呼び鈴が鳴ることもなく玄関が開いた。大地がコンビニの袋をぶら下げつつ靴を脱ぎ散らかして上がって来る。
「いやぁ、最近あゆむ女っぽくなったけど部屋だけは相変わらずだな!いや、実際女になったんだけど」
落ち着くぜ、と笑いながらどっかと腰を下ろす。どうせ散らかってますよと俺は寝転んだまま応接をした。なんとなしにつけっぱなしのテレビの音を聴きながら、大地がゴソゴソと買ってきたカップ麺の蓋を開ける様を眺める。
「おいあゆむ、腹出てる。風邪引くぞ」
パジャマにしている大きめのTシャツから少しはみ出たヘソを掻き毟りながらあくびをひとつ。実は少し寝不足気味なのだ。大地が来る少し前に目が覚めて、今日は洗面台とトイレにしか立っていない。
「もう暖かいから平気だよ。むしろ暑いくらいだし……て言うかさ、風邪ってウィルスじゃん?どうして体冷やすと風邪引くことになってんだろうね?」
「おいあゆむ!それを言うと日本医師連合会が変な注射を打ちに来るぞ!」
青冷めた表情でアホなことを言っている。まだ昼前だって言うのにテンション高いな。悪いが俺は寝起きなんだ、お前の猿芝居に付き合う元気はまだない。
「そりゃ困る。俺、注射って苦手なんだよ。献血が趣味の大地と違って」
「献血はいいぞ!あの後全速力で走るとくらくらするんだぜ!?」
何が良いのかちっともわからん。痛いことは嫌だ、怖いことは嫌だ。そして嫌なことは起こって欲しくない。俺はドMなお前さんと違って正常な神経を持っているのだよ。
俺も朝飯前、もとい昼飯は食べてない。腹減ったなぁとか考えつつ大地のカップ麺に狙いを定める。飯をたかりに来てもどうせ何も無いと知っているからこいつはいつも何か買ってくる。それが今日はカップラーメンだったと言うわけだ。
「大地来るのいつぶりだっけ?」
俺の呼び掛けに大地は、やかんに火をかけながら一週間ぶりくらいじゃねーのと答えた。これまでは週に五日はこいつが部屋に入り浸っていたのだが、ここ最近ーー女になってからーーはその頻度が極端に減った気がする。
「いやぁ、ここ最近忙しくてな」
「忙しいって何が?」
「まぁ、色々と」
お湯が沸くまでの間、大地は一緒に買ってきたおにぎりをモグモグやっている。どうせなら俺の分も買ってきてくれればいいのに。
「……昨日とかは何してたんだよ?」
「昨日?友達と飯食い行ってた」
俺は腹の中で少しムッとした。
『女友達』との間違いだろ。いや、間違いではないかもしれないけれど何故隠す。そんで飯じゃなくてパンケーキだろ。そいつって本当にただの友達なのか?お前、女と甘いもの食いに行く趣味あったっけ?
問い詰めたい気持ちをグッと飲み込む。やかんがピーッと甲高い声を上げた。大地はザブザブと熱湯を注ぐ。いつもと変わらない。大地の振る舞いはいつもと何ら変わりはない。
「あゆむは昨日何してたんだよ?」
「俺も友達と飯食いに行ってたよ。その後ぶらぶらして、ウィンドウショッピングして……」
「あ、あゆむごめん箸貸して。あの店員、割り箸入れ忘れやがった、ちゃんと言ったのに」
大地は許可を出す前に箸を取り出してラーメンをつつき始めている。自分から質問しといて全然聞いていやがらない。これもいつものことだ。一発尻に蹴りでもいれれば、いつもの日常とかわりない。
でも俺は寝そべったまま何も文句を言わなかった。
「めっちゃいい匂いする。一口ちょうだい」
「やらん!」
「クソケチ野郎め!じゃあ箸返せ!手掴みで食え!」
大地はラーメンを隠すように身構えながら言う。
「あゆむよ、女としてもっと慎ましやかな言葉遣いとおおらかな心遣いを心掛けるべきだぞ!」
いつもなら飛びかかって、箸を奪って、麺を半分くらい頬張ってやるのに、今日の俺は寝そべったままだった。腹がいっぱいなワケじゃない。起き上がるのがめんどくさいワケでもない。でも寝転がったまま大地を視界の端に捕らえるだけ。
「……大地それよく言うけどさぁ、お前俺に女らしくなって欲しいわけ?それとも男のままでいて欲しいわけ?どっちなんだよ」
「何べんも言うが俺は一日でも早くあゆむに男に戻ってほしいんだぜ。たださぁ、表向きには女として振るまわなきゃいけないんだから、俺といるときに油断しきっているとボロが出ちまうかもしれないだろ?」
もっともらしいご忠告。確かに大地の言う警告は的を得ているし、俺自身もそれが間違っていないとは思うが、なんとなく腑に落ちない。言葉のどこかに大地の真意ではない何かがある気がしてならないのだ。
「……なんかあゆむ、今日元気ない?ラーメン一口 食う?」
お湯を入れてまだ三分も経っていないし、別に元気がないワケじゃない。少し胸焼けがするだけだ。食い過ぎや飲み過ぎのせいじゃない。ただ、少し食欲はなくなった。
いらんと答えると大地は怪訝そうに麺をすすった。
「……大地さ、俺ずっと聞きたいことがあったんだけど」
相変わらず俺は仰向けに天井を見つめながら、大地を見もせずに口を開く。
「なんだよ?」
『俺が女になってどう思う?』
今まで何度もした質問だ。似たニュアンスの問い掛けも何度もした。その度大地はいつもこう応える。
『俺はあゆむに男に戻って欲しいと思っているよ』
今しがた同じ言葉を耳にした。でも、俺が求める答えはそういうモノじゃない。もっと言えば、俺が聞きたいことはそんなことじゃない。
『俺が女になって……男の頃と比べて今の俺をどう思う?』
その言葉が喉元を滑り出ていけば如何に楽であろうか。いや、如何に苦しいであろうか。いつからこんなことを考えるようになったんだろう、きっと昨日なのだろう。大地が女と一緒にいるのを見てからだろう。
……いや、もっと前か?いつからだ?考えてもきりはない。何か大切なことを忘れている気もするし、そうじゃないかもしれない。そんな胸につかえるモヤモヤは、こんがらがってさらに濃いもやを立ち込めさせている。
溢れ出る思いは栓のきつく閉まった瓶の中でグラグラ暴れるばかり。
俺んちに来る回数が減ったのは俺が女になったからか?女友達と遊んだことを秘密にするのは俺が女になったからか?女らしくしろって言うのは、俺が女になったからか?聞きたいことは山ほどあるのに、冗談混じりにそんなこと簡単に聞けるハズなのに。
言葉にするのはとても難しい。とても怖い。答えをはとても痛いかもしれない。きっと大地は俺の問いに、男の頃と変わりなく好きだなんて応えるだろう。あゆむはあゆむなんだから、と。そして多分俺はその言葉を信じることが出来ないだろうから、だから怖くて口を開けない。
俺はーー口が避けても言えないがーー大地を親友だと思っている。大地も俺のことをそう思っていてくれている、と思っていた。少なくともこれまでは。
大地は今も変わらず俺の親友なのだろうか?
どうして大地は女らしくしろなんて言うんだ。『俺の前ではこれまで通り男として振る舞って良いんだぞ』って言ってくれないんだ。
……俺のことを嫌いになったのだろうか。
「どうしたあゆむ?なんだ、聞きたいことって?」
俺が大地に対してここまで臆病になったのも性別が変わったせいなのだろうか?それともこれが俺の本当の気持ちなのだろうか?
大地に対する言葉を選ぶようになったのは、どうしてだ。
「……ラーメンって何味が好き?」
大地は不思議そうに豚骨だと答えた。
もちろん俺はそんなことは知っていた。