日曜日の朝。
仕事があるわけでもないのに目覚ましよりも早く起きてしまった。
広いベッドからもそもそと起き上がり、リビングへ向かうも朝食は愚か、テレビや電気すら付いていない部屋に寂しさを覚える。
時間的に急ぐ必要もないが、なんとなく忙しなく身支度を始めた。
あんまり早過ぎても変に思われるか…?
と、思いつつも、朝食を取るほどお腹が減っているわけでもなく、男の身支度が1時間2時間と掛かるわけもない。
気付けば、起きて30分程で出掛けられる準備が出来てしまった。
「…まぁいい。行くか」
駐車場へ向かい、朝露でキラキラと輝く愛車の鍵を開ける。
プッシュスタートを押し、エンジンに火を入れると静かなエンジン音と共にナビが声を出す。
ーーおはようございます。本日の天候は晴れ。
お、おう…。
なんだ、急に喋られるのは慣れないな…。
…って、何をナビごときに緊張してるんだか…。
ナビに行き先を入力すると、そこまでの推奨ルートと到着予想時間が明示される。
やはり30分も掛からない予想時間。
迎えに行く途中でコンビニでも寄って時間を潰そうにも10分程度が限界だろう。
と、考えている時に、スマホへ一通のメッセージが。
ーーー早めに来れる? 優美子
ふむ、仕方ない。
超特急で迎えに行ってやろう。
ーーーおけ。八幡
で。
「え、早すぎない?びっくりしたんだけど」
「そ、そうか?道が空いてたからかな…」
義父母の住む家の前に車を止め、チャイムを鳴らすと直ぐにママが現れた。
一応挨拶をと、玄関口まで顔を出してみたものの
「ウチのパパとママならあの子連れて出掛けたよ」
「え?買い物?」
「たぶん浅草。落語聞きたいって言ってたし」
「渋っ。え、あいつも付いていったのか?」
「うん」
なにウチの娘って落語とか聞きに行くの?
最近の子供はイマイチ良くわからんな…。
孫とお出掛けできるじいちゃんばぁちゃんは嬉しいんだろうけどさ。
「だから、あーしらもどっかで暇つぶしに行くよ」
「はいはい。そいじゃ適当に行きますか」
「おっけー」
そう言いながら、ママは当たり前のように運転席へ。
「おい。おまえが運転するのか?」
「ん。そんかわり、帰りは運転してよね」
「はいよ」
俺も助手席に乗り込むと、ママは不思議そうに運転席の足元を眺めていた。
どうやら座席の位置が合わないらしい。
「む?あんた、こんなに脚長かったっけ?ちょっと見栄張ってない?」
「張ってねえよ」
俺の反論はエンジン音にかき消されるも、割と運転が好きだと豪語する彼女はゆっくりとその場から車を発進させる。
ゆるりとした発進は、おそらく省エネ運転を気にしてのことか。
子供が生まれる前だったか、遠出のために借りたレンタカーが省エネ運転の点数を表示させる車だった。
俺の運転時に表示された点数が85点。彼女が運転した時に表示された点数が70点であった。
「おっしゃ。このまま省エネをキープだし」
「…この車、点数とか出ないからね?」
「気持ちの問題。あーしはいつも100点だと思ってるから」
「俺の運転は?」
「85点」
「あの時から成長無しかよ」
「へへへ」
どこに行くのかも知らぬまま、俺は流れる景色を眺めながら頬杖をつく。
そういえば、婚約する前はどこに行くにしても俺は彼女の後ろを付いていく一方だった。
あの頃の後ろ姿は今でも覚えている。
たかだか数年前の事なのに、なぜだかすごく昔の様に思えてくるのは気のせいか。
「どこか行きたい所ある?」
ふと、前方から目を逸らさずに質問が投げられる。
「ああ…。ん〜、ららぽでも行くか?」
「ぷぷっ。娘も居ないのに?」
「…それもそうか。ん、それならおまえの行きたい所でいいぞ」
「珍しいじゃん。昔なら家に帰りたいって言ってたのに」
「……。子供が生まれりゃ多少は変わるってことだろ」
少しばかり照れ臭い。
変わる事を嫌っていた高校生の頃の俺が聞いたら鼻で笑うレベル。
だがな、八幡(高校生)よ。
変わる事だって悪い事ばかりじゃないんだ。
娘ができればおまえも分かる。
「…あんたと出掛けたって、あの子が楽しそうに話してたよ」
「あぁ、そう」
「嬉しくないの?」
「嬉しいよ。…あいつ、おまえに似てきた」
「あーしに?どっちかって言うとあんたに似てる気がするけど」
「俺に似てたらあんなに可愛くならんだろ」
「親バカ。てか、それってあーしの事も可愛いって言ってるようなもんだし」
これまた恥ずかしい一言を。
俺はまたもや照れ臭くなり、なんとなく窓を開けて風を浴びる。
ふと、運転席からの声が途絶える。
俺に気を使ってくれたのか、それともクスクスと笑っているのか、俺は交差点で車が止まったと同時に窓を閉めて前を向き直した。
すると、ハンドルを握っている彼女が小さく言葉を発する。
「…今のあーしも可愛い?好き?」
「……。なんだよ、急に」
「聞いてんだけど」
そんな事をハッキリと聞いてくるな。
子供が生まれて変わったとは言え、好きだよハニー、と瞳を見つめながら口に出せるほどに変わったわけじゃない。
もちらん可愛いと思ってるし、今だって死ぬほど好きだ。
だが、やはりそれは言葉に出来ない。
だって恥ずかしいじゃん。
「…ん、信号変わったぞ」
「…ふん」
不貞腐れた。とは違うような表情で、彼女はアクセルを踏む。
先程までと違った急な発進に、俺は小さな嫌悪感を覚えながらも背もたれに深く背を預けた。
車内の雰囲気が悪くなったのは言うまでもない。
気の利いた言葉も浮かばず、俺はただただ荒くなった運転に身をまかせることしか出来なかった。
.
…
……
………
『ただいま』
『おかえり〜。ごめ、夕飯もう少しかかる』
『…手伝う。てか、おまえ座ってろよ』
『気ぃ使い過ぎ。まだ5ヶ月だし』
『気を使い始めたのは今に始まったことじゃないですけど』
『ぶっとばす』
『ばかばか。おまえ、そう言う事を聞かせるとダメだって本に書いてあったぞ』
『キスとかすると良い子が生まれるって書いてあったし!』
『お腹に?』
『あーしに!』
『はいはい。後でな』
『むぅー!じゃあ後でするし』
『ほら、もう座ってろって』
『ん。ありがと。…ねえ、ヒキオ』
『あ?』
『子供が生まれても、あーしの事をちゃんと好きでいてくれる?』
………
……
…
.
.