年が明けた1月。板橋の中学校の教室は、極限までピリピリとした重苦しい空気に支配されていた。窓の外から吹きつける冷たい冬の風がガラスをガタガタと揺らす中、休み時間になれば、クラスメイトたちは一様に青白い顔で机にかじりつきながらシャープペンシルの芯をノックしていた。
その緊迫した空気のなか、既に推薦で進路が決まっている陸は、持ち前の要領の良さで教室の空気に自然と溶け込んでいた。
模試の判定に頭を抱える友人から「神原はいいよな、もう決まってて」と声をかけられれば、陸は「まぁその分、一足早く毎日死ぬほど走らされてるけどな。お前が受ける高島高校、サッカー部けっこう強いらしいから春からピッチで会おうぜ」と、明るいトーンでサッと返して教室の空気を柔らかく調和させていた。
そんなふうに周囲と上手くやりながらも、陸は自分自身を冷静に見つめていた。放課後のチャイムが鳴ると、陸はクラスメイトたちに「じゃあ、塾頑張れよ」と快活に声をかけ、一人、巣鴨のグラウンドへとチャリを走らせた。
三葉スポーツクラブは外部の高体連へ進学する選手を多く輩出する名門街クラブだ。1月に入ると陸たち外部進学組を対象にした『高校サッカー対策メニュー』が本格的に始動していた。
「おい陸、お前マジで帝東なんだろ。十条のあそこのグラウンド、ガチで黒土がコンクリートみたいに凍ってるらしいぞ。死ぬなよ」
ビブスを付け替える練習の合間、隣町の中学から三葉に通っている俊足のサイドハーフ・佐藤が、息を荒げながら声をかけてきた。佐藤は埼玉の強豪・南望高校への進学が内定している。
「佐藤こそ、埼玉の国体組とバチバチやるんだろ。南望もお上品なサッカーしてたら速攻で削られるって有名じゃないか」
「分かってるよ。だから今、この対策メニューで足腰をいじめてるんじゃん。……でもさ、俺たちの代の外部組から、絶対にプロ、出したいよな。数年前に九州の西肥高校に行ったあの橘先輩みたいに、俺ら高体連組からユース組を全員ぶっ潰してプロになってやろうぜ」
佐藤のその泥臭い言葉に、陸は小さく笑いながらも、胸の奥の火がパチリと弾けるのを感じた。Jユースに落とされ、ここに集まった雑草の仲間たち。誰もが「三葉の看板」を背負って全国の恐ろしい怪物たちが集まる高校サッカーの荒野へ飛び込もうとしていた。
「神原! 佐藤! 無駄口を叩くな! 綺麗に前を向こうとするな!」
夕暮れの冷たい人工芝の上で、ジュニアユースのコーチの鋭い怒号が飛ぶ。ミニゲームで陸は帝東と同じ『フラットな4-4-2のセントラルMF』の位置へ配属されていた。対戦相手となる三葉の2年生たちには、コーチから「神原には自由に配球させるな。当たられても嫌がる癖があるから、球際で徹底的に潰せ」と命令が下されていた。
容赦のない2年生の激しいタックルが陸の体幹に突き刺さる。スピードの低下を恐れるあまり、無意識のうちに接触を避けて早くパスを逃がそうとする陸の弱気な癖を、三葉の指導陣は完全に遮断しにきていた。
「逃げるな神原! 重心を落とせ! 当たられても体幹の軸をブレさせるな! 声を張って中盤のスペースを閉めろ!」
泥だらけになりながら、陸は必死に黒土の強度を思い出し、2年生のプレスの風圧を身体で受け止めていた。毎日、神原食堂のメシを残さず食らい、走り込んできたその肉体は激しいチャージを受けても、母指球で粘り強く地面を捉え、鋭い体幹の軸で相手を跳ね返せるだけの強靭さを身につけ始めていた。
練習が終わり、夜の帳が下りた巣鴨のメインピッチ。外部進学組の練習がサッと終わる中、照明の真下では、すでにユースの主力に混ざって死に物狂いで走っている時田康平の姿があった。その圧倒的な熱気をネット越しに遠く見つめながら、陸は自分の泥だらけのジャージの袖で汗を拭った。
周囲に気配りしながら過ごす学校の日常と、グラウンドでの窒息しそうなほどの激しいプレス、そして同じ泥で戦う戦友たちとの誓い。15歳の神原陸の冬は来るべき決戦に向けて、ただひたすらに鋭く牙を研ぎ澄ますための時間として過ごしていた。