サッカー小説(仮)   作:たきょ

10 / 10





帝東高校一年
第10話


 3月下旬

十条の校門前から発車した帝東サッカー部員を乗せたバスの窓を冷たい雨が叩いていた。

 

 大型の観光バスに詰め込まれたのは、監督やコーチ、新3年生と新2年生の主力、そして新入生の推薦組12名を合わせたトップチームの精鋭、総勢約40名だった。

 車内の後方座席には慣れた様子の上級生たちが陣取り、昨シーズンのリーグ戦の手応えやプロの話題をリラックスしたトーンで交わしている。前方の座席に固められた1年生たちの間ではお互いの出身クラブや地区トレセンでの顔馴染みを見つけては情報交換をするだけの心の余裕はあった。陸のすぐ隣の席には尖った髪型をした鋭い三白眼の男が、椅子の背もたれに深く体重を預けて座っていた。帝東中学サッカー部でエースを張っていた快速ストライカー、樋口だった。

 

「やっぱりお前だったか、神原。バスに乗ってきたときマジで驚いたわ」

 

 樋口がニカッと笑う。二人は東京都リーグでの対戦だけでなく、地区トレセンでも何度も同じユニフォームを着てプレイしてきた仲だった。

 

「ここは三葉じゃねえぞ。逃げのパスばっかだったら、一瞬で干されるからな」

 

「分かってるよ。お前こそ、俺のパスをオフサイドで無駄にすんなよ」

 

「へへ、言ってろ」

 

 遠慮のない掛け合いを交わしているうちに、バスは東名高速を走り抜け、富士の麓へと近づいていく。御殿場インターを降りる頃には車内の雑音は自然と止み、Aチームの先輩たちも含めた精鋭たちの目は、アスリートとしての静かな集中力へと切り替わっていった。

 

 静岡県・御殿場高原時之栖。全国から名だたる強豪校が集結するサッカーの聖地は、まだ冬の名残を色濃く残して凍えそうに寒かった。

 

 午前11時半。現地に到着し、部バスのドアが開いた瞬間、それまでのフランクな空気は一瞬で吹き飛んだ。

 

「新入生! ボサッとするな! 荷物と遠征用具、全部降ろして宿泊棟まで運べ!」

 

 引率のコーチの鋭い一喝に、陸や樋口たち12名は弾かれたようにバスを飛び出した。トップチームの先輩たちが足早にロビーへ向かうなか、1年生はトランクから溢れ出るボールケースや、超重量級のメディカルバッグ、大量のスクイズボトルを両手に抱え、冷たい寒風のなかを往復した。名門校の張り詰めた集団規律の壁が、到着した瞬間から容赦なく突きつけられていた。

 

 ようやく用具を運び終え、先輩たちの後を追うようにして広大な食堂へ集められたときには、すでに1年生の腕はパンパンに張っていた。用意されていたのは、肉体作りを目的とした凄まじいボリュームの昼食だった。大きな丼に溢れんばかりの白米と、山盛りの肉野菜炒め、高タンパクな小鉢の数々。新3年生や新2年生の上級生たちが平然と平らげていく同じテーブルの片隅で、新入生たちはその圧倒的な「飯の洗礼」を前に一瞬で青ざめていた。これから激しい練習が控えているプレッシャーもあり、箸が思うように進まないのだ。

 

 しかし、陸だけは違った。毎日、実家の食堂で親父から無言で出された特製定食に比べれば、この量ですら日常の延長に過ぎなかった。陸は一人、平然とした顔で山盛りの白米と肉をバクバクと口に運び、誰よりも早くあっさりと完食してみせた。それどころか、陸は空になった丼を両手で持ち上げ、配膳口の調理員へ向かって堂々と声を響かせた。

 

「すいません、白飯とおかず、おかわりいただけますか?」

 

 その瞬間、同じテーブルで青ざめながら必死に詰め込んでいた樋口が、箸を止めて信じられないものを見る目で陸を凝視した。対面に座っていた高山先輩も、スープをすする手を止め、陸の平然とした面構えをじっと見つめていた。親父のメシで鍛え上げられた陸の消化吸収能力は、すでに名門の最初の洗礼を完全に無効化していた。

 

「全体、午後2時15分グラウンド練習開始! 遅れるな!」

 

 コーチの声が食堂全体に響き渡る。おかわりまで完璧にエネルギーに変えた陸は、隣の樋口から「おい陸、俺たち1年生は1時45分にはピッチに下りてボトルの水汲みとマーカー並べだ!」と腕を引っ張られ、急いで部屋へ戻って数分で練習着に着替え、休む間もなく誰もいない冷たいグラウンドへと駆け下りていった。重いボトルケースを運び、冷水で何本ものボトルを満たし、先輩たちがすぐに練習に入れるようピッチの準備を整える。2時15分、先輩たちがグラウンドへ下りてきた時には、1年生たちの足腰はすでに準備の手伝いだけで激しく消耗していた。

 

 午後2時15分。全学年が揃った御殿場の広大なグラウンドで、徹底的なプログラムが始まった。最初の30分間、股関節を徹底的にほぐす動的ストレッチと、容赦のないステップワークトレーニングが続く。

 

 続いて組まれたのは、狭いグリッドでのタッチ制限付きのポゼッション。サーバーを置いた『6対6』の激しい対人トレーニングだった。狭いエリアのなか、ボールを持った瞬間に先輩たちが、身体を容赦なくぶつけ、恐ろしい推進力が牙を剥いて肉薄してくる。陸の判断が遅れれば次々と叩き潰されていった。

 

 午後4時。用具運びとグラウンド準備、長時間のトレーニングメニューによって腕も足も完全に乳酸が溜まり、限界を迎えかけたその日の『仕上げ』として、ようやくホイッスルが鳴った。グラウンドの脇では、あのスキンヘッドの老監督が腕を組んで鋭い眼光を光らせている。

 

「これより、新入生と新2年生による15分ハーフの紅白戦を行う。新入生、各自指定されたポジションに入れ!」

 

 コーチの声とともに、陸はフラットな4-4-2の『セントラルミッドフィルダー』の位置へと入った。前線の2トップには、樋口ともう1名の推薦組の1年生が並ぶ。

 

 配置をハメ込み、陸の行く手を阻むように敵チームに立ちはだかったのは、さっき食堂で同じテーブルの対面に座り、陸のおかわりをじっと見つめていた大型ボランチの高山先輩。さらにその前線には、すでに新2年生のエースとして君臨する圧倒的な体躯の怪物ストライカー、阿部先輩が鋭い殺気を放ってそびえ立っていた。

 

 ピッと激しいホイッスルが鳴り、キックオフ。

 

 すでに限界に近い足を引きずりながらも、陸は中盤の底でパスを呼び込んだ。しかし、ボールが足元に入った瞬間、正面の高山先輩が、その巨躯から生み出される恐ろしい推進力で突っ込んできた。

 

 直前の『6対6』で叩き潰された経験が頭をよぎる。無意識のうちに陸は身体を張ってキープするリスクを嫌い、お茶を濁すような安易な横パスで逃げようとした。

 

 しかし、その逃げ腰の意図は高山先輩に完全に読まれていた。

 

「遅えよ!」

 

 突進の勢いのまま、高山先輩の長い足がパスコースへと滑り込んでくる。陸の放った中途半端な横パスは、高山先輩のスパイクの裏で無残にインターセプトされた。自陣のバイタルエリア手前、一番ボールを失ってはいけない中盤の底での致命的なボールロスト。

 

 高山先輩がつついたそのセカンドボールに、電光石火のスピードで反応したのが、エース・阿部先輩だった。圧倒的な体躯を滑り込ませると、ショルダーチャージに来たセンターバックを力尽くでなぎ倒し強引に収めると、迷いなく右足を一閃。強烈なシュートがゴールネットを激しく揺らした。

 

「神原!」

 

 グラウンドの脇から、老監督の冷徹な声が飛んできた。

「神原。うちの真ん中に球際から逃げる腰抜けの席はない。潰されてでも体を張れ。次逃げたら外す」

 

 冷たい富士の風が、陸の汗ばんだ額を吹き抜けていく。

(相手を怖がって逃げていたら、出す前にすべて狙われる。前を向けないなら、向く前に『声』でピッチを動かすしかねえ)

 

 試合後半。再び陸の足元へボールが転がってくる。背後からは再び高山先輩が肉薄していた。綺麗にいなす隙などない。陸は突進してくる高山先輩に対して、あえて半身で迎え入れた。正面からぶつかれば潰される。相手の突進のベクトルをわずかにずらし、その強烈な圧力を背中で受け流しながら、母指球で地面を噛んで体幹の軸をピタリと固定した。体を盾にしてボールを隠し、高山先輩を背負ったまま一瞬のタメを作る。

 

「樋口! 裏へ走れ! 」

 

 樋口のスピードを最大限に引き出すための最短の命令。その声に弾かれたように、前線の樋口が爆発的な一歩目で一気に垂直に裏へとトップスピードで抜け出した。

 

 高山先輩の強烈なチャージに押し込まれ、ピッチへ倒れ込みながらも、陸の右足はボールの芯を正確に捉えていた。地を這うような1本の鋭い縦パスが、敵センターバックの脇をすり抜け、完全に裏へと抜け出した樋口の足元へと供給された。

 

「しまっ……!」

 

 倒れ込んだ陸を見下ろす高山先輩の顔が、驚愕に染まる。

 完全にディフェンスラインの裏を突いたボールに、樋口がトップスピードのまま追いついた。並走する新2年生のセンターバックを自慢の快速で置き去りにし、ペナルティエリアの右角から右足を一閃。強烈なシュートがゴールネットへと突き刺さった。

 

 試合終了後、陸は全身を泥だらけにして、激しく息を切らせていた。グラウンドの脇の老監督は、何も言わない。しかし、その鋭い眼光は逃げずに身体を張って、潰されながらも声とパスで局面を完璧にひっくり返してみせた神原陸の姿を、じっと見つめていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。