「見てくださいあゆむさん!すごく大きな滝ですよ!」
人里離れた山奥でくろちゃんの言う通り大きな滝が轟音を奏でている。僅かな飛沫が涼しげな空気を更に潤して、もう六月に入ろうと言うのに肌寒いくらいだった。
「おぉ、これ修行とかできるんじゃねえの?あゆむ、ちょっとうたれに行こうぜ」
ひとりで行きやがれ。大地は相変わらずアホそうにそんなことを言っている。まるで先程まで死んだように遠くの緑を眺めていた車酔い野郎が嘘のようだ。
俺達の住む街からおおよそ二時間車に揺られ、辿り着いたキャンプ場には既に何組かの宿泊客がおり、閑散とした雰囲気はないがやはりどこか落ち着いた空間が広がっている。
「水がとても冷たいわ。もう少し暖かかったら泳げたかもしれないわね」
弥生さんは指先で川の澄んだ水を転がしながら言った。決して都会に住んでいるわけではないが、こうやって日常とは少し離れた環境と言うのも悪くはない。小さな頃は家族で旅行やらキャンプやらよく行ったものであるが、ある程度年を取って自然と触れあう機会が減ったから、たまにはいい気分転換だ。
ひとつ懸案事項があるとすれば、この面子はいささか特殊というかなんと言うか、ただでおさまりそうにない気がしてならない。
そもそもなぜこんな場所に俺たちがいるのかと言うと、それは2日前のキッチョムのこんな提案が引き金なのであるがーー
2日前。
「鈴木、キャンプいこうや!」
キッチョムは学内で俺を見つけるや否や、こちらが挨拶をするよりも先にそんなことを言い出した。
俺は中庭のベンチでくろちゃんと仲良くお喋りしていたのだが、そんなことをお構いなしに話って入ってきた中年男は下心見え見えの笑顔で更に続ける。
「せっかくのゴールデンウィークやし、何人かでバーベキューとかして遊ぼうや!俺肉食いたいんよ、良い場所知っとるし、俺が車出すから!」
今日はゴールデンウィークの中日で、確かに俺はこの休みに特これと言った予定は入っていない。くろちゃんもつい昨日帰省から戻ってきたばかりで、あと3日残した休日は暇だなんて話していた。なんとタイミングよくお誘いの言葉をくれることであろう、喜んで明日以降の日程を確保することにしたい。誘い主がこいつでなければ。
「えぇ……なんか嫌だ」
「な、なんでや!黒川ちゃんはどう?行きたいよな?」
「えっ!?わ、わたしのことご存じなんですか?」
「知っとるもなにも、俺の講義受けとるやん?可愛い子は全部チェック済みやで!」
「おい、くろちゃんに変なことしてみろ。歯と目玉だけじゃ済まさんぞ」
「こ、こわいわ!なんもせぇへんって!」
くろちゃんの保護者(仮)としてこいつからはなるべく遠ざけて起きたかったが、キッチョムの変態性を見余っていた。俺としたことが……
「せっかくの休みなんだから家族サービスしろよ。奥さんと娘さんと行きゃ良いだろうが」
キッチョムは目元まで隠れた長く鬱陶しい前髪を更に伸ばして呟く。
「嫁さん実家に帰ってしもうてん……」
急に暗くなるなよ、気不味い雰囲気になっちまっただろうが。
まぁ、理由は聞かなくてもわかる。こいつのスケベ加減に嫌気がさしたんたろう、自業自得だ。しかしまぁ、30過ぎのおっさんが肩を落とす姿はなかなか精神的に堪えるものがある。くろちゃんもおろおろと俺とキッチョムの顔を交互に見渡しながら狼狽していた。
「……寂しいねん」
じゃあ奥さんのところ行って連れ戻してこいよと言いたかったが、とても言える空気ではない。俺は苦々しく首を縦に振った。
「よっしゃ!弥生も誘ってあるから鈴木は早乙女誘っといて!」
キッチョムは一転表情を明るくして去っていった。
大地と弥生さんか……できれば会わせたくない組み合わせだな。あぁ、情に負けてとんでもないことを承諾してしまった気がする。
「……早乙女さんもくるんですか。望むところです」
くろちゃんが隣で冷たい目元をギラリと光らせた。あぁぁ、まったくとんでもないことを引き受けてしまった。
回想終わり。
「おうくろちゃん!来てみろ、多分お前じゃこの辺り足までつかねえぞ!」
大地は膝まで川に浸かってテンション高めに叫ぶ。
「何言ってるんですか早乙女さん、つくに決まってるじゃないですか。早乙女さんこそちょっと頭まで浸かってみてください。そのまま上がってこなくて良いので」
なんだか既に険悪な雰囲気だ。二人とも笑顔を保ってはいるが、なんとなく邪悪なオーラが俺には見える。それにしてもくろちゃんがこんな毒を吐くとは……
「それにわたしのことをくろちゃんと呼んで良いのはあゆむさんだけです。気安くその名を口にしないでください」
あぁ、笑顔が怖い。
「ほら、みんな川遊びも良いけれどバーベキューの準備をしましょう。吉良先生が炭にまみれてる姿は結構見物よ」
弥生さんの助け船でなんとかこの場から逃げ出す。しかしどんなところにいても画になる人だ、多少ボーイッシュな格好をしてはいるが、さすが去年のミスキャンパスなだけはある。彼女の変人具合を知っている俺から見ても、やっぱり見とれる程に美人だ。
「俺、生まれが田舎やからよくこうやってキャンプなんかしたもんやけどみんなどうなん?」
学生チームはあまりその経験はなく、誰も火の起こし方もわからない。その返答を聞いてキッチョムは得意気になった。
「なら俺の華麗なるアウトドアっぷりに惚れてしまうかもしれんな!」
それはねぇよ。
大地もくろちゃんもキッチョムが炭を焼くのを感心しながら眺めている。二人とも根が純粋だから、子供のように目を丸くさせてその作業に見いっていた。
その隙をつくように俺は弥生さんの隣で小言を漏らす。
「……弥生さんもよくこんな誘いに乗りましたね」
「そう?楽しいじゃない。あたしって友達いないからこうやってみんなでわいわいするのって憧れてたの」
「俺は既に不安で一杯ですよ」
視界の端でキッチョムと大地、くろちゃんは楽しそうに談笑しているが、やはりどことなく不穏な空気は拭いきれない。どちらかというと大地は何も気にしておらず、くろちゃんが一方的に大地を敵対視しているようだが、恐らくその責任の一端は俺にある。だからこそ俺が何とかしなければならないとは思うし、溜め息が出る。
「それは早乙女くんと黒川さんのこと?それともあたしと早乙女くんのことかしら?」
流石弥生さんだ俺の考えていることなどお見通しだと言わんばかりにふふふと笑う。
「これを期にみんな仲良くなればいいじゃない?」
簡単に言ってくれる。いや、彼女ならそれを簡単にこなしてくれるのかもしれないなんて思わせてくれるから不思議だ。
「あぁっ!キッチョム先生!軍手が燃えてます!」
「うわっほんまや!」
「そ、その燃え方ちょっとヤバイだろ!キッチョム川に飛び込め!消火しろ!」
大地の言葉に促されてキッチョムはずぶ濡れになった。みんなで大笑いをするなか、キッチョムがいてくれて本当によかったと珍しく思ったものだった。