ACE COMBAT: SKIES INHERITED 作:無名のエース
2019年6月。ユージア大陸、第444航空基地。
1 墓場へようこそ
第444航空基地には、奇妙な光景が広がっていた。
滑走路の脇には、数え切れないほどの戦闘機が並んでいる。
F-16、F/A-18、MiG-29。
中には、塗装の剥がれた大型爆撃機まであった。
遠目には、相当な航空戦力を保有する大基地に見えるだろう。
しかし、近づけば分かる。
キャノピーの割れた機体。
脚が折れたまま放置された機体。
エンジンの吸気口を塞がれ、二度と飛ぶことのない機体。
その大半は、ただの抜け殻だった。
敵の偵察衛星に航空戦力を誤認させるために並べられた、張りぼての軍隊。
そして、その張りぼてを守るために集められたのが、ここにいる囚人兵たちだった。
「おい、新入り」
背後から声がした。
トリガーが振り向くと、金髪の男が立っていた。
軍服の着こなしは乱れており、態度にも規律というものが感じられない。
「お前が例の大統領殺し?」
男は遠慮なく尋ねた。
トリガーは答えない。
「へえ。無口なんだな」
男は鼻で笑った。
「俺はカウント。まあ、よろしく頼むぜ」
カウントはトリガーの背後にある戦闘機へ目を向けた。
尾翼に描かれた、三本の赤い線。
「三本線、ねえ」
口元が歪む。
「ずいぶん立派な犯罪者じゃねえか」
トリガーは視線を逸らさなかった。
その態度が気に入らなかったのか、カウントは眉を上げる。
「……なんだよ。喧嘩でも売ってんのか?」
「おい、カウント!」
別の男が割り込んできた。
大柄な身体。
荒っぽい顔つき。
チャンプだった。
「新入りをいじめてんのか?」
「別に。挨拶してただけだ」
「ハッ! 大統領殺しのエース様かよ!」
チャンプはトリガーを見下ろした。
「ここじゃ過去の戦果なんざ関係ねえ。空に上がりゃ、腕のある奴が偉いんだ」
カウントが肩をすくめる。
「お前が言うと説得力があるな。撃墜されない程度には飛べるし」
「ああ?」
「褒めてんだよ」
二人の間に険悪な空気が流れる。
トリガーは、そのやり取りを静かに見ていた。
フォートグレイス島とは、何もかもが違う。
規律も。
仲間意識も。
飛ぶ理由さえも。
そこへ、基地内のスピーカーが鳴った。
『スペア隊所属の囚人兵は、直ちにブリーフィングルームへ集合しろ』
カウントが舌打ちした。
「おっと、お呼びだ」
チャンプはトリガーの肩を乱暴に叩いた。
「新入り。せいぜい長生きしろよ」
二人は先に歩き出した。
トリガーは、自分の機体を一度だけ振り返った。
三本の赤い線。
その下には、以前と変わらない翼があった。
彼は何も言わず、二人の後を追った。
2 使い捨ての飛行隊
ブリーフィングルームは騒がしかった。
椅子に足を投げ出す者。
カードを弄ぶ者。
隣の兵士と賭け事の話をする者。
正規軍の作戦説明室なら、とうに叱責されている光景だった。
「おっ、新入りか?」
軽い調子で声をかけてきたのは、ハイローラーだった。
「三本線ってことは、相当やらかしたんだな」
「元大統領を殺したって噂だぜ」
別の囚人兵が口を挟む。
「マジかよ。そりゃ大物だ」
「大物なら、ここに来る前に処刑されてるだろ」
笑い声が起こった。
その時。
「静かにしろ!」
鋭い声が室内を貫いた。
入ってきたのは、バンドッグ。
第444航空基地の航空管制を担当する男だった。
その口調には、囚人兵への敬意など微塵もない。
『いいか、クズども。お前らに仕事だ』
室内の笑い声が止まる。
『エルジア軍の航空部隊が、この基地へ接近している』
「またかよ」
カウントがぼやいた。
『敵はこの基地に相当数の航空機が配備されていると思っている。せっかくの勘違いを、こちらから訂正してやる必要はない』
「で、俺たちは何をすりゃいい?」
チャンプが尋ねる。
『飛べ』
バンドッグは短く答えた。
『敵機を迎撃しろ。以上だ』
「それだけ?」
『それだけだ。お前らには十分だろう』
カウントが顔をしかめた。
「俺たちが落ちたらどうするんだ?」
『基地の食費が浮く』
一瞬の沈黙。
そして、誰かが乾いた笑い声を上げた。
バンドッグは構わず続ける。
『なお、今回の出撃では各機の兵装使用を制限する。勝手な真似はするなよ』
「はあ!?」
チャンプが立ち上がった。
「敵が攻めてくるんだぞ! 撃たずにどうやって戦えってんだ!」
『お前らの仕事は、敵にここが重要な航空基地だと思わせることだ。理解できないなら、滑走路を掃除していろ』
チャンプが歯を食いしばる。
だが、それ以上は何も言わなかった。
命令に逆らえば、飛ぶことさえ許されなくなる。
トリガーは、机の上に置かれた作戦資料を見つめていた。
敵機の接近経路。
基地の防空範囲。
そして、味方の出撃予定数。
そのどれを見ても、まともな迎撃作戦とは思えなかった。
これは戦闘ではない。
囮だ。
基地を守るために、囚人兵を空へ上げる。
敵に航空戦力が存在すると誤認させる。
それだけの作戦。
だが、敵のミサイルは本物だった。
3 撃てない戦闘機
2019年7月1日、午前8時17分。
滑走路には、数機の戦闘機が列を作っていた。
エンジンの排気が陽炎を生み、乾いた空気を揺らしている。
トリガーはコックピットの中で、計器を一つずつ確認していた。
燃料。
油圧。
操縦系統。
通信装置。
異常なし。
最後に兵装管理画面へ視線を移す。
そこには、見慣れない表示があった。
FCS LOCKED
火器管制システム、使用禁止。
ミサイルを搭載していても、発射できない。
機関砲も同様だ。
戦闘機に乗りながら、戦うことを許されていない。
『こちら管制塔。スペア15、滑走路へ進め』
新しいコールサインだった。
メイジ2ではない。
スペア15。
トリガーはスロットルを操作し、機体を前進させた。
その横を、別の戦闘機が強引に追い越していく。
『おい! スペア8! 離陸許可は出していない!』
管制官の怒声。
『知るかよ! 先に行くぜ!』
チャンプだった。
彼の機体は管制塔の制止を無視して滑走路へ進入し、そのまま加速していく。
『スペア8! 帰還後は独房行きだ!』
『帰ってきたら考えてやるよ!』
笑い声とともに、チャンプの機体が地面を離れた。
『ったく、野蛮な奴だ』
カウントが呆れたように言う。
『管制、俺を先に上げてくれないか? あんな馬鹿の後じゃ縁起が悪い』
『順番を守れ!』
『はいはい』
トリガーは前方を見た。
滑走路の先には、広大な荒野が広がっている。
遠くの地平線には、すでに黒い点がいくつも浮かんでいた。
敵機だ。
『スペア15、離陸を許可する』
トリガーはスロットルを押し込んだ。
エンジンが唸る。
機体が加速する。
滑走路の白線が、次々と後方へ流れていく。
操縦桿を引く。
前輪が浮いた。
続いて主脚。
機体が空へ上がる。
フォートグレイス島を飛び立った時と、何も変わらない感覚。
ただ一つ。
今の彼には、敵を撃つ権利がなかった。
『こちらAWACSバンドッグ。スペア隊、聞こえるな』
低く、不機嫌そうな声が無線に割り込む。
『お前らの仕事は簡単だ。基地の上で派手に飛び回れ。敵に、ここにはまともな航空戦力がいると思わせろ』
『ミサイルは?』
カウントが尋ねる。
『使えん』
『やっぱりか』
『囚人に武器を自由に使わせると思うか?』
バンドッグは鼻で笑った。
『鉛筆一本だって監視が必要な連中だからな』
『おいおい、俺たちは戦闘機に乗ってるんだぜ?』
『だったら戦闘機らしく飛んでみせろ』
無線に不満の声が広がった。
トリガーは何も言わない。
ただ、レーダーを確認した。
敵編隊が接近している。
爆撃機三機。
その周囲に護衛戦闘機。
彼は自然と、爆撃機の進路と高度を読み始めていた。
攻撃可能な位置。
迎撃に必要な時間。
最も危険な機体。
いつものように、頭の中で戦闘を組み立てる。
しかし、照準を合わせても発射許可は出ない。
その事実が、ひどく不自然だった。
4 張りぼての空軍
『敵編隊、基地へ接近!』
バンドッグの報告。
『各機、迎撃するふりを続けろ』
『ふりって言われてもな……』
ハイローラーが笑う。
『なあ、誰か賭けないか? あの爆撃機が最初に何を狙うか』
『滑走路に決まってんだろ』
フルバンドが答える。
『俺は格納庫に賭けるぜ』
『残念。あそこもほとんど張りぼてだ』
タブロイドが穏やかな声で言った。
『敵は、ここに航空戦力が集結していると思い込んでいる。だから爆撃する。こちらは、その思い込みを利用しているわけだ』
『政治犯らしい分析だな』
カウントが茶化す。
『政治犯だからこそ、こういう仕組みには興味があるんだよ』
タブロイドは気にした様子もない。
『相手が何を信じているか。それを知ることは、何を持っているかを知ることより重要な場合がある』
その言葉を聞きながら、トリガーは敵編隊へ視線を向けた。
爆撃機の爆弾倉が開く。
黒い物体が、次々と切り離された。
『投弾確認!』
数秒後。
地上で爆発が連続した。
滑走路の脇に並んでいた戦闘機の模型が、炎に包まれる。
薄い外板が吹き飛び、骨組みが露出した。
本物の戦闘機なら、あれほど簡単に崩れはしない。
『見ろよ。紙飛行機を吹っ飛ばして喜んでやがる』
フルバンドが笑った。
『まあ、敵からすれば大戦果だろうな』
タブロイドが答える。
『戦果報告には、何十機ものオーシア軍機を破壊したと書かれるかもしれない』
『だったら勲章でもくれてやれよ』
チャンプが吐き捨てる。
トリガーは爆撃機を追っていた。
撃てない。
だからこそ、敵の動きがよく見えた。
爆撃機は一定の高度と速度を保っている。
護衛戦闘機はその周囲を旋回し、接近するスペア隊を牽制していた。
戦術としては合理的だ。
こちらが武装を使用できないことを、敵は知らない。
それでも護衛機は慎重だった。
一機のMiG-29がトリガーへ機首を向ける。
レーダー警報。
敵の照準が重なった。
《MISSILE ALERT》
ミサイルが発射される。
トリガーは即座に機体を傾けた。
急降下。
速度を維持しながら進路を変える。
ミサイルは旋回を続けたが、追従できずに後方へ流れた。
『おっと、スペア15。なかなかやるじゃねえか』
カウントが声を上げた。
『大統領殺しってのは、操縦もできるらしい』
『そりゃそうだろ』
フルバンドが口を挟む。
『元は正規軍のパイロットだ。メイジ隊だったって話だぜ』
『へえ。お坊ちゃん部隊から犯罪者の集まりへ転落か』
チャンプが笑う。
『気分はどうだ、三本線!』
返事はない。
『無視かよ!』
『やめとけ、チャンプ』
タブロイドが言った。
『今は敵のミサイルに集中した方がいい』
その直後だった。
基地の方角から、爆発音が響いた。
それまでとは明らかに違う。
張りぼてが壊れる軽い音ではない。
重く、鈍い衝撃。
続いて、管制塔の方向から黒煙が上がった。
『……おい』
カウントの声が変わった。
『今の、管制塔じゃないか?』
『管制塔被弾!』
基地から悲鳴が響く。
『火災発生! 消火班を急がせろ!』
『何をしている!』
マッキンゼイ大佐の怒鳴り声が割り込んだ。
『敵を近づけるな! 私まで殺す気か!』
バンドッグが応答する。
『司令官、敵爆撃機の撃墜許可を』
『何とかしろ!』
『兵装の使用許可が必要です』
『とにかく基地を守れ!』
通信に雑音が混じる。
そして、途切れた。
『……司令官?』
返答はない。
『マッキンゼイ大佐、応答しろ』
沈黙。
バンドッグは短く舌打ちした。
数秒後。
その声が、スペア隊全機へ届いた。
『スペア隊、聞け』
トリガーの兵装管理画面が切り替わる。
FCS UNLOCKED
『爆弾を積んでいる奴を全部落とせ。兵装使用を許可する』
一瞬、無線が静かになった。
次の瞬間。
『待ってました!』
チャンプが叫ぶ。
『ようやく本番かよ!』
カウントが笑う。
『よし、俺が指揮を執る! 全機、俺についてこい!』
『誰がお前の指揮なんか受けるか!』
チャンプが即座に返す。
『好きにしろ。撃墜数で決着をつけようぜ』
トリガーは、兵装画面に表示された緑色の文字を見た。
ミサイル、使用可能。
機関砲、使用可能。
彼はゆっくりとスロットルを押し込んだ。
ようやく、戦闘機が戦闘機に戻った。
5 スペア15
トリガーが最初に狙ったのは、基地から離脱しつつある爆撃機だった。
Tu-95。
四基のターボプロップエンジンを備えた大型機。
その後方には護衛戦闘機が一機。
爆撃機は次の攻撃に備え、基地から距離を取ろうとしていた。
トリガーは高度を上げた。
敵編隊の側面へ回り込む。
護衛機が接近に気づく。
機首を向けてきた。
だが、トリガーは正面から戦おうとはしなかった。
護衛機が迎撃姿勢へ移るより早く、爆撃機へ照準を合わせる。
ロックオン。
ミサイル発射。
白い煙が空へ伸びた。
一発目が爆撃機の翼付近に命中。
機体が大きく揺れる。
二発目。
エンジン付近で爆発。
炎が噴き上がった。
大型機は姿勢を崩し、ゆっくりと高度を失い始めた。
『爆撃機撃墜!』
バンドッグの報告。
『スペア15、初撃墜を確認』
『おいおい、三本線が先にやりやがった!』
ハイローラーが笑う。
『こいつは賭けを間違えたかな?』
カウントが鼻を鳴らした。
『鈍重な爆撃機を落としただけだろ。大したことねえ』
その時、トリガーの背後から護衛機が迫った。
《MISSILE ALERT》
トリガーは急旋回。
ミサイルを回避する。
そのまま高度を下げ、敵機の進路を横切った。
護衛機は追従しようとしたが、旋回が遅れる。
トリガーは機体を反転させた。
敵機の後方へ回り込む。
照準が重なる。
ミサイル発射。
敵機撃墜。
『……二機目』
タブロイドが呟いた。
『随分と手際がいいな』
『まぐれだろ!』
チャンプが叫ぶ。
だが、トリガーはすでに次の爆撃機へ向かっていた。
戦闘機の操縦には、様々な技術が必要だ。
速度の管理。
高度の管理。
敵機の機動予測。
ミサイルの射程。
機体にかかる負荷。
しかし、トリガーが他のパイロットと異なっていたのは、それらを個別に考えていないことだった。
彼は戦場全体を見ていた。
どの敵機が基地へ向かっているか。
どの護衛機が脅威になるか。
どの爆撃機を先に落とせば、被害を最小限に抑えられるか。
そして、そのために自分がどこへ飛ぶべきか。
それらを、ほとんど迷わず判断していた。
二機目の爆撃機が落ちた。
続いて三機目。
『おい、待てよ!』
カウントが声を上げる。
『あいつ、どんどん落としてるぞ!』
『俺だって負けてねえ!』
チャンプが叫ぶ。
『スペア8、敵機に接近しすぎだ!』
バンドッグの警告。
『うるせえ! 俺の腕を見てろ!』
チャンプは強引に敵機へ突っ込んだ。
機関砲が火を噴く。
敵戦闘機が回避する。
その隙に、爆撃機が基地へ向かって進路を変えた。
『爆撃機、攻撃態勢!』
バンドッグが叫ぶ。
『誰か止めろ!』
トリガーは即座に進路を変えた。
敵爆撃機は、すでに爆弾倉を開き始めていた。
距離は短い。
だが、時間もない。
トリガーはアフターバーナーを点火した。
機体が加速する。
照準が爆撃機へ向く。
ロックオン。
ミサイル発射。
命中。
しかし、敵機はまだ飛んでいた。
トリガーは速度を落とさず接近した。
爆撃機の後方から、機関砲を発射する。
曳光弾が胴体を貫いた。
右翼のエンジンが爆発。
続いて、燃料に引火した。
爆撃機は大きく傾き、投弾する前に墜落していった。
『敵爆撃機撃墜!』
バンドッグの声。
『スペア15、よくやった』
短い称賛だった。
しかし、その声には先ほどまでの嘲笑がなかった。
6 誰のために飛ぶ
敵の第二波が現れた。
さらに大型の爆撃機。
その周囲には、護衛戦闘機が展開している。
『また来やがった!』
フルバンドが叫ぶ。
『今度は数が多いぞ!』
『全機、爆撃機を優先しろ』
バンドッグが指示する。
『管制塔をこれ以上やらせるな』
トリガーは敵編隊へ向かった。
だが、今度は簡単ではなかった。
護衛機が積極的に接近し、彼の進路を塞ぐ。
敵も、こちらの戦力を認識し始めていた。
スペア隊は囚人兵の集まり。
統一された編隊行動も、明確な指揮系統もない。
しかし、その中に一機だけ、異様な速度で爆撃機を撃墜する戦闘機がいる。
敵が警戒するのは当然だった。
『敵戦闘機、スペア15へ集中!』
タブロイドが叫ぶ。
『三本線、狙われてるぞ!』
トリガーは敵機の位置を確認した。
三機。
それぞれ異なる方向から接近してくる。
正面の一機がミサイルを発射。
右側の一機が高度を下げる。
残る一機は後方へ回り込もうとしていた。
トリガーは正面の敵機へ向かって加速した。
『おい、正面から行く気か!?』
カウントが驚く。
ミサイル警報。
トリガーは回避。
その直後、敵機とすれ違った。
だが、そこで追撃しない。
彼は機体を左へ傾けた。
敵機の三角形の包囲を抜けるように、高度を下げる。
敵機が追う。
しかし、三機の動きは完全には揃わない。
一機が旋回を開始する。
別の一機が速度を落とす。
そのわずかなずれ。
トリガーは、そこへ機体を滑り込ませた。
一機をロックオン。
発射。
撃墜。
続けて上昇。
二機目の後方へ回り込む。
機関砲発射。
敵機が損傷する。
さらにミサイル。
撃墜。
残る一機が離脱しようとした。
トリガーは追わなかった。
彼の視線は、すでにその先にあった。
基地へ向かう爆撃機。
最優先目標。
彼はそちらへ機首を向けた。
『……おい』
カウントが呟いた。
『あいつ、今の三機を……』
『二機落として、三機目を放置した』
タブロイドが答える。
『爆撃機を優先したんだろう』
『そんな簡単に言うなよ』
カウントの声には、わずかな苛立ちが混じっていた。
『あんな飛び方、普通はできねえぞ』
タブロイドは笑った。
『だったら、普通じゃないんだろうね』
カウントは答えなかった。
その間にも、トリガーは爆撃機へ接近していた。
ミサイル発射。
命中。
さらに追撃。
撃墜。
『爆撃機撃墜を確認!』
バンドッグが報告する。
『スペア15、まだ飛べるな?』
トリガーは機体を小さく揺らした。
『……そうか』
バンドッグは短く答えた。
『だったら最後まで働け』
トリガーは再び加速した。
その翼には、三本の赤い線。
罪人の印。
だが、今その機体は、基地を守るために飛んでいた。
自分を罪人と呼ぶ者たちのために。
自分を使い捨てにしようとする者たちのために。
それでも、彼は飛ぶ。
理由を問われても、きっと答えないだろう。
ただ、目の前に守るべきものがある。
それだけで十分だった。
7 帰還
最後の爆撃機が墜落した時、空には黒煙の柱がいくつも立ち上っていた。
『敵爆撃機、全機撃墜を確認』
バンドッグが告げる。
『作戦終了。各機、帰投せよ』
無線に歓声が広がった。
『やったぜ!』
『生き残ったぞ!』
『今夜は酒だ!』
ハイローラーが笑う。
『おい、トリガー! 生きてるか?』
返事はない。
『生きてるなら、今夜は俺のおごりだ!』
『お前、賭けに勝ったのか?』
カウントが尋ねる。
『もちろん! 俺はこいつが生き残る方に賭けてたんだ』
『大統領殺しの生存に賭けるとは、変わった奴だな』
『賭けってのは、他人が見落としてるところに張るもんだろ?』
ハイローラーは笑った。
『それに、あの飛び方を見たら分かる。こいつ、簡単には死なねえよ』
トリガーは基地へ向かっていた。
眼下には、爆撃で破壊された張りぼての航空機。
煙を上げる滑走路。
そして、損傷した管制塔。
それでも基地は残っていた。
『スペア15、着陸を許可する』
管制官の声。
『滑走路を塞ぐなよ。こっちは余計な仕事を増やしたくない』
トリガーは着陸態勢へ入った。
脚を下ろす。
速度を落とす。
機体が滑走路へ接近する。
接地。
タイヤが短く煙を上げた。
減速。
やがて機体は停止した。
トリガーは、ゆっくりと息を吐いた。
生きて帰ってきた。
今日も。
それだけは、変わらなかった。
8 褒美は独房
帰還したスペア隊を待っていたのは、感謝でも賞賛でもなかった。
「貴様ら!」
マッキンゼイ大佐の怒声が、格納庫に響き渡った。
「誰が敵機を撃墜していいと言った!」
囚人兵たちは顔を見合わせた。
「……は?」
チャンプが間の抜けた声を上げる。
「いや、撃たなきゃ基地が吹っ飛んでたろ!」
「私は撃墜を命じていない!」
「バンドッグが許可したんだよ!」
カウントが反論する。
「俺たちは命令に従っただけだ!」
「黙れ!」
マッキンゼイは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「私の許可なく兵装を使用した者は、全員独房だ!」
沈黙。
次の瞬間。
「ふざけんな!」
チャンプが叫んだ。
「俺たちが守ってやったんだぞ!」
「誰か、こいつを連れていけ!」
憲兵が近づく。
チャンプはなおも怒鳴り続けた。
カウントは呆れたように天井を見上げた。
「……やれやれ。命を張った褒美が独房とはね」
ハイローラーは笑っていた。
「まあ、死ぬよりマシだろ?」
「お前は気楽でいいな」
「気楽じゃなきゃ、こんなところでやってられねえよ」
タブロイドは、少し離れた場所で黙っていた。
その視線は、トリガーへ向いている。
トリガーは何も言わなかった。
反論もしない。
抗議もしない。
ただ、憲兵の指示に従って歩き始めた。
「……おい、三本線」
カウントが声をかけた。
トリガーが振り向く。
「お前、何機落とした?」
返事はない。
カウントは鼻で笑った。
「まあ、いいさ」
少し間を置いて、続けた。
「次は俺が勝つ」
トリガーは、わずかに首を傾げた。
そして、静かに歩き去った。
その背中を見送りながら、カウントは舌打ちした。
「……なんなんだよ、あいつ」
タブロイドが隣に立つ。
「気になるのか?」
「別に」
「そうか」
タブロイドは笑った。
「でも、あいつが来てから少し面白くなったと思わないか?」
カウントは答えなかった。
ただ、格納庫の奥にある戦闘機を見た。
三本の赤い線。
その機体は、今日の戦闘で最も多くの敵機を撃墜していた。
にもかかわらず、パイロットは独房へ連れていかれた。
この基地では、戦果と評価が必ずしも一致しない。
そんなことは、カウントもよく知っていた。
だが――
あれほどの腕を持つ男が、なぜここにいるのか。
その疑問だけは、どうしても消えなかった。
9 鉄格子の向こう
独房は狭かった。
硬い寝台。
小さな洗面台。
そして、鉄格子のついた窓。
トリガーは寝台に腰を下ろした。
外からは、基地の騒音が聞こえてくる。
整備員の声。
車両のエンジン音。
遠くで鳴る警報。
フォートグレイス島にいた頃なら、今頃はクラウンと作戦の振り返りをしていたかもしれない。
敵の動き。
判断の良し悪し。
次の任務に向けた改善点。
だが、ここにはそんなものはない。
あるのは、命令と処罰。
それだけだった。
トリガーは、窓の外を見上げた。
細く切り取られた青空。
その向こうを、一機の戦闘機が横切っていく。
彼はしばらく、その姿を目で追った。
やがて機影が消える。
静寂。
トリガーは目を閉じた。
ハーリングの輸送機が燃え落ちる光景が、脳裏をよぎった。
あの時。
自分は何を見落としたのか。
どこで判断を誤ったのか。
そして、あのミサイルは本当に――。
そこまで考えたところで、彼は目を開けた。
答えは、まだない。
だが、飛ぶことをやめれば、答えを探す機会さえ失われる。
彼は再び窓の外を見た。
空は、何も変わっていなかった。
英雄と呼ばれようと。
罪人と呼ばれようと。
そこにあるのは、同じ空だ。
ただし。
その空を飛ぶために、彼が背負わなければならないものは、確実に増えていた。