翌日の昼、秘聞の館の女主人は、砂鱗団の野営地に正面から乗り込んだ。
供は、二人だけだった。ヤフォダと、旅人。パイモンは、旅人の肩の後ろに半分隠れていた。
「ね、姐さん。本当に大丈夫なのか? 相手は、二十人もいるんだぞ……」
ヤフォダが、小声で囁いた。手は、とっくに腰の武器にかかっている。
「大丈夫だよ。今日は、話をしに来ただけだ」
ネフェルは、いつもの涼しい顔で答えた。
崩れた倉庫の跡に入ると、団員たちが一斉に立ち上がった。曲刀の柄に手をかけ、鋭い目でこちらを睨む。けれど、誰も抜かなかった。秘聞の館の女主人の名は、砂漠から来たばかりの傭兵たちの耳にも、もう届いているらしかった。
倉庫の奥に、ハッザーンがいた。
木箱を椅子代わりにして座り、曲刀を膝に横たえている。ネフェルたちが近づいても、立ち上がりはしなかった。
少し離れた壁際に、黒い外套の男が立っていた。
セネトだった。腕を組み、俯き加減に、こちらを見ないようにしていた。けれど、その指先が、外套の袖を強く握りしめているのを、ネフェルは見逃さなかった。
「秘聞の館の女主人が、自ら何の用だ」
ハッザーンが、低い声で言った。
「商談だよ」
ネフェルは、ハッザーンの前に立った。座ったままの男を、見下ろす形になる。
「単刀直入に言おう。あんたの団の剣を、買い取りたい」
倉庫の中が、ざわめいた。
壁際で、セネトが顔を上げた。右目が、驚きに見開かれていた。
ハッザーンは、表情を変えなかった。
「……セネトのことか」
「ああ。あの男の誓約を、あたしが買い取る。値段は、そっちで決めな。北の大陸情報網の財なら、砂鱗団が十年遊んで暮らせるくらいは出せる」
ヤフォダが、ごくりと喉を鳴らした。
ハッザーンは、しばらく黙っていた。
それから、低く笑った。
「金で、か」
「金で解決できないことは、この世にそう多くないよ」
「なら、教えてやろう。これは、その多くないほうだ」
ハッザーンが、立ち上がった。
ネフェルより、頭一つ背が高かった。切れ長の目が、真上からネフェルを見下ろす。
「あいつが払っているのは、金じゃない。血だ」
静かな声だった。けれど、その奥に、十年分の何かが沈んでいた。
「俺の親父の首が、目の前で飛んだ。その血を、俺は頭から浴びた。イアブ族の戦士が、何十人も死んだ。ウヌ族の女や子供も、大勢死んだ。……それを全部、金で清算できると思うのか」
ネフェルは、答えなかった。
答えられなかった。
ハッザーンの目を見た瞬間、ネフェルの目が、勝手に開いていた。
覗くつもりはなかった。けれど、この男の心は、あまりにも剥き出しだった。十年分の怒りと、悲しみと、どこにも行き場のない憎しみが、目の奥で渦を巻いていた。
その渦の中に、一つの光景が見えた。
焚き火。太鼓の音。宴。それから、飛んでいく首。頭から浴びる、生温かい血。十五歳の少年の、声にならない叫び。
ネフェルが、砂丘の陰から見下ろしていた、あの光景だった。
同じ夜を、同じ場所で、別の側から見ていた者がいた。
ネフェルは、目を逸らした。
ほんの一瞬だった。けれど、ハッザーンはそれを見逃さなかった。
「……妙な目をする女だ」
ハッザーンの声が、低くなった。
「今、俺の何を見た」
「何も。あんたの目つきが鋭すぎて、思わず目を逸らしただけだよ」
ネフェルは、黒い手袋の指先で、そっと唇に触れた。
ハッザーンは、しばらくネフェルの顔をじっと見つめていた。切れ長の目が、何かを探るように細められる。
「女主人。お前、どこかで会ったことがあるか」
倉庫の中の空気が、凍りついた。
壁際で、セネトの体が強張るのが分かった。
ネフェルは、指先を唇に添えたまま微笑んだ。
「さあね。あたしの顔は、ナシャタウンじゃ知らない者のほうが少ない。あんたも、どこかで噂くらいは聞いたんだろう」
「……そうか」
ハッザーンは、それ以上は聞かなかった。代わりに、木箱に腰を戻した。
「商談は終わりだ。セネトは売らない。あいつは、死ぬまで俺たちの剣だ。……帰れ」
ネフェルは、一礼した。それから、踵を返した。
倉庫を出る直前、ネフェルは一度だけ振り返った。
壁際のセネトと、目が合った。
残された右目が、ネフェルを見ていた。なぜ来たのか、と責めるように。それから、ほんの少しだけ、ありがとう、と言うように。
ネフェルは、何も言わずに前を向いた。
野営地を出て、しばらく歩いたところで、ヤフォダが大きく息を吐いた。
「……し、死ぬかと思った。姐さん、あいつの前で目を逸らすなんて、珍しいな」
「そうだね」
ネフェルは、前を向いたまま答えた。
「あの男の目は、少し、見るのが辛かった」
ヤフォダは、首をかしげた。
旅人だけが、ネフェルの横顔に、何か深いものが沈んでいるのを感じていた。
◇
その日の夕方、旅人はネフェルに呼び止められた。
「旅人。一つ、頼みがある」
館の裏手の、人目のない路地だった。ネフェルは壁に背を預けて、腕を組んでいた。珍しく、目を合わせようとしなかった。
「……ラウマを、呼んでくれないかい」
「ラウマ?」
パイモンが、目を丸くした。
「ネフェル、ラウマのこと苦手だって言ってなかったか? 近づきすぎると信者にされるって」
「言ったね。今でもそう思ってる」
ネフェルは、苦い顔で笑った。
「でも、砂漠の呪いの誓約なんてものを解きほぐせそうな知恵を持ってるのは、ナド・クライじゃあの女くらいだ。月の巫女なら、古い誓いや呪いの理屈にも通じてる。……あたしから頼みに行くのは癪だから、あんたに頼むんだよ」
旅人は、ネフェルの横顔を見た。
北の大陸情報網のボスが、苦手な相手に頭を下げようとしている。それも、自分のためではなく。
旅人は、うなずいた。
◇
ラウマは、霜月の子らの里から、すぐに来てくれた。
旅人が事情をかいつまんで話すと、ラウマは静かに耳を傾け、それから穏やかに微笑んだ。
「うむ、承知した。私にできることであれば、力を貸そう」
秘聞の館の応接間で、ネフェルとラウマは向かい合って座った。
テーブルの上には、お茶が二つ。どちらも手をつけていない。旅人とパイモンは、少し離れた長椅子で、息を潜めて二人を見守っていた。
「……わざわざ来てもらって、悪いね」
ネフェルが、先に口を開いた。
「構わぬ。旅人の頼みとあらば、断る理由はない」
「旅人の、ね」
「うむ。それに――」
ラウマは、ネフェルの顔をじっと見つめた。
「そなたが誰かのために困っておる姿を、私は初めて見た。放ってはおけぬ」
ネフェルの眉が、ぴくりと動いた。
何か言い返そうとして、ネフェルは口を閉じた。それから、深く息を吸った。
そして、頭を下げた。
テーブルに額がつきそうなほど、深く。
「――頼む」
応接間が、しんと静まり返った。
パイモンが、両手で口を押さえた。旅人も、息を止めた。
ラウマは、少しだけ目を見開いた。それから、ゆっくりと、柔らかく微笑んだ。
「顔を上げるがよい、ネフェル。……その者に、会わせてもらえるか」
◇
セネトは、町の東の外れにいた。
枯れ木の林の手前で、腰を下ろして、小鳥に棗の欠片をやっていた。この前、子供たちを助けた場所だった。団の見回りの合間に、ここで一人になるのが習慣になっているらしい。
旅人とラウマが近づくと、セネトは顔を上げた。
小鳥たちが、一斉に飛び立った――と思ったら、ラウマの肩や腕に、次々と舞い降りた。それだけではない。林の奥から、野兎が二匹、ぴょこぴょこと跳ねてきて、ラウマの足元にすり寄った。
「……すごいな」
セネトが、思わず呟いた。
「動物たちは、優しい者をよく知っておるのだ」
ラウマは、小鳥を指先に乗せながら微笑んだ。
「そなたのもとにも、来ていたようだな。この小鳥たちは」
セネトは、少しだけ困ったように笑った。
旅人が事情を話すと、セネトはしばらく黙っていた。それから、小さくため息をついた。
「……ネフィに頼まれたんだな」
「うむ」
ラウマは、隠さなかった。
セネトは、少し迷ってから、束ねた髪を片手で持ち上げた。うなじの焼き印が、夕日の中に晒される。
ラウマは、セネトの背後に回って、焼き印にそっと指先を近づけた。触れはしない。ただ、その上に手をかざすだけ。
ラウマの表情が、少しずつ変わっていった。
「……ずいぶんと古い誓約だ。砂漠の王の時代から伝わる、血の誓い。誓った者の命そのものに、根を張っておる」
「破ったら、どうなるんだ?」
パイモンが、恐る恐る聞いた。
「誓いを破れば、根が命を締めつける。……命を落とすであろう」
パイモンが、息を呑んだ。
セネトは、何も言わなかった。とっくに知っていたのだろう。
ラウマは、しばらく黙って焼き印を見つめていた。
それから、首をかしげた。
「だが、妙だ。この誓約の根は……ねじれておる」
「ねじれてる?」
「うむ。本来、誓いはまっすぐに根を張るものだ。誓った者の真心の上にな。だがこの根は、何かを避けるように、ねじれて伸びておる。まるで――」
ラウマは、言葉を選ぶように、少しだけ間を置いた。
「まるで、嘘の上に結ばれた誓いのようだ」
セネトの肩が、ぴくりと震えた。
ラウマは、セネトの前に回って、正面からその顔を見た。
「そなたは何か、本当ではないことを誓ったのではないか」
セネトは、答えなかった。
ただ、髪を下ろして、うなじを隠した。
「……ラウマさん。一つだけ、お願いがあります」
「申してみよ」
「今のこと、ネフィには……あまり、詳しく伝えないでもらえませんか。あいつは、きっと無茶をするから」
ラウマは、少しだけ悲しそうに微笑んだ。
「すまぬ。それは約束できぬ」
「……え」
「ネフェルは、私に頭を下げた。あの者が誰かに頭を下げるところを、私は初めて見たのだ」
ラウマは、肩の小鳥をそっと空に放した。
「その頭の重さを、私は裏切れぬ」
◇
ラウマの報告を聞き終えたのは、夜も更けた頃だった。
砂漠の王の時代から伝わる、血の誓い。破れば、命を落とす。そして、その根は、ねじれている。嘘の上に結ばれた誓いのように。
ラウマが帰ったあと、ネフェルは一人で奥の部屋に入った。
盤の前に座る。蝋燭を灯す。それから、棚の奥から一つの箱を取り出して、盤の横に置いた。
古い木の匣だった。
表面に、見たこともない文字と、遊戯盤の升目のような文様が刻まれている。砂漠の神殿の前で、トキの王が猫の体を借りて差し出した、あの匣。
対象と縁のある物を使って、その者の意識に入り込み、過去を暴く匣。
ネフェルは、木箱から駒を一つ取り出した。
セネトが彫った駒。底に、斜めに一筋の刃の跡。何年分もの手紙に添えられてきた、何十もの駒の中の一つ。
これを、匣にかければ。
セネトの過去が見える。誓約の言葉が、一字一句。誓約を結んだ夜の光景が。どこに抜け道があるのか、どうすれば解けるのか、全部。
ラウマは、ねじれた根の正体までは分からないと言った。けれど、匣なら分かる。この目と、この匣があれば。
ネフェルは、駒を匣の上にかざした。
匣の文様が、淡く光り始めた。翠色の光が、升目の線をなぞるように走っていく。駒が、ゆっくりと匣に引き寄せられる。
――あんたの心だけは、絶対に覗かない。
ネフェルの手が、止まった。
光が、揺らいだ。
――約束、しただろ。
昨夜、路地裏で聞いた声。掠れた、必死な声。
セネトは、ネフェルが約束を守ってくれていることに、救われていた。彼女の目に覗かれないことが、あの男にとっての、最後の拠り所だった。
匣を使うということは、その拠り所を、ネフェル自身の手で壊すということだ。
ネフェルは、駒を握りしめた。
光が、ゆっくりと消えていった。
「……姐さん?」
扉のところで、声がした。
振り返ると、ヤフォダが立っていた。寝間着姿で、目をこすっている。けれど、その目は、盤の横の匣をしっかりと見ていた。
「ごめん。灯りが見えたから……」
「いいよ。入りな」
ヤフォダは、おずおずと部屋に入ってきた。盤の向かいに、ちょこんと座る。アシュルが、ヤフォダの膝に乗った。
「それ、姐さんの匣だよな。前に、月の狩人の過去を覗いたときに使った」
「ああ」
「あの兄ちゃんの過去、それで見られるんじゃないのか? 鹿ねえが分からなかったことも、全部」
「見られるよ」
「じゃあ――」
ヤフォダが、身を乗り出した。
「使えばいいじゃないか! 姐さんなら、それで誓約の抜け道を見つけて、あの兄ちゃんを助けられるだろ?」
ネフェルは、駒を手のひらの上で転がした。
「……約束したんだよ」
「約束?」
「あの男の心だけは、絶対に覗かないって。子供の頃にね」
ヤフォダは、ぽかんとした。
「そ、そんな昔の約束……」
「昔の約束でも、約束は約束だ。あの男は、それを今でも大事にしてる。あたしがそれを守ってることに、救われてるんだ」
ヤフォダは、しばらく黙っていた。
それから、膝の上のアシュルをぎゅっと抱きしめて、勢いよく顔を上げた。
「約束より、その人のほうが大事だろ!」
大きな声だった。夜の館に、響き渡るほどの。
アシュルが、びくりと耳を立てた。
ネフェルは、目を瞬いた。
ヤフォダは、真っ赤な顔で、それでも引かなかった。
「あ、あたいは、難しいことは分かんねえよ。でも、姐さんがあの兄ちゃんのこと、すっげえ大事に思ってるのは分かる。約束を守って、それで兄ちゃんが死んじまったら、姐さんは一生後悔するだろ!」
ネフェルは、何も言わなかった。
ヤフォダの言う通りだった。分かっていた。とっくに。
「……そうだね」
ネフェルは、小さく笑った。
いつもの涼しい笑みではなかった。少しだけ、疲れたような、困ったような笑みだった。
「両方、大事だから困ってるんだよ」
ヤフォダが、目を見開いた。
ネフェルが、こんなふうに弱音を吐くのを、ヤフォダは初めて聞いた。
「約束も、あの男も。どっちかを捨てたら、もう片方も壊れちまう気がするんだ。……情けないだろう? 北の大陸情報網のボスが、たかが子供の頃の約束一つで、身動きが取れないなんて」
ヤフォダは、首をぶんぶんと横に振った。
「情けなくなんかねえよ」
声が、少しだけ震えていた。
「姐さんにも、そういうのがあるんだなって……あたい、ちょっと安心した」
ネフェルは、ヤフォダの頭に手を伸ばした。くしゃりと、髪を撫でる。
「生意気言うんじゃないよ」
「いてっ。……へへ」
ヤフォダが、照れくさそうに笑った。
ネフェルは、駒を木箱に戻した。匣を、棚の奥にしまった。
まだ、使わない。
けれど、捨てもしない。
使う日が来るかもしれない、と、ネフェルは心のどこかで分かっていた。
◇
同じ夜、砂鱗団の野営地で、セネトはハッザーンの天幕に呼ばれた。
天幕の中には、ランプが一つだけ灯っていた。ハッザーンは、低い卓の前に胡坐をかいて、一通の手紙を広げていた。
「座れ」
セネトは、言われた通りに腰を下ろした。卓を挟んで、ハッザーンと向かい合う。
ハッザーンは、しばらく手紙から目を上げなかった。ランプの炎が、その切れ長の目元に、揺れる影を落としていた。
「スメールからの便りだ」
やがて、ハッザーンが口を開いた。
「何年も前から、教令院の書記官に金を握らせていた。偽りの特使の手がかりが出たら、知らせるようにとな。……お前が名乗り出てからは、もう用済みだと思っていたが、律儀な男でな。今でも、時々こうして便りを寄越す」
セネトの背筋に、冷たいものが走った。
「教令院が、十年前の事件をまた洗い直しているらしい。改革とやらで、昔の記録を全部掘り返しているそうだ。……それで、面白いことが分かった」
ハッザーンは、手紙を卓の上に置いた。指で、ある一行をとんとんと叩く。
「十年前、教令院は砂漠の民を何人か受け入れていた。新しい方針とやらでな。その中に、一人の娘がいた。シムティ族の生き残りだそうだ」
セネトは、表情を変えなかった。
変えないように、した。
「その娘は、事件の少し前に教令院を辞めている。書庫から、古い儀礼用の衣が一揃い、消えていたそうだ。……ちょうど、教令院の特使が着るような、な」
ランプの炎が、ちりちりと音を立てた。
「シムティ族を覚えているか、セネト」
ハッザーンの声が、低くなった。
「井戸の水を盗んだ部族だ。親父が、見せしめに焼き払わせた。……生き残りが、いたらしいな」
セネトは、何も言わなかった。
「秘聞の館の女主人は、砂漠の生まれだそうだな。町の連中が噂している。砂漠から流れてきて、この町の裏を一人で平らげた女だと」
ハッザーンは、身を乗り出した。
切れ長の目が、ランプの明かりの中で、セネトの顔をじっと覗き込む。
「あの女は、昨日、俺の目を見て、逸らした。まるで、何かを見てしまったように。……そして、お前の誓約を買い取りたいと言った。大金を積んでな」
ハッザーンは、ゆっくりと言った。
「セネト。お前が庇ったのは、誰だ」
天幕の中が、しんと静まり返った。
セネトは、口を開かなかった。
嘘をつけば、うなじの蛇が焼ける。ハッザーンは、それを見逃さないだろう。焼き印の疼きは、隠しきれない。昨夜、ハッザーンはそれに気づいていた。
本当のことを言えば、ネフィが殺される。
だから、セネトは黙っていた。
沈黙は、嘘ではない。蛇は、沈黙を罰しない。
ハッザーンは、待った。
一呼吸。二呼吸。ランプの炎が揺れて、二人の影が天幕の布の上で踊った。
セネトは、ただ、まっすぐにハッザーンを見返していた。残された右目で。瞬きもせずに。
やがて、ハッザーンが、ふっと息を吐いた。
「……答えないか」
ハッザーンは、身を引いた。手紙を折り畳んで、懐にしまう。
「それが、答えだな」
セネトの心臓が、どくりと鳴った。
ハッザーンは、立ち上がった。天幕の入口の布を持ち上げて、夜の外を見る。冷たい風が、ランプの炎を大きく揺らした。
「誓約を覚えているな、セネト。俺たちは、お前が庇った女の名を、決して口にしない」
「……ああ」
「口にはしない」
ハッザーンは、振り返らずに言った。
「だが、誓約には書いていないことがある。……名を口にせずとも、できることはいくらでもある」
その声に、笑みが混じっていた。
冷たく、底のない笑みだった。十年前、焚き火の傍らで、父の首のない体を見下ろしていた少年の目と、同じ温度の。
ハッザーンは、天幕を出ていった。
セネトは、卓の前に座ったまま、動けなかった。
手が、震えていた。止めようとしても、止まらなかった。
外套の内側で、布袋の中の駒が、かすかに鳴った。
――あたしは、あんたをこのままにはしない。
昨夜の、ネフィの声。
セネトは、両手で顔を覆った。
守るつもりだった。自分の嘘で、彼女の嘘を背負って、砂漠の地獄に彼女を近づけないつもりだった。
なのに、地獄のほうが、彼女のいる場所までやって来てしまった。
セネトの嘘は、もう、彼女を隠してはくれない。
天幕の外で、夜風が鳴いていた。砂漠の風とは違う、湿った、冷たい風だった。
今後の方針
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今迄みたいにぴったり10話で本編まとめて
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5話くらいでポンポンいろんなキャラ書いて