私はあんたの世話を焼く。   作:ルコ

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4day

 

 

 

週始めの月曜日。

不快指数高めの満員電車に揺られながら、なんとなく窓に映る自身の顔を眺める。

活気は元からある方ではないが、今朝の俺はいつもより瞳に生気を感じない。

もちろん、月曜と呼ばれる魔の日に辟易としている事も原因の1つであるが、やはりこの瞳に宿る憂鬱感は先日の件が関係しているのだろう。

 

車内での小さな亀裂。

 

あの日、車内で冷静さを少し欠いた2人の大人は、どこか吐き出すように本心を吐露していた。

 

 

 

 

『…ホントに鈍感。なにも分かってないし、約束も守らないし』

 

冷たく、重く。その言葉は彼女の口から嫌悪感を隠すことなく伝えられる。

 

『…。鈍感であることに反論はないが、俺は充分に分かってるつもりだ。それに約束は破らん』

 

同様に、なにも心当たりのない俺の返事も冷たかったことだろう。

 

『あっそ。そう思ってんならそれでイイんじゃない』

 

分かってもらいたいならちゃんと言葉にしてくれ。と口に出そうになるがそれを収める。

 

『……はぁ。俺、なにか悪いことしたか?』

 

『…っ。…それを…、それを分かれって言ってんの!!』

 

車内に響く、少しだけ張り詰めた大きな声。

それ?それってなんだよ…!

 

そんな曖昧な事を言うなら、俺にだっておまえに聞きたいことがある…。

 

それを聞いてしまえば…。

 

それを疑ってしまえば。

 

俺は冷静で居られる自信がない。

 

 

『…おまえこそ、俺に何か言う事はないのか?』

 

『…は?』

 

 

先週の休みに同窓会と嘘をついて、俺じゃない他の男と出掛けていたんじゃないのか?

 

昨日だって、本当に由比ヶ浜たちと飲んでいたのか?

 

ここ最近、おまえがこんな風に不機嫌になるのは……。

 

何か俺に隠し事があるからじゃないのかよ?

 

 

言ってはいけない言葉の羅列が頭を支配する。

 

言わまいと決めていても表情筋が頬の重さに耐えられなくなる。

 

 

浮気…、してんじゃないのか?

 

 

その一言を。

 

俺は心の深くにしまうように息をゆっくりと飲み込んだ。

 

飲み込むと同時に、頭に並んだ言葉を隅に追いやる。

 

気付けば潤んだ彼女の瞳を横目で見ながら、俺はまたもや自分を騙すように本心を隠した。

 

 

『…悪い何でもない』

 

 

 

.

……

 

 

 

 

ガタンと、電車の連結部から金属音が聞こえる。

ふと、車内の伝言掲示板を見ると、次駅に会社の最寄駅を表示していた。

 

今週から始まるプロジェクトの打ち合わせは確か今日の午後からだ。

 

タスクが詰まりそうなると嫌な気分になるが、今は多量の仕事に身を置いて、考える事を辞めたい気分である。

 

 

…あぁ、呆れちまうよ。

妻から逃げて仕事に没頭しようとは。

 

 

 

 

 

 

で、なんて事ないプロジェクトの打ち合わせがあっさりと終わる。

 

計画書に納期までのタスクスケジュール、それに契約関係書類の準備と、今夜は帰れないなぁ…、なんて思ってたのに、気付けば17時の定時を迎える前に全てが完成。

 

あらま、俺ってば要領が良すぎ〜。

 

飲み会の出席率とかは悪いのに、仕事が出来ちゃうって、俺、どこのなろう系?って感じだわ。

 

はぁ…。

 

何回目のため息だろうか。

 

タバコも吸わないために不満を吐き出す手段を持たないわけで、俺は今の今まで家庭内の不満ってやつを貯め続けてきた。

 

いや、不満なんてものを今まで持ってきたことは一度もないか…。

 

可愛くて優しい妻に、幼くもしっかりとした娘。

 

俺には勿体ないくらいに素敵な家族だ。

 

……。

 

…そう。勿体ないくらいに。

 

 

「……俺みたいな根暗で捻くれたヤツより、浮気相手の方が…」

 

 

と、小さな呟きがデスクに落ち掛けたとき

 

ブルル、と。

 

スマホがメッセージの受信を知らせるように震えた。

 

 

ーーーーー葉山

 

今夜、飲みに行かないか?

 

ーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

ーーーー☆

 

 

 

 

 

「乾杯」

 

「…ん」

 

 

小気味な音を立てて打つかるジョッキを片手に、俺は職場から二駅離れた安酒屋のカウンター席に腰を下ろしていた。

 

 

「で?急に呼び出してきた理由はなんだよ?根暗で捻くれた俺を嘲笑いに来たの?そうだったらまじで喧嘩するよ?もしくは明るく振る舞えるような秘技を教えろよ」

 

「な、なんだよ。一口で酔ったわけじゃないだろ?急に辛辣だな」

 

 

てめぇの性格と顔が俺の想像する浮気相手と丸被りしてるからだろうが。察しろよ。

 

 

「…察したか?そういう事だ」

 

「え!?す、少しは分かるように教えてくれないか?」

 

 

だよな。

ちゃんと言葉にしなきゃ伝わらないよな。

おまえ、ウチに来て同じこと言ってくれ。

 

 

「…まぁ、なんでもいいけどさ」

 

「なんなんだ…。まったく…」

 

 

呆れるように、葉山はジョッキを持ち上げる。

俺のジョッキに残るビールが少ないことをチラリと見るや、店員を呼び止め生ビールの注文を爽やかにやってのけた。

 

 

「…おまえは、そうやって女を落としてきたのか?」

 

「ぶっっ!?な、ど、どうしたんだよ!?変なことを…っ、あ、すみません」

 

 

珍しく慌てた様子を見せる葉山は、思わず飲んでいたビールを少し吹き出すと、カウンター席の隣に座っていた若い女性の2人組みにおしぼりを差し出される。

 

葉山に気があるのであろう2人組みに、やんわりとした笑みを浮かべる葉山の表情は昔より感情的……、いや、嫌悪感とかじゃなく、人間味があるみたいな?そんな感じであった。

 

 

「…そういえば、おまえってウチの嫁を女避けに利用してたよな」

 

「ぐ…。だ、だから、その件は前にも話し合ったろ?優美子だって、ただ俺の容姿が好みだっただけで、結局はキミを…」

 

「…中身の良さ。性格の相性。…アイツは俺のどこを好きになったんだろうな」

 

「……」

 

 

あいつの隣に居るのは俺だ。

ただ、俺があいつの隣に釣り合っているのかは別の話。

身内びいきではないが、ウチの嫁は可愛いし優しい。

そんな彼女を好きになる男なんてごまんと居るわけで。

そんな人気者と将来を誓った俺は、ほんの少しだが劣等感を覚える。

 

もちろん、劣等感なんてものは俺の勝手な感情で、あいつに限って俺を卑下した目で見てくるような事はない。

 

そんな事はないのだが…。

 

 

「なぁ、比企谷」

 

「あ?」

 

「バカは治るって聞くけど、捻くれは治らないものなのか?」

 

「…。それは、個人の努力次第だろ」

 

 

途端に真面目な表情で変な事を聞いてくる。

結構前に注文した焼き鳥がようやく届くも、葉山がそれに手を付ける様子はない。

 

 

「それなら、キミも努力するべきだ」

 

「…」

 

「はは、やっぱり羨ましいよ。比企谷は欠点が分かりやすい。直すべき所が沢山ある」

 

「なに?やっぱり喧嘩売ってんの?」

 

「それなのに、雪ノ下さんも、結衣も、いろはも…、そして優美子も。皆んながキミに惹かれていくんだ」

 

「…妻子持ちに変な事を言うな」

 

「少し、意地悪な事を言っていいかい?」

 

「…?」

 

 

やはり人間味のある表情をする。

高校生の頃には見せなかった表情だ。

 

数秒、気持ちの悪い空白が流れた後に、葉山はイタズラに悪い表情を浮かべながら、さらりと爆弾を投下した。

 

 

 

「この前、優美子から誘われて2人で会ったんだ」

 

 

「……は?」

 

 

「今日はその報告をしようと思ってね」

 

 

「……」

 

 

再度流れる空白の時間。

葉山は言葉をしっかりと伝えるなり、俺から顔を逸らしてジョッキに手を掛ける。

無論、俺にはその空白を埋める術はない。

気付けば、隣に座っていた女性の2人組みも、剣呑な雰囲気を察してこちらから目を逸らしていた。

 

察するのは苦手だ。

 

伝えてくれなきゃ分からない。

 

でも、それが傲慢であり、俺の身勝手な考えであることも理解している。

 

ついでに言えば、葉山の真意も理解しているつもりだ。

 

 

「…ウチの嫁が、おまえなんかに落とされるわけないだろ」

 

「ははは。そうかい?顔は良い方だと思っているけど」

 

「顔だけだ。中身は何の味もしないもやしみたいな人間」

 

「そ、それは言い過ぎだよ…」

 

「……相談されたんだろ?」

 

「…もう少し、慌ててくれると思ったけどね。うん、その通りだよ」

 

 

葉山は嬉しそうにジョッキを傾ける。

ようやく焼き鳥に手を伸ばしたと思えば、それを食べやすく丁寧に串から取り分けていた。

一つ一つの行動がムカつく奴だ。

 

嫌な想像を浮かべる。

 

アイツが、俺の知らない誰かに取られて遠くへ行ってしまう想像。

 

背中越しに伝わるのは、俺への未練を一つも感じさせない素直な笑み。

 

哀れにも、その背中を眺めるしかできない俺に、アイツは一度だけ申し訳なさそうに振り向いた。

 

その表情を確認するのが怖くて、俺は俯きながら地面の凹凸の数を数える。

 

どんな顔をしてるんだ?

 

嬉々とした清々しい表情?

 

嫌悪感に満ちた笑み?

 

それともーーーー。

 

 

「…もし、アイツが浮気してて、その相手がおまえだってんなら対処は簡単だ」

 

「…どうする気だい?」

 

「おまえを殺して幕張の砂浜に埋める」

 

「あ、あはは。それは少し冗談が過ぎるな…」

 

 

本気だよ。と、小さく呟きながら、俺は葉山が取り分けた焼き鳥を一つ口に放り込む。

少しばかり俺から身を遠ざける葉山は呆れたように溜息を吐いた。

 

 

「はぁ。それだけ愛情を表現できるのに、どうして彼女は悩んでいるんだろうね」

 

「…知らねえよ。教えてくれねえもん」

 

「お互い様だ。キミも伝える努力を怠っている」

 

「………。は?めっちゃ伝えてるし。毎晩毎晩、アイツが寝た後に少し小さい声で大好きっていつも言ってるんですけど?」

 

「…起きてる時に言ってやれよ」

 

 

恥ずかしいだろうが!言わせんなバカ!

娘も居るんだよ!?両親が好きだの愛してるだの言い合ってる姿を見たいと思うか!?

ちょっとは考えろよな!?

 

俺は乱暴にジョッキを傾け、ビールを胃に流し込む。

 

まだ3杯目だと言うのに、少しだけ頭がボヤボヤとしてきてしまった。

 

慣れないボーイズトークに当てられたか?

 

 

「バカバカバカバカ!おまえは恥じらいを知らないバカだから…。俺みたいな日陰もんは好きだとか口に出すと背中が痒くなるんだよ。バカめ!」

 

「ははは。バカでも、俺はいつも正しいんだ。正しいことしか言えないからね」

 

 

 

葉山は腹を抱えながら笑い声をあげた。

 

居酒屋の雑踏に混じって、酔いに任せて吐露した俺の暴言はゆるりと消え去る。

 

隣で聞き耳を立てていたであろう女性の2人組みは、ひそひそと笑いながら俺達の姿を見つめていた。

 

キミらくらい若いとね、妻子を持つ男の純情な悩みは理解できないだろう。

 

なんならガキの頃より、大人になった方がコーヒーを甘口で飲みたくなるもんなの。

 

 

 

 

 

「ねぇねぇ、あの人たちってどっちが受けなのかな?」

 

「イケメンの方が受けに決まってんじゃん!」

 

 

 

 

 

……そんな難題に頭を悩ますのはやめなさい。

 

 

 


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