11月上旬。
どんよりとした冬の雲が東京の空を低く覆う日、陸は寒風に身を縮めながら、帝東高校の正門へと向かった。
受験生として身を包んだ制服の襟元から、冷たい空気が容赦なく入り込んでくる。三葉のクラブハウスとは全く異なる、伝統校独特の厳格な威圧感に、自然と背筋が伸びた。グラウンドへ進むと、そこにあったのは、これまで過ごした巣鴨の洗練された人工芝ではなく、寒風にさらされた広大で乾いた黒土のピッチだった。
立ち込める土煙の向こうで、スキンヘッドの指導者が現役の上級生たちに向かってすさまじい怒号を飛ばしている。部員たちは地声を張り上げながら、硬い土の上で激しい対人トレーニングを繰り返していた。Jユースのそれとは異質な、一発勝負のトーナメントを勝ち抜くためだけに研ぎ澄まされた圧倒的な熱気と殺気に、陸の身体が一瞬すくんだ。
そこへ、クリップボードを持ったジャージ姿のコーチが、感情の排された事務的な声で受験生たちに告げた。
「本日の第四学区枠トライアウトを受験する皆さんは、こちらに集まってください。各自、受付番号のゼッケンを胸に着用するように」
集められた地元の受験生たちは、それぞれバッグを抱え、名門の空気に呑まれまいと肩を張っていた。誰もが口を閉ざし、ギラギラとした鋭い視線で周囲のライバルを牽制し合っている。陸と同じように、誰もがこの黒土の上で生き残るための1枚の切符を狙いにきているのだという、張り詰めた緊迫感がそこには満ちていた。
帝東のトライアウトは、限られた時間の中で受験生をふるい落とすため、1本20分の紅白戦を、チームを入れ替えながら次々と消化していく実戦形式で行われた。
凍った黒土の上で、1本目の受験生たちが激しい肉弾戦を繰り広げ、次々と削られていく。それをグラウンドの脇で見つめながら、陸は静かにスパイクの紐を締め直した。
「次、2本目の組、ピッチ入れ!」
コーチの声がかかる。陸はゼッケンを胸に当て、フラットな4-4-2の「セントラルミッドフィルダー(中央MF)」の位置へと入った。しかし、即席のチームメイトたちは誰もパスを繋ごうとはせず、自分がアピールするために強引な縦への突破を繰り返しては、対戦相手としてディフェンスラインに立ちはだかる帝東の現役上級生たちの圧倒的なフィジカルの前に、次々と叩き潰されていった。
(このまま、周りに合わせてパスを待っていたら、俺も一緒に潰される)
陸の頭脳がフル回転を始める。
陸はこれまで通り、相手と激しくぶつかり合う肉弾戦を嫌った位置取りで相手のマークを綺麗にいなそうとしていた。激しい競り合いに巻き込まれる前に、安全な場所からパスを捌ききってしまおうとしたのだ。
前線の即席FWが帝東の上級生DFに激しく潰され、ピッチ中央へとルーズボールがこぼれてくる。陸はそのセカンドボールの軌道を予測し、誰よりも早く一歩前へと詰めて身体を滑り込ませた。
しかし、後ろで目を光らせる老監督の前で中学生相手に無様なプレーは見せられないという、帝東の上級生たちの部内生存競争を懸けたプレスは、陸の予測を遥かに上回る速度と強度で肉薄してきた。
「甘えんだよ!」
ボールを拾った瞬間、背後から牙を剥くような高校生の強烈なチャージが、陸の背中に突き刺さる。いなす隙すら与えられない、強制的な肉弾戦の強要。
吹っ飛ばされる――そう覚悟したコンマ数秒後、ピッチの上で誰よりも驚いたのは、陸自身だった。
ガツン、と激しい衝撃を背中に受けながらも、陸の足は固い黒土をしっかりと捉えたまま、寸分もブレなかった。本人の逃げ腰な意思に反して、毎日神原食堂の栄養満点な特製メシを食らい、三葉の地道なトレーニングで積み上げてきたその体幹が、高校生基準の突進を無意識のうちに跳ね返してしまったのだ。相手の部員が一瞬「なんだこいつ、硬えな」と目を見開く。
しかし、陸はそこで自ら強引にキープして泥臭い肉弾戦に居座るような真似はしなかった。相手の圧力を嫌うように、陸は反転しながら、中央のバイタルエリアにいたもう一人のセントラルMFの足元へサッと素早くボールを預け、自らは身を引いた。
パスを受けた即席の相方は、アピールしようとそのまま強引に中央をドリブルで突破しようとする。だが、陸はその先が敵の高校生DFに挟み込まれる袋小路であることを見抜いた。
ボールを離した刹那、陸の声がグラウンドに大音量で轟いた。
「中央! 止まれ! キープ!」
突っ込んで自滅しようとしていた味方に、ブレーキをかけさせる最短の命令。その地声の圧力に押されるように、ボールを持った受験生が思わずその場で足を止めてボールを隠す。敵の高校生ボランチがそれを奪い取ろうと、中央の狭いエリアへと食いついた。
狙い通り敵の陣形に致命的な歪みが生まれた。
「戻せ!」
そのコンマ数秒後、完全に空いた広大なスペースを見抜き、まだ誰も走り出していない虚を突いて、陸はさらに鋭い声を突き刺した。
「右サイド! 裏だ!」
三葉での3年間で必死に磨き上げてきた戦術眼が、バラバラだったエゴイストたちの動きを、短い言葉だけで強引に一つの攻撃の形へと変えていく。陸が中盤の底から放つ正確な長短のパスが、声で強制的に走らされた味方の足元へと狂いなく供給され、即席チームの攻撃に劇的なテンポが生まれた。
「なんだ、あの中学生の声は……」
グラウンドの脇で腕を組んでいた帝東のコーチ陣が、ざわつき始めた。
シュートこそ打たない。
逃げることすら許されない戦場で、その頑強な身体を泥だらけにして戦い、圧倒的な声と頭脳でピッチ上のすべてを攻撃ルートそのものを支配しようとする陸の異質なパーソナリティは、凍ったグラウンドの中で誰よりも強烈な光を放っていた。
「終了だ!」
ホイッスルが鳴り響いたとき、陸は全身黒土まみれになり、激しく息を切らせていた。手応えはあった。しかし、各クラブユースで「パスに逃げている」と落とされ続けてきた記憶が、陸の心を暗く支配していた。また、同じ理由で落とされるかもしれない。そんな不安を抱えながら、陸は泥を拭うことも忘れて、ただ冬の空を見上げていた。