帝国のワーカーですが、ハッタリかましたら死を司る神様に死ぬほど感謝された件について 作:バルカン39
歪んだ聖女の看病と、報われぬ決意
王城の医務室は、治療魔法の残光と濃厚な血の匂いに満ちていた。
全身の骨を折る重傷を負い、純白の包帯で繭(まゆ)のように包まれたクライムは、未だ昏睡の底に沈んでいる。
神官たちの必死の治療魔法により一命は取り留めたものの、その寝顔は苦痛に歪み、時折うわ言のように「ラナー様……」と、守るべき主の名を呼び続けていた。
そのベッドの傍らに、ラナーは座っていた。
部屋には二人きり。神官たちを「私が看病しますから」と聖女の微笑みで下がらせた彼女は、今やその顔から一切の感情を削ぎ落とし、冷徹な昆虫のような瞳で愛玩動物を見下ろしていた。
「本当にお馬鹿さんね、クライム」
ラナーは、クライムの額に当てられた濡れタオルを、細く白い指先で無造作につまみ上げた。そして、傷口を刺激するように、わざと少し乱暴に新しいタオルを押し当てる。クライムの眉根がピクリと跳ね、苦しげな息が漏れた。
「大剣を捨てて飛び降りるなんて。もし死んでいたらどうするつもりだったのかしら? 私の大事なクライムが、ただの肉塊になって台無しになるところだったわ」
ラナーの脳裏をよぎるのは、先ほどデミウルゴスから告げられた『計画凍結』の通達だった。
(ナザリックへの移籍が一時停止……。原因は、『最優先の計画』とやらね。世界全土を巻き込んで探しているという『紫色のどろどろとした何か』……)
ラナーの天才的な頭脳が、ヤルダバオトの残した断片的な言葉を組み立て、猛スピードで精査を始める。
特殊なポーション、あるいは未知のマジックアイテム。レイブン公はそう推測していたが、ラナーの結論は違った。
(いいえ、違うわ。あのデミウルゴス様が、狂信的なまでの悦びを隠しきれずに『至高の御方々に関する大いなる神意』と言ったのよ。あれほどの怪物たちが、他のすべての世界征服戦略を投げ打ってでも最優先する存在。それは、アイテムなどという無機物であるはずがない。
――あれは、『彼らと同格、あるいはそれ以上の支配者』。つまり、アインズ・ウール・ゴウン陛下に並ぶ、もう一人の『神』そのものだわ)
そこまで思考が行き着いた瞬間、ラナーの背筋に、初めて純粋な恐怖と、それを上回る強烈な高揚感が駆け抜けた。
(面白いわ……。ナザリックには、まだ上がいる。世界を容易く溶かし尽くすような、真の超越者がどこかに潜んでいるのね。デミウルゴス様は私に『一芝居付き合え』と言ったけれど、結構よ。その神を捜索する盤面、私の頭脳で完璧にサポートして、ナザリックに私の本当の『価値』を見せつけてあげる)
そうすれば、凍結された計画はすぐに再開される。クライムと共に、至高の玉座の足元へ召し抱えられる日が来るはずだ。
ラナーの唇が、三日月のように釣り上がった。
「ゆっくり眠りなさい。目が覚めたら、また私のために命を懸けてね。あなたが傷つくたびに、私はあなたを閉じ込める『檻』を、もっともっと強固にできるのだから……」
――そして、翌日。
「……う、……あ……」
微かな呻き声と共に、クライムの瞼がゆっくりと開いた。全身を襲う凄まじい激痛に顔を歪めながらも、ぼやける視界の先を必死に捉えようとする。
「あ……クライム! 気がついたのね!」
視界が結像した瞬間、そこにいたのは、今にも泣き出しそうなほど愛らしく顔を綻ばせる、いつものラナーの姿だった。
「ラ、ラナー様……ご無事で、本当に……」
「ええ、ええ、私は無事よ! だから無理に喋っちゃダメ。ほら、あなたのためにリンゴを剥いておいたの。はい、あーんして?」
ラナーは綺麗に兎の形に剥かれたリンゴをフォークで突き刺すと、クライムの口元へと優しく運んだ。
「あ、ありが、とうござい……はむっ」
全身を包帯で固められ、指一本動かせないクライムは、至高の幸福感に包まれながらリンゴを咀嚼する。自分の命を懸けた無謀な跳躍が、最愛の主を守るという最高の結果に繋がった。その事実に、クライムの心は満たされていた。
「――全く、朝っぱらから見せつけてくれるじゃないの」
カツカツと靴の音を響かせ、医務室の扉を開けて入ってきたのは、王国が誇るアダマンタイト級冒険者チーム『青の薔薇』のリーダー、ラキュース・アルべイン・デイル・アインドラであった。その後ろにはガガーランやティア、ティナ、そして退屈そうに魔導書をめくるイビルアイの姿もある。
「ラキュース! みんなも!」
「王城が襲撃されたって聞いて飛び込んできたら……これだ
。無事なのは何よりだけど、クライムのそのミイラ男みたいな姿を見て、よくそんなにケロッとイチャイチャできるな姫様」
ガガーランが呆れたように大きなため息をつき、肩をすくめる。そこへ、双子の忍者、ティアとティナが、包帯まみれのクライムを冷たい目で見下ろした。
「……たかが王城の数階分から落ちただけで。そんな大怪我するなんてザコ」
「……うん、ザコ。修行が足りない」
「う、うう……」
容赦ない煽り文句に、クライムは痛む体を引きずりながらも返す言葉がなかった。
さらに、魔導書から目を離したイビルアイが、仮面の奥からチクリと追い打ちをかける。
「姫様を守るためとは言え、それほどボロボロでは、次またヤルダバオトが襲ってきた時に一歩も動けまい。冒険者でもないお主に多くは求めんが、危機感が甘いのではないか?」
「な、何もそこまで言わなくてもいいじゃないのよ、二人とも。クライムは頑張ったんだから……」
ラキュースが慌ててフォローに入ろうとした瞬間、ガガーランが豪快に笑いながらクライムの肩のあたり(包帯の上)をガシガシと叩いた。
「おいおい、まーそう言うな。この童貞も今回は必死に頑張ったんだぜ? 大剣を躊躇なく捨ててお姫様にダイブなんて、なかなかできる芸当じゃねえよ」
「がはっ……!? あ、ありがとうございます、ガガーランさん……」
手荒い激励にクライムが顔をしかめる中、首を傾げたラナーが、一点の曇りもない純粋な瞳で一同を見つめた。
「あら? ……童貞? 何かしらそれ」
「「「「っ!!??」」」」
その場の空気が一瞬で凍りついた。
「え、あ、いや、それは……!」
ラキュースが顔を真っ赤にして激しくうろたえ始める。
「な、ラナー様!? その、それは、大人の、その、なんて言うか……!」
包帯の隙間から見えるクライムの顔が、リンゴよりも真っ赤に染まり、衝撃のあまり気絶しそうなほど激しく動揺していた。
「ねえ、クライム。童貞ってなぁに? 私、聞いたことがない言葉だわ。教えて?」
「お、教えられません! 絶対にダメです!!」
必死に目をそらすクライムと、答えに窮して天井を見上げるラキュースの姿を見て、イビルアイは呆れたように首を振るのだった。
「ふふ、じゃあそのお話はまた今度ね」
ラナーはくすくすと可愛らしく笑うと、愛おしそうにクライムの枕元へ顔を近づけ、悪戯っぽく囁いた。
「ねえ、クライム。今は左手も両足も折れていて、不便でしょう? 食事だけじゃなくて……次は『トイレ』も一緒に、私がついて行ってあげましょうか? もちろんズボンや下着は、私が優しくずらしてあげるわ」
「ぶふっっ!!?? げほっ、ごほっ……!!」
クライムはあまりの衝撃的かつ破廉恥な提案に、口に含んでいたリンゴを思い切り喉に詰まらせかけ、顔を血が噴き出しそうなほど真っ赤にして激しくむせ返った。
「な、ラナー様っ!? 勘弁してください……! 僕は、僕は一人で魔法の尿瓶(しびん)を使いますから……っ!!」
「あら、遠慮しなくていいのに。お漏らししちゃったら可哀想だわ」
「ちょっとラナー! 冗談でもお姫様が男のトイレの心配なんてするんじゃないの!」
「うふふ、冗談よ、ラキュース。……でも、クライムがどうしてもって言うなら、私は一向に構わないのだけれど?」
「ら、ラナー様ぁ……っ!!」
赤面してベッドの中で縮こまるクライムの姿を見て、ラキュースたちは「本当に、この王女には敵わないわね」と、またしても呆れ顔で笑い合うのだった。
だが、そんな微笑ましいパニックの裏側で。
ラナーの瞳の奥だけは、一切笑っていなかった。彼女の頭脳は、すでにバハルス帝国やナザリックすらも巻き込む、新たなる『神(へろへろ)の捜索盤面』の構築へと、完全にシフトしていたのである