「これで良かったんだと思います。
だって、仮に大地と付き合ってるってことで押し通したとしてですよ?今後が困るわけじゃないですか。カップルの振りをずっと続けていくより、なんだかんだで丸く収めることができたんじゃないですかね?」
「……誰に対する言い訳をしているの?」
弥生さんは面白くなさそうにコーヒーを啜った。
いつの日か弥生さんに正体を暴かれた喫茶店には相変わらず他に客がおらず、マスターがカウンターでうたた寝をしていた。
弥生さんはまたコーヒーを口に運ぶ。
「確かに立花君のした事、キスを強要する行為は手放しにも褒められたものじゃないわ。あゆむちゃんや早乙女君の気持ちを全く考えていないもの。
そんな相手に、多少強引な手段を取るのは間違いではないでしょうね。戒め、とまでは言わなくてもはっきりとした物言いは、彼のそんな性格を知ったうえではベストだったんじゃないかと思う。
あれから1週間くらい経つけど、もう立花君からのアプローチはないんでしょう?」
「そうでしょう!?おかげ様であれ以来、立花のたの字もないですよ!」
以降、立花からの接触はない。もとより連絡先を交換しあっているわけではないから出会い用もないのだ。
幸いなことに夏休みであるから学校でばったり出くわす事もないし、今は悠々自適にだらだらと過ごしている。やはり懸案事項が減るのは良い事である。
緊張感は、日常には余り関わって欲しくない刺激だとの自論を結論に至らせる。
「で、早乙女君は?あれから何かあった?」
唐突な話題の転換に一瞬の間を置く。
「大地ですか?特に何も変わりないですけど……」
大地はちょくちょくうちに遊びに来るし、バイトでも一緒になる。別にこれと言って変わった事はないのだが……
その質問の意味が上手く理解できず、素直に言葉を返した。
「どうしてですか?」
アイスカフェオレに口を付けたところで、弥生さんの視線が鋭利に変わった事に気付く。
何というか、辛辣な眼差しが俺の眉間を刺していた。
「どうして……って、あゆむちゃん本気で言ってるの?」
彼女の表情は『怒り』を意味するのであろう。見慣れない彼女の感情に思わずコップを空にした。
その意味を探る。
言葉の真意は勿論、例の日を起因としている。話題は何も転換していなかった様だ。
確かに頭突きはやり過ぎたのかもしれないが、あいつに対する暴力は今に始まった事ではないしーーまぁそれ自体おかしな話ではあるのだけれどーー大地は今まで通りの振る舞いを俺に見せていたのだから、気にしようがなかった、とは言い訳か。
当初の計画通りにはいかなかったけれど、今し方弥生さんが言った様に結果オーライもオーライであるからそれで良いじゃないかなんて口には出せないでいる。それだけ弥生さんの瞳は真っ直ぐだ。
しかし、束の間の考察では彼女が提起した様な大地への心配事は何も思い当たらない。
業を煮やした弥生さんは口を開いた。
「早乙女君、あなたにキスをしようとして断られたのよ。その心情を察してあげるべきだと思うけれど」
「それもいつものことじゃないですか」
まだ浮かんだままのクエスチョン。
それにかかる弥生さんの溜息。
「これまでに、彼が実行に移った事はあった?」
答えはノーだ。
セクハラ紛いの言葉(あくまで男である俺に対してのもの)はかつて数え切れないほどあったけれど、実際に大地があそこまで接近してきたのは初めての出来事である。
だからこそ、俺も取り乱してしまったのだ。
弥生さんは続ける。
「今まで彼は、まず第一にあなたの気持ちを優先して動いていた様に、少なくともあたしには見えたけれど」
ストローを咥える。中身の無いグラスがズズズと鳴った。
「彼の行動はあゆむちゃんの為に、言わば追い詰められての行動だったんじゃないかしら?」
「いや、でも公衆の面前でしたし……」
だから拒絶するのは仕方なかったのだと胸をつねる。
二人っきりであんなシチュエーションになったとしても全力で拒絶するが。
「今議論すべきはそこじゃ無いわ。わかるでしょう?」
半分だけわかる。それが正直なところだ。
「結果としてキスを拒んだことに対するケアは必要だと思うわ。例えあゆむちゃんが相手だったとしても、彼に女性と口付けを交わす決心までさせたのだから」
弥生さんは至極真面目な声で言った。
やむを得ない状況であったとしても、男とキスをしろと言われれば俺は無論断るし、気持ち悪いとさえ思う。例えどんなに好きな人でも、実は男でしたと言われればキスなんて出来やしないだろうと思う。
大地の立場に自分を置き換える事はとても難しいが、ヤツの気持ちは察して余りあるところなのだろうと感じるのもまた事実だった。
「……そうですね、大地に謝らないとダメだと思います」
弥生さんの頬が少しだけ緩んだ。
「あなたのそういう素直なところ、凄く好きよ」
早乙女君にもあゆむちゃんにも、相手を思いやる心があるのだからと最後に付け加えられ、少しだけむず痒い。
「あぁ、そう言えば、黒川さんから連絡があったんだったわ」
其々飲み物のおかわりを注文した後で彼女は思い出した様に言った。
「もうそろそろ着く頃だと思うけれど」
言い終えたと同時に、小柄な少女が入店してきた。くろちゃんだった。
「いらっしゃい。丁度黒川さんの話をしていたところだったのよ」
くろちゃんは俺の隣の椅子に腰を下ろし、コーヒーを運んできたマスターにアイスミルクを注文し、お邪魔してすみませんと告げる。
「これから2人で遊ぶ予定でもあったんですか?」
「いえ、あゆむさんにお聞きしたいことがあって来ました」
それならば直接部屋に訪ねて来てくれても良かったものをと小首を傾げつつ、なんだかその表情が少しだけ曇っているのを見つめた。
「聞きたいこと?」
「はい」
真隣で彼女は俺をまっすぐ見つめる。
「先日、早乙女さんとキスをしたと聞いたんですけど本当ですか?」
思わずコーヒーを吹き出す。
口をぬぐいながら咳き込む喉の奥を鎮めようと努めた。
「な、何その話!?」
弥生さんは、あたしじゃ無いわよと無言で訴えていた。くろちゃんは溢れたコーヒーを拭き取る手を休めずに続ける。
「サークルの友達が、現場を目撃したそうで……」
「いやいやいや!してないしてない!その友達の勘違いだから!」
部分的な目撃証言なのか伝聞の不十分さなのか、兎にも角にも事実を否定する。
弥生さんも援護射撃をお願いします!
「そうよ、それは完全なる誤解。キスなんかしていないわ。あたしが保証する。
あゆむちゃんはキスを迫って来た早乙女君を拒絶したのよね?」
語弊がある!
もう一度言おう、語弊がある!
間違いじゃ無いけれど明らかに誤解を生む物言いだ!さっきまであんなに真面目な顔をしていたくせに、面白くなってきたと言わんばかりのその表情はなんだ!
「な、なるほど。わかりました、そうですよね。早とちりしちゃいました、すみません」
くろちゃんはほっと息を吐く。
俺も合わせて胸を撫で下ろす。なんとか誤解を生まずに済んだようだ。
「とりあえず早乙女さんを肉体的にも社会的にも消し去る方法を考えますね」
前言撤回だ!