自宅への最寄り駅を降りると、いつもの商店街のアーケードが、雨の湿気と夕食の惣菜の匂いで満ちていた。
肩を落とし何通目かも分からない不合格通知が入った濡れたエナメルバッグを背負い直して、陸は商店街の路地裏にある実家へと歩いた。
実家の「神原食堂」は昼は地元の人々で賑わう定食屋だが、夜になると仕事帰りのサラリーマンや商店街の店主たちが集まる大衆酒場のような店に変わる。
ガラガラと引き戸を開けると、店内にはすでに常連客たちの賑やかな声と、厨房から聞こえる料理の音で満ちていた。出汁のいい香りと、父親の神原正(ただし)が、黙々と包丁を握っている。
昭和の職人らしく調理服の上からでも分かる分厚い体躯を持った男だ。
包丁を握り続けて硬くなった大きな手で次々と食材をさばいている。
「ただいま……」
陸の元気のない声に厨房の奥から顔を出した母親がすべてを察したように一瞬だけ視線を泳がせ、それから優しい声をかけた。
「おかえり。奥のカウンターの端に座りな」
やがて正が酔客の注文をさばく合間にカウンター越しに大きなお盆をドスンと置いてきた。
運ばれてきたのは陸の身体を少しでも大きく頑丈にしようと、胸肉や木綿豆腐など高タンパクでボリューム満点な特製の定食だった。
「……また、セレクションダメだった。競り合いから逃げて周りを動かしてばかりだってさ。康平はもう、ユースの練習に行ってるのにな」
陸がポツリと呟いたが、正は何も言わなかった。
サッカーのルールや戦術は全く知らずオフサイドすら怪しい父親だ。
慰めの言葉も戦術的なアドバイスもこの父親は口にしない。
ただ首にかけた手拭いで汗を拭き無言で陸の顔をじっと見つめた。
その静かな視線の中に毎日泥だらけになって帰ってくる息子の努力をすべて知っているという不器用な信頼が込められていた。
正は何も言わず、ただ顎で「食え」と皿をしゃくった。
一瞬だけ重くなった陸の背中を痛いくらいにパチンと手のひらで叩き、そのまま何も語らずに次の注文の炒め物へと戻っていった。
「おい陸、元気出せよ!」
「スカウト連中、見る目がねえんだよ!」
周りの常連客が勝手に陸を肴に盛り上がる中、父親だけは一切サッカーの話題には触れずに背中で語るようにフライパンをあおり、次の客の炒め物を作り続けている。
「……いただきます」
陸は必死で涙をこらえながら親父の作った温かいメシを口に運んだ。
「メシを食って、また這い上がれ」という父親の無言のメッセージが、出汁の旨味と一緒に身体の芯まで染み渡っていく。
悔し涙を流しながらも、陸の箸は止まらなかった。
自室に戻った陸は、親父のメシで満たされた身体で、机の上に広げた「戦術ノート」を見つめた。
(まだ、終われない。どこでもいい。俺のサッカーを認めさせてやる。)