彼に繋がれた小さな手を彼女は、幸せそうに頬を膨らませる。
彼の身内だと言う彼女の瞳はツンとトンガリ、彼にも小町さんにも似ていない。
……やっぱり誰かに似ている気がする。
引っ掛かりを取り除こうにも、どこか頭がその存在を拒否しているような…。
むぅ…、解せないわね。
私は小さな悩みを抱きつつ、仲良く前を歩く2人の姿を見つめた。
「あーちとしてはチョコフォンデュよりもチーズフォンデュなわけよ」
「あ?チーズフォンデュなんてチーズを溶かしただけだろ。チョコフォンデュに決まってる」
「チョコフォンデュもチョコを溶かしただけだし!」
……何を話しているのかしら。
「あの…、何を喧嘩しているの?」
「む…、コイツがな、昼飯はチーズフォンデュが食べられるビュッフェが良いってんだよ」
ビュッフェ…、悪くないと思うけど…。
「ケーキバイキングなんてあーちは絶対嫌だかんね!」
プックリと頬を膨らませて怒るユミちゃんは手をバタつかせていた。
…なんとも仲睦まじいものだ。
微笑ましいその光景に、私はため息と共に懐かしさを感じる。
「…はぁ、少しは大人になったと思っていたけど、貴方は本当に変わらないのね」
「おまえにだけは言われたくないがな…」
「…小さな子のお願いくらい、男らしく聞いてあげたらどう?」
私は彼を諭しながらゆみちゃんの頭を優しく撫でてみる。
「あー!?子供扱いすんなし!!」
「ふふ。そういうお年頃かしら?」
「てめぇと同い年だボケ!!」
ぺしっと手を払われるも、子供の行為に苛立ちを見せるほど私の器は小さくない。
まだ懐かれていないだけ。
猫と一緒よ。
肝心なことは優しく接することなのだから。
「ほら、あそこならチーズフォンデュもチョコフォンデュもあるんじゃない?」
私はオーガニックを専門としたお店を見つけ、そこを指差す。
「うえ、敷居の高い店だな。お、でもお子様料金は大人の半額か…。みう…、ん、ゆみゆみ、あそこでいいか?」
「べっつにー、どこでもいいしー」
「腹立つわー、このクソガキ」
ふわりと繋がれた2人の手を見ながら、私はため息を一つ吐き後を追った。
まるで2人の小学生を面倒見ているみたい。
そういえばあの頃も、彼へ犬のように戯れる彼女を見て和んだものだ。
犬はあまり好きじゃないけど…。
「…?おい、雪ノ下。置いてくぞ」
好きじゃないけど、嫌いじゃないのよ。
彼女の事も、あなたの事も…。
「…ええ、今行くわ」
.
…
……
………
…………
「ふぅ…。食い過ぎたし」
「おまえ、食い放題だからって食い過ぎだろ」
「なんかこの身体、食べ物がめちゃくちゃ美味いんだよね…」
「ふむ。不思議なもんだな」
「不思議なもんだし…」
食後にお腹を膨らませたゆみゆみちゃんと、ほっぺにチョコを付けた比企谷くんは訝しげな表情で首を傾ける。
…何の話をしているのかしら。
ふと、彼が膝を折ってゆみゆみちゃんに視線の高さを合わせた。
「…おまえ、なんか目がしょぼしょぼしてないか?」
「え、そう?…んー、確かにまぶたに重力魔法が掛けられてる気分かも…」
「まじかよ。ディオガグラビドンか?」
「…いや、バベルガグラビドン」
「それはキツイな…」
いやだから、さっきから何を話しているのよ…。
私は呆れながらに、膝を折る彼を見下す。
「お腹が一杯になって眠くなっちゃったんじゃないかしら」
「おいおい、ガキじゃあるまいし」
「小学生なのだから仕方がないでしょ」
「…ん、まぁ、そうか…」
彼は何かを考えるように、目を細めるゆみゆみちゃんの頭を軽く撫でてあげると、そのまま彼女を優しく抱き上げる。
ゆみゆみちゃんも、最初こそ抵抗を見せていたが、しばらくすると、腕をダラりと降ろし、静かに寝息を立て始めた。
「食べて直ぐに寝ると牛になってしまうわね」
「おまえ、それ迷信だからな?」
「知ってるわよ。…はぁ、ゆみゆみちゃんも寝てしまったし、これで帰りましょうか」
少しだけ。
ほんの少しだけ残念だけど、ゆみゆみちゃんが寝てしまった以上、私と彼が一緒に居る理由もない。
私は小さな笑みを浮かべてショッピングモールの出口へと進もうとする。
「は?この重いのを抱きかかえて帰れと?」
「あなた、子供を何だと思っているの?」
「何にせよ、俺の腕が保たねぇよ。喫茶店でも入ろうぜ。しばらくすりゃ起きるだろ」
そう言うと、彼は彼女を抱えたままに喫茶店がある方向へと歩き出した。
「……。ええ、そうね。そうしましょう」
…別に、まだ一緒に居れるから嬉しいなんて思ってないから。
いや本当に。
私はスキップしかねない足取りを抑えながら、彼の隣へと歩み寄る。
懐かしい私の居場所。
心地よく、甘い香りを漂わせる彼の隣。
☆ 雪解けの思い出 ☆
奥行きのある喫茶店の店内で、彼は寝息を立てるゆみゆみちゃんをソファーに転がすと、疲れたとばかりに席へと腰を深く掛ける。
注文を取りに来た店員さんにコーヒーを2つ頼むと、チェーン店さながらの素早さでそれは提供された。
「ガムシロには無限の可能性を感じるな」
「感じないわよ。相変わらず、舌は苦味を受け付けないの?」
彼はコーヒーにガムシロップを数個淹れ、ストローで2度3度かき混ぜると幸せそうにそれを飲み始める。
「それにしても、…随分と綺麗になったな」
「……え!?と、突然に何を言いだすのかしら!?」
「は?」
「わ、私が綺麗なのは昔からじゃない。…ま、まぁ、貴方が人を褒めるなんて珍しいことだし、私も素直に受け取ってあげてもいいのだけれど」
「……。店内のことだぞ?」
「へ?」
彼が苦笑い浮かべながら私を見ている。
店内のこと…?
確かに、以前に此処へ来た時から様変わりしているようだが…。
あぁ、店内…。店内のことね。
「……笑いなさいよ。笑えばいいじゃない」
「あ、あはは」
「覚えておきなさい!」
「…こ、子供が寝てるんだから静かにしろよ」
顔が熱い。
冷静に考えれば、彼が私に向かってそのようなセリフを口走るわけがないのに。
やっぱり、彼と居ると、私はいつもの私ではいられないようだ。
「はぁ、忘れてちょうだい」
「はいよ」
「……三浦さんとは順調?」
「まぁな」
「そう」
「ん」
ゆるりと流れる店内のBGMから英詞が流れる。
洋楽にはそこそこ精通している私が知らない音楽。
暫く聞いていると、それが邦楽を洋楽風にアレンジしたものだと気が付いた。
知らないようで、知っている。
あの頃のように、私は彼の事を知っているようで何も知らない。
知っていることはただ一つ。
もう、私の想いが彼に伝わることない、それだけ。
「どうして、貴方は三浦さんを選んだの?」
「……」
「こんな事を聞く私を、未練がましい女だと思ってくれても構わないわ」
「…別に思わんが」
「私や由比ヶ浜さん、一色さんですらなく、貴方は三浦さんを選んだ。私はね、私達を振った貴方は、もう誰とも付き合う気が無いとばかり思ってたのよ」
「あぁ、俺もそう考えてた」
「なら、どうして…、どうして貴方は三浦さんを選べたの?」
彼は静かにグラスを傾ける。
あの部室で黄色い缶を傾けていた姿と同じ。
語る前に一間を開ける、彼の悪い癖。
その一間が、どれだけ私達をやきもきさせることか。
「…あんまり格好の良い話じゃないぞ?」
「ええ、貴方はいつも格好悪いもの」
「うるせ、貧乳」
そうして彼は、物静かにも自分の事をゆっくり語り出した。
ん?コイツ今なんつったのかしら?