帝国のワーカーですが、ハッタリかましたら死を司る神様に死ぬほど感謝された件について 作:バルカン39
1. 深夜の王城、冷酷な通達
それは、デミウルゴス率いる悪魔の軍勢が、ヘッケランの実家から絵本『どろどろのともだち』を国宝級の厳重さで回収した数日後。
リ・エスティーゼ王国の王城、ラナー王女の私室。
夜の静寂が満ちるその部屋に、音もなく影が揺らめき、スーツを纏った一人の男――デミウルゴスが姿を現した 。
最愛の犬たるクライムは、今夜は別室での警備任務についており、部屋にはいない 。
ラナーは一人、机の上で書類を整理していたが、背後の気配に気付くとスッと振り返った 。
彼女の美しい顔には、いつもの聖女のような微笑みが張り付いているが、その瞳の奥には冷徹な計算が火花を散らしている 。
「お珍しいですね、デミウルゴス様。わざわざ私の部屋に直接お越しになるなんて。……王国を裏から崩壊させる『あの計画』について、何か新しい進展でも?」
ラナーの言う「計画」とは、外の世界(ナザリック)へ寝返り、クライムと共に永遠の安全と地位を手に入れるための、一種の『入社試験』とも言える裏工作のことだった 。ラナーは自身の天才的な頭脳を用い、完璧に王国の切り崩しを進めている自信があった 。
しかし、デミウルゴスは冷酷な、しかしどこか狂信的な悦びに満ちた笑みを浮かべ、眼鏡の位置を直した 。
「いいえ、ラナー王女。本日はあなたに『通達』に参りました。……あなたに課していたこれまでのすべての計画、およびあなたのナザリック入りのための試験は、本日を以て『一旦、完全に停止』といたします」
「……停止?」
ラナーの眉が、ピクリと解せない形に跳ね上がった 。
自分の描いた完璧な盤面が、外部の理由によって一方的に「停止」させられるなど、初めての経験だった。
ラナーの瞳から、スッと偽りの微笑みが消え失せる 。
「理由を伺っても? 計画は順調のはずです。私の頭脳は、あなた方の世界征服の大きな助力になるはずですが……。ナザリックにとって、私の価値はそれほど軽いものだったのかしら?」
ほんの少し、声音に焦燥と不快感が混ざる 。そんなラナーのプライドを、デミウルゴスは鼻で笑うように一蹴した 。
「勘違いしないでいただきたい。あなたの価値が軽い重いという次元の話ではないのです。
……アインズ様から、これまでのすべての戦略を一時凍結してでも、全力を以て遂行せねばならぬ
『最優先の計画』が下された。
ただそれだけのことですよ」
「最優先の、計画……?」
「ええ。我が主アインズ様が長年待ち望み、そのお心を狂おしいほどに揺さぶる、至高の御方々に関する大いなる神意…… 。
これより我らナザリックの全軍勢、全NPCは、他のすべてを投げ打ち、世界全土を巻き込んでその計画に全力で取り組む 。
……分かりますか? あなたが王国で進めているような矮小な小細工に、割くためのリソースなど、今のナザリックには一滴たりとも残されてはいないのですよ」
デミウルゴスの言葉から放たれる圧倒的な気迫と、その背後にある「至高の存在」という言葉の重みに、ラナーは息を呑んだ 。
だが、彼女はただ絶望するだけの無能ではない。即座に思考を切り替え、この状況を利用する最善手を打った 。
「……なるほど、よく分かりました。では、条件を提示させてください」
ラナーは真っ直ぐにデミウルゴスを見つめ返した 。
「私はその『最優先の計画』に全面的に協力します。
私の持つ情報網も、頭脳も、必要ならすべてそのために使いましょう。その代わり……その計画が無さに終わった暁には、私のナザリック入りの計画を必ず再開していただきたいのです」
デミウルゴスは、人間種の小娘の分を弁えない必死な交渉に、冷たい笑みを深くした 。
「ふむ……。協力、ですか。では――一芝居、付き合っていただきましょうか」
2. 襲来する魔王と、老兵の無謀
デミウルゴスがパチン、と細い指を鳴らした 。
その音を合図に、王都の夜空が激しく引き裂かれた 。
ドガァァァン!!!
地響きを立てて王城の書庫や宝物庫の壁が爆破される 。
上空一面を埋め尽くした漆黒の悪魔の軍勢が、もの凄い速度で王城を襲撃し、特定の古びた書物や財宝を強奪し始めた 。
もちろん、これはヘッケランの実家から絵本を回収した動きを世間の目から逸らすための、デミウルゴスによる完全な隠蔽劇だった 。
「ラナー様っ!! ラナー様、ご無事ですかっ!?」
バンッ!と、部屋の扉が勢いよく、ドタバタと大きな音を立てて開いた 。
入ってきたのは、敵の来襲を察知し、息を切らせてラナーの警護に駆けつけたクライムだった 。
だが、クライムが目にしたのは、不気味な仮面を身につけた悪魔――かつて王都を地獄に変えた、あの魔王『ヤルダバオト』の姿だった 。
その強靭な腕の中には、人質として捕らえられ、恐怖に顔を歪めている(フリをした)ラナー王女が抱えられている 。
(ヤルダバオト……!? なぜ、なぜまたここに……!)
クライムの脳裏に、かつて王都を襲った悪夢がよみがえる
「動くな、人間の羽虫よ」
ヤルダバオトの放つ圧倒的なプレッシャーの前に、クライムの足がすくみかける 。
(自分の力量は、あの漆黒の英雄モモン様には遠く及ばない。そんなことは、自分が一番よく分かっている……!)
クライムは自身の無力さに歯噛みした。しかし、最愛の主がその腕に囚われているのだ 。
(だが……ここで全力を出さなければ、俺は一生後悔するッ!!)
「ラナー様を放せェエエエッッ!!」
死を覚悟したクライムは、魂の咆哮と共に大剣を構え、ヤルダバオトへと肉薄した 。限界を超えた一撃が魔王の首筋へと振り下ろされる―― 。
しかし、ヤルダバオトは羽虫を払うかのように、大剣を爪先で軽くいなした 。凄まじい衝撃波がクライムの腕を痺れさせ、体勢が大きく崩れる 。
その一瞬の隙を見逃さず、ヤルダバオトは傍らにあった重厚な木製の椅子を無造作に片手で掴み、クライムに向けて投げつけた 。
ドゴォッ!!
「がはっ……っ!?」
まともに椅子を頭部に受けたクライムは、鮮血を飛び散らせながら床へと激しく転がった 。意識が遠のくほどの衝撃。
頭部から流れる血が視界を赤く染めるが、それでもラナーを救わんと、必死に床を這おうとする 。
3. 悪魔の目的と、決死の跳躍
「ラナー様ッ! 悪魔め、そこを退け!」
部屋の外でのドタバタとした騒ぎを聞きつけ、さらなる増援が部屋へと突入してきた 。
駆けつけたのは、複数の王城近衛兵たち、そしてその陣頭指揮を執る王国の重鎮、レイブン公であった 。
「総員、構えろ! 姫を奪い返すのだ!」
近衛兵たちが槍を構え、クライムの加勢のために一斉にヤルダバオトへと斬りかかる 。
しかし、ヤルダバオトの仮面の奥の瞳が、冷酷に細められた 。
「邪魔だ」
ヤルダバオトは応接用の巨大な大理石のテーブルを、片手で軽々と持ち上げると、突入してきた近衛兵たちに向けて容赦なく投げ飛ばした
ズガァァァン!!!
「ぎゃあぁああっ!?」
大質量と超怪力によって放たれたテーブルは、前列にいた近衛兵2名を容赦なく押し潰した 。骨の砕ける凄まじい音が響き、2名の兵士は肉塊となってその場で圧死した 。部屋の壁には派手に血飛沫が飛び散る 。
その圧倒的な「暴力」の前に、レイブン公は息を呑んだ 。
戦力差は計り知れない。レイブン公は冷や汗を流しながらも、王国の重鎮としての理性を保ち、必死に魔王へと問いかけた
「待け……! 目的は何だ、ヤルダバオト! 王城を襲撃し、王女を人質にして、一体何を企んでいる!?」
ヤルダバオトは仮面の奥から、低く、楽しげな笑い声を響かせた
「我が軍勢の目的は一つ。……世界に眠る『紫色のどろどろとした何か』を探しているのだ」
「紫色のどろどろ……? それは一体……特殊なポーションや、未知のマジックアイテムなのか!?」
レイブン公が困惑に眉をひそめて問いかけるが、ヤルダバオトは答えない 。
「それを知る必要はない。ただ、我が上の高貴なお方がそれを欲している。貴様らもせいぜい血眼になって探すがいい」
ヤルダバオトはそのままラナーを抱え、大きく開け放たれた窓へと歩みを進めた 。夜風がカーテンを激しく揺らす中、魔王はラナーの身体を窓の外、虚空へと突き出した 。眼下には、遥か階下の王城の中庭が広がっている 。
「くっくっく……」
ヤルダバオトは、床で血を流しながらも必死に立ち上がろうとするクライムをじっと見つめ、仮面の奥の瞳を愉悦に歪めて
「ニィ」と不気味に笑った。
(――落とされる!!)
その笑みを見た瞬間、クライムはヤルダバオトの最悪の意図を完全に察知した。
次の瞬間、思考よりも先に身体が動いていた。クライムは両手に固く握られていた、今の自分にとって最大の武器であるはずの大剣をその場に躊躇なく投げ捨てた。 一分一秒の遅れも許されない極限の状況において、剣の重さすら邪魔だった。
「ラナー様ぁぁぁあああッ!!!」
大剣を捨てて身軽になったクライムは、頭部の激痛を完全に置き去りにし、弾かれたように窓へ向かって全力で走り出した。
ヤルダバオトの超低音の伝言が、ラナーの耳へと滑り込む。
「――ラナー王女。しばらく連絡はできません。その子犬の世話でもして、大人しく待っていなさい」
「――ええ、仰せのままに」
ラナーが唇を動かした同瞬間に、デミウルゴスはラナーを掴んでいた手を完全に離した 。
「――っ!」
重力に従い、真っ逆さまに落下していくラナー 。
窓枠を蹴り、宙へと狂気的なダイブを敢行したクライムが、空中でその華奢な身体をがっしりと抱きとめた 。クライムは空中で必死に身を翻し、自分の身体が下になるよう、ラナーの身体をその胸の中に完全に抱え込んだ 。
ドガシャァァァン!!!
二人の身体は、激しい衝撃音と共に中庭の肉厚な花壇へと激突した 。
衝撃をすべて背中で受け止めたクライムの身体から、ボキボキと生々しい骨折の音が響く 。
「が、はっ……ごほっ……!」
クライムは両足と左手、あばら骨を数本折る重傷を負い、ピクリとも動くことができない 。しかし、血に染まった瞳をかろうじて動かした。
「ラ、ラナー……様……お怪我は……」
ラナーは、クライムの胸からゆっくりと顔を上げた 。
「私は大丈夫よ、クライム。自分はかすり傷程度だわ。……あなたが、守ってくれたもの」
その言葉を聞いた瞬間、クライムの張り詰めていた心の糸が、ぷつりと切れた 。
「あ、……良かった……」
最愛の主が無事であることへの、底知れない安堵
。
クライムは血に濡れた顔で満足げに微かな笑みを浮かべると
そのまま深い意識の闇へと気絶していったのだった 。