大学生の午前はあっという間である。
午前中の講義を終えて、今日はまともに教授の話を聞き、尚且つ板書までノートに書き写したのだから格別の解放感がある。俺と大地は大きく背伸びをしながら講義室を後にする。大地の伸びは90分×2の充実した睡眠時間を満喫したためのものであり俺のそれとは意味合いが違うのだが。
「授業中に机の中から巨大なタコが出てきたんだよ。まぁ、夢だったんだけどさ」
講義中に奇声を発した理由を大地は説明している。なぜまともに授業中まともに起きていたことのないこいつの方が俺より試験の出来が良いのか毎度のこと不思議に思うのと同時に怒りが込み上げてくる。
「類は友を呼ぶって言うだろ?そのタコも大地のこと友達だと思って出てきたんだよ。このタコ野郎」
悪口のひとつやふたつも出てくると言うもんだ。
「その理論から言うと俺の友達であるあゆむもタコと言うことになるな」
誰がタコだこの野郎、失礼なやつめ。
「あゆむさん!」
不意に呼び止められ、駆け寄ってきたのはくろちゃんその人であった。先日の騒動以来俺と彼女は良好な隣人関係を続けている。
「あれ、くろちゃんこんにちは。大学で会うのは初めてだね」
「こんにちは!お見かけしたので思わず声をかけちゃいました」
小春日和にふさわしい笑顔である。その体には大きすぎるくらいのリュックサックをからってまるでピクニックにでも行くご機嫌な少女と言った感じだ。
「くろちゃん午後も授業?」
「はい、今日は3限まであるのでこれから友達と食堂に行くところです。あゆむさんもですか?」
少し離れたところで待つ大人しそうな女の子が彼女の友人なのであろう。その少女は先に行って席を取ってるねと小走りに駆けていった。
「いや、あたしは今日はもう終わり。これからどっかでお昼食べてカラオケにでも行こうかと思って。紹介が遅れたね、この人小学校からの友達で早乙女大地」
くろちゃんは軽くお辞儀をする。大地もよろしくと片手を上げた。
「あゆむのお隣さんって君のことか!これからもこいつと仲良くしてやってくれ!」
お前は俺のなんなんだとツッコミたくなったがくろちゃんの手前やめた。
「言われなくてもそのつもりですよ」
くろちゃんは笑顔で切り返す。心なしか笑顔が少し曇っているように見えた。
「すみません、友達を待たせちゃってるのでもう行きますね!あゆむさん、またメールしますね!」
くろちゃんは登場の時と同じように走って行った。
「いやぁ、話に聞いてた通り礼儀正しい良い子だな」
「そうだろ、お前とは大違いだろ」
「あゆむはなんでそう口が悪いんだ…………」
そんなの今に始まったことではないしお前以外には普通に接しているつもりだ。お前がアホすぎるのが悪いのだ。
「鈴木さんこんにちは」
くろちゃんと入れ違いに声をかけてきたのは弥生さんだった。
「あら、早乙女くんとお友達なの?」
意外そうな口振りで彼女は聞く。ドキリと胸の奥が跳ねた。大地は見るからに不機嫌そうな顔になり口をつぐんでいる。
「え、ええ、ちょっとした知り合いで」
「そうなのね。ところで早乙女くん、今日は鈴木くんとは一緒じゃないのね」
「あいつなら旅に出たんでしばらく帰ってこないと思いますよ」
「旅?どこまで?」
「ああーえっと…………たしか中南米のどこかに…………」
嘘を吐くならもっとうまく誤魔化せよ!脂汗が額からこぼれ落ちそうになる。しどろもどろな大地の挙動は明らかに不審である。
「てっきりあたしは早乙女くんに彼女ができて鈴木くんと疎遠になったのかと思っちゃった。あ、ごめんね鈴木さん、勝手に話を進めちゃって。知ってたかしら、早乙女くんとすごく中の良い男の子がいて、その人も鈴木あゆむって言う名前だったんだけど」
気が気でないどころではない。
俺は今どんな顔をしているのだろうか、恐らく笑顔がひきつって額には青い縦線が無数に走っていることであろう。
「すごい偶然よね、こんなことってあるものなのね」
弥生さんは屈託のない笑顔を見せた。
「す、すみません。あたし達これから用事があるので…………」
大地の手を引っ張り無理矢理に緊急脱出を図る。振り向くこともせずに一気に校門までの早歩きで息が上がった。
「…………危なかったな」
「だからいったろうが、俺はあの女のこと好きじゃない。あゆむもあんまり関わらない方がいいぞ?」
「いや、さすがに俺が女になったなんて想像はしないだろ。しかし冷や汗ものだったな」
思い出しただけでゾッとする。確かに彼女は聡明だが、鈴木あゆむと同姓同名の人間が大地と一緒にいることに疑問を持つのは弥生さんに限ることではないだろう。大地の言う通りこれからは二人に共通する知人との接触は極力避けた方が良いのかもしれない。
「おぉ、鈴木と早乙女。お前ら相変わらず仲良いなぁ」
キッチョムである。
ビクリと震えた背筋を直し胸を撫で下ろす。
「驚かすなよ」
大地も額の汗をぬぐった。
「なんでそんな焦っとるん?あ、わかった。鈴木の正体バレかけたんやろ。相手誰?」
「弥生さんだよ。やっぱこないだお前の飲み会についてったのは間違いだった、しね!」
「す、鈴木お前口悪すぎやろ…………。弥生かぁ、でも鈴木が女になったなんて夢にも思わんやろし気にせんで良いんやない?」
「その話は今したとこだ。やっぱそうだよな、バレてはないと思うけど…………」
「そいや早乙女は元々弥生のこと嫌いやったっけ?なんでなん?」
「あいつなんか物事見透かしてる感じがするだろ?俺はあいつにあゆむのことバレてると思うぜ。それに…………」
大地が口ごもる。2、3秒うつむいた後に言った。
「それにあいつ多分あゆむのこと好きだったからな。尚更あゆむのことには敏感なんだと思う」
「はぁ?」
初耳だ。いや、滅茶苦茶喜ばしいことなんだが、俺にしてみればその憶測は荒唐無稽すぎて喜びの感情など浮かんでこない。
「それはねぇよ、だって弥生さんは大地のことが好きなんだぜ?…………これも予想だけど」
「いや、それはないな」
キッチョムが口を挟む。
「俺も早乙女の説に賛成や。別に理由があるわけやないけど、何となくそう思うで」
なぜこの空間には確証のある発言がないんだ。腹立たしいが俺も人のことは言えないので口は閉ざしたままにする。
「そもそもキッチョムよ、お前もあいつに色々ひどいことされてんのになんで嫌いになんねぇんだよ?」
大地の疑問符が飛ぶ。
「ひどいこと?なんだそれ」
「ひどいことされたっけ?そうやなぁ…………そういや、焼き鳥の串を瞼に刺されたことあるわ」
衝撃的事実である。
「飲み会で潰れた振りして机の下から弥生のスカートの中覗こうとしてたのがバレたときやったっけ?いやぁ、あと0.1ミリ深く刺さってたら失明しとったわ」
「自業自得じゃねぇか!」
「ごめんキッチョム。俺もそれはキッチョムが悪いと思う」
大地もうなずく。
「な、なんやなんや2人して!少しくらい俺の俺の味方してくれてもいいやん!」
「いや、俺今女だし」
大地は女に興味ないし。
その時、携帯が振動した。再び背筋が凍る。メールの主は弥生さんだった。
『もしよかったら今晩2人だけで会いたいのだけれど、お暇かしら?』
P.S.早乙女くんには内緒でね。