添えた。
「おっと、こっちだよ」
ほんの僅かに身体が動く。
次の瞬間、凄まじい轟音とともに、エーテリアスの腕が地面へ突き刺さった。
砕けた瓦礫が周囲に散らばる。しかし、二人には傷一つない。
「……え?」
作業員は目を瞬かせた。
間違いなく直撃するはずだった攻撃が、何故か当たらなかったのだ。
「いやぁ、物騒だねぇ」
おじさんは困ったように笑い、作業員へ手を差し出した。
「さて、早いところ帰ろうか」
「えっ!? でも、道が……!」
「大丈夫。おじさんについておいで」
その声は、妙に落ち着いていた。
作業員が恐る恐る手を握ると、おじさんはそのまま一歩踏み出した。
その瞬間、景色が変わった。
「…………え?」
先ほどまで目の前にあった瓦礫も、エーテリアスも消えている。
代わりに広がっていたのは、見慣れた工事現場だった。遠くには白祇重工の仮設事務所が見え、仲間たちが慌ただしく走り回っている。
間違いない。ホロウの外だ。
「……な、何で?」
あの男は何をしたのだろう。
確かに手を握り、一歩踏み出しただけだった。それなのに、気づけば帰ってきている。
「あ、あの!」
慌てて振り返った。
だが、そこにはもう誰もいなかった。
「…………」
ただ、手のひらには誰かに握られていた感触だけが残っていた。
やがて、遠くから仲間たちの声が聞こえてくる。
作業員は、ようやく自分が助かったことを実感した。
一方、その頃。
ホロウの内部では、先ほどのエーテリアスが周囲を見回していた。
獲物が消えた。それが理解できないのか、結晶質の身体を不規則に震わせている。
「……やれやれ」
その背後から、声がした。
「人を襲うのは感心しないなぁ」
エーテリアスが振り向く。
そこには、先ほどの男が立っていた。
アロハシャツも、パンツも、サンダルも。何一つ変わらない姿でそこにいる。
「この辺りにいられると、また誰かが襲われるかもしれないからねぇ」
おじさんはサングラスを持ち上げた。
その奥で、瞳が紅く染まる。
瞳孔に浮かび上がるのは、
無限を意味する —— 『♾️』
【
意識の奥で、抑揚のない機械音声が響く。
《観測開始》
《対象——エーテリアス》
《脅威度——極小》
「……うん。すぐに済みそうだね」
エーテリアスがおじさんに気づき、咆哮を上げた。巨体が地面を蹴り、鋭い爪が振り下ろされる。
だが、その爪が届くことはなかった。
——【一閃】
銀色の光が、二人の間を駆け抜ける。次の瞬間、エーテリアスの身体が音もなく崩れ落ちた。
《対象の活動停止を確認》
「……うん。これでよし」
紅く染まった瞳が、銀色の光を取り戻す。
おじさんはサングラスを戻した。
「さあて、帰ろうかな」
その姿が、ふっと消えた。
静まり返ったホロウには、銀色の残光だけが微かに漂っていた。
▼ 白祇重工 黒雁街跡地 午後
「……無事だったのか!?」
クレタが声を上げた。
行方不明の作業員が、仲間に支えられながら無事戻ってきたのだ。
「はい! 何とか……!」
「怪我は!?」
「ありません!」
「……ったく、心配させやがって!」
クレタは大きく息を吐いた。
アンドーもほっとしたように笑う。
「よかったな! もう駄目かと思ったぜ!」
「本当に……申し訳ありませんでした」
作業員は深々と頭を下げた。
「しかし、どうやって戻ってきたんですか?」
ベンが尋ねる。
作業員は少し困ったように口を開いた。
「……それが、よく分からなくて」
「分からない?」
「はい。ホロウの中でエーテリアスに襲われたんですけど、変な人が助けてくれて……」
「変な人?」
クレタが首を傾げた。
「どんな奴だ?」
「えっと……アロハシャツを着た、髭面のおじさんで……」
「…………」
「…………」
沈黙。
クレタとアンドー、ベンが顔を見合わせた。
「……おい」
「……まさか」
「……あの方でしょうか」
三人の脳裏に、同じ人物が浮かんでいた。
「その人が手を引いてくれたら、気づいた時には外にいたんです。どうやって戻ってきたのか、本当に……」
作業員は混乱した様子で説明する。
だが、クレタたちには到底信じられない話だった。
「……待てよ」
クレタが眉を寄せる。
「あのおじさん、ホロウに入れるのか?」
「適性のある人なら不可能じゃありませんが、装備もなしに入るのは……」
ベンが言葉を濁す。
「しかもサンダルだぞ!?」
アンドーの言葉に、クレタは頭を抱えた。
「……もう、訳分かんねえ」
その時だった。
「おや、みんな。どうしたんだい?」
聞き覚えのある声が響いた。
——振り返ると、そこには例のおじさんが立っていた。
「……お前!」
クレタが勢いよく駆け寄る。
「どこ行ってたんだよ!」
「ん? ちょっと散歩にね」
「散歩!? こんな時にか!?」
「ははっ。いやぁ、少し寄り道しちゃって」
いつもの調子で誤魔化すように笑う。髪にも服にも汚れはなく、至って平静な様子だった。
「……おい、おじさん」
「何かな?」
「お前、さっきホロウに入ったのか?」
「……おや」
おじさんは少しだけ目を丸くした。
「どうして?」
「戻ってきた作業員が言ってたんだよ! アロハシャツのおじさんに助けられたって!」
「ああ、彼か。無事に戻れたんだね。よかったよかった」
嬉しそうに頷く。
「……いや、そうじゃなくて!」
クレタは詰め寄った。
「どうやって助けたんだよ!?」
「道先を案内して一緒に帰ってきただけだよ」
「それで済むわけねえだろ!」
「ははっ。まあまあ、落ち着いて。緊急事態だ、彼も気が動転していたんだろう」
おじさんは穏やかに笑った。
「怪我もなく戻ってこられたんだ。それが一番じゃないか」
「……それは、そうだけどよ」
クレタは言葉に詰まった。確かに、作業員は無事だったから。
それに、助けてくれたのがこの男なら、礼を言わなければならない。
「……ったく」
大きく息を吐く。
「助かった。ありがとな」
「どういたしまして」
おじさんは嬉しそうに頷いた。
「……でも、次からは勝手に危険な場所へ入るなよ!」
「はいはい。気をつけるよ」
「本当に分かってんのか!?」
おじさんは笑うばかりだった。
そこへ、グレースが近づいてきた。
「……ねえ、おじさん」
「ん?」
「君、本当にただのおじさんなのかい?」
「おや。そう見えないかな?」
「……うん。ちょっとね」
グレースは興味深そうに目を細めた。
先日の重機の件。ミラという不思議なボンプ。そして、今回の救出劇。
この男には、どうにも分からないことが多すぎる。
「……ふふっ」
グレースは楽しそうに笑った。
「やっぱり、君とは一度じっくり話してみたいな」
「ははっ。いつでも歓迎するよ」
おじさんも笑った。その時、クレタの端末が鳴った。
「……ん?」
画面を確認する。
そこには、待ち望んでいた連絡が届いていた。
「……よし!」
クレタが顔を上げる。
「プロキシの準備が整ったみてえだ!」
「本当かい!?」
グレースの表情が明るくなった。
「ああ! いよいよ、あいつらを迎えに行くぞ!」
「おう! 待ってろよ、兄弟たち!」
アンドーが拳を握る。
「俺も必要な支援を手配しておこう」
ベンも頷いた。
白祇重工の面々が、再び動き始める。
おじさんはその様子を眺め、満足そうに笑った。
「……うん。頑張っておいで」
その小さな呟きは、誰にも届かなかった。
やがて、全員が準備へ向かった後。
「さて、おじさんも帰ろうかな」
そう呟いたところで、ベンが慌てて駆け寄ってきた。
「おじさん! 少々お待ちください!」
「おや、どうしたんだい?」
「先ほどの救助について、会社としてお礼をさせていただきたいんですが……」
「ははっ。そんなの気にしなくていいよ。彼が無事なら、それで十分さ」
おじさんは笑って手を振った。
しかし、ベンは困ったように眼鏡を直す。
「そういうわけにもいきません。社外の方に危険な場所で救助活動をしていただいた以上、報告書も残さなければなりませんから」
「おやおや。律儀だねぇ」
「仕事ですから。ご協力いただけますか?」
「うん。私に分かることなら何でも聞いておくれ」
ベンはほっと息を吐き、端末を操作した。
「ありがとうございます。では、まずお名前をお願いします」
「おじさんだよ」
「……いえ、正式な氏名をお願いします」
「ははっ。それは内緒かな」
「……内緒、ですか」
ベンの指が止まった。
「……では、住所を教えていただけますか?」
「秘密」
「……ご職業は?」
「自営業だよ」
「……具体的には、どのようなお仕事を?」
「まあ、色々とね」
「……生年月日は?」
「ははっ。もう忘れちゃったよ」
「…………」
ベンは静かに端末を閉じた。
「……社長」
「何だよ?」
「この方、どうやって経費処理すればいいんでしょうか……」
「知るかぁぁぁっ!!」
白祇重工に、今日もクレタの叫び声が響き渡った。
珍しく働いたおじさん。
その実態は、最後まで謎のままだった。