囚人番号670番 三角ウイカ
——サキちゃん。
夢の中で、三角ウイカはその名前を呼んでいた。
手を伸ばせば届きそうなのに、あと少しのところで届かない。何度呼んでも、彼女はこちらを振り向いてくれない。
どうして?
ねえ、サキちゃん。
私は、ここにいるよ。
だから——。
「……っ」
ウイカは目を覚ました。
見慣れない天井が、ぼんやりと視界に映る。
しばらくの間、何も考えられなかった。
身体の下には固く冷たい、粗悪な二段ベッド。横には冷たい石壁。薄暗く、ひやりとして重苦しい空気。
そして——鉄格子で閉ざされた扉。
「……ここは、牢屋……!?」
どう見ても普通の部屋ではない。
記憶をたどろうとしたが、ここへ来るまでの経緯がはっきりしない。
どうしてこんな場所で眠っていたのか、誰に連れてこられたのか。考えれば考えるほど、頭の中がまとまらなくなっていく。
ウイカは額に手を当てた。
(落ち着こう。まずは、状況を確かめないと)
ウイカは身体を起こし、自分の身体に異常がないか確かめた。怪我はない。痛みもない。
しかし、自分が妙に装飾された、身に覚えのない綺麗な衣服を着ていることに気がついた。
黒を基調としたケープには、金色の刺繍が繊細に施されている。首元には深紅のフリルブラウス。赤いショートパンツと手袋、黒いロングブーツが全体を引き締め、どこか舞台衣装めいた、華やかさと不穏さを併せ持つ装いだった。
sumimiの仕事ですら着たことがないタイプの服装に戸惑いながらも、衣服の確認をしているとポケットにスマホが入っているのに気がついた。
(これで助けが呼べるかも!)
ほっとしたのも束の間、そのスマホが自分の物ではないことに気がつく。慌てて中身を確認するも、当然誰の連絡先も入っておらず、電波も繋がっていないのか、電話も繋がらなかった。
「サキちゃん…」
誰かに連絡を取りたい。
そう思った瞬間、真っ先に頭に浮かんだのは、幼少期からの大切な幼馴染であり、ウイカにとっての【光】。
豊川サキコの顔だった。
(サキちゃんは、今どうしているんだろう)
自分がいなくなったことに気づいているだろうか。心配してくれているだろうか。
それとも——。
そこまで考えて、ウイカは小さく首を振った。
今は、悪い想像をしても仕方がない。サキコに会いたい。ただ、それだけだった。
何が起きているのかはわからない。自分がどこにいるのかもわからない。それでも、サキコのもとへ帰らなければならない。
それが、今のウイカにとって何よりも大切なことだった。
「……大丈夫。きっと、帰れる」
自分に言い聞かせるように呟く。
そのとき。
「ひゃっ……!」
不意に、横から小さな悲鳴が聞こえた。
思わず振り向くと、二段ベッドの梯子から、ひとりの少女がおずおずとこちらの様子を伺っていた。
彼女もウイカ同様に特徴的な衣装を身に纏っていた。白い修道女のような服装をベースとした、ゴシックロリータファッションとでも言うのだろうか?他人のことは言えないが、中々に不思議な格好をしている。
少女はウイカと目が合うなり、びくりと身体を震わせた。
「あ、あのっ……! ご、ごめんなさい……! びっくりさせるつもりじゃ、なかったんです……!こ、こ、こ、声が、聞こえた、からっ……!」
「ううん。大丈夫だよ」
ウイカは穏やかに答えた。
少女は今にも泣き出しそうな顔をしている。私と同じように、突然この場所で目を覚ましたのだろうか。
「あなたも、ここで目が覚めたの?」
「は、はい……。私も、気がついたらここにいて……。何が何だか、全然わからなくて……」
少女は胸の前でぎゅっと手を握りしめた。
「すみません……。私、何もわからなくて……。何もできなくて……」
「謝らなくていいよ。私も、同じだから」
「で、でも……」
「本当だよ。私も、どうしてここにいるのかわからないんだ」
ウイカは少しだけ笑ってみせた。
少女を安心させるためでもあったし、自分自身を落ち着かせるためでもあった。
「私は三角ウイカ。あなたは?」
「……氷上メルル、です……」
「メルルちゃんだね。よろしくね」
「よ、よろしくお願いします……」
メルルはおずおずと頭を下げた。
ウイカも軽く会釈を返す。
「それにしても、ここはどこなんだろうね」
ウイカは鉄格子に近づき、そっと手をかけた。押してみるが、開かない。今度は引いてみたが、やはりびくともしなかった。
「鍵がかかってる……」
「は、はい……。私も何度か試したんですけど、全然開かなくて……」
メルルの声が震えた。
「もしかして、私たち……閉じ込められちゃったんでしょうか……?」
「ま、まだ、そうと決まったわけじゃないよ」
ウイカはそう答えたものの、自信があるわけではなかった。
鉄格子は頑丈で、素手でどうにかできるものには見えない。部屋の中にも、脱出に使えそうなものは見当たらなかった。
(どうすればいいのだろう…)
誰かに助けを求めるべきか。それとも、まずはここから出る方法を探すべきか。
考えていると、廊下の向こうから少女たちの声が聞こえてきた。
「ねえ、ここどこなのかな!?」
「何を考えていますの!?わたくしをこんなのところに閉じ込めるなんて!?」
「少女監禁とか犯罪だよこれ!? 誰だか知らないけど人生終わるよ!?」
「ざけんな!ぶっ殺すぞおらぁ!出せぇ!」
それぞれ違う声だった。
戸惑い、怒り、恐怖。言葉の調子は違っても、誰もが自分たちと同じ状況に置かれているらしい。
ウイカは廊下へと耳を澄ませた。
「……ほかにも人がいるみたいだね」
「は、はい……。私たちだけじゃ、ないんですね……」
メルルは少しだけ安心したように見えたが、すぐに不安そうな表情に戻った。
「でも、こんなにたくさんの人が……どうして……」
「それは、これから確かめよう」
誰かがいるなら、事情を知っている人もいるかもしれない。ここから出る方法だって、きっとあるはずだ。
そう思おうとした、そのときだった。
部屋の壁に設置されたモニターから、音が聞こえた。
『......あ、もしもし......映像って見えてます......?
何せ古くて故障が多いので......やれやれ』
落ち着いた声が、部屋の中に響き渡る。
ウイカとメルルは、そろってモニターを見上げた。画面に映っていたのは、フードを被り、首を傾げた一羽のフクロウだった。
『私、ゴクチョーと申します。
詳しい説明がしたいので、ラウンジに集合して下さい。監房の鍵を開けますので、看守の後についてきてください。
抵抗とかは自由なんですが......
命とか無くなっちゃうので......はい......
』
「……牢屋敷?」
ウイカは思わず呟いた。
聞き間違いではない。
今、目の前のフクロウは、ここを牢屋敷と呼んだ。それに、抵抗すれば命が無くなると——
その後映像はぶつりと切れた。
間もなくして、鉄格子の錠が外れる音が響いた。
ウイカは理解が追いつかず、しばらく立ち尽くしていた。しかし、意外にもメルルの行動は早かった。
「お、オートロック……?だったんですね……
い、行きましょう。何をされるか、分かりませんし...」
「……うん、そうだね」
ウイカは未だ放心状態から抜け出せていなかったが、メルルの言う通り、行くしか選択肢が残されていないことはぼんやりと理解していた。
しかし、二人が部屋の外へ出ようとしたところで、廊下の先に立つ黒衣を纏った異形の人影に気づいた。
2、3メートルはあるだろうか?仮面を付けているのか、顔はよく見えない。人間なのかどうかさえ、すぐには判断できなかった。黒い腕が複数生えていて、大きな鎌や鍵束を持っているのが見える。
恐らくは、アレが看守なのだろうか。
「あの……すみません。ここは、一体…」
ウイカが尋ねても、看守は答えなかった。
ただ、無言のまま廊下の先へと歩き始める。
「……何も教えてくれないんだね」
「こ、怖いです……。あの、ウイカさん……」
メルルが不安げにウイカを見上げた。
「私、どうしたら……」
「大丈夫。私も一緒に行くから」
ウイカはできるだけ優しく答えた。
「何があるかわからないけど、二人で行こう」
「……はい。ありがとうございます……」
メルルは小さく頷いた。
監房から出ると、扉の前には【670番】と【671番】という番号が記されていた。
まるで囚人番号のようにも思えて、いい気分はしなかった。
「ぎゃああぁ!!触んな化け物ぉ!キモいから!わかった!わかりました!行くから!!」
私達が一番先だったのだろうか。後ろから扉の開く音がしたかと思えば、叫び声が聞こえた。
思わず振り向くと、猫耳のような物を付けた黒髪の少女が、看守から逃げるように廊下に飛び出してくるのが見えた。
廊下には、いくつもの鉄格子が並んでいる。
その向こうにも、少女たちの姿があった。
その後も、次々と少女達が廊下に出てきた。
驚いた顔、不安そうな顔の少女達…見知った顔の人物は存在しないが、見たところ全員同年代くらいの年齢に見える。そしてやはり、全員妙な服装をしている。
そして通路の先には、看守が佇んでいた。
彼女たちはみんな、困惑していた。
看守に向かって質問や怒声を投げかける少女もいたが、返事は一切ない。看守はただ、無言で進む方向を示すだけだった。
全員が不安を押し殺すように、看守の後ろをついていく。ウイカとメルルもその流れに交じって先に進む。
移動中、ウイカはゴクチョーと名乗ったフクロウの話を反芻していた。
『抵抗は自由なんですが、命とかなくなっちゃうので……』
こんな所に収容される理由も、命を脅かされる理由も全くわからなかった。
(私はただ、サキちゃんに会いたかった、一緒に居たかっただけ……)
ウイカは脚を止めそうになるのを堪えた。
今は、まず説明を聞くことだ。そして、ここから出る方法を見つける。
サキコに会うために。
サキコのもとへ帰るために。
牢屋は地下にあったらしく、長い階段を上っていくと一階に出た。
目の前に広がっていたのは豪華なエントランスだった。お金持ちの住む洋館のように思えるが、壁のあちこちが老朽化しており、どことなく不気味さが漂っている。
豪勢なままでは、あの屋敷を思い出してしまうため、ウイカにとってはむしろ有り難くもあった。
やがて、看守は大きな扉の前で立ち止まった。どうやらラウンジに辿り着いたらしい。
看守が扉を開けた。
その先には、ソファやテーブルが並べられた大きな部屋があった。壁には悪趣味な装飾や矢の付いたボウガン、大きなモニターが見えた。
先に案内された少女たちが、互いに距離を取りながら、落ち着かない様子で周囲を見回していた。
ウイカが足を踏み入れると、何人かの視線がこちらへ向いた。
知らない少女たち。
知らない場所。
そして、何もわからない自分。
ウイカは息を整え、隣にいるメルルをちらりと見た。
「……行こう、メルルちゃん」
「は、はい……」
二人は並んでラウンジへと入った。
ウイカはもう一度、心の中で名前を呼ぶ。
(——サキちゃん)
どうか、無事でいて。
私は必ず、あなたのところへ帰るから。
【魔女図鑑:人物】
[みすみ ういか]
囚人番号670番 誕生日:6月28日
15歳
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