女子化日記   作:こぞう

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21.塞翁が馬

 

 ひたすら酒を飲み、夜はロッジでの飲み会。そんな大学生冥利につきるゴールデンウィークの終わりが見え隠れする人里離れた山の中。俺は大地の隣で良い感じに酔っぱらっていた。他のみんなも次第に頬を赤らめて、周りの声なんか聞こえていない様子だった。この期を逃すまいと小声で大地に話しかける。

 

「一事はどうなることかと思ったけど、取り合えず大きなトラブルもなくて安心したよ」

 

「トラブル?なんかあったのか?」

 

 大地はキョトンとした表情で俺を見つめていた。俺は更に声を潜める。

 

「お前のことだよ。弥生さんやくろちゃんとひと悶着あるんじゃないかと思ってた」

 

「なんのことだよ。弥生先輩はまだしも、くろちゃんとは別になんもないだろ」

 

 やはりこいつはくろちゃんの敵意に気付いてないらしい。それならその方が良いのだが、やはり弥生さんとの折り合いはよろしくないようだ。

 

「やっぱなぁ、弥生先輩はなんとなくいけすかねぇな。どうにも俺達と一線をひいてる感じがする」

 

 俺としてはみんなで仲良くしてもらえればそれが一番良いのだが、なかなかうまくいかないものだ。弥生さんは大地と仲良くなりたいとそう言った。だから俺に出来ることは何なのか考えてみたが、何も良い案は思い浮かばない。結局は大地の心ひとつなのだから俺の出る幕はなにも思い当たらなかった。

 

「弥生さんも話せばお前と気が合うと思うんだけどな。言わば食わず嫌いだよ、大地の」

 

 くろちゃん、キッチョムと不毛なトークを繰り広げる彼女を横目に溜め息を吐く。何度も自分に言い聞かせたように、あとは大地の心を開かせるしかないのだとわかっている。しかし、どうもうまくいかない。俺が二人の間に入ろうとしても大地はそっぽを向いてしまうし、その度に弥生さんは苦笑いをするだけだ。

 大地は腑に落ちない顔で酒をちびちび飲み、俺はなんとなく少し寂しくなった。

 

「ちょっと夜風を浴びに行ってくる。酔っちゃったみたいだから。キッチョムも酔っぱらいすぎだろ、一緒に来いよ」

 

 そう告げてロッジをあとにする。川のせせらぎが静かに鼓膜を満たし、涼しげな風と微かな虫の音が闇を支配していた。

 

「なかなかうまくいかないもんやな。別に早乙女や弥生を責めるわけじゃないけど、こうも警戒されると突破口が見えんわ」

 

 振り向くと背後でキッチョムがタバコをふかしていた。

 

「なんだ、やっぱりお前もそういうとこ気にすんだな。でもあんまりくろちゃんに飲ますなよ」

 

 くろちゃんが無理に飲めない焼酎を飲みーーとは言ってもすごく薄めてはあるのだがーーそれをキッチョムが煽る。弥生さんが心配そうに制止するのも聞かずにくろちゃんはグラスをはなそうとはせず、俺が止めても大丈夫ですと涙目で笑っていた。

 

「か、仮にも助教授に向かってお前とか言うなや。別に飲ませとらんよ、それに酔っぱらった方が早乙女とも仲良くなれるかと思って」

 

 キッチョムからも大地とくろちゃんの間の溝は見えているのだなと溜め息が漏れる。

 

「でも俺も調子に乗りすぎた。酒は楽しく飲まなあかんな」

 

「わかれば良いんだよ。だけどキッチョム死ねポイントは10追加だ」

 

「な、なにその物騒なポイント制度!?」

 

 ぶつくさ言いながらも、俺とキッチョムがこうやって立場を越え、失礼なことを言い合える仲であることはきっとお互い納得していることなのだと思う。俺の都合の良い解釈だと言われればそれまでなのかもしれないが、なんとなくこいつに心を許すことが出来るのはキッチョムも俺を許してくれているからなのではないかと思う。

 キッチョムは俺の隣に腰掛けながらさらりと言の葉を流した。

 

「今日はありがとな、俺のわがままに付き合ってもろうて」

 

 いつになくしんみりとキッチョムは呟く。

 

「なんだよ、らしくねぇな。こちらこそありがとうだよ、なんだかんだ楽しませてもらってる」

 

 俺もキッチョムの隣に腰を下ろした。

 

「そう言ってもらえると嬉しいわ。みんなでこうやってわいわいやるのって幸せやなぁ……弥生もこんな集まりに来てくれるとは、感慨深いで」

 

 弥生さんが?あの人はこんな飲み会好きなんだろうと思っていたが違うのだろうか。

 

「弥生もなぁ、大分丸くなったんやで。鈴木は知らんやろうけど、前はもっと人を近寄らせん感じがあったから。鈴木と付き合うようになってあんな楽しそうにしとるのを見ると不思議な感じや」

 

 美人は美人で色々苦労があるみたいやなとキッチョムは続けた。キッチョムの吐き出した紫煙をぼんやりと眺めながら、俺はキッチョムの言葉に耳を傾け続ける。

 

「弥生は人と交わるのが好きやなかったんよ。冗談も通じんかったし、なんか、常に傍観者と言うか……あんまり人の輪に入ろうとせんかった。鈴木には申し訳ないけど、お前にこんな特殊な出来事があって、それに対する興味で最近はすごい楽しそうや」

 

 キッチョムはそう言って笑う。

 俺は以前弥生さんが言っていた言葉を思い出していた。

 

『あたしは人を好きになれないの。男の人と男の人の関係にしか興味を持てないのよ』

 

 たしかそんなことを口にしていた。それは彼女があくまで傍観者望むから、だからそのような思考に至ったのではないだろうか。邪推かもしれないが、そんなことを考えている。

 主役になることを望まず、あくまで人と人との繋がりを遠くから眺める彼女。あの言葉にそんな意味が込められている気がした。

 

「じゃあ、俺が女になって悪いことばかりじゃないわけだ」

 

 キッチョムはまた大きくタバコを口に含む。揉み消した吸い殻を携帯灰皿に仕舞いながら川を眺めながら言葉をつづる。

 

「人間万事塞翁が馬……って言葉知っとるやろ?鈴木は自分で気付いてないやろけど、お前が女になって悪かったことは、実はひとつもないんやで。あくまで俺の主観やけれど」

 

 その言葉に俺は少し救われる。確かに大変なことがたくさんあったけれど、おかげでくろちゃんとも出会えたし弥生さんとも仲良くなれた。そう考えれば決して悪いことばかりでなかったのかもしれない。

 なんとなく照れ臭くなって俺は話題を逸らそうとした。

 

「ところで奥さんのこといいのか?早く仲直りしろよ」

 

「嫁さんが実家に帰ったって言っても、別に喧嘩してるわけやないで」

 

 キッチョムは飄々とそう言った。俺はクエスチョンを浮かべながら訪ねる。

 

「へ?実家に帰ったってそういうことじゃないの?」

 

「いや、今度子供生まれるねん。だから実家帰ってるんやわ。俺がおっても気を使うだけやから、安定期の今は嫁さんの実家に立ち寄らないようにしてるだけやで」

 

 初耳だ。素直に祝福の言葉が漏れる。

 

「そうなのか、おめでとう。二人目?」

 

「いや、一人目。ちゃんと言ってなかった俺も悪いけど、今まで言ってた娘って言うのはまだ嫁さんの腹の中におるんよ、楽しみすぎて話に出してしまうこともあるけど。一応安産祈願のお守りも持っとるよ。赤ちゃんできたってわかってから、肌身離さず持っとるんやわ」

 

 キッチョムは懐から小さなお守りを取り出すと嬉しそうに笑った。いつもふざけてばかりのこいつだが、こうやって真面目な話をしていると尊敬できるところがたくさんあるなと俺も口元が弛んだ。

 このキャンプに着いてくるに至った俺の同情を返せと言いたいところだが、おめでたい話なのでそんな無粋な真似はするまい。お互いにほどよく酔っぱらっているし、別に腹が立った訳でもないし。

 そんなことを話しているうち、遠くから俺達を呼ぶ声がした。

 

「こんなところにいたのね。吉良先生、黒川さんが酔い潰れて寝てしまったんですけどそろそろおひらきにしませんか?」

 

 弥生さんと大地が二人でこちらに歩いてきた。二人しているところを見るのはこれが初めてではないだろうか。もしかしたら間がもたずにこうしてやってきたのかもしれない。

 

「マジか、じゃあ俺が添い寝してやらんとやな!」

 

 さっきまでの穏やかな笑顔もどこえやら、ただのスケベな笑みを張り付けたいつものキッチョムだ。なんとなく俺にはこの方がしっくりくる。

 

「あんま調子乗んな!」

 

 いつもの感じでキッチョムにチョップをお見舞いする。キッチョムは大袈裟にリアクションを取り、わざとらしく川原に転がった。

 しかし、その時キッチョムの手元からお守りが滑り、大きな弧を描いて流れる清流にのまれていった。

 

「あっ……」

 

 しまったと思った。

 調子に乗りすぎた。俺は血の気が引くのを感じ、とんでもないことをしてしまったと硬直してしまった。キッチョムも口を開けて動けないでいる。

 あんなに大切そうに持っていたお守りを、我が子の誕生をあんなに嬉しそうに待つキッチョムが、大事そうに身に付けていたお守りが俺のせいでこの流れの中に……

 一瞬は悠久を過ごしたかに思えた。しかし突然時間はまた動き出す。気が付くと弥生さんが走り出していた。濡れるのもいとわず、暗い川の中に波をたてて押し入っていく。

 ふと我にかえり、俺も思わずあとを追う。しかし駆け出そうとした刹那、肩を捕まれそれを制止された。

 

「やめろあゆむ俺が行くから!」

 

 大地が弥生さんの後ろから川に入っていった。弥生さんが何か叫んだ。大地はその言葉に頷いて川の中をまさぐっている。

 春も終わりを告げると言ってもまだ夜は肌寒い。濡れればそれなりに寒いし、風邪を引くかもしれない。

それでも二人は服を着たまま冷たい水の中で腰まで浸かっている。

 

「ここはあの二人に任せよ。お前はもう一回ずぶ濡れなっとるし、風邪治ったばっかりなんやから無理しなさんな」

 

 キッチョムが俺の頭にポンと手を置いた。俺は動けないまま水中を掻く二人を見つめ続けた。

 二人が川から上がってきたのはそれから10分ほど経ってからだった。

 

「すみません、見つけられませんでした……」

 

 弥生さんが頭を下げる。キッチョムは別にええよとあっけらかんと笑った。

 

「本当にごめん、キッチョム……ごめんなさい……大事なお守りだったのに……」

 

 申し訳なさで少し涙が出そうだ。キッチョムに対しても、弥生さんと大地に対しても。

 

「ほんと別にええって。神様信じとるわけやないし、二人の気持ちだけで腹いっぱいや。ほんとにありがとな。寒いやろ、はよロッジ戻ろ」

 

「……でも、娘さんのためのお守りだったんでしょう?」

 

 弥生さんも今までに見たことの無いような弱々しい表情をしている。大地は肩で息をしながらそんな弥生さんを見つめていた。

 

「ん?ちゃうよ。安産祈願のお守りならちゃんと持っとるもん。さっき飛んでったのは交通安全のお守り」

 

 キッチョムはポケットから、先程宙を舞い、川に流れていったはずのお守りを取り出す。

 おかしい俺は確かに見た筈だ、これと同じものが闇に飲まれていくところを。

 

「ほ、ほんとに?」

 

「そやで」

 

 俺と弥生さんは目を丸くして顔を見合わせた。大地は状況がよく飲み込めないといった怪訝な表情をしている。

 

「……じゃああたし達は濡れ損だったってことね、早乙女くん」

 

「なんかよくわかんないけど、そうみたいっすねックション!!」

 

 大地が大きなくしゃみをひとつ木霊させた。

 

「弥生先輩、早く戻って着替えましょう。こないだのあゆむみたいに風邪ひく前に」

 

 大地が弥生さんに向かってニカリと笑った。それはこいつが彼女に見せる初めての表情だった。少なくとも俺は大地がそんな風に弥生さんに接するのを見たことがない。

 何が起こっているかわからなくても、例え結果として彼女の行いが勘違いであったとしても、誰かの大切なもののために我が身をかえりみず必死になる姿、先程弥生さんが見せた行動は大地の心に少しの変化を促したに違いない。キッチョムは俺を見下ろしながらニヤリと笑い得意気に鼻を鳴らした。

 

「塞翁が馬やな」

 

 その含み笑いを横目に、俺は頭の中で渦巻くひとつの疑問に身を投じていた。

 出来すぎていないか?

 弥生さんはキッチョムの子供がもうすぐ生まれそうなことも、あのお守りがどれだけ大切な物なのかと言うこともあらかじめ知っていた。さっきすぐさま川に飛び入ると言うアクションを起こしたのはきっとそのためだ。だからそれを見つけることができなかったとき、あんなに悲しそうな顔を、勘違いだと気付いたときあんなに安心した顔をしたのだ。

 キッチョムがくろちゃんのキャパシティを越えた飲酒を止めなかったのも、そうすれば俺がヤツを外に連れ出すだろうと予想していたんじゃないか?くろちゃんがつぶれて二人が俺たちを呼びに来ることも、キッチョムの計算の上でのことだったのではないだろうか?

 なにより、俺はキッチョムをそんなに強く叩いていない。大袈裟に転ぶほどの力は込めていない。

 そして、弥生さんの自己犠牲の姿を目の当たりにして、大地がどう感じるかなんてお見通しだったんじゃないか?

 俺の考えすぎだろうか。しかし何故だか、俺にはそうは思えなかった。

 これはすべてキッチョムが描いた台本なのではないだろうか?

 

「じゃあさっさと戻って飲みなおそ!あ、俺は明日も運転やから麦茶飲むけどな!」

 

 キッチョムは普段通り軽そうに笑った。

 それを見ていると俺の疑念なんてどうでもよくなってくる。人間万事塞翁が馬、結果として良い方に転がったのだから良いではないか。俺は大きく伸びをして冷めた酔いを取り戻すことにするかと笑った。

 ……待てよ?明日の運転もキッチョムなんだよな?交通安全のお守りなくしちゃって本当に大丈夫かよ。

 

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