指定されたのは人気のない喫茶店だった。初老の男性が一人で切り盛りしているようで、カウンターの向こうには様々なサイズや柄のカップが並んでいる。
一番奥のテーブルに弥生さんは既に座っていた。大きな振り子時計が7時55分を指している。約束の5分前だ。
「ごめんね、急に呼び出したりして。鈴木さんは何を飲む?」
彼女は半分ほど減ったコーヒーのカップを隅に寄せながらメニューを手渡して言った。俺はカフェオレを注文して1つ深呼吸をする。
「どうしたんですか弥生さん?なにかお話でもあるんですか?」
冷静を装ってはみるが内心は緊張で溢れていた。大地の言葉が思い出される。
『俺は多分あゆむのことバレてると思うぜ』
「いえ、たいした用事ではないのよ。ただあなたとお話がしたくて」
いつも見せる笑顔だ。しかし今この瞬間のそれは不思議と屈託に満ちているように思えた。
「そうね…………じゃあ単刀直入に言うわ」
彼女は表情を崩さず言った。
「あなた、鈴木あゆむくんでしょう?」
時計が8時を告げた。低い音が8回鳴り止むまで俺たちの間に静寂が流れた。
「なに言ってるんですか弥生さん。そうですよ、あたしは鈴木あゆむです」
あくまでシラをきる。
「名前の話をしているわけじゃないのよ、わかっているでしょう?でもあたしの質問の仕方が悪かったわね、じゃあこう聞くわ。あなた、本当は男でしょう?」
言葉を探す。
注文していたカフェオレが運ばれてきた。立ち上る湯気は俺の表情を隠すには薄すぎる。
「あたしは女ですよ。もしかして男に見えます?」
笑顔がちゃんと作れているかは疑問である。むしろ失敗していることに俺は気付いているのだが、焦るほど喉は乾いた。
「どこからどう見ても可愛らしい女の子よ。正確に言うと、以前は男性だった。そうね、少なくともこの前のサークルの飲み会までは」
笑顔は先程よりも尖っている。あぁ、こんなことならアイスカフェオレにするんだった。まだ4月も始まって間もないのに身体中が熱い。汗が自ずと噴き出してくる。
「お、男が女になるわけないじゃないですか。それともあたしがニューハーフだとか言いたいんですか?」
「ちがうわ、気を悪くしたのならごめんなさい。別にあなたを責めたい訳じゃないの。あなたが人工的に性転換したなんて思ってないわ、あたしはもっとなにか超常的な力が働いたと考えた方が現実的だと思っているけれど違う?」
あなたの言う現実的とは何なのか。そこにあるパラドックスに俺は言葉をつまらせながら熱いカフェオレを無理に流し込んだ。
「そ、そんなこと、常識的に考えてあり得ないじゃないですか。そんなにあたしとその鈴木さんってひと似てるんですか?」
「いえ、別に顔や背格好が似てるとかそういうことじゃないの。強いて言うなら雰囲気はそっくり。女の子の喋り方をしててもなんとなくわかるわ」
探偵にトリックをあばかれた犯人にでもなった気分だ。
しかしよく考えてみろ、俺はなにか悪いことをしたのか?完全犯罪を目論む殺人犯ならその推理を否定し続ける理由もあるってもんだが、俺は違う。むしろ迷惑してるくらいなのだから、何故こうやって必死になる必要があるのだろうか?
「…………そう思うに至った決め手はなんですか?」
「女の勘」
まいった、お手上げだ。この手は理詰めで納得させることが出来るタイプではない。深く溜め息を吐いて残ったカフェオレを飲み干した。
「…………参りました、流石と言うべきでしょうか。で、俺の正体を暴いてどうしたいんですか?」
「別に意図があるわけではないわ。ただ、あたしは面白そうなことが好きなだけ」
笑顔はまた純粋な少女のそれに戻っていた。
「自分で言っておいてなんだけれど信じられないわね。何がどうしてそんなことになってしまったの?」
「俺が聞きたいですよ。飲み会の後、気が付いたらこの様です」
「不思議なこともあるものね。この事知ってるのは誰?」
「大地とキッチョムと、あとは弥生さんだけです。出来れば秘密にしておいて欲しいんですけど」
自分でも不思議なほどにベラベラと情報が口から漏れた。
本音を言うと、俺は内心で少しの安堵を抱いていた。秘密を知っている人が増えることは懸念することなのだろうけれど、それと隣り合わせで味方が増える可能性も孕んでいるからだ。女になってから俺は極端に人付き合いが悪くなった。常にビクビクと怯えているわけではないが、出来る限り他人との接触には敏感である必要があるのはわかっている。ただ、なんとなく弥生さんは信頼してもいいと漠然とした、根拠のない安心感が今の俺にはある。
「あら、あたしは口は固いの。頭は柔らかいけどね」
ごもっともだ。普通の人はこんなあり得ない話想像すらしないだろうからな。
「これで晴れて早乙女くんとイチャイチャできるってものよね」
「な、なに言ってるんですか!?」
「え?違うの?てっきり二人は付き合ってるのかと思ってた。あぁ、あなたがまだ男性だった頃の話ね」
「え!?弥生さん大地のことも知ってるんですか!?」
「早乙女くんのこと?もしかして早乙女くんって男のひとが好きなの?」
ぬかった。
「ごめんね、冗談で言ったつもりだったんだけれど…………まさかほんとに二人が同性愛カップルだったなんて」
「ち、ちがう!俺は普通に女の子が好きです!」
またもやぬかった。思わず口が滑った。
「へぇ、どうりで早乙女くんって浮いた話のひとつもないと思った。じゃあ彼にしたら複雑な心境でしょうね」
どこまで勘が鋭いんだこの人は。大地が警戒していたのも頷ける。
「こ、このこともどうかご内密にお願いします…………」
「言えないわよこんなこと。彼、密かにファンも多いんだから」
多少の困惑の色を見せる彼女の表情はとても新鮮だ。さっきまでの恐怖心が少し薄れる気がする。大地すまんと心の中で深く頭を下げた。
「弥生さんもそのファンの一人だったんですか?」
「残念ながらそれはハズレね。あたしは男の人どうしの恋愛にしか興味がないの」
ん?俺の聞き間違いか?
「鈴木くんにばかり秘密を話させるのも気が引けるからあたしも1つ白状するけれど、あたしは人を好きになれないの。かわりに男の人どうしがそういうことをするのにすごく興奮するのよ」
開いた口が塞がらないとはこの事だろう。今日一番の衝撃である。
はからずも俺と大地とキッチョムの予想は大きくハズレたわけだ。言われてみればこれまで彼女が俺にしてきた数々の接触、主に大地の話を振ってきた意図はそのためだったのか。おそらく大地も彼女に似たようなことを言われ続けてきたのだろう。なるほど、勘違いするはずだ。
「…………えっと弥生さん、あなたの中で俺と大地はそんな感じになってたんてすか?」
「ええ。あなたは早乙女くんに泣かされながら何度も絶頂を味わっていることになってるわよ」
聞くんじゃなかった。大地、この人ホントはお前と凄く気が合うんだと思うぞ。
「ねぇ鈴木くん。今日のことは誰にも言わないでね」
「それこそ言えませんよ。第一俺が言いたくないです」
「あたしのこともそうだけれど、あなたの秘密についてもよ。あたしがあなたの秘密を知ってること、二人だけの秘密にしておいて」
「何故ですか?」
「その方が面白そうじゃない?」
今日一番の笑顔だ。驚愕的過ぎる趣味やその洞察力に彼女のイメージは俺の中でガラリと変わってしまったが、なんだかんだ言って弥生さんは凄く美人で、やはり俺はどことなく緊張感を崩すことができない。
「それにその方が鈴木くんとあたしの、そしてみんなのためになると思うわ」
その言葉の意味はわからなかったが、俺は首を横に振ることが出来なかった。